「……あれで良かったのかよ?」


 安湛あんじんが面白くなさそうに呟いたのは、せんせんしょう一行の気配が認知できる範囲から完全に外れた後のことだった。


「あんな礼儀のなってねぇヤツと手ぇ組む必要が、本当にあったのか?」

「その必要性に関しては、安湛さんだってよく分かってるでしょ?」

「けどよ」


 部屋の片隅に隠すように置かれているながもちに歩み寄りながら、黄季おうきは軽やかに答えた。黄季の動きを視線で追っている安湛は、いまだに不満の色を強く残している。


 そんな安湛に、黄季は苦笑をこぼした。


氷煉ひれん比翼ひよくは、確かに今の沙那さなで最高峰の一対だ。おまけにかく永膳えいぜんは『四鳥しちょう』郭家の次期当主最有力候補。貴族意識も強い。五大将軍にしてらん家の末代である鸞紫藍しらんが相手ならまだしも、その副官とただの一兵卒が相手じゃ、あんな態度になるのも無理はないよ」


『そう考えると、郭永膳を押さえ込めるもうよくが同伴してくれたのは助かったよねぇ』と呑気に続けると、安湛は大きく溜め息をつく。


 聞こえよがしな溜め息は『どうせこれ以上何を言ってもお前の意見は変わらねぇんだろ』という諦めを含んだものだ。


「……目の前にいる相手の素性も見抜けねぇようなガキが、郭家の次期当主、ねぇ?」

「ま、侮ってくれてた方が、今後もやりやすいじゃない?」

「まーだお前自身が暗躍を続けるつもりなのか?」


 軽口を叩き合う間も、黄季の手はテキパキと動き続けている。


 長持から引っ張り出されたのは、深い藍色の地で作られた袍だった。ある程度の知識がある人間が見れば、それが将軍職にある者が纏う装束であることが分かるだろう。


 泉仙省一行を出迎えるにあたって、黄季がわざわざ脱いでおいただ。


「さっきの遊渠ゆうきょの顔見たか? 『こくらん将軍の客』って聞いてたのに返事をしたのが俺だったから、あいつ随分不思議そうな顔してたぞ」

「あ。そのことで言いたいことがある。後で遊渠呼んどいて」


 袍を纏い、帯を結ぶ。正装や武装でなければ、黄季は身支度に人の助けを必要としない。


 いくら将軍職に奉じられていようとも、生身の自分はただの十八歳の若輩者だ。


 そう。この立派な装束を脱いでしまえば、一兵卒を名乗っても誰も疑わない程度には。


「あの程度で動揺を顔に出してちゃ、この先あっさり死んじゃうから。今のうちにシバいて、根性叩き直しておかないと」


 最後の仕上げに佩玉を下げれば、そこにいるのはもはやただの一兵卒などではない。その仕上がりを確かめるように黄季の姿を上から下まで眺めた安湛が、再び小さく溜め息をこぼす。


 同時に、部屋の外からコンコンッと扉が叩かれる音が響いた。


「黒鸞将軍」

「入れ」


 気配と音でとうの昔にの接近に気付いていた黄季は、短く入室の許可を出す。その声に間髪をれずに扉を開いた部下は、黄季に向かってひざまずくと手短に報告を口にした。


ほう将軍旗下の者より伝令です。そろそろ話が尽きるとのよし

「分かった。すぐに向かう」


 簡潔な報告に黄季も短く返すと、ひとつ頷いた部下は素早く身を翻して部屋を出ていった。


 その後ろ姿を見送るよりも早く、部屋の奥に安置されていた剣を両手で捧げ持った安湛が黄季に歩み寄る。



 向けられた呼称にひとつ頷いた黄季は、差し出された己の愛剣……鸞家伝来の宝剣『らん』を受け取ると、迷いなく前へ足を踏み出した。


 部下が開けたままにしていた扉を足早に通り抜ければ、後ろに続く安湛がキッチリ扉を閉めていってくれる。今の自分の立場ではそれが当たり前の対応であると分かっていても、いつまで経ってもその丁重な扱われ方に違和感が拭えない。


 それはきっと、黄季の中で、負わされた名前がいつまでも身に馴染まないせいでもあるのだろう。


 ──『剣弓けんきゅう武神』鸞紫藍、ねぇ……


 よわい十五で将に奉じられ、十八に至る現在まで負けはなし。国内外にその武勇誉れ高い、沙那が誇る最強の将軍。


 だがその名高さに反して、彼がその名を名乗り始めたのは将に奉じられてからであるということは、軍部の外にはあまり知られていない。


 そんな彼の生来の名は、ばん黄季という。


「そういや、郭永膳相手にあんな嘘っぱち口走って良かったのかよ?」


 周囲に人がいないのをいいことに、部屋の外に出ても普段通りの口調を改めないまま安湛は言葉を続ける。


 自身の師の一人とも言える兄弟子であり、七人いる兄の上に立つ血の繋がらない大兄貴であり、現在は頼れる副官でもある安湛に、黄季は素のままの『鷭黄季』として答えた。


「『黒鸞将軍は予定外の召集を受け、現在は陛下の御前にいます』ってやつ?」

「ああいうやからは必ず根に持つ。調べられるぞ」

「調べられても問題ないよ。だって事実だし」


 五大将軍執務室が置かれている瑞雲殿から、謁見の間がある紫龍殿までは歩いてすぐだ。日々鍛えている黄季や安湛がサクサクと歩けば、必要な時間はさらに短縮される。


「たまたま鸞将軍の前に謁見に臨んでいた鳳将軍と陛下の話が弾み、鸞将軍は控えの間で延々待たされていた。名代を任された部下達はそんなことは知らなかったから、予定通り鸞将軍は陛下との謁見に臨んでいると思って説明をした」


 足早に紫龍殿に踏み込んだ黄季は、一度チラリと安湛を振り返った。きっと今の自分は、泉仙省御一行様を前にしていた時と同じように、いかにも無害そうにニコリと笑っていることだろう。


「表面上だけを見れば、そういう話だ。その待機時間の間に鸞将軍が抜け出していて、控えの間にいたのは影武者を務める部下だったって話も、鸞将軍が事前に話を引き延ばすように鳳将軍に依頼してたって話も、当事者達しか知らない話だよ」


 そんな黄季の様子に、安湛はまたひとつ溜め息をこぼす。年々手に負えなくなっていく黄季に対して、安湛の溜め息は増える一方だ。


「鳳将軍、よく引き受けてくれたな。どんな取引をしたんだ?」

「鳳将軍のとこの新兵達の練兵に手を貸してほしいっていう依頼を引き受けた。鳳将軍は話好きな上に話上手だからね。喜んで取引に応じてくれたよ」

「貸しに対して借りが小さい。しばらくそれをネタに色々融通してもらえよ」

「うん。分かってる」


 黄季が答え終わるのと、二人が一枚の扉の前で足を止めるのはほぼ同時だった。すかさず手を伸ばしてコンッ、ココンッと節を付けて扉を叩けば、すぐさま扉が内側から開かれる。


 扉の向こうにいたのは、黄季と背格好がよく似た人物だった。今は黄季と同じように髪を結い上げ、同じ袍を纏っているから、顔立ち以外は黄季と見分けがつかないほどに似通っている。後ろ姿だけならば、パッと見ただけでは見分けがつかないかもしれない。


 この部屋で黄季の影武者を務めていたえいさいは、無言のまま体を引いて黄季と安湛を部屋の中に招き入れた。二人が部屋の中に踏み込んで扉を閉めると、榮斎は無言のまま髪を解き、纏っていた袍を脱ぐ。たったそれだけですでにそこに立っているのは別人なのだから不思議なものだ。


 手早く化け道具を纏めた榮斎は、無言で黄季に一礼するとそのまま部屋を出ていった。諜報活動に優れる榮斎のことだ。誰かに見咎められる心配はないだろう。


 ──そうだ。化けると言えば……


「安湛さん、この間はありがとう」


 ふと、まだお礼を言っていなかったことを思い出した黄季は、安湛を振り返りながらひそやかに声を上げた。唐突な礼が何に対するものか分からなかったのか、安湛は無言のまま首を傾げる。


「極東坊での差配」


 我ながら唐突な切り出し方だったなという自覚があった黄季は、安湛に問われるよりも先に言葉を添えた。そこまで言われてようやく合点がいったのか、安湛の顔に納得が浮かぶ。


「あぁ、あれか」

「おかげで、三年ぶりにみんなに会えた」


 だがその納得は、黄季の答えに暗く沈んだ。


「……そんなに会えてなかったのか」

「何ならもう、会えないと思ってた」


 黄季がそっと言葉を付け加えると、安湛はハッと弾かれたように顔を跳ね上げる。そこには悲痛な色が浮いているのに、結局安湛は何も言葉にできないまま黄季から視線をらした。


 そんな安湛に、黄季はそっと苦笑をこぼす。


 ──俺自身は、もうとっくに覚悟してたことだったんだけどな。


 軍部に住み込みで仕官を始めて八年。その間、黄季に里帰りが許されたことは数度しかない。


具体的に言うと、位が上がった時の実家への報告の時のみ、数刻限定の顔見せが許されていた。


 だから、もう。


 五大将軍に上がった三年前が、家族に会える最後の機会だったのだと、覚悟をして生きてきた。


 次に黄季が家族と対面するのは、恐らく物言わぬ肉塊に成り果てた後……下手をすれば亡骸すら家族の元に帰ることはないだろうと、心のどこかで諦観に似た念を抱いていた。


 だから、あの夜は。


 色んなことを含めて、奇跡のような夜だったのだろうと思う。


 ──でもまさかあの人が、氷煉比翼の片翼、てい涼麗りょうれいだったとは思ってなかったなぁ……


 その『奇跡』の一端を思って苦笑を深めてから、黄季は己の物思いに蓋をした。


「さて」


 黄季が小さく呟いた瞬間、安湛がサッと表情を引き締める。この部屋に近付いてくる気配があることに気付いた安湛は、一瞬で副官としての顔を取り繕っていた。


「また無茶なことを言われないといいんだけども」


 そんな自分の希望が通ることはないのだろうと考えながら、黄季も『鸞紫藍』としての顔で扉を見据えた。

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