鳳蘭帝ほうらんていが御代二十五年。


 沙那さなの都は長い繁栄と安永の中にあり、人々は円熟した豊穣の時を謳歌していた。


「……って、素直に言えりゃあ良かったんだけどなぁ」

「ほんっとにね」


 そんな都の奥深く。


 はなだ色の袍と高く結い上げた髪を翻しながら前を行く同期と、その隣で緋色の袍と団子に纏めきれていない髪を揺らす同期の相方のぼやきを聞きながら、涼麗りょうれいは粛々と足を前へ進めていた。


 左側にはどこまでも続くかと思われる壁。右側には似たような扉が等間隔に続いている。案内役が一行の前に立っていなければ、自分達はとうの昔に迷子になっていたことだろう。


 王城が一角。軍部が居を置く棟の最深部。


 沙那の武力が最高峰、五大将軍の執務室が並ぶ瑞雲殿の廊下を、涼麗達は歩いていた。


「『先日、極東坊きょくとうぼうにて行われた修祓についてたずねたき儀あり』ってんなら、お前の方がせんせんしょうに来りゃいいだろうよ」


 涼麗の半歩前を行く永膳えいぜんが口の中だけで不機嫌そうに呟く。はっきりと口にしなかったのは、永膳にしては珍しく場の空気を読んだからだろう。


 極東坊にて行われた修祓。


 すなわち三日前、永膳と涼麗……現在の沙那における最高峰退魔師による一対『氷煉ひれん比翼ひよく』によって執り行われた、大規模かつ極秘裏の一大一帯浄祓。


 それに関してきたいことがあると、一行は軍部に呼び出されていた。


 呼び出し主については詳しく聞いていないが、うん長官がわざわざ自分達を、……泉仙省の問題児かつ泉仙省最大戦力である自分達を相手のところまで派遣するのだから、相当位の高い人物が自分達との面会を求めているのだろう。


 ──位だけで言えば、永膳と私がこの国の退魔師の中で一番高い。


 泉仙省に属する退魔師は、位を上げるごとに色味が薄い衣を纏うことになる。そんな中で涼麗と永膳は、泉仙省に入省した当時からともに純白の衣に袖を通してきた。


 その意味の重さは、泉仙省のみならず外部にも通じる。氷煉比翼を気軽に呼びつけられる立場にある者など、国全体で見てもそこまで多くはない。


 消去法で考えるならば、今回自分達を呼びつけたのは、五大将軍のうちの誰かなのだろう。


 涼麗は漠然と、無感情にそんなことを思う。


「てか、呼び出されたのは俺達だけだろうが。何で慈雲じうん貴陽きようまでくっついてきてんだよ」


 声高に口にできない永膳の不機嫌は、分かりやすく慈雲同期貴陽その相方にぶつけられた。


 だが永膳の性格を承知の上で行動をともにしている同朋達は、理不尽な怒りを向けられても実に平然としている。


「俺はいつものごとく、お前らの監視役」

「僕はそんな慈雲の付き添い」

「別にテメェらが貼り付いてこなくても、呼び出しくらいきちんと応じるっつの」

「その信頼がないから、わざわざ薀長官が俺に監視役を命じたんだろうが」


 ──確かに。


 永膳ならば、呼び出したのが長官であろうが将軍であろうが、はたまた皇帝であろうが、気に食わなければ平気で召集命令をすっぽかすだろう。


 というよりも、長官からの呼び出しに限れば、実際過去にすっぽかした実績がある。永膳が『行かない』と決めれば涼麗も問答無用で永膳の傍に留め置かれるため、涼麗も同様だ。


 慈雲の指摘に己の所業を思い返したのか、永膳はチッと高らかに舌打ちを鳴らした。一方の涼麗は、表情を変えることなく足を進め続ける。


 ──極東坊での修祓、か……


 その上で、涼麗は胸中だけで言葉をこぼした。


 普段ならば、自分がどこに連れていかれようが、何に巻き込まれようが、何を命じられようが、特に何かを思うことはない。主である永膳の意向に従い、目の前に置かれた諸々を淡々と片付けるだけだ。


 だが今回は、脳裏に淡く蘇る光景がある。


 ──あの青年は、軍部の関係者だと言っていた。


『これ、良かったら』


 自分の肩に羽織らせてくれた外套よりも、その言葉が温かいと思った。


『暗がりで見ても、あなたの姿は眩しかったから。これで少しは誤魔化せるといいんですけど』


 そう言いながら控えめに笑いかけてくれた青年のことを、涼麗はきちんと覚えている。万事に興味関心が薄く、人間よりも人形に近い生き方をしている自分にしては、珍しいことに。


 ──風のような青年だった。


 彼から借り受けた外套は、焼却処分を迫る永膳の手から何とか守りきり、今でも涼麗の手元で大切に保管されている。


 己が『てい涼麗』と定義づけられてから、永膳の求めに従わなかったのは初めてのことだった。もちろん永膳の機嫌は荒れたが、それでも従えないと思ったのだから不思議だ。


 なぜ自分がこんな行動を取ったのか、いまだに自分でも分かっていない。あの外套を差し出せば、永膳から苦労して外套を隠し続ける手間も、損なわれた永膳の機嫌に振り回される苦労も、なかったと分かっているのに。


 ただ、あの外套を、手放しがたいと思った。


 今まで経験してこなかった苦労をそれなりに経た今なお、涼麗はそう思っている。


 ──また、会えるだろうか。


 相手の名前は聞いていない。彼の兄らしき人物達が『黄季おうき』と彼の名前らしきものを呼んでいたが、それが正しく彼の名前であるのかも分からない。こちらも名乗っていない以上、互いに互いを探し出すことは不可能だろう。


 ただ、軍部に呼び出された時に、真っ先に彼のことを思い出すくらいには、こちらは彼との再会を望んでいる。


 その理由もまた、涼麗には分からないのだが。


「さて」


 そんなことを考えているうちに、先頭に立った案内役が足を止めた。その動きに従い、まずは慈雲と貴陽が、次いで永膳が、最後に涼麗が足を止める。


「こちらです」


 案内役が示したのは、羽を広げた青いおおとりが彫刻された大扉だった。


 両開きの扉をまたぐように彫刻された鳥は、全体的に深い藍色に染められている。所々に散らされた金泥銀泥に彩られた鴻は、荘厳な空気を纏っていた。決して色味に派手さはないが、思わず惹き込まれてしまうような見事な彫刻だ。


 らん


 その美しい翼で空を舞えば、他の神獣達でさえ見惚れずにはいられないと言われる瑞鳥。


 その名を戴く一族は、この国の武を牛耳る五大部族『五獣ごじゅう』の中で、かつて筆頭の座にあったという。


 涼麗達よりも前の世代に一度一族揃って軍部から姿を消したという話だったが、数年前に突如その名を冠する将軍が生まれたことは、世情にうとい涼麗も耳にしていた。


「え、呼び出し主って、まさか……」


 扉を見上げた慈雲がわずかに声を引きらせる。隣に並んだ貴陽も、心なしか顔色が悪い。


 それも無理はないだろう。この扉が見かけ倒しでないならば、中で待ち構えているのはその『数年前に突如現れた、鸞の名を冠する将軍』なのだから。


 ──まさか、『剣弓けんきゅう武神』が私達の呼び出し主だとは。


 噂にいわく。


 将に奉じられたのはよわい十五。以降三年、彼が軍を率いた戦に負けはなし。その剣は万軍を滅ぼし、その弓は太陽さえ射落とす。


 ついた二つ名が『剣弓武神』。当人が謙遜から名乗る名は黒鸞こくらん


 真名を、らん紫藍しらんという。


「黒鸞将軍」


 泉仙省一行の中にわずかに動揺が走る中、案内役はコツコツと扉を叩きながら声を上げた。その呼びかけに、やはり自分達の予想は正しかったのだと、今度は静かな緊張が走る。


「お客様をご案内いたしました」

「通せ」


 その呼びかけに返されたのは、低く威厳のある声だった。


 十八歳という年齢にそぐわない太い響きの声に、一瞬の涼麗以外の、案内役までをも含めた四人が怪訝そうな顔をする。


 ──なぜ、案内役まで?


 思わず涼麗は案内役に視線を向ける。


 そんな涼麗の視線の先で怪訝けげんな表情のまま扉を押し開いた案内役は、涼麗達よりも先に室内に視線を走らせると表情に納得の色を落とした。そのまま大きく扉を開いた案内役は、己の背で扉を押さえながら深々と涼麗達へ一礼する。


「お入りください」


 ──今のは、一体……


 疑問に思いながらも、入室を促されれば従うしかない。


 一瞬互いに視線を交わしあった一行は、結局無言のまま部屋の中へ踏み込んだ。


 ひどく高価な扉の向こうにあったのは、想像よりも質素な部屋だった。


 奥に深い縦長の部屋の中に余計な装飾はなく、卓や書棚といった実用的な物だけが置かれている。突き当たりの壁に設えられた窓の飾り格子の影だけが、殺風景とも言える部屋の中に無色の彩りを落としていた。


 そんな部屋の中に、その人はいた。


「わざわざご足労いただき、かたじけない」


 拱手とともに涼麗達を迎えた年嵩な男の隣に控えていた青年が、涼麗の姿を認めた瞬間目をみはる。対する涼麗は青年の存在に気付いた瞬間、足を止めていた。


「私は鸞将軍より本件を預かった者。将軍副官のさい安湛あんじんと申します。こちらは、……黄季?」

「え、あ……!」


 安湛に問うような視線を向けられた青年は、一度安湛を見上げてからワタワタと礼を取る。再び涼麗に向けられた瞳は、いまだに驚きで丸くなっていた。


「ら、鸞将軍の旗下に参じております、ばん黄季と申します!」


 いささか元気が良すぎる声で名乗ったのは、あの日、涼麗を外套と温かい言葉で包みこんでくれた、あの青年だった。


 ──また、会えた。


 呆然と部屋の途中で足を止めたまま、涼麗は思わぬ再会に目をしばたたかせたのだった。

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