【5/11 12:00〜16:59限定公開】鴻鵠は氷華を求めない《「比翼」大乱なかったらif》

安崎依代@1/31『絶華』発売!

邂逅

 ふと、その人が目に留まったのはきっと、背景から浮き出るほどに白い衣に意識を引かれたからだろう。


 次いで目に飛び込んできたのは、この世のものとは思えないほどに整った容貌だった。


 ──月下美人みたいだ。


 思わず黄季おうきは己が置かれた状況を忘れて、ポカンとその佳人に見入ってしまう。


 下街の酒家街のど真ん中だった。


 随所に吊られた赤い提灯は、どこか仄暗い光を周囲に落としている。煌々と光が灯された店の中とは裏腹に、表通りは対面ですれ違う人間の顔がぼんやりと分かるか否かという程度の薄闇に満たされていた。


 そんな中で、黄季の視線を奪った佳人は、半ばその身を闇に浸し込むかのように脇道の角にたたずんでいる。表通りと横道が交わる角から一歩身を引くように立ったその人は、壁に背を預け、どこともつかない場所に視線を置いていた。


 黄季がいる場所からは、佳人の顔は斜め横からしかうかがえない。それでもこの暗がりの中にいてなおハッと目が覚めるような、氷の牡丹を思わせる美貌の持ち主だということはなぜか分かった。


 高い位置でひとつに括られた髪は、墨よりも深くつややかな黒。対照的に衣は雪のように白い。腰元には白石と青輝石を組み合わせた佩玉が揺れていた。遠目だから断言はできないが、せんせんしょうの退魔師が下げている佩玉に似ているような気がする。


 明るい場所で真正面から視線を合わせたら、きっと魂を吸い取られたかのように魅入られてしまうことだろう。体格からして恐らく男だろうが、そんなことが些事にしかならない麗人だった。


 ──誰かと待ち合わせ、とか? 退魔師なら、任務中なのかな?


 黄季の足は、気付いた時には止まっていた。特に目的地があって動かしていたわけではないから、目を引かれる存在が見つかれば自然に足は止まってしまう。


 とはいえ、ジロジロと眺め続けるのは失礼になるだろうし、声をかけるなどもってのほかという常識はわきまえている。さらに言えば、今の黄季はそんなことにうつつを抜かしている場合ではない。


 ──みんなが気を回して、あえてこの場所に俺を配備してくれたことは分かっているけども。


 それでも今の黄季は、の真っ最中だ。たとえわずかであっても私情を挟むわけにはいかない。


 その私情のせいで、誰に累が及ぶかを考えれば余計に。


 ──相手も何かしらの任務中なら、邪魔をするわけにもいかないし……


 彼が退魔師であるならば、何のために出張ってきているのかは何となく推測がつく。黄季が抱えている『任務』とも浅からぬ繋がりがある案件だろう。


 そこまで考えが及んだ黄季は、佳人から無理やり視線を引き剥がすと、元々進む予定だった先へ足を踏み出した。


 一歩目が出れば、二歩目も自然に続く。


 そのまま歩を重ね続ければ、先程までの時間は『任務中に目にしたちょっと珍しい光景』として、記憶の底に埋没していくはずだった。


「おいおい! どえらい別嬪べっぴんさんがいんじゃねぇか!」


 だがその歩みは、黄季が先程まで視線を置いていた先から上がった不穏な声に引き留められる。


「なぁなぁ、あんた、こんなトコで何してんだい」

「ボンヤリしちまって。誰かと約束でもしてて、すっぽかされたのかよ?」


 ハッと我に返った時には、体がすでに声の方を振り返った後だった。次いで声の発生源で何が起きているのかを見て取った黄季は、剣呑に目をすがめる。


「こんなトコに立ち尽くしてるだなんて、あんたもしかして今晩の買い手を探してるクチかい?」

「いいねぇ! いくらだい?」

「金ならたんまりある。どうだい? 俺達まとめて相手にしてくれよ」


 いかにもゴロツキらしい風体の男が、三人がかりで先程の佳人を囲っていた。


 酒家街ならばどこでも多かれ少なかれ見受けられる光景だが、あれはその中でもかなり性質タチが悪いたぐいの連中だ。囲まれた側にその意思がなくても、最終的に暴力を以て無理やりにでも自分達のねぐらに相手を引きずっていく。


 さらにその男達の腕には、揃いの蛇模様の入墨があった。


 ──俺が当たりを引いちゃったか。


 これは部下達のが水泡に帰する結果に終わりそうだ。


 そんなことを考えながらも、今宵のを見つけた黄季は、迷うことなく集団に向かって歩を進めた。途中でキッチリと外套を深く被り直し、腰に佩いた剣が外套の中に隠れていることを確かめるのも忘れない。


「おいおい、ダンマリじゃ分かんねぇんだって」

「無視してんじゃねぇよ、ア? お高く止まりやがって」

「俺達、そんなに気ぃ長くねぇんだよ」


 黄季が歩を進めている間に、集団は一気に剣呑な気配を強めた。どうやら囲まれた佳人はゴロツキ達に答えることはおろか、視線のひとつさえ向けていないらしい。無視を決め込まれたゴロツキ達は急速に機嫌を損ねていく。


 ──もしかしてこういうのが日常すぎて、相手をするのも馬鹿らしいとか思ってるのかも。


 とはいえ、今その対応を取るのは下策でしかない。


「おいコラ! 何とか言えやっ!!」


 ついに男の一人が佳人の胸倉を掴み上げて拳を振り被る。


 その瞬間、タッと一気に距離を詰めた黄季は、男の後ろからフワリと拳に手を添えた。


「あの」


 コツさえ掴んでいれば、拳を引き留めるのに大した力は必要ない。


 黄季がスッと拳を摘んだだけで、男は凍り付いたように動きを止めた。


「やめておいた方がいいですよ」

「な……っ!?」


 佳人に意識が集中していた三人は、誰も黄季の登場に気付いていなかったのだろう。驚きも露わに男達が黄季を振り返る。


 その視線に物怖じすることなく、黄季は淡々と言葉を続けた。


「この辺りの荒事を取り仕切っているのは、すいろうばん緑亥りょくいです。彼は裏社会の人間が一般人に手出しをすることを、固く禁じています」

「そっ……れが、何だってんだよっ!?」

「顔役の名前出しときゃ、俺達が怖気付くとでも思ってんのかっ!?」


 一行は気配なく現れた影に拳を止められたことに一瞬あからさまにひるんだが、その影が明らかに自分達よりも小さく年若い……まだ幼いとまで言える年齢の人間だと分かった瞬間、勢いを取り戻す。


 だが手を振り払われても、三人から殺意がにじむ視線を向けられても、黄季が怯むことはなかった。


「怖気付いた方が、あなた達のためでもある」

「あぁっ!?」


 力の流れに逆らわず一歩後ろへ下がった黄季は、スッと表情をかき消すと意図して声の調子を落とす。


「元いた組織を追い出された時のように、居場所を失いたくはないだろう?」

「っ、このっ!!」


 黄季の言葉から、黄季が男達の『事情』を知っている人間だと分かったのだろう。カッと血を昇らせた男達は揃って黄季に飛びかかる。


 その瞬間を、黄季は見逃したりしない。


 タンッと前へ踏み込んだ黄季は、男達の脇をすり抜けると蚊帳の外に置かれていた佳人の前へ躍り出た。そのまますれ違いざまに佳人の腕を取れば、佳人の視線がようやく黄季へ向けられる。


 大輪の牡丹のような麗人の瞳は、黒曜石をはめ込んだかのように深く美しく、……それ以上に無感情だった。


 この状況でなおこの人は、何も感じていない。


 それが本能的に分かるような目をしていた。


「走って」


 だがそのことにとやかく言っていられる場合ではない。


 黄季は一瞬『自分の言葉は届くだろうか』と不安を覚えたが、佳人の腕を取ったまま路地奥に向かって駆け出した。


 幸いなことに佳人は抵抗することなく、即座に黄季の求めに応じて走り出す。


 男達が互いにぶつかり合い、罵声を上げた頃には、黄季達は裏路地のひとつ目の角を曲がって闇に身を溶かし込んでいた。


「すみません。勝手に首を突っ込んでしまって」


 黄季は足を緩めないまま、空いている方の手で首に下げていた呼子を口元に運んだ。『ピュー、イッ!』と節をつけて音を鳴らせば、数拍間を置いて表通りから『ピューイッ、ピューイッ』と応えが返る。


「泉仙省の退魔師の方とお見受けします。俺は、……えっと、軍部の関係者です」


 一瞬、何と名乗るべきか迷ってから、黄季は曖昧に己の身分を説明した。そんな黄季に対し、後ろに続く佳人は無言を貫いている。


「あいつら、今晩の俺達の標的で。思わず介入しちゃいました。あなたの任務の邪魔になっていなければいいんですけども」

「……いや」


 黄季がひとまず一方的に言葉を続けていると、佳人はようやく短く声を上げた。


 体つきからして明らかだったが、その声は耳に心地よい低音で、佳人が明らかに黄季よりも年上の男だということを証明している。


「助かった」

「なら良かった」

「しかし、なぜ逃げる」


 佳人の短い疑問の声に視線を向ければ、佳人の視線は黄季の腰元に注がれていた。外套の下に佩かれた剣の姿が、佳人には見えているのだろう。


「先程の場で、制圧できたのでは?」


 恐らく佳人は、先程の黄季の体捌きだけで黄季の武芸の腕前を察している。戦う技量があって武器も所持しているのに、なぜあえて逃げを打ったのかという疑問が言葉の端からのぞいていた。


 ──中々鋭い。


『やっぱり戦う技量を持っている人だったんだな』と苦笑を滲ませながら、黄季は佳人に答えた。


「あの場で俺が暴れると、目立っちゃうので」


 詳細な理由は説明できないが、大雑把に言うとこの一言に全てが集約される。


 今宵、黄季が帯びていた役目は、直接的な切った張ったではなかった。黄季の本来の立場を考えれば、直接出てくることも控えた方がいい。


 それでも黄季がこの場にいたのは、少しでも人手は多い方がいいと判断したからというのと、部下達のちょっとしたお節介があったからだ。


「部……仲間達に、連絡は取れています。今頃目立たないように捕縛に……」

「いたぞ! あいつらだっ!!」


 今頃表通りでは、黄季の合図を受けた部下達が標的捕縛に動き出しているはず。


 そう考えた矢先、進行方向から何やら怒声が上がった。


 ハッと視線を投げれば、灯火を掲げた不穏な集団がこちらに向かってくる。どうやら彼らは思っていたよりも大人数でこの街に潜り込んでいたようだ。


「挟み込めっ!!」

「兄貴達のツラを潰したオトシマエを付けさせろっ!!」

「っ、こっちにっ!!」


 背後からも追手が迫っている気配を察した黄季は、反射的に横道へ飛び込んだ。その後ろに佳人も続く。


 この街は、かつて黄季の庭だった場所だ。訪れるのは久し振りだが、地理は頭の中に入っている。


 ──良かった。このまま行けば……!


 少なくとも、佳人を退避させられる場所に心当たりはある。彼の安全が確保できて周囲に人目さえなければ、どれだけの人数が黄季を囲もうとも対処は可能だ。


 自分にそれだけの実力があることを黄季は知っている。事実今までどんな状況に置かれても、黄季は自力で活路を切り開いてきた。


 ──それこそ、あの店にこの人を送り届けさえすれば……!


 そう思った瞬間、だった。


 キュインッ、と、鳥の鳴き声のような微かな音が、背後に迫る怒号をかき消す。同時に鋭い風切り音を聞いた黄季は、反射的に佳人を引き寄せると上から覆い被さるように佳人の頭を庇った。


「黄季っ!!」

「しばらくそのままでいるんだぞっ!!」


 その動きを予測していたかのように、黄季の頭上からふたつ分の人影が降ってくる。


 その人物達が上げた声に、黄季は思わず低く構えたまま顔を跳ね上げた。


緑兄りょくにいっ!? 紅兄こうにいまでっ!!」

「おう!」

「久しぶり。青燕せいえんもいるよ」


 路地に面した店の二階の窓から飛び降りてきたのは、黄季がよく知っている人物だった。


 矛を携えたいかにもガラが悪そうな男は、黄季達が向っていた方向に。棒を握った柔らかな空気を纏った男は、黄季達がやってきた方向に。


 散開した二人はそれぞれ得物を構えると、迫ってきたゴロツキ達を容赦なく制圧し始める。その手際はまさに『圧巻』の一言だ。


 棒使いの男……黄季の一番上の兄であるこうに頭上を示された黄季は、長兄と四兄が飛び出してきたであろう窓を見上げた。


 二階の露台で弓を構えていた次兄の青燕は、黄季の視線に気付くと軽く顎をしゃくる。ついでとばかりに次兄が放った矢は、加勢に現れたゴロツキ達の袖を見事に射抜いた。キュインッという独特な弦鳴が鳴り響いた時には、背後の壁に磔にされた人影が増えている。


「どうして、みんな……」


 兄達が飛び出してきたのは、黄季の四兄である緑亥が用心棒として籍を置いている店だ。黄季が佳人の待避所と目していた場所でもある。


 最悪この店に逃げ込むことができれば、緑亥に直接会うことはできなくても、ゴロツキ達から佳人を守ってもらうことはできると踏んでいた。運が良ければ、緑亥の顔を数年ぶりに見ることができるかもしれないと、淡い望みをいだいてもいた。


 だが他の兄達までもがこの店に詰めているとは、さすがに思ってもいなかった。


安湛あんじんさんが、連絡をくれた」


 不意に響いた新たな声に視線を投げれば、店の裏口の扉が開けられていた。さらにそこに兄弟の顔が増えている。


橙兄とうにい!」

「お帰り、黄季。三年ぶりだな」


 手招く三兄に応じた黄季は、佳人の手を取ったまま裏口をくぐった。二人を店に招き入れたとうおうは、裏口の扉をしっかり閉じると黄季に向き直る。


「任務でお前が久しぶりにこっちに来るって聞いたから。一目会えないかって、みんなで待ち構えてたんだ」

「そんな話……」

「お前に馬鹿正直に話したら、お前はこの作戦を許可しなかった。そうだろ?」


『聞いてない』と言外に訴える黄季に、橙旺は小さく肩をすくめる。自分が把握していた以上に、部下達……主に副官である安湛に気を使われていたのだと察した黄季は、緩みかけた涙腺を引き締めるために目元に力を込めた。


ほうはくこくは、各所への伝令役として散ってる。そう時を置かずに、この一件は片付くはずだ」


 この場にいない兄達も出張ってきているのだという事実に、黄季はいよいよクシャリと顔を歪めた。


 そこに垣間見える感情を読み取った橙旺は、生真面目な顔をフッと緩めるとワシワシと黄季の頭を撫でる。


「だからさっさとこの場を片付けて、浮いた時間で久々にみんなで飯でも食おう。用意はできてる」

「うん!」


 末弟としての表情で答えた黄季に、橙旺は満足そうな笑みを向けてから身を翻す。


 長兄と四兄の加勢に向かう三兄に無意識のうちに続こうとした黄季は、そこでようやく自分が連れてきた佳人の手を取ったままだったことに気付いた。


「わっ、……と! す、すみません!」

「構わない」


 黄季は慌てて佳人の手を離すと一歩後ろへ飛び退すさった。


 黄季としては『断りもなく手を取り、ずっと馴れ馴れしく握り続けていたこと』と『佳人を放置して身内だけの会話を続けてしまったこと』、その両方への謝罪だったのだが、佳人は意味を察しているのか否かイマイチ分からない平坦な声で黄季に答える。


「助かった」


 何と言葉を続ければいいのか分からない黄季に、佳人はポツリと呟いた。『え』と黄季が思わず戸惑った声を上げると、佳人は黄季が握っていた手首を己の手で包み込むようにして持ちながら言葉を続ける。


「あの場で交戦するわけにはいかなかったのは、私も同じだった」

「やっぱり、任務でしたか」


 己の手元に視線を伏せた佳人は、黄季の言葉に小さく頷く。


 そんな佳人の様子から、黄季は佳人の言葉をそのまま受け取って良さそうだと判断した。


「元の場所まで戻れますか? 送っていった方が……」

「問題ない。迎えが来る」


 さらに返された言葉も同じように受け取って良いだろうと判断した黄季は、小さく頷いてから『あっ』と声を上げた。そんな黄季に、佳人が視線を上げる。


「これ、良かったら」


 黄季は佳人と一歩距離を詰めると、己が纏っていた外套の留め紐を外した。そのまま外套を脱ぎ、フワリと佳人の肩に掛けると、佳人は無言のまま小さく目を見開く。


「暗がりで見ても、あなたの姿はまぶしかったから。これで少しは誤魔化せるといいんですけど」


 黄季自身は小柄だが、纏っていた外套は少し大きめに仕立てられている。佳人の方が黄季よりも頭ひとつ分近く背が高いが、佳人が纏う白衣びゃくえは大半が外套の内に隠れた。


 黄季が普段の職務中に纏っている外套とは違い、今宵黄季が身を包んでいた物は闇夜に紛れ込む何の変哲もない外套だ。このまま渡してしまっても問題はないだろう。作戦が終了してしまえば、黄季が躍起になって身を隠す必要性もなくなる。


「お互い、無事に任務が終わるといいですね」


 最後に小さく笑いかけてから、黄季は身を翻した。


 その瞬間、つみっと、袖が何かに引っかかったような感触が伝わる。


 ──え?


「……っ、貴殿の、心遣いに」


 反射的に黄季は背後を振り返る。


 その瞬間、真っ先に目に飛び込んできたのは、ユラユラと揺れる美しい黒曜石の瞳だった。


「貴殿の心遣いに、感謝する」


 一歩前に踏み込み、黄季の袖を摘んで黄季を引き留めた佳人は、指を離しながら黄季に謝意を告げる。その顔はいまだに表情らしい表情が見えないが、真っ直ぐに黄季を見つめた瞳には感情のうねりが見えた。


 目の前の佳人が『人』としての感情を見せたところを、黄季は初めて目にしていた。


 ──あ、俺。


 今の表情の方が、好きだな。


 そんなことを思った瞬間には、自然と笑みが浮いていた。


「いえいえ、俺のお節介が役に立ったなら何よりです!」


 笑顔でそう告げた黄季は、今度こそ兄達の加勢に向かうべく、足を前へ進めたのだった。




  ※  ※  ※




 ──風のような青年だった。


 青年と青年の兄らしき人物が姿を消すと、店裏の廊下はしんと静まり返る。


 その闇をぼんやりと見つめながら、涼麗りょうれいは先程まで青年に握られていた手首をそっと撫でた。温かな手に握られていたせいか、いまだにその場所がほんのりと温もりを帯びているような心地がする。


 ──軍部、と言っていたか。


 その割に暴にも武にも縁遠そうな、柔らかな雰囲気の青年だった。だが暴漢達に立ち向かった時の雰囲気や身のこなしは、確かにただの青年のものではなかったということも、同時に涼麗は理解している。


 ──あの年格好ならば、位階はそこまで高くはあるまい。


 向こうはこちらを連れ回したことを心配していたようだが、あちらこそ持ち場を離れて大丈夫だったのだろうか。


 感情が希薄な自分にしては、珍しくそんなことを考えた、その瞬間だった。


氷柳ひりゅう


 闇の中から響いた声に、今まで考えていたことが全て蹴散らされたような心地がした。


 胸の内を満たしていた感情がスッと掻き消えて、自分が意思のない人形に戻っていくのが分かる。


「何を遊んでいやがる」


 声の方へ視線を投げれば、闇の中から滲み出すように白衣びゃくえが現れた。涼麗と揃いの衣に身を包んだその人の腰元には、涼麗と対であることを示す『虎に柳』の意匠が彫り込まれた佩玉が揺れている。


 その人は涼麗が見慣れない外套を纏っていることに目を止めると、不愉快そうに眉をひそめた。


「何だ、その外套」

永膳えいぜん

「脱げ。ここで燃やしていく」


 涼麗の対であり、『所有者』でもある永膳は、涼麗に纏わりつく他者の気配に分かりやすく不機嫌な声を上げた。


 常ならば、そこに涼麗が反論できる余地はない。反論しようという意思さえ生まれない。


 かく永膳に所有されているてい涼麗は、だ。


 だが、今は。


「……氷柳」


 涼麗は永膳が差し出した手を避けるように、無意識のうちに一歩後ろへ下がっていた。そんな涼麗の態度に、永膳が苛立ちを周囲に漂わせる。


「……私の姿は、ここでは目立つ」


 なぜこんな受け答えをしているのか、涼麗自身にも分からなかった。


 だが今この外套を永膳に差し出したくはないと、驚くくらい明確に永膳を拒む自分がいる。


「これは、役に、立つ」


『だから渡したくない』と言外に訴えると、チッと永膳は舌打ちを放った。


「……任務が片付いたら、燃やすからな」


 揉めている時間はないと判断したのだろう。永膳はひとまず外套の処分を諦めて身を翻した。そんな永膳にホッと息をつきながら、涼麗は素直に永膳の後ろに続く。


「軍部が暴徒を鎮圧したみたいだな。……そんな場当たり的な対処で事が収まると思ってんなら、随分おめでたいこった」


 酒家の表口に向かって歩を進めていくと、客や店員の姿が増えていく。その誰もが永膳と涼麗……『美丈夫』『傾国』と種類は違うが、それぞれずば抜けて整った容姿をしている二人に視線を奪われているが、永膳はそれらの視線を一切無視して足を進め続けた。


 実際、自分達は今、そんな視線を気にしている場合ではない。


「こんな陰気な場所、ほっとくだけでいくらでも暴徒を生むってのに」


氷煉ひれん比翼ひよく


 ちまたでそう呼び習わされている最高峰の退魔師である自分達は、ここが忌地いみちに落ちることを防ぐために、今宵派遣されてきたのだから。

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