宵の黎明

夢咲蕾花

第1話 百円と、一縁

「劇的なドラマのない、一般人というモブは、世界における悲劇である」


 舞台上の男が、スポットライトを浴びながらそう言っている。

 僕はあいつは何が言いたいんんだろうと思いながら、あくびを噛み殺し、気まぐれで劇場に入ったことを後悔していた。

 劇的なドラマがないという割に、悲劇という、万人が涙する恐ろしく劇的なドラマがあることを自らが言っていることに、気づいているのだろうか。


 玄暦二〇七一年 六月十二日 月曜日


 特に当てもなく家を出て街をぶらついていたら、当日販売のチケットを押し売りされて、半額なら買うと言って断ろうとした。

 しかしそれでも売ろうとしてくる商魂の逞しさに折れ、結局、半額で五百円のチケットを買って笹川オフオフシアターという、場末の小さな劇場に、立ち寄った。


 冴えないスウェットの上下を着た男が、鬱屈とした創作の熱を延々と語っている。それがこの演劇であるらしい。酷くのっぺりと、恐ろしくつまらないものだと思えた。

 同時に、僕が求める面白さってなんだろう、とも少し思う。


 男が語るその内容は、表現者こそ世界の主役で、尊ぶべき存在である、というものだ。それを訥々と、屈曲した皮肉を交えながら喋り続けるというものである。


 その周りでは一般人――男がモブという連中のドラマが繰り広げられる。

 対比構造として、「表現者」が殻に閉じこもる一方、外では常に一般人を主役にした舞台が繰り広げられている、ということを見せたいのだろう。

 劇団の脚本家にして主演であるその男を、自虐的に皮肉った、自己意識の肥大が生んだ自己満足とナルシシジムの権化のような、取り繕うまでもなくつまらないものだった。


 演劇の最中にも関わらず立ち上がり、去っていく客がいる始末だ。自分よっぽどそうはすまいと思っていたが、途中から飽きてきて、ため息をついた。

 マナー違反は重々承知だが、見ていられない。

 己が子供の頃、ノートに書き殴ったストーリーを教室で朗読していた頃の痴態を、その古傷を抉られている気がして、耐えられなくなり席を立った。


 劇場を出ると雨が降っていた。

 道ゆく人々は、最新の、iPhone3Gという、スマートフォーンとかいう、平べったい板のような携帯を手にしていた。

 あれが、どうやらナウでヤングなトレンドというやつだ。


 僕は今時プリペイド式の携帯。曖昧に作家というものを夢を見てこの燦月市さんげつしにやってきて、一年が経っている。

 現場仕事のバイトと、それが終わったらレノボのノートパソコンに文章を書く日々。成果は今ひとつ出ちゃいない。


 なぜあの劇場を見ていられなかったのか、答えは明白である。

 あれはまさしく僕自身だからだ。

 舞台で一人己に酔っ払う独白をしていたスウェットの男はまさに僕で、僕は、己が作家志望であることを棚に上げているという現実を突きつけられ、苦しくなった。


 傘立てから僕のビニール傘が消えていた。百円した傘が。

 百円あればパンが買える。タイムセールで五枚入りのパンがあれば、三食一日凌げるんだぞ。

 業務用スーパーに足を伸ばせば、五〇〇グラムのパスタが百円でお釣りが来るのだ。

 パスタを折って麺つゆで食えば、何食も凌げる。

 ふざけやがって。


 人を呪わば穴二つ。僕はため息をついて、劇場の屋根の下で呆然と、傘をさす人を、カッパを着ている人を、車に乗っている人を見る。

 世界は「表現者」なんてのをそこまで大切にしやしない。大切にするのはいつだって、資産価値のある「成功者」だ。


 結局僕は劇場が終わるまでずっとそこで突っ立っていた。雨は弱まるどころか強くなり、挙句、雷まで響き始める。


「誰だよ傘盗ってたの」


 僕は雨に濡れることを決め、屋根から出た。

 豪雨と言って差し支えない中を傘もささず、秋物のパーカーとジーンズで歩く二十一の男は、世間的にどう見られるのだろうか。

 傘を持つ勝者たちが嘲笑うのが聞こえ、僕は負け犬に甘んじる。

 すると、コンビニの前で立ちすくむ女性がいた。あの人も傘がないのだろうか。


「傘、ないんですか」

「えっ。いえ、友人を待っているだけです」

「あの、僕、傘がなくて。お金も、押し売りで、取られてしまいまして」

「へっ……え、あ……ちょっと待ってください」


 あからさまに怪しまれていた。職務質問の流れだろうか。深夜、ネタが降ってこないかとウォークマンで音楽を聴きながら散歩をしていると、しょっちゅう、警官に呼び止められる。

 アグレッシブな変態が多いから、深夜散歩するだけで職質される世の中になるのだ。


「お金、いるんですよね」

「えっ、あ……そうではなく。すみません……えっと、正直助かります」


 そこは断れボケが。

 僕は女性から、千円札を受け取った。野口英世に、「お前が風邪ひいても治してやらんぞ」と言われている気がした。


「連絡先、教えてもらっていいですか。お礼をします。必ず」

「え、ええ……」


 自分はさっきから何をしているんだ? ストーカーとか、殺人鬼みたいな、サイコパスめいたことをさっきからしていないか?

 女性もあからさまに顔をひきつらせながら、可愛らしい狐型のメモ用紙にメールアドレスを書いて、手渡してきた。


「ありがとうございます」

「いえ……風邪引かないでくださいね」


 僕はすみません、と頷き、コンビニに入って傘だけ買い、出た。店員が、「掃除の手間取らすなカス」という顔をしたのが今日一番、印象的だった。

 外に出ると女性はもうおらず、僕は、新品のビニール傘を差し、帰路についた。

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