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無様、狭い視野

第66回名大祭テーマは「天晴れ、広がるVISION」です!

こんにちは。名大祭実行委員のベンゼンです。だからといってこの記事が名大祭実行委員会の総意というわけではありませんので誤解されぬよう。あくまで書いているのは一名大生の「お徳用ベンゼン」です。

さて、久々に大変不愉快なものに出会いました。まずはこれを読んでください。

本当はこんな歪んだ承認欲求の煮凝りにアクセスを提供するのも気分が悪いですが、この話の主題なので一応貼っておきます。

大前提として私はこの中で述べられているテーマにもホームページにも1ミリたりとも関わっていません。要は自分の作ったものを虚仮にされて怒っているとかそういう話ではなく、単にその内容があまりにも酷いから反論をするというだけであります。

テーマの良いところは「ある」

先の記事「名大祭テーマなんて誰も要らない?」では、はじまって早々に

「天晴れ、広がるVISION」の良いところありません。

と書いています。わざわざ特大の太字を使ってまで。はっきり言ってこれは内容や理由の薄さを見た目のインパクトでごまかしただけの幼稚な表現です。意外性に頼った記述で、その理由の説明から逃げています。

(もちろん、彼or彼女の主観ではそうなのだ、説明する義理はないという意見はもっともです。私はそれを否定したいのではなく、偏った主観だけが注目を集めようとしている現状を良しとせず反論しているのであり、これもまた私の主観です。)

そもそも、このような定量的な評価基準の存在しないものでは良さと悪さは裏返しであり、見方によってどうとでも変わるものであることを認識できていません。

例えば天晴れとVISIONの組合せ、テーマの中に表現の動きがあっていいじゃないですか。梅雨開催であるからこそ、てるてる坊主のように天晴れをテーマとする。言霊信仰にも近いのかもしれません。これも主催者側として祭の成功を祈るよいテーマじゃないですか。

「名大祭テーマなんて誰も要らない?」の筆者、藤田氏はこれらを親和的でない、嘘であると否定しますが、そのような物事の一面のみを捉えた論調はいかがなものかと感じます。少なくとも客観的とは到底言い難いのではないでしょうか。

テーマの意義を勝手に決めるな

また、藤田氏はテーマについて、「何を言っているのかほとんど理解できませんでした」「テーマにしてまで言うようなことなのか」と評しています。

曰く、「来場者が驚嘆するような良い名大祭にしたい!」というテーマに込められた思いは当然のことであり言うまでもない。ゆえにテーマにはふさわしくないと。いかにしてその達成に寄与できるかを考えてテーマとすべきであると。

しかし、考えようによってはなぜそんなことをテーマにしなければならないのでしょうか。テーマというのはその開催にあたり参加者全てが向くべき方向を示すものであり、その達成のために何ができるかなんてことはまた各個・各団体で考えるべきことではありませんか。実際、名大祭実行委員会はテーマを作るときにも決まった後も、このテーマをふまえて何ができるか、どのように表現しストーリー性やキャラクター性を持たせるかなんてことは嫌と言うほど考えているのです。考えていないから具体性が無い、ではなく考える余地を奪わないための抽象であると捉えるべきです。

テーマやその説明と、それを咀嚼し行動につなげるのはまた別の話であり、それを名大祭全体で統一してしまう方がよほど不適切であるとは考えられないでしょうか。

さらに藤田氏は、梅雨で雨になりがちな名大祭テーマとしての「天晴れ」に対し「嘘というか、控えめに言っても似つかわしくない」と考えるようですが、これもまた過剰に具体性を求めているように見えます。『せめてでも「雨天がちにも関わらず」というような含みをテーマに直接持たせなければ、「天晴れ」とは虚構でしかない』とありますが、果たして天晴れというテーマとその開催時期が梅雨であるという事実から、「雨天がちになる季節だが、名大祭は晴れ渡る空の下で開催したい」という願いを読み取ることはそんなにも難しいことでしょうか。

現代文の授業ではありません。全員が等しく読み取り同じ感想を抱く必要もありません。そんなテーマに必要以上に多くを語らせることはかえって無粋であると言わざるをえないでしょう。藤田氏の記述はこうした具体性をもたないテーマの意義や利点を明らかに欠いています。

天晴れ≠広がるVISION

そんな藤田氏ですが、「広がるVISION」についても否定的です。氏の論調に従えば目指すべき方向性とその結果を示す部分として肯定的に捉えられるのではないかと思いましたが、どうやら「広がるVISION」は「天晴れ」の結果現象であり特別言うほどのことではないとのことです。

これはあまりにもこじつけ、論理の飛躍が過ぎるのではないでしょうか。人々は感嘆したとき常にその視野を現在から未来へ広げるでしょうか。最大限そのように捉えたとしても、天晴れという感嘆によって視野が広がることもある。という程度でしょう。ここで名大祭は「広がるVISION」とテーマづけすることにより、単に「お〜すごい」と思わせるに留まらずそれが来場者の視野を広げるものとなるようにしたい、という思いを加えているのです。

なお、これは先ほどの抽象性が必要だという私の意見には矛盾しません。なぜならばこの「広がるVISION」はテーマに方向づけをするヒントではありますが、そのためにこんなことをしよう、こんなキャラクターづけをしようとは一言も言っていないからです。

動機と配慮は前提である

そろそろお気づきでしょうがこれは藤田氏の論点をひとつひとつ潰していくだけの言わば後出しじゃんけんです。少々ずるい気もしますが私のほうが何歳か年下なのでハンデということにしておいてください。

さて、藤田氏は先ほどの3点(テーマに意味がない、梅雨にふさわしくない、言葉が被っている)について、『テーマ考案にあたって「とりあえずテーマっぽいことを言う」以外の動機、そして「危なげなことを何としても言わない」以外の配慮が、少しもなかった』ことがうかがい知れたとまとめています。書いていておかしいとは思わないのでしょうか。

そもそも、ここで挙げられた動機と配慮、これはテーマ決定のうえで言うまでもなく大前提となるものです。(もちろんテーマっぽくないテーマを作る、という動機でも構いませんがいずれにしろ〇〇なものを作るという動機は必要です。)

果たして本当にこれ以外の動機、これ以外の配慮がなかったと思っているのでしょうか。あえて私がいまこの2つだけを考えて作るなら今年の名大祭テーマは「がんばれ名大祭」です。これはあまりに酷い例ですが、現在のテーマとは根本から違う部分があります。それは言うまでもなく、名大祭はこうありたいという動機とそれを正しく伝えようとする配慮です。

本当に何の思考も意義もないテーマであれば藤田氏はあれほど長くテーマについて論ずることすらできないのです。無意味の一言で終わってしまうからです。あれほどまでに考える余地を生んだその事自体が、このテーマには意義があるということを示しているのです。

テーマはテーマらしくあるべき

少々疲れてきましたがまだまだ続きます。

藤田氏は「天晴れ」と「VISION」が親和的でないと感じるようです。だからなんだと言うのでしょうか。こんなのは言い方を変えればコントラストが際立つだとか意外性があるだとかいくらでもプラスに捉えられます。結局自分の主観のみで論じていることは火をみるより明らかですがさらに考えてみます。

「広がる」が妥協点として存在し、それは中庸であると。では藤田氏はテーマに何を求めるのでしょうか?奇抜さ?メッセージ性?

それっぽさや凡庸、それである必要性の薄いものをかくも嫌う氏は何なら良しと言うのでしょうか。曰く「すばらしい」(30thテーマ)と「カニ」(37thテーマ)は名大祭テーマの金字塔であるとのことですから(全く良くないとも言っていますが…)、要はテーマっぽくない、ある意味では安直な、それでいてどう解釈しても俺はそう感じたで通るようなものが比較的好きなのでしょう。通好みですね。そのことを考えると、私が思うに「 」なんかいいんじゃないですか?4分33秒とか好きそうですし。

いずれにしろ、テーマっぽくなさを求めているのは間違いないようです。テーマっぽくないこととそれに必要性や必然性が付随することは全く別問題だというのに。

私はむしろテーマっぽいテーマが好きです。これは私の美意識であり、「それっぽさ」という美徳であり、断じて藤田氏のそれとは共存し得ないものでしょう。開き直りでもあります。ですが敢えていいましょう、それの何が悪いと。

それっぽいテーマはよりそれらしい名大祭を生み出します。名大祭の「らしさ」はこういったテーマから産まれるのです。ゆえに、この「それっぽい」は「それっぽい」必要性によるものだと私は主張します。

そしてどちらの感じ方にも確実な優劣がつけられない以上、これはお互いの主観の差異に基づくものであり、名大祭のテーマを否定する明確な理由にはなり得ないのです。(個人が嫌いと示すのは自由ですが、それはこちらも同じことなのでここでそれを否定しました。)

ホームページはそんなにダメか

話は名大祭の公式ホームページに移ります。

藤田氏の目にはこれは名大祭の態度、その悪徳の化身に映るようです。まあこの節に関しては私も同意できるところがないとは言いません。確かにそこにどんなテーマを入れようとそれは成立しうるでしょう。ただ、これが天晴れであり広がるVISIONなのだと言われて疑問を抱くほどの違和感もない以上は、私としてはこれを否定も肯定もしないでおきます。

結局これは「それでなければならない」に対する感性の問題ですから、それが異なれば良しとするものも異なるということで。

ああちなみに、もしこの背景写真が天晴れなものだったとしたら、それはそれで間違いなく「つまらない」「ありきたり」と言うのだろうということは分かります。何を出してもだめでしょうね。

ホスト視点?

さらに藤田氏が指摘している点として、このテーマはホスト視点でないという点があります。この点で過去のテーマよりも酷いと。

(過去のテーマも随分な言われようですが反論はやめておきます)

そもそも相変わらず一面的というか、ホスト視点的な捉え方とゲスト視点的な捉え方は裏返しであることを無視しているのは一旦置いておいて、このテーマが主にゲスト視点であることは認めた上で話しましょう。

名大祭は間違いなく、「皆様に楽しんでいただく」ためのものです。それは地域住民であり、他大生であり高校生であり、そして何より名大生自身でもあります。名大祭の重要な理念の一つに、新入生がその資金の一部を負担している以上は名大生に還元すべきであるというものがあります。出展者であれ来場者であれそれは変わりません。

であるならば藤田氏の主張する、名大祭が地域の皆々様のためのもので、それ一辺倒の名大祭テーマは役所や企業の発想であるという論は明らかに誤りです。我々は学校祭を運営しています。

名大祭不要論

先の話に藤田氏はこのテーマが「名大祭は必要である」という前提の上に胡座をかいている、と続けます。藤田氏の主張をまとめると、前提からして名大祭は必要ではなく、ゆえにわれわれの手で改めて必要としなければならない。そしてそれは断じて差当り必要とされているものに従い「それっぽく」することではなく、それである必要を生み出すことである。ということになります。

なるほど、何ら間違ってはいないように感じます。だとすればどうしてここまでこのテーマに対する捉え方が異なるのでしょうか。

考えられるとすれば、このテーマから意義や必要性を感じ取れるか否かではないでしょうか。ここまでずっと書いてきたように、私はこのテーマに意義・目的・指針・必要性 etc.を感じます。それは私が名大祭実行委員として関わってきたことの産物なのかもしれませんが、いずれにしろそれは存在します。これを藤田氏は感じなかったということでしょう。

もっと悪意に満ちた解釈をすれば、逆張りの承認欲求がそれを感じさせなかったと。

テーマは必然と必要の上に

「それである必要がない」を氏は嫌います。ですが、いつのテーマにもそのものには「それである必要」がいくらでも隠されています。唯一解のない議論だからこそ、それである必要を求めることが重要であると言うことを理解できていながら、このテーマからそれである必要を感じ取れないことが私には理解できません。もはやそれは感じ取る能力か意思のどちらかが無いというだけなのではないでしょうか。

名大祭はいつの日も、それである必要性を見出すべく動き、それを広く認識させなければ存続できません。もしもこのテーマがそれを伝えられるだけの力をもたず、藤田氏のように無意味なものに感じる人が多いというのなら、その点について名大祭は反省しなければなりません。

しかしそれは断じて、テーマが実際に無意味であることと等号で結ばれないということを改めて主張します。

番外 名大祭は必要だということ

本筋からずれますがここで言っておきます。名大祭は必要です。そして続けることそれ自体にも意味があります。継続の価値を見失えばたちまちに全ての文化は途絶えます。それが真に必要だとしてもその必要性には継続の価値が少なからず含まれるものですから。

これは全員に伝わる必要のない言葉ですが…名大生は"文化"ではなく文化です。そしてオンライン名大生とやらが失敗したことと名大祭の必要性には何の関連性もありません。名大祭に原因を探し押し付けないでください。

おわりに

名大祭は必要性を求めます。そして「天晴れ、広がるVISION」はそれを示す意味のあるテーマです。満点とはいいません。でも、藤田氏の言うように本当にこのテーマは無価値なのか、そのテーマのもとに開催される名大祭は無価値なのか。私には到底そうは思えません。

名大祭はおそらく、今年も普通に例年通り開催されます。名大祭実行委員会はじめ関係者の有形無形の努力によって。それをあれほどまでに否定するだけの何かを藤田氏はもっていたでしょうか。

答え合わせはいつか名大祭が終わるときまで取っておくことにします。

2025年4月6日 



……さてと、もうここからは読まなくてもいいです。というかここまで読んでいただきありがとうございます。お疲れ様でした。あなたがどう感じたかは分かりませんが、こんなことを思っている人がいるとだけ知っていただければ結構です。


本題 建前は抜きにして

私は前々から藤田氏が所属し、冒頭の記事を掲載しているサークル(のようなもの)大学生の自由研究を知っています。サルミアッキありがとうございました。さてそんな大学生の自由研究ですが、事あるごとに名大祭に噛みついてきます。暇かよ、てか大好きかよ名大祭。

別に大学生の自由研究が悪いだなんて言うつもりはありません。例えばよく見かけるところで言うとトイドラ氏は面白いことを書くな〜と個人的には思っています。藤田氏と同じく名大祭を中々ボロクソに言う記事を書いてはいますが、内容も比較的一貫しており何より一方向からの意見に凝り固まっていません。

あと単純に私はクレープを復活させたい側の人間なのもあるかも。大学生の自由研究やNU Crepe Loversとは相容れなさそうですが…

とにかく、大学生の自由研究が悪いわけではないのです。敢えていいましょう。この件に関しては冒頭に挙げた記事の筆者である藤田氏の理解に問題があります。

大体よく考えてみてください。私は時間をかけたから、努力したからその結果に価値があるのだとは微塵も思っていません。しかし、それに対しては一定の敬意や理解、もっと分かりやすく言えば気遣いを示すべきではないでしょうか。

さも名大祭実行委員会は過去に胡座を書き何も考えていないとでも言いたげなあの記事にそれが少しでもあったでしょうか。

私は知っています。大学生の自由研究がここ数年名大祭に有志団体として出展していることを。そこには確実に少なからず名大祭側からの援助があり、そのために動いた実行委員がいます。それは私ではありませんが間違いなく名大祭という組織です。それに対してのあの記事、感情ベースにはなりますがもはや恩知らずの無礼者です。

藤田氏は記事の最後にこう書いています。長いですが読んでください。

『俺がここまで遠慮がちな、穏便な、あるいは迂遠な表現を心掛けてきたのは、今お前に率直に、つまり文字通りに死ねと言うためである!名大祭が要ると安易に思い込んでいる人々を未曾有の疫禍が襲ったのは、今にして思えば涙ぐましいほど感動的なことだった。人々のありとあらゆる期待、希望、夢想(「夢」!)が踏みにじられたあの春は、今にして思えば笑っても笑い尽くせぬほど素晴らしく輝かしい季節だった!書いていて思い出したが、名大祭が例年梅雨に開催されるのは、初回開催の前年に伊勢湾台風が東海地方に襲来したことに端を発しているらしい。これに如く励ましが、地鳴りさながらに遥けき遠くより襲い来る怒りともつかない激励が、一体他にあるだろうか?

何かを必要とすることは、必要とする自分を必要とすることです。私は文字通りの意味でしか「死ね」と言いません。』注)冒頭の「お前」は大学生の自由研究のとある記事にコメントした人のことです。

死ね

この言葉は藤田氏ただ一人に贈ります。大学生の自由研究ではありません。私は文字通りの意味でこの言葉を、見知らぬ赤の他人に投げつけます。

まだ続けます。さっき大学生の自由研究は悪くないだなんて言ったばかりですが…大学生の自由研究のXでの紹介文がこれです。

名古屋大学の学生がやりたいことを飽きるまでやるサークルみたいなもの(集団)です。目標:2065年まで団体を継続する

大学生の自由研究 X紹介文より

名大祭はこんな団体に嘲られたのか、よくもまあこれで意義が云々、現状に胡座を云々と言えたものだ。率直な感想です。

え?あれもしかして盛大な自虐ギャグだったのでしょうか…もしそうだったらどうしましょう。私随分酷いことを言ってしまいました。なんだかその可能性の方が正しいような気がしてきました。だって自分たちはふわふわと、強いて意義を挙げるなら継続するということだけで名大祭にも出展しておきながらあの記事ですよ?普通に考えたらありえないじゃないですか。

名大祭は月並みですが「まとも」です。少なくとも大学生の自由研究よりは。もし暇なら去年の出展「エクストラステージ」を調べてみてください。これで「それである必要」について語っているのは本当に何かのギャグではないでしょうか。(だとしたらギャグセンスは悪いほうかと思われます。M-1グランプリでも見てはどうでしょうか。)

ああ残念だ、私には権力がない。名大祭実行委員会とて一枚岩ではない。私はこの有志企画に何も関わることができない。もしできることなら、どんな理由をつけてでも出展を中止させたというのに!名大祭の規約はやけに曖昧でそんなのは造作もないこと。ましてやここならいくらでも理由はこじつけられるのだから!

もう一度言います。冷笑系を気取っただけの無為なあなたが、なぜ名大祭を馬鹿にできるのか。不快の原因も責任も差当り上位とされているものに押し付けるだけの暇な民衆と何ら変わらないではないか。何と狭い視野で無様なことか。せっかくなら名大祭に来てVISIONを広げてはいかが?

とまあこんなにも色々と書いたが、そんな人と対話するほど暇ではないし、別に届いてほしいと思っているわけでもない。賛同への期待など全くない。ただ関わらないでほしい。全学前の新入生も見るような掲示板に貼るようなことをしないでほしい。わざわざ名大祭を貶めるようなことをしないでほしい。それが私の願いです。

あー疲れた。3日もかかりました。

本当に終


名大祭関係者へ:何か問題があるなら言ってください。修正するかもしれません。→問題あったみたいです。ですよね。

新入生へ:名大祭実行委員会に入りませんか?普段は和気あいあいとしていて、「まとも」な仲間もたくさんできます。

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無様、狭い視野|お徳用ベンゼン
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