もみじまんじゅうはなぜ広島土産なのか? たどると伊藤博文の“物議”発言発祥説も…

高津堂の「もみぢ饅頭」

 広島土産の定番がなぜ「もみじまんじゅう」なのか―。

 広島と聞いて、もみじの名所をイメージする人はあまり多くないかもしれない。

 実際は世界遺産・厳島神社のある宮島の山間部は美しい紅葉で有名だ。

 そんな宮島で生まれた銘菓だが、宮島の関係者の話から歴史をひもとくと、現代では物議を醸しそうな初代首相、伊藤博文の発言を発祥とする説にも行き着く。(共同通信=斉藤祥乃)

 厳島神社の裏に広がる紅葉谷公園。その近くに1854年創業の宿「岩惣」がある。

 現在の7代目女将岩村玉希さんによると、1906年、4代目女将が高津常助という菓子職人に「葉に七つの切れ込みがあり、短い葉柄がついていて、葉の真ん中に鹿の親子がいるお菓子を作ってほしい」と依頼した。

 常助が開発し、4年後に商標を登録したのが「紅葉形焼饅頭」だ。

 やしゃごにあたる「高津堂」加藤文和社長の手元に現存する登録証書では、もみじの中に鹿が描かれたデザインが確認できる。

 ただ当時使用されていたという焼き型に鹿の姿はなく、代わりに細部まで彫り込まれた葉脈がある。

 女将がもみじ形の菓子を依頼した理由として登場するのが、初代首相、伊藤博文を巡る説だ。

 「美しいかわいい手、こんなお菓子があればいいのにね」

 宮島に訪れていた伊藤博文が、休憩した岩惣の茶店の娘を見てそう述べたというエピソードだ。

 宮島歴史民俗資料館には伊藤が私費を投じて弥山の登山道を整備するほど宮島を好んでいた様子がまとめられており、女将が発注した年に、岩惣に4回宿泊していた記録もある。ただし発言を裏付ける証拠は見つかっていない。

 老舗メーカー「やまだ屋」の広報担当者によると、この逸話を由来とするしおりは1957年、土産としてエピソードが必要だと考えたやまだ屋関係者が当時の宮島町観光課長とともに話をまとめたという。

 しかし時代にそぐわなくなったとして、やまだ屋では15年ほど前からこの説明文を使わなくなっている。

 最初の商標登録から115年を経た。

 島内で唯一、手焼きの店を続ける宮島菓子組合長の宮郷圭一郎さん(56)は「元来の姿を期待するお客さまの声も聞きながら、時代の流れに乗って新商品を出していく必要がある」と今後の展望を語った。

老舗旅館「岩惣」=広島県廿日市市の宮島
菓子職人高津常助が取得した「紅葉形焼饅頭」の商標登録証書
菓子職人高津常助が使用していた「もみじまんじゅう」の焼き型
広島県廿日市市宮島町で販売されているもみじまんじゅうの関連商品=2025年4月

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