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ハッピィ吉沢インタビュー「表現者として、指導者として、生きること」(前編)

【ミュージアムウィーク×パントマイム舞☆夢☆踏@どらま館】

早稲田大学ミュージアムウィーク2025では、どらま館にてパントマイム舞☆夢☆踏による企画を開催します!

◎ハッピィ吉沢ワークショップ『はじめてのパントマイム!』
【日時】
5月17日(土)15:00~16:30(ベーシッククラス)
5月18日(日)13:00~14:30(ビギナーズクラス)
5月18日(日)16:00~17:30(ベーシッククラス)
【料金】
無料(フリーカンパ制)

ビギナーズクラスでは、お子様から学生、大人の方まで誰でもお気軽にパントマイムを体験することができます!
ベーシッククラスでは、舞台表現に関わっている方やパフォーマンスに興味のある方に向けた内容でパントマイムとその理論を体験することができます!

◎学生企画公演『パントマイムといっしょ』
【日時】
5月17日(土)17:00~17:30
5月18日(日)12:00~12:30
5月18日(日)15:00~15:30
【料金】
無料(フリーカンパ制)

パントマイム舞☆夢☆踏の学生5人で立ち上げたユニット「五人囃子」がパフォーマンスをします。お子様から大人の方までお楽しみいただける短編作品5つを上演します。お気軽にお越しください!

詳細は以下のHPをご確認ください。

インタビューゲスト

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ハッピィ吉沢(はっぴぃ・よしざわ)
東京都出身。千葉県立東葛飾高等学校卒業。早稲田大学第二文学部卒業。1985年早稲田大学で『パントマイム舞☆夢☆踏』を旗揚げ。ユニークな指導の下、数多の個性豊かなパフォーマーを世に送り出す。2002年東京都『ヘブンアーティスト』で都知事から表彰される。2008年『富士急ハイランド大道芸人NO.1コンテスト』初代チャンピオン。

今回は、早稲田大学のパントマイムサークル・パントマイム舞☆夢☆踏の指導者で、プロの大道芸人として活躍されているハッピィ吉沢さんをお招きしてインタビューを行いました。前編と後編に分けて記事をお届けします。(後編は5月9日公開予定)

インタビュアー:中嶋悠太 佐倉和
写真撮影:森香菜子


中嶋:
パントマイム舞☆夢☆踏の4年代で、どらま館制作部学生スタッフをしています、中嶋悠太と申します。パントマイム舞☆夢☆踏という、演劇サークルと隣接しているけれど少し違う、曖昧な立ち位置にあるサークルの視点から、早稲田の文化や演劇について見えることがあればいいな、ということで企画をしました。よろしくお願いします。
 
佐倉:
パントマイム舞☆夢☆踏2年代で、演劇倶楽部と舞台美術研究会にも所属しています。どらま館制作部学生スタッフの佐倉和と申します。よろしくお願いします。
 
中嶋:
それでは、ハッピィさんの方からも簡単な自己紹介をお願いできますか。
 
ハッピィ:
僕は早稲田大学の第二文学部を卒業して、パントマイム舞☆夢☆踏というサークルを作って、ずっと指導を続けてきました。
パントマイムのもつ魅力を体験していただいて、その後の人生が豊かになればいいなと思って続けてまいりました。まあそんな感じですかね。
 
中嶋:
ありがとうございます。ハッピィさんの学生時代を振り返りつつ、パントマイムと演劇、早稲田の文化についてお話を聞いていきたいと思います。

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インタビュー時の様子

高校~早稲田入学まで

中嶋:
まず初めに、ハッピィさんが早稲田に入学する前のお話から伺いたいです。
 
ハッピィ:
千葉県立東葛飾高等学校という高校で。僕が入ったときはまだそうでもなかったんだけど、次の学年から優秀になっちゃって。僕が高2からついていけなくなって、軽い不登校になって、学校には行かないでずっと電車に乗ってぶらぶらしていた。今考えると不思議だけど、学校行ってないのになぜかクラス委員になってたんだよね。高3のときは文化祭の出し物で有吉佐和子さんの小説『複合汚染』のスライドショーをクラスで作って上映したんだけど、不登校だったのに、僕が設定を決めるところから、脚本・演出・スライドショーの写真撮るところまで、なぜか全部僕がやっていて。
 
中嶋:
演出の経験はそのときが初めてだったんですか?
 
ハッピィ:
そうだね。あ、でも高校1年のときにクラスで映画撮ったりとかはしてたかな。
 
中嶋:
早稲田に入るきっかけは何でしたか?
 
ハッピィ:
父親とお袋が離婚していて、お袋の方で育てられてたんだけど。予備校行けないくらい貧乏だったので一年間自宅浪人で。当時はラジオ講座っていうのがあって、それを聞きながら勉強してた。だからどんどん根暗になって。浪人の頃は本当につらかった。
で、大学行くときに、自分で授業料を稼ぐっていう条件があったので早稲田と明治と法政の二文を受けた。
 
佐倉:
二文っていうのが当時でいう夜間?
 
ハッピィ:
そう、夜間。
 
佐倉:
他の大学も第二っていうのがあったんですね。
 
ハッピィ:
当時は勤労学生っていうのが普通で、さすがに1年目は払えなかったんだけど、2年目からは授業料を全部自分で払ってたね。
 
佐倉:
勉強の方はどうだったんですか?
 
ハッピィ:
成績はめっちゃよかった。Aか、Bか、F(笑)つまんないなと思うと受けなくなっちゃうから、Cとかはなかった。
早稲田に入ったのは、たまたま早稲田大学に合格したから。二文も当時は普通に入れた。元々理系だったんだけど、物理とか化学とか数学も突然難しくなって、ついていけないなと思って途中で文系に変えた。受験のときに、英国社3教科だったんだけど、受験会場で受ける科目を選べて、「あれ、数学でも受けられるな。数I数ⅡB全部できるぞ」って思って。それで受かった(笑)社会で受けてたらね、日本史が難しくて落ちてた。だからラッキーだった。

未知との遭遇

ハッピィ:
僕は一浪で入ったんだけど、二文に入ったら、二浪三浪は普通だった。五浪の人もいた(笑)「うわ、すごい世界だな」と思って。
文学部だから、みんな映画とか芝居とかよく観てる。クラスの中で、劇団作って芝居やったりしている人もいた。僕は、高校時代とか浪人時代はそういう文化に触れてなかったから、とりあえず映画を観に行こうと思って。
 
中嶋:
大学に入ってから映画を観始めた?

ハッピィ: 
そう。年間100本ぐらい観たかな。
 
中嶋:
どんな映画を観ていたんですか?
 
ハッピィ:
当時、スピルバーグの『未知との遭遇』が大ヒットしてて、みんながその話してるから、「あ、俺も観よう」と思って。当時、高田馬場に早稲田松竹以外にも映画館があったの。そこで、『宇宙からのメッセージ』(深作欣二監督)って映画をやってて、「あ、きっとみんなが話してる話題の映画はこれだ」と思って入ったら全然違って、日本映画だった。真田広之とか千葉真一が出てるアクション映画で、「あれ?なんだこれ?日本人ばっかでスピルバーグじゃねぇぞ?」って。
それで、みんなみたいに映画とか観て勉強しないと、って思ったから、早稲田松竹で2本観て、その後池袋のオールナイトで3本観て、1日5本見たこともあった。
 
中嶋:
そうして映画の蓄積を重ねていったんですね。
 
ハッピィ:
そう。あと、芝居やってる人が多いから、知り合いの付き合いとかで見に行ってたんだけど、学生演劇、面白かったねえ。当時、早稲田がちょうどレベルが高い時で、めっちゃいい役者や演出家がいた。そこで、役者というのは、「ただセリフをしゃべるだけじゃないんだな」って思った。体で語って、手も表現豊かなんだよね。あと、芝居の稽古風景とかも見せてもらう機会があった。 

佐倉:
当時活躍してた劇団で今残っているのって...?
 
ハッピィ:
鴻上尚史さんの「第三舞台」が一番メジャーなんじゃないかな。

中嶋:
でもその当時はまだ、ハッピィさんはパントマイムをやっていたわけではない、と。
 
ハッピィ:
そうそう。高校の頃から音楽をやってて。独学で曲作って、弾き語りで歌ったりしてた。大学入って、ライブハウス出たり、オーディションを受けたり、音楽の道で食べていこうかと思ってた。
4年生になったら、取ってない単位がいっぱいあって、卒業できないぞ・・・って(笑)でも、周りにも5年生になる人がいっぱいいたから、「バンドを作ろう」となって。仲間がいて、スタジオで練習して、違うバンドとも仲良くなって、楽しかった。それまではソロでやってたからね。
でね、みんなと「30才まで頑張ろう」と言ってたんだけど、結局僕だけ取り残されちゃって、「あれ?30までやるんじゃなかったの・・・?マジかよー」って(笑)「僕はどうしようかな・・・。じゃあ、俺だけちょっと、自分で実験してみようかな。30まで続けたらどうなるのかな」って思った。
5年で卒業する人たちに、「とりあえず卒業だけはしといたほうがいい」って言われた。5年のときは、授業はちゃんと出て単位はだいぶ取ってて、あと卒論だけだったから、6年生のときに教授のところ行って、「卒論ちゃんと書きます」って(笑) 「中島みゆき論」っていうのを書いたんだけど、めっちゃ良く書けて、当時の教授が「出版社に持って行ったら?」って言ってくれたくらい。教授がおもしろく読んでくれたのは嬉しかった。

パントマイムとの出会い

ハッピィ:
大学を6年で卒業して、これからどうしようかと思っていたときに、汎マイム工房(※1)の劇団員募集を見つけるんだよね。音楽の仲間からは「パントマイム向いてるんじゃない?身体細いから」って。いい加減なこというよね(笑)でもステージでパントマイムとか歌いながらやったら面白いかなって思って。

※1 あらい汎によって1976年に設立されたパントマイム劇団。

中嶋:
そこが初めてのパントマイムとの出会いだったんですね。
 
ハッピィ:
そう。オーディションに行ったら、役者の人が多かったんだけど、不思議なことに、役者の人たちは結構落ちてて、僕みたいな変わった連中の方が受かった。
それからパントマイムの練習を始めてびっくりしたのが、自分の体がめっちゃ硬いこと。「向いてない!」って思った。できないからこそ面白くなって、練習に1回も欠かさず行った。初舞台は『壁の内側症候群』っていう公演で、何をやらされたかっていうと、舞台に8枚ぐらいの黒い衝立が並んでて、開演すると急に動き出すっていうもの。自分の姿も見えないまま衝立を動かすっていう恐るべき舞台だった。「あぁ、舞台ってこういうものなんだな。お客さんを楽しませるためには、地道な苦労が必要なんだ」っていうのを学んだんだよな。 
だけど、汎マイム工房は10か月でやめるんだよね。足に魚の目ができて、痛くて練習に行けなくなって。劇団に電話して「ちょっとしばらく練習休みます」って言った。2週間くらいでだいぶ治ったんだけど、こんどは体壊して咳が止まらなくなっちゃって、さらに2週間練習できなくなって。それでだいたい1ヵ月だね。それまで1回も練習休んだことなかったから、そのままフェードアウトしちゃったね。

怪我の功名

ハッピィ:
 そのあと元気になって、「体を動かしたい!」と思ってたら、ブレイクダンスの最初のブームが来た。「パントマイムでやったウェーブとかムーンウォークとか、俺できるじゃん。じゃあブレイクダンスをやろう」と思った。でもブレイクダンスを1人でやってても面白くないから、仲間を集めようとして、じゃあ早稲田でサークル作ろうって思ってブレイクダンス同好会っていうのを作った。
 
中嶋:
それって早稲田を卒業した後、ですよね?

ハッピィ: 
うん、本当はいけないんだろうけどね(笑)まあ就職しないって道を選んだからちょっとアウトローな道を行こうと思って。バイトの仲間と一緒にチラシ貼って・・・。新歓終わったばかりだから他のサークルの机が残ってて、そこを使ってバイトの仲間たちと「練習あるからおいでよ」って誘った。そしたら7人くらい入って来て、ブレイクダンス同好会ができた。
 
中嶋:
汎マイム工房で得た技術を生かしつつアウトローな集め方で人を集めた、と。
 
ハッピィ:
当時は、学生じゃないから「長老さん」って呼ばれてた(笑)見た目は学生だったんだけどね。26歳のとき。
それで、「早稲田祭出たいよね」ってなって。当時、サークルがディスコやったりしてたんだよね。そこに売り込んだ。「僕らブレイクダンスのチームでショータイムで出てあげるけどどうですか。」って。あくまで強気で。そしたら「ぜひ出てください」って。  
当時は知識がなかったから、ダンボールをアスファルトの上に敷いてアクロバットの練習してたんだけど、ずーっと腰を打つから、腰痛になった。病院に行ったら、「あなた26才?それはね、ダメです。やめなさい」ってドクターストップになった。そろそろ引退して他の仲間に任せようかと思ったら、メンバーが、「長老さん、ブレイクダンスできなくてもパントマイムができるじゃないですか。パントマイム部門作りましょうよ」って引き止めてくれて。それで2年目にパントマイム部門を作ったら、JIDAI(※2)が入ってきてくれて。でね、早稲田祭に出るんだよね。10号館前に広告研究会のデカいステージがあって、11号館前が空いてたから、「パントマイムとブレイクダンス、ここで勝手にやっちゃおうよ」って。まずは広告研究会とか周りの模擬店に僕が挨拶行って、「ちょっとやらせていただくんで、お互い迷惑かけないで頑張りましょう」って。

※2 パントマイム舞⭐︎夢⭐︎踏出身のパントマイミスト。日本アートマイム協会会長。

 佐倉:
あくまで強気で(笑)
 
ハッピィ:
向こうはこっちが無許可だと思ってないから(笑)「広告研究会にもこっちも音を出すんですけど広告研究会がやってるときは邪魔しないようにしますんで」って。で、ブレイクダンスとパントマイムを交互にやる。
  
中嶋:
ハッピィさんは今でもずっと舞☆夢☆踏にかかわり続けている訳ですけれども、どこの段階で指導者になったのでしょうか。
  
ハッピィ:
ずっと指導者ではあるんだけど、とはいえ汎マイム工房で10カ月やっただけだからね。理論は何にもなかったけど、人に恵まれた。JIDAI、加納真実(※3)、サンキュー手塚さん(※4)も来てくれた。俺には教える力がないから、とりあえず「いいねいいね、それ面白い、それいいね」って褒めることしかできなかった。けなしてもしょうがないし。「いいね」って言うと、いいところを伸ばしてくれるから、勝手に育ってくれるんだよね。今じゃみんなすごいパフォーマーになっちゃって。

※3、※4 パントマイム舞⭐︎夢⭐︎踏出身。現役の大道芸人として活躍中。

「俺は何者でもない」 

ハッピィ:
バンドだとチケットを売っても、集まるのは知り合いばっかりじゃん。大道芸をやって初めて、全然知らない人が集まってくれた。「こんなことはなかなかない」って思って。その魅力にハマったんだよな。
 
中嶋:
演劇の公演やバンドでは、みんなと一緒に作って思い出を共有できるのに対して、大道芸はそれよりは規模が小さくなってしまうというか、どうしても常に1人であることがつきまとう。孤独なパフォーマンスでもあるし、別の見方をすれば孤高の存在でもあるというか、そこは魅力でもあり難しさでもあるのかな、と思うんですが・・・。

ハッピィ:
素晴らしい質問だね。当時は存在意義が欲しかったんだろうね。卒業して、まず思ったことは、「俺は何者でもない」ということ。学生という肩書きが取れた瞬間に「何者でもない自分」しかいない。舞☆夢☆踏という場所こそ作れたし、仲間がいる安心感はあるんだけど、何者でもないことに変わりはない。
それで毎週、原宿に大道芸に行ったんだよね。行くんだけど、まず朝起きたときは、「雨降ってないかな…どこか体悪くなってないかな…。」って思う。行きたくなかったから。大道芸って、やらないといけない仕事ではないし、行かなくてもいい。
それでもなぜ行っていたかというと、存在理由がそこにはあったから。  パフォーマンスが終わったときに拍手してもらえること、あとは投げ銭がもらえること。投げ銭はまあ微々たるものだったんだけど、話しかけてもらえることもあって、それがうれしかった。演劇の公演やバンドと違って身内のお客さんはいないんだけど、守られているような温かさがある。

パントマイムの理論

ハッピィ:
大道芸人として少しギャラをもらえるようになってきて、生活も安定してきたころに遊園地のイベントでテリー・プレス(※5)さんに会った。「これからパフォーマンスは何をやるの」とお互いに話した。「僕はパントマイムです、テリーさんは何をやるんですか」って聞いたら「僕はアートバルーンを作る。へぇ、君はパントマイムやるんだね。僕はすごいパントマイミストなんだよ」ってテリーさんは言うんだよ。 

※5 カナダ出身のパントマイミスト。ポーリッシュ・マイムによるアートマイムや、バルーンパフォーマンスを行っている。

中嶋:
自分で「自分はすごいパントマイミストなんだ」と?
 
ハッピィ:
そう、それまで外国人のパントマイムやる人を何人か見たことがあったんだけど、別にうまい人は1人もいなかったから、「大きなこと言ってるな」くらいに思ってた。次の日、テリーさんのバルーン・ショーを見た。バルーンをプレゼントするときに、ふつうは子供たちが「ちょうだいちょうだい」って欲しがるんだけど、誰も「ちょうだい」なんて言えなかったんだ。テリーさんの雰囲気に圧倒されてしまって、みんな息を呑んで見ている。「うわー!この人はすげえパントマイミストだ!」ってわかったんだよね。
 
中嶋:
そこからテリーさんからの指導を受けることに?
 
ハッピィ:
その場はそれだけだったんだけど、なぜかテリーさんが上石神井に住んでたんだよね。以降、現場もよく一緒になって、毎週飲んだりもするようになった。そしたらテリーさんが、「日本でパントマイムを教えたいんけど、教える場所がなくて困ってるんだ」って。だから、「じゃあ舞☆夢☆踏で教えてくださいよ」って僕が言った。最初は舞☆夢☆踏の合宿稽古にスペシャルゲストとして来てもらって、教えてもらったら、衝撃を受けた。それまでは身体を使って壁が見えればどんな方法だろうが別にいいと思ってたんだけど、ちゃんと理論があるんだな、って気付いた。
 
中嶋:
そこでパントマイムの理論に気づくんですね。
 
ハッピィ:
テリーさんが「スポットライト理論」とか「私は壁理論」(※6)を言語化してくれた。毎回、目から鱗で「パントマイムはこんなに奥が深かったんだ」って思った。テリーさんは、「パントマイムこそがあらゆるアートのなかで最高のアートなんだ」という信念を持っていて、たしかにテリーさんを見ていると納得できる。
そこで、才能だけじゃない、ということに気が付いた。作品を作るときにすぐ完成できる人と、苦戦する人がいて、できない人に対して僕はアドバイスできなかったんだけど、理論があればアドバイスできるんだと思った。これはテリーさんに会った1992年からだね。

※6 ポーリッシュ・マイムにおけるパントマイムの理論のひとつ。
(くわしく知りたい方は、ぜひ5月のワークショップや舞☆夢☆踏の稽古にお越しください!)

中嶋:
そこから指導者のハッピィさんとしてのスタンスもちょっとずつ変わったんでしょうか。
 
ハッピィ:
そうだね。「いいねいいね」の褒めるスタンスは今も変わらないけど、うまくいかないときに理論がいかに役に立つか、というのを知って、パントマイムの本当の素晴らしさがわかった。でも、舞☆夢☆踏という場を王道の理論から外れようとするやつ・変わったやつがいられない場所にはしたくなかった。それは僕とテリーさんの一番の違いだった。
僕が稽古の課題で、「今日はこのマイムを使って短い作品を作りましょう」って言っても、みんなが別のマイムを使った作品を出してきたりとか、そういうのがおもしろい。裏切ってもいい、という雰囲気は残したいと思って。でも最近は、バランスが難しいんだよね。僕はもう、パントマイムがかなりできるようになったから、自分の姿を稽古中はみんなに目に焼きつけてほしい、って思っちゃう。でも、もっとみんなが自由にやれる方がいいかな、って今は反省してて・・・。今年は自由な雰囲気を大事にしたい。

中嶋:
学生のパントマイムの表現については、指導者のハッピィさんがフィードバックできるけど、指導者のハッピィさんに対して、その指導のあり方についてフィードバックしてくれる人がいないということ、難しいですよね。
 
ハッピィ:
僕がテリーさんから学んだことで、重要なことは、今日やることを決めてこない、ということ。
 
中嶋:
決めてこない?
 
ハッピィ:
そう。テリーさんは基礎練が終わると、煙草を吸いに出ていく。その間に何か考えてるみたい。煙草から戻ってきて、「じゃあ今日はこれやろう」っていう風に。
 
中嶋:
即興で考えている?
 
ハッピィ:
そうそう。そのときに来てくれている人の雰囲気を大事にした方がいい練習ができるんだよね。
僕がテリーさんに会う前からずっと心掛けていたのは、いい練習ができるかどうかが、毎回一つの作品だと思ってる。
 
中嶋:
稽古時間自体が一つの作品?
 
ハッピィ:
例えば、即興でみんなに作品を作らせてみて、僕の稽古のテーマとうまくはまった作品を作ってくれたときに、「あ!いい練習になった!」って思う。毎回、稽古そのものが作品だと思うんだよね。だからいつも練習終わるときにみんなで拍手をしてる。作品観た後に拍手するのと一緒。これは絶対にいいと思う。

「More better」

中嶋:
舞☆夢☆踏はハッピィさんの指導が長年続いているから、テキスト等残しておけば、技術を共有しやすいはずなのに、毎回の稽古で口承で教えている。なぜ書かれたものが一切ないんだろうと不思議に思ってたんですけど、即興で、その場でやることを考えているからなんですね。

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ハッピィ:
うん。
・・・そういうものを、ゆくゆくは残した方がいいのかもしれない。ただ、なんだろうな。やっぱりね、深くて終わりがない。毎回新しい発見がある。完成形って、たぶんまだないし。まだまだ、もっともっといいパントマイムってある。あと、やっぱり、舞☆夢☆踏のみんながやってることっておもしろくて、僕が縛っちゃいけねえよな、っていう気持ちがある。
 
佐倉:
練習の中で生まれるような裏切りがあるからこそ、いい教え方とか、流れがあって。
 
ハッピィ:
学生には、正解の一歩手前までを言っておいて、どんな答えが出てくるかな、って待った方が、想定の正解とはちがう答えを出してくる。その答えの方が良かったりする。自分は経験値から出る答えが型としてどうしても出てきちゃうから。

中嶋:
たまたま出てきたものをおもしろがる、みたいな発想は、大道芸人としても、指導者としても、大事になってくる?
 
ハッピィ:
汎マイム工房の、汎さんは喋っちゃうし、何をやってもいいよ、っていうスタンスを持ってた。自由な発想を認めてくれたので、入り口として大きかったかな。
 
中嶋:
今の舞☆夢☆踏の自由な雰囲気は汎マイム工房から、理論はテリーさんから、それぞれ由来しているみたいな感じですかね。
 
ハッピィ:
うまいね、まとめるねえ(笑) そうだね。確かにその通りだよね。テリーさんのガチガチなマイムはもちろん素晴らしいんだけど、舞☆夢☆踏のような良さは出てこない。
 
佐倉:
学生がパントマイムを楽しくやる!っていう場ではなくなる感じがしますよね。
 
ハッピィ:
そうだね。
テリーさんの練習を受けてて、テリーさんがお手本で悪い例を見せてくれるんだけど、これがめっちゃ面白い。
 
中嶋:悪い例をあえて見せる。
 
ハッピィ:
そう。例えば、ボールを上に投げるマイムをして(視線が上に向く)、ボールが上がったからって自分の身体が(つられて昇天するように)上がっちゃいけないよ、って。むしろその悪いお手本の例をやりたくなる。だってそっちの方が見てて面白いから。僕がマイムを鮮烈に覚えてるのは、テリーさんの見せてくれた悪い例がいっぱい自分の引き出しに入っているから。

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「悪い例」のマイムを再現してみせるハッピィさん

ルールを破るとコメディになる、というのはテリーさんから教わったこと。僕はコメディに生かしたい。テリーさんは絶対怒るだろうな(笑)テリーさんはシリアスなものをやる人だから。あと、テリーさんは絶対に褒めてくれないんだよね。頭抱えて、アドバイスくれて、もう一回僕がやってみせると、テリーさんが言うのは「More better(さっきよりは良い)」。それだけ。
テリーさんは本物のパントマイムを教えてくれる人。でも僕は、4年間という縛りの中で、みんなが楽しんでできることが重要だと思ってて。舞☆夢☆踏はプロのパントマイミストの養成所じゃないから、4年間、みんなが楽しめる場所を目指したい。

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後編へつづく

編集:中嶋悠太 
編集協力:森香菜子 佐倉和


ハッピィ吉沢さんによるパントマイムワークショップのご予約は以下のページから!
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【日時】
5月17日(土)15:00~16:30(ベーシッククラス)
5月18日(日)13:00~14:30(ビギナーズクラス)
5月18日(日)16:00~17:30(ベーシッククラス)
【料金】
無料(フリーカンパ制)



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ハッピィ吉沢インタビュー「表現者として、指導者として、生きること」(前編)|どらま館制作部
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