民家に貴重な品が眠っていた…日本最大規模の林業地帯を走った「森林鉄道」の廃線から50年 家の整理をしていたら銘板や通行票見つかる
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大正時代から約60年にわたり、木曽谷で木材の運搬を担った森林鉄道で使われたタブレット(通行票)や蒸気機関車の銘板が、長野県木曽郡上松町の民家に残されていたことが6日、分かった。 【写真】森林鉄道で使われた通学列車「やまばと号」
同町と同郡王滝村をつないだ幹線「王滝森林鉄道」が1975(昭和50)年に廃線となってから5月末で半世紀。当時を知る人が少なくなる中、鉄道愛好家は「森林鉄道の物語を伝える大切な資料」と評価している。
■運転士をしていた義父から譲り受け
タブレットや銘板は上松町の男性(74)の自宅で保管されていた。上松運輸営林署(上松町)で森林鉄道の運転士をしていた義父の森下定一さん(故人)から譲り受けた。一時所在が分からなくなっていたが、2023年に自宅を建て替える際、家財を整理していたところ、森下さんのカメラや森林鉄道を撮影したネガフィルムなどとともに見つかった。
■単線区間で活躍、通行手形の「タブレット」
タブレットは単線区間での列車衝突を防ぐため、各区間に一つだけを定め、そのタブレットを持たない列車が同じ区間に入れないようにする「通行手形」。駅で運転士らが交換した。
■蒸気機関車に取り付けられた銘板
見つかったタブレットは27点。長さ30センチの金属製の輪で、「鬼渕―桟(かけはし)」「崩越(くずしご)―田島」などと上松町や王滝村にあった森林鉄道の駅名が記されている。銘板は、森林鉄道開通初期から走った米ボールドウィン社製の蒸気機関車に取り付けられた。戦後間もない時期まで使われた「15」「18」の番号が記されている長方形のものなどがある。
1972年から木曽谷に通って森林鉄道を撮影し、森林鉄道についての著作もある西裕之さん(69)=東京都=は木曽の森林鉄道について「日本最大規模の林業地帯で、車両数も多かった」と指摘。今回見つかったタブレットや銘板については「当時使われていた物を目にすることができるのは貴重で、残す価値がある」と話す。
■森林鉄道の歴史、見直す動き
近年、森林鉄道が走る当時を知る世代の減少を背景に、森林文化の歴史の一端を伝えようと地元で森林鉄道の歴史を見直す動きが出ている。上松町観光協会は2021年から、森林鉄道の資料保存と活用を目的に、元運転士や営林署の元職員への聞き取り、個人所有の写真や銘板などの収集・保存、地元に残る車両の整備などに取り組む。
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