龍角散の発祥の地は美郷町ではありません。 秋山高志 茨城県史の研究(1980年)の195ページより 藤井玄信(名・忠貞) 岩根村(現在の茨城県水戸市) 原南陽(はらなんよう)の門人

Joined September 2021
小原洋さんは六郷出身。朝日新聞社、岩手朝日テレビに在籍していた模様。 まさに報道の闇。新聞や報道に関わる人の中に、こういう人がいたとなると問題ですね。 龍角散は六郷のものであるという根拠なきエピソードを広める方々にご注意ください! #美郷包囲網 #疑惑の本拠地 #疑惑の総本山
小原洋さんは六郷出身。朝日新聞、岩手朝日に在籍していた模様。 新聞や報道に関わる人の中に、こういう人がいたとなると問題ですね。 龍角散は六郷のものであるという根拠なきエピソードを広める方々にご注意ください! #疑惑の本拠地 #疑惑の総本山
1
3
再掲載︰不審な情報発信源を特定するためのコツは、そのポストの発信者よりも、その仲間や取り巻きを怪しめということでした。 「その先にいるのは?」 ↑なんてネタを何度もやっていましたが、これがヒントでした。
不審な情報発信源を特定するためのコツは、その発信者よりも、その仲間や取り巻きを怪しめということでした。 「その先にいるのは?」 ↑なんてネタを何度もやっていましたが、これがヒントでした。
久しぶりにgrok 3に語りかけていたところ、また 〜の資料に〜と書いてあって、 とやりだしたものの、事実確認は出来ませんでした。 美郷町の、美郷町による、美郷町のためのAI状態でした。呆れます。
Replying to @fujiiyakuho
これをポストしたところ、龍角散について書いた本はない、ネットの情報からはスキャンしきれないようなことを言い出しました。 以後もネット上からのスキャンには苦戦していました。 grok 3にも、Google検索で「書籍」のやり方を教えたものの、拾えるのでしょうか。
Replying to @P701iD
失礼致します。玄淵の時代は台東区、正亭治の頃なると現在の龍角散ビルの近くに住んでいたと伝わります。 実際の龍角散は水戸由来の物で、水戸藩の秘伝薬を習い行ったのは江戸中期の藤井玄信と名乗った久保田藩医。 東京側でつけた2代はまだ産まれていません。 玄淵も本来、何代目かは不明です。
1
1
歴史は多数決ではないので、少数ポストだからと言って、真実でないということはありません。
2
Replying to @gh3z4qc35xjbVmn
リプライ失礼致します。 これについては正亭治が大曲の人だから、龍角散は大曲生まれという人もいますが、参勤交代があれば江戸に住む生活をしていたため、龍角散は東京下町生まれ、またはそこで作られていたと長年語られているものです。
Replying to @adbrex_
神田生まれの龍角散。神田の祭りをモチーフに使うことで、プロダクトオリジン効果も期待できますね!
1
1
nitter.net/Aki_Yadome/status/1920… 佐竹義堯は現在の福島県出身で、久保田(秋田)藩の末期養子。佐竹の殿様は参勤交代で江戸に住んでいる。すなわち、龍角散は神田、若しくは東京下町生まれ、または作られていたというのは長年渡り語られている説です。
Replying to @adbrex_
神田生まれの龍角散。神田の祭りをモチーフに使うことで、プロダクトオリジン効果も期待できますね!
3
龍角散が藩主と共に東京へ移住し、明治4年創業は東京府側の理屈でして、江戸末期には現在の秋田市と大仙市に店を持っていました。 そもそも龍角散を販売していたのは正亭治の時代よりも、もっと前とされます。 本当に龍角散と秋田県が関係あるとやりたいのであれば、もっと掘り下げましょう!
【実はソレ秋田が発祥!】日本一有名な犬「忠犬ハチ公」や“ゴホン!といえば”の「龍角散」など!各スポットの観光情報も紹介 - tabizine.jp/article/645999/
4
当家は江戸中期〜後期には久保田(秋田市)から大曲(大仙市)へ移住した※と言われ、明治以降は薬剤師か登録販売者、医師免許を持っていたのは関西に行った正太郎氏です。この正太郎氏の子孫が現在の東京龍角散となります。 ※説が複数存在
Replying to @ptkr7fUM5128020
そうなんですね。医師系となりますと、六郷(美郷町)系の別れの方でしょうか? 当家は江戸中期〜後期には大曲(大仙市)にいて、明治以降は薬剤師か登録販売者、医師免許を持っていたのは関西に行った正太郎氏です。この正太郎氏の子孫が現在の東京龍角散となります。 情報をご確認ください。
2
そして佐竹義堯が東京府へ移住したのは、秋田県の事典(辞典)の類ですと、明治5年となっています。 根本的に当家は武士、または藩医と言われていますので、江戸時代から現在の台東区、若しくは神田界隈に住んでいました。 美郷町が主張し、わらび座様がお芝居で演じていた町医者という事実なし。
Replying to @tabizine_twi
龍角散が藩主と共に東京へ移住し、明治4年創業は東京府側の理屈でして、江戸末期には現在の秋田市と大仙市に店を持っていました。 そもそも龍角散を販売していたのは正亭治の時代よりも、もっと前とされます。 本当に龍角散と秋田県が関係あるとやりたいのであれば、もっと掘り下げましょうね!
1
現在の秋田県側に来なかった部隊は下級武士、または弟・妹の家系だと言われている。 そのため 茨城県近郊に残った側が佐竹家臣団の本家にあたる という事実はありません。
おさらい 佐竹の国替時に全ての佐竹家臣団が出羽(秋田県)入りした訳ではない 関東近郊に残った者も多く、そのため茨城県と秋田県では似たような名字が混在する 当家は国替えのあとに出羽入りし、久保田(秋田市)に住んでいたとされる 「国替え時に六郷、大曲に移住説」を裏付けるものなし
2
当家は、大きく分けると秋田側と東京側。西日本側。 過去の調査では、どれも龍角散の関係者であるとは確認が取れなかった人も多く・・・。 この方が本当の子孫かは別として、聞いていた話が正しいかを証明出来ないと美郷町のようになってしまいます。 皆様もお気をつけください! #疑惑の本拠地
当家は武士の家系とされ、参勤交代をするためなのか、子孫とされる人は少ないのです。 秋田県の場合は藤井姓だから、龍角散と関係があるということはありません。 当家のように北関東近郊にルーツを持つ家もあれば、福井、関西系もちらほら。
3
現在、ネット上にある情報は美郷町の町長さんと役場の佐藤さん、町会議員の鈴木正洋さんらが発言・報告などが記事になっている物が多いですが、残念なことに当家を六郷出身と言い切るような証拠がありません。 本も無許可多いです。 資料上は現在の茨城県から来て、秋田市入りしたのが秋田初代です。
1
ただ気になるのは、あなた様の家と親戚付き合いしたことはないと思いますがね。 過去帳や除籍謄本などで証明できますでしょうか?
1
当家と東海・関西との関係は現在の小林製薬と縁戚関係にあること。 昔の京町堀(きょうまちぼり)には、米次郎の兄の店があり、のち大阪市中央区道修町を本社としました。 東京龍角散の創始者は正亭治。長男は秋田市に残り、3男の得三郎は東京府における支店長のような存在。その妻は益子姓
「龍角散と大阪府大阪市にある柳々堂(りゅうりゅうどう)さんは親戚である。」 というネット上の噂話がありますが、それを裏付けるための明確な根拠となる資料がないので、ご注意ください。
1
「龍角散と大阪府大阪市にある柳々堂(りゅうりゅうどう)さんは親戚である。」 というネット上の噂話がありますが、それを裏付けるための明確な根拠となる資料がないので、ご注意ください。
8月以来の定期: 「龍角散と大阪府大阪市にある柳々堂(りゅうりゅうどう)さんは親戚である。」 という噂話がありますが、それを裏付けるための明確な根拠となる資料がないので、ご注意ください。
1
Replying to @ptkr7fUM5128020
そうなんですね。医師系となりますと、六郷(美郷町)系の別れの方でしょうか? 当家は江戸中期〜後期には大曲(大仙市)にいて、明治以降は薬剤師か登録販売者、医師免許を持っていたのは関西に行った正太郎氏です。この正太郎氏の子孫が現在の東京龍角散となります。 情報をご確認ください。
1
1
当方も一時期ネットから情報を集めていましたが、遠縁にあたるのは六郷の春霞(はるかすみ)の栗林家で、一方、志ら梅の湯川家、六郷東根の坂本家、大阪府の柳々堂さんという親戚はいません。 もし詳しい話に興味がありましたら当方へDMください。やり取りを晒したりはしませんので、ご安心ください。
1
おさらい 佐竹の国替時に全ての佐竹家臣団が出羽(秋田県)入りした訳ではない 関東近郊に残った者も多く、そのため茨城県と秋田県では似たような名字が混在する 当家は国替えのあとに出羽入りし、久保田(秋田市)に住んでいたとされる 「国替え時に六郷、大曲に移住説」を裏付けるものなし
おさらい 佐竹の国替時に全ての佐竹家臣団が出羽(秋田県)入りした訳ではない 関東近郊に残った者も多く、そのため茨城県と秋田県では似たような名字が混在する 当家は国替えのあとに出羽入りし、久保田(秋田市)に住んでいたとされる 「国替え時に六郷、大曲に移住説」を裏付けるものなし
1
2
Replying to @ptkr7fUM5128020
そうなんですか、ただ、それだけでは当家の一族とは言えないかもしれません。うちは女系で藤井姓少ないんですよ。 当家は国替えの時には佐竹の殿様について来ていなくて、そのあとに現在の茨城県から来て、秋田市や大曲などに屋敷を構えた家柄で、秋田市や大曲に菩提寺があります。
1