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伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

4月に入って早や下旬、ひと雨ごとに春の温かさが加速し、花盛りが過ぎて葉桜の新緑となった !

2025年04月24日 | 随筆・雑感・回想など


伊勢市横輪町 「風輪」裏の新緑(葉桜)の遊歩道 ~ 2025年4月23日 撮影

 4月に入ってから、ひと雨ごとに春の温かさが加速して桜の開花が進み、中旬には満開の花盛りとなった。その桜も、今は葉桜の新緑となっている。 桜の名所は、週末はどこもかしこも「花見」の行楽者でにぎわっていたし、 伊勢市内の道路も県外ナンバーの自動車や観光バスが頻繁に行き来をしていた。
 このシーズンは、まだ山野にそれ程丈長の雑草も繁っていないので、好天の日は探石や鉱物採集には最適である。

 しかし、4月になって再度の物価高で、車を走らせるにもガソリン代がバカにならない。 しかたがなくまたもや閉じこもりの毎日で、連日のように処分品の水石や鉱物標本の吟味と、蔵書の整理に没頭している。 外出は食料の買い出しだけで、食品の中でも特に米価の跳ね上がりには閉口している。


自宅2階の書斎隣りの未整理の水石部屋(6畳一間)


「ヤフオク」を利用していろいろと出品をさせて頂いているが、他の出品者のように商品説明を簡素にして、殆ど掲載画像のみで出品をすればよいのだが、水石も鉱物標本も一つひとつに、又専門書をはじめとする数々の蔵書や資料物の印刷物にも、それぞれに愛着や見つけて手にした時の思い出もあり、出来るだけ解りやすく丁寧な「商品説明」を心がけて、出品をさせて頂いている次第だ。
 特に郷土誌などの稀覯本や、地元を中心に蒐集をし続けて来た資料物の鳥瞰図や古地図、戦前からの観光パンフレットなどは、二度と集められないものばかりなので、散逸をさせるにはかなりの決断を要する。 かと言って、地元の資料館や図書館などにも、多少はダブりがあると思うので寄贈する気にもなれない。


自宅2階の書斎 ~ 整理中の地学 ・ 鉱物学関係の専門古書等の本棚


 以上の他にかなりのレコード盤と、母親が生前に集めていた「猫の置物」などもたくさんあり、これらの物品をまとめて買い取って下さる古書店や資料物店、リサイクル・ショップ、専門業者さんなども、全国各地にはたくさんあって、年に何回かは書類や電話でアクセスをして来て下さっているが、良心的なお店でも、どれだけの値段になるかは判らないので、商取引きの対応をさせて頂いた事は一度もない。
 ヤフオクへ大量出品をするには、今後は古書や資料物等への「商品説明」は、他者のようにかなり簡素化しなければ、なかなか減ってかないと思う。


鉱山関係の稀覯本古書の一冊


明治26年10月20日 発行の「地質学雑誌」 第一巻 第1号 ~ 第12号 の古い合本


昭和年代に取り寄せた国内の 「主要鉱山パンフのファイル ・ ホルダー」 より


昭和年代に取り寄せた国内の 「主要鉱山パンフのファイル ・ ホルダー」 より


  そんな4月の日々も、桜花後の新緑の芽生えと共に過ぎゆこうとしているが、この23日には薄日の漏れる曇天の空模様の中、横輪町の「風輪」まで出かけ、石商品の入れ替えを行って来た。
 桜のシーズンに合わせて製作をした、幾つかの「桜マンガン石」の出荷商品の中で、完売をしていたのは「桜マンガン石」のザレ石をビニールの小袋に詰めた、格安のサービス商品だけであった。


伊勢市横輪町 「風輪」裏の横輪川の左岸上に泳ぐ鯉のぼり ~ 2025年4月23日 撮影
 

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春の彼岸が過ぎて、伊勢の町にも春日和が到来 !

2025年03月23日 | 随筆・雑感・回想など

今月初試作のオリジナルの 「置物石」 ~ 左右の横幅約15cm

 3月20日の彼岸が過ぎたとたんに、伊勢の町も一気に春暖の好天となった。 桜が開花しはじめたものの満開ではないので、 春爛漫とまではいかないが、絶好の行楽日和が20日 ~ 23日と続いている。 彼岸からの飛び石連休でもあり、伊勢神宮の界隈は人波でごった返している。 この時期には、五十鈴川の川原も朝早くから散歩や散策をする地元民や、河川敷に市営の駐車場がある事もあって、川遊びをする親子連れの外来客などもかなりいる。
 その事も加わり、五十鈴川の川原での探石を兼ねた「歩行のリハビリ」は、この先々までとてもやれそうにない。


「広報 いせ」  ~ 3月15日号の表紙


 先月に川原の様子を見にに、五十鈴川の「御側橋」まで行ってみたが、河床や護岸の工事がまだ終わっていないので、この改修工事が終わるまでは、「神足石」も「三稜石類似の三角礫」も拾えそうになかった。
 近場での探石に出向けるような場所と言えば、二見浦(ふたみがうら)の立石崎の東海岸や横輪川、一之瀬川ぐらいであるが、3月の下旬から4月の初めにかけては、花見のシーズンの真っ盛りで、毎年のように「広報 いせ」の3月号の表紙には、市内の桜の名所のカラー写真が何枚か掲載されており、「桜まつり」などのイベントもたけなわを迎える。
 特に伊勢神宮の内宮前界隈の雑踏は、未だ終息をみないコロナ・ウイルスや感染性の病原菌の蔓延、スギ花粉の飛来など、お構いなしの混雑ぶりである。 春夏秋冬を通して、全国津々浦々からの伊勢神宮への参詣者や観光客の来訪は絶え間がなく、国内最大の「皇大神宮」様のご威光ははかり知れない。

今月製作のオリジナル 「置物石」 ~ 第5作目の商品。左右の横幅約9cm

 さて、例年製作をさせて頂いて来た「桜マンガン石」の商品化も、原石の鉱塊は幾つかあるものの、体調の影響もあって今春は最小限にし、そのザレ石と二見浦立石崎東海岸産の緑色片岩の偏平漂礫を組み合わせた、調度用の小型の「置物石」を幾つか試作してみた次第だ。 水石などの「石の商品」を出品している横輪町の交流施設「風輪」に出し置いてみて、売れ行きが良ければ、桜のシーズンに合わせて幾つか製作をする所存である。
 このような「ミニ水石」を組み合わせた「置物石」が、当地限定販売の「新商品」になれば、夏向きの「ミニ滝石」なども面白いのではないかと思っている。


二見浦・早朝の立石崎東海岸 ~ 2025年3月23日 撮影

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2月もあと数日となった。病み上がりの気晴らしに、奥伊勢の彦山川に出向く。

2025年02月23日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク

冬日和の二見浦(ふたみがうら)の江海岸 ~ 2025年2月22日 撮影

 2月に入って、通院先の病院で感染して来たのか、風邪をこじらせ体調不良に見舞われた。 春先になると、毎年のように風邪をひき、喉と気管支を痛め、いつもなら風邪薬の投薬で4日~5日経てば治まるのだが、今回は体温はずっと平熱なのに、咳と痰が治まらずに近所の耳鼻科に行って診察を受け、処方薬をもらって来たが、食欲も減退し1週間程寝込んでしまった。 その後も体調不良のまま食材等の買い物も、割高を覚悟の上で、至近のコンビニで間に合わせながら、気が付けば3週間も寝起きに終始していた。


冬日和の一之瀬川 ~ 2022年2月22日 度会町畦地の川原にて川下方向を撮影


 2月になると、いつも座右に飾る「梅林石」も、今冬は探石どころではなく、寒さのせいもあり室内に引き籠もながら、身体の回復を最優先に生活し、下旬となった21日になって、ようやく動けるようになった。 この日は1日中曇天で、溜まっていた洗濯物の始末やら炊事で、丸1日が過ぎたが、暫く気ままに屋外に出られずに過ごしていたので、ストレスは溜まる一方であった。

 3連休初日の2月22日は、朝からよく晴れた冬日和となった。 天気予報では、三重県の南部にも寒波の再来で雪雲がかかるとの事であったが、西風が少し冷たい程度で、伊勢市内は春先さながらの日差しが眩しいばかりに降り注いでいた。

 半月(はんつき)程寝込んでいた反動もあり、これならば少し市外に行けるなと思い、早速二見浦(ふたみがうら)の江海岸にまで車を走らせた。 防波堤の階段口から突堤に下りる石段にひと足踏み出した処、強烈な海風にあおられた。 伊勢湾を通り道に流れる北西からの寒気流が吹き荒れ、磯波も海鳴りとなって押し寄せ、海浜には近づけそうもない。 即刻引き返したが、昼までは2時間以上あったので、風の弱い奥伊勢へと車を走らせ、一之瀬川の左岸の県道を遡り、「火打石」まで行った。


彦山川渓流の 「石溜り」 ~ 2025年2月22日 撮影


上流方向から眺めた上載写真の 「石溜り」 ~ 2025年2月22日 撮影


 天祥橋を渡り、彦山川を遡る右岸の「火打石林道」を1kmばかり進み、車を止めて山林の草分け道を辿り、すぐ先の渓流へと降りた。 かつて幾つかの名石をゲットした場所である。 ここは川原と言うよりは、堆く転石の流れ積もった「石溜り」である。 右脚にシビレ痛をかかえているので、この秘密のポイントへは3年程来ていなかったゆえ、石溜りの状況が一変していた。 僅か10分程の探石であったが、手持ちの布バケツには大きい目の「伊勢古谷石」2個と、小型の転石礫数個を拾い入れた。


2025年2月22日 彦山川で揚石の 「伊勢古谷石」 の荒石 ~ 左右の横幅約30cm


2025年2月22日 彦山川で揚石の 「伊勢古谷石」 の荒石 ~ 左右の横幅約18cm


2025年2月22日 彦山川で揚石の 「白鎧石の段石」 ~ 左右の横幅約12cm

 帰りには、伊勢市上野町の横輪川の蛇紋岩地帯に立ち寄ってみた。 ここは過去に何度かブログで取り上げた場所であるが、川岸から川床にかけて、蛇紋岩(一部は蛇灰岩)の岩体が角閃岩や千枚岩などに貫入し、両岸に小高い残丘地形を形成している。 露頭には、半ば大理石化した大・小の方解石脈が複雑に貫入して入り組み、時にはきれいな「滝石」となって転がっている。 運が良ければきれいな「滑石」や「黄鉄鉱」「珪ニッケル鉱」などの鉱物も採集出来る。
横輪川産の大理石質の 「冠雪景の遠山石」 ~ 左右の横幅約12.5cm ・ 2025年2月22日に揚石

横輪川産の蛇紋岩の 「滝石」 ~ 左右の横幅約15cm ・ 2025年2月22日に揚石

横輪川産のチャートの 「段石」 ~ 左右の横幅約14cm ・ 2025年2月22日に揚石

 立ち寄った甲斐があって、程良い標準サイズの「蛇紋岩の滝石」と、鑑賞出来そうな小物水石2個を見つけて持ち帰った。
 右脚のシビレ痛も、朝飲んだ痛み止め薬が効を奏し、忘れていたかのように気にも負担にもならずに、探石を兼ねた久しぶりの気晴らしドライブは、思いのほか楽しく、寒さもさほど感じずに午前中で無事に済んだ。



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新年を迎え、初詣にも出向かずに自宅に引き籠もりの内に、睦月も早や半ばとなった。

2025年01月15日 | 随筆・雑感・回想など

新年を迎え架け替えた、玄関の 「注連飾り」


 昨年の年末から新年の年始にかけては、普段と何ら変わらないままに松の内が過ぎて、巳年の睦月も早や半ばとなった。その間に成したことと言えば、年の瀬には恒例の事であるが、玄関の軒下の「注連飾り」の付け替えと、床の間に祀った神棚の簡単な清掃、そして供え物の入れ替えぐらいである。

小萩川産の石灰岩の 「蛇の姿石」( 2023年の春に採集 )~ 横幅約12cm


 31日の夜から新年の元旦にかけては、伊勢地方も寒波の到来で寒くなるとの予報であったので、明るい午後の内に、まだ「どんど焚き」の準備中であった「茜神社」に年越し詣りに行った。 参拝客など境内には全く人影が無く、焚き火用の薪が積まれているだけで、社務所も閉まっていたが、声をかけた処、神職の方が只一人出てみえたので、お供えを申し出て少し話をしてから、神殿にお詣りをした。 ここは、幼少の頃から勾玉池の「アコネさん」として馴染んできた、親の代から信仰を続けているお稲荷様である。

 元旦は、予報通り寒々とした一日であった。 10数枚ほど届いた年賀状を拝見し、返信の御挨拶を数枚書いて投函しに伊勢郵便局まで出向いた。 自宅からは僅か200m程の距離であるが、防寒には完全武装である。 郵便局内も今年はガラガラで、「年賀状仕舞い」が旧ピッチで進む昨今の世相を、今更のように目の当たりにした。

二見浦 ・ 立石崎産の緑色岩の漂礫で、昨年に製作した「蛇石」 の提げ物


 午後になってからは、昨年末に行なった奥伊勢の小学校の児童たちの「授業の感想文」を拝読し、添え書きをして返送の仕事を済ませると、夕方まで寝転んだ。 寒さのせいもあり、仕事疲れから来る右脚腰のケアである。
 2日と3日は、ラジオで箱根駅伝を流しながら、昨秋に五十鈴川で拾って来た、片面が観音像にも見える流木を磨き、根枝状の流木で巳年にちなんで「蛇の飾り物」を作った次第だ。

新年早々に磨きあげた、片面が 「観音像」 類似の五十鈴川産の流木 ~ 高さ約15cm.
巳年にちなんで、五十鈴川産の根枝状の流木で作った 「蛇の飾り物品」~ 長さ約30cm

 8日は、伊勢地方も久しぶりに丸一日冷たい雨天であったが、その日以外は真冬の好天が続いている。 しかし、例年とは身体の具合が全く違うので、やはり寒風の冷たいフィールドへの見回りは、意識の中では気にはなるものの、ごく近距離の五十鈴川へすら身体の拒絶反応の方が勝っているゆえに、もっぱら身辺の収蔵品などの整理に終始している。 どうやらこのまま無為に新春が過ぎて行きそうで、外出と言えば食材の買い物と、連日歩行のリハビリを兼ねて、自宅裏の勢田川沿いの保安道路を散歩しているだけである。



自宅裏の勢田川沿いの桜の枯れ枝に群れる 「膨ら雀」 ~ 2025年1月15日 撮影


上載写真の 「膨ら雀」 のアップ

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師走の中旬に、志摩市の海岸へ出向く。

2024年12月24日 | 志摩


穏やかな陽射しの降り注ぐ初冬の国府白浜海岸 ~ 2024年12月14日撮影

 今年も一週間を切り、冬日和の続く年末となった。 寒波が到来しても、伊勢地方は例年のように小雪の舞い散る事も無く、穏やかに一年が終わろうとしている。
 今月中旬の12月18日には、奥伊勢地方の小学校からの依頼で、10何年ぶりにか教壇に立ち、6年生10名程を相手に教科書の「大地のつくり」の章に関連して、岩石、鉱物等の話と実物サンプル数個の観察指導をさせて頂いた。 小学校の理科室ではあったが、地学の教師として長年高校生達に講義をして来た教室の雰囲気は、僅か1時間の事ながら現場復帰さながらに懐かしく感じられた。


初冬の安乗海岸 ~ 2024年12月14日撮影


 志摩市の海岸へは、12月14日の朝から、その為の実物標本の採集に出かけた次第だ。 志摩の初冬は風も無く、打ち寄せる磯波も穏やかで、大海原を照らす陽射しも伊勢よりは温かい。 そんな好天の中、まず阿児町安乗の外海岸に行って「漂着軽石」を探し終えると、防波堤の階段で日向ぽっこをしている老婆から声をかけられた。 隣に腰かけて、悪い右脚の疲れ痛みをほぐしながら軽石の話をすると、「漂着軽石」の大きなものは、昔から家庭の風呂用などによく拾われていたとの事で、海女をしていた若い頃の今とは違った海岸風景の様子や、ご自身の脚腰が悪くなるまでの磯働きの回想を懐かし気に語ってくれた。


初冬の国府白浜海岸 ~ 2024年12月14日撮影


 30分ほど当地安乗の昔の話を拝聴し、その後は広々ときれいな弧を描く国府の白浜に立ち寄ったが、全くサーファーのいない初冬の海景を眺めただけで、目的地の大王町名田の大野浜に行った。 ここはいつ来ても、誰もいない筆者の貸し切りみたいな遊び場である。 海食崖の出鼻に囲まれた100m程の弧状の入浜で、浜砂利がビーチカスプを成して堆積している。
 その浜砂利の漂礫の中には、潮かぶれで縞目模様の浮き出た珪質岩や泥質岩(珪質頁岩)などのきれいな小礫が入り混じり、その中にかなりの確率で「断層石」がみつかる。
 地層の変形の説明や「層内断層」の観察には、うってつけの教材になる。 渚や砂利浜の中を探し回る事約30分、どうにか10数個を採集したが、きれいなものは数少ない。 表面だけがイエロー瑪瑙化した、段丘堆積層由来の「黄色玉石」(きいろだまいし)は、全く見つからない。


初冬の名田の 「大野浜」 ~ 2024年12月14日撮影

上載写真の対岸から眺めた 「大野浜」 ~ 2024年12月14日撮影


 もう少し良い標本を得るべく、すぐ南に隣接の名田漁港の海浜に行ってみた。 しかしここも期待する程の成果はなく、同程度の漂礫数個とビーチグラスを少し拾っただけで、なぜか以前のように多産しなくなっていた。 この漂礫の「断層石」が採集出来るのは、名田漁港から大野浜を経た北隣りの畔名の海岸までである。 但し、畔名の海岸への村道は入りにくく、戻るのもひと苦労なので、時間的にみて行く気がしないし、採集出来る効率もあまり良くない。

初冬の名田漁港の海浜 ~ 2024年12月14日撮影


 どうにか教材用のサンプルは、必要数だけ採集出来たので、この日は午前中で帰宅をした。 穏やかな陽射しの温かい師走の初冬の志摩の海景は、何度眺めても青々としていて快適である。


名田の大野浜で採集の 「断層石」 ~ 横幅約6cm
名田の大野浜で採集のこぶし大の 「断層石」

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晩秋の11月23日 の土曜日に、秋らしさを求めて伊勢市内に外出 … 。

2024年11月24日 | 随筆・雑感・回想など

尾花のなびく晩秋の五十鈴川 ~ 2024年11月23日、御側橋右岸から川下方向を撮影

 晩秋となった11月23日(勤労感謝の日)は、3日続きの好天となった。 早朝のうちは快晴と思われたが、昼前になって少しちぎれ雲が断続的に流れ、日射しと陰りが繰り返される天気で、晴れていても真冬のように北風が冷たく、とても小春日和とは言えない一日であった。 伊勢市内の道路は、土曜日と休日が重なったせいかすいていたが、年末の間近な連休とあって、内宮前と外宮前だけは観光客や参詣者らの団体で混雑していた。 その他の行楽地といえば、二見浦の立石崎(夫婦岩のある興玉神社)と、伊勢志摩スカイラインで登る朝熊山の山上広苑ぐらいしかない。


晩秋の五十鈴川右岸の川原 ~ 2024年11月23日、御側橋の橋下から川下方向を撮影


 屋外に出ると、日射しはまぶしいものの、枯れ葉を舞い散らす程の季節風が肌寒くて、天空に流れ飛ぶ積雲も全く秋空とは思えないし、かと言って真冬のような寒空でもなく、今年は山野の色づいた秋らしい風景にまだ接していなかったので、買い物の帰りに五十鈴公園手前の「御側橋」まで、いつものように裏道を車で走ってみた。


晩秋の五十鈴川右岸の川原 ~ 2024年11月23日、御側橋の橋下から川上方向を撮影


 五十鈴公園の紅葉は、すでに葉の落ちた枯れ木となっていたし、五十鈴川の「御側橋」橋下の川原も、再工事でかなりえぐられ、転石礫の土砂がショベルカーによってかき集められ、以前のように積もられていた。 ショベルカーが動いていなく、この日は作業は休みのようであったので、降りてはみたものの川原は汚れがひどく、まだ普通に歩行が出来ない身体なので、以前のように効率よく場所を選びながら、意のままに動き回る事は無理であった。 とりあえず地均しの成された無難なキャタピラーの跡を辿る事にした。


上載写真遠方の掘削工事中の川原 ~ 2024年11月23日 撮影


 汚れたままの川原を、リハビリのつもりでゆっくりと少し歩いてみたものの、やはり足元の転石礫がつい気になってしまう。 ひと雨降れば形状の良い緑色岩の「神足石」やきれいな三角礫(三稜石)がまた拾えるだろうと思いつつ、堰堤下の流木の集積箇所に行ってみた。 ここも掘削がひどく流木も泥まみれで埋もれていた。 一つだけ手頃な根っ子木を掘り出して、五十鈴川の流水で洗ってみた処、まずまずの恰好なので持ち帰る事にした。


上載の掘削工事中の川原から眺めた川下の 「御側橋」 ~ 2024年11月23日 撮影


 車を止めた右岸の土手道路に戻るにつき、川原の転石礫に目をこらしたが、体の不具合をかかえながらでは集中力も散漫となり、根気もなえがちで以前のようには見回れなかった。 それでも石への執着が勝ったのか、それらしい形状のひと握りの緑色岩の「神足石」礫を見つけた。

11月23日に拾ってきた 「流木」(右)と 「神足石」(左)


 車にたどり着いた時には、身体のケアを考えずに歩き回った足腰の運動が、リハビリの程度を超えた全身への負担となって、かいだるさが心身に及び、思った以上に疲れていた。
 対岸にいた工事関係の人に尋ねた処、今回の工事は撤去した「旧御側橋」跡の川床に埋まっている、橋杭の残骸の撤去作業との事であった。


立石崎東方の二見浦海岸 ~ 12024年11月23日、江の突堤の降り口から撮影


 昼前になって、二見町の立石崎東方の江の「突堤」まで行ってみた。 良く晴れていて伊勢湾の眺望は実に良好であったが、風浪が轟音を立てて突堤に押し寄せ、北からの潮風が強くて肌寒いせいか、釣り人は一人もいず、海浜を歩く散策者も皆無であった。
 今のシーズンだと、普段なら回遊して来るカイズ(チヌ)ねらいの磯釣りや、カレイやシロギスなどをターゲットにした投げ釣りの釣り人が何人かはいるはずなのだが、強風と激しく打ち寄せる磯波のしぶきで、海辺で遊ぶには全く不向きな昼下がりであった。 江海岸では、海浜の風景写真を1枚撮影しただけで、秋らしい風景を目にする事なく帰宅の途についた。



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「神無月」の最後になって、少しだけ横輪川の川原にて歩行のリハビリを試みた。

2024年10月28日 | 随筆・雑感・回想など


右岸の土手道から眺めた、支流の雨淵川(左側)との合流地点の横輪川


横輪川に注ぐ、上載写真左側支流の 「雨淵川」


 7月の初旬に腰痛と右脚のシビレ痛により、歩行に支障をきたして4ヶ月が過ぎようとしている。 この間の通院による週2回の点滴と、自宅での痛み止めの投薬が功を奏したのか腰痛が治まり、杖無しでも少し歩けるようになった。 とは言っても、若い時からの腰椎間板ヘルニアによる腰痛の再発に加え、3年程前に打ったコロナ・ワクチンの6回目の注射後に生じた右足指のシビレ麻痺は、発生当初のままであり、歩行には細心の注意を払わなければ躓いてしまう。
 長距離を歩くと、腰の筋肉痛と共に右脚が重たくなり、せいぜい200m~300m 程の歩行で座って休まないと、続いての動作に支障をきたし、軽いストレッチや歩行の為のリハビリを余儀なくされる。 やはり高齢のせいもあって、元通りには回復していないのは確かで、このままの生活が先々ずっと続きそうである。

 病院の整形外科で、多くの高齢患者の痛々しい姿を見て来ているので、手術を出来ないままに済み、この程度で動けるようになったのは、軽度の疾患の部類と言わざるをえない。 適切な処方と共に、軽い運動をした方が良いとの主治医アドバイスには、感謝以外に言葉はない。


横輪川右岸の土手道下の川原 ~ 雨淵川との落合から川下方向を撮影


横輪川右岸の土手道下の川原 ~ 川原の末端から川上方向を撮影


 今年の10月は、例年の神無月のように秋らしい日々の訪れがみられず、夏と秋が同居したような天候に加え、曇天や雨天も断続的に繰り返し、伊勢市では夕方の西空は連日ぶ厚い雲に覆われていて、楽しみにしていた「紫金山アトラス彗星」が全く見られずに、暮れなずむ日々ばかりであった。


横輪川対岸(左岸)の蛇紋岩の巨礫の散乱する川原


 その「神無月」も過ぎようとしている月末の27日になって、やっと薄日の射す秋らしい小寒い日となった。 気晴らしと歩行のリハビリを兼ねて、伊勢市南方郊外の上野町まで車を走らせ、一番降りやすい横輪川の川原に出向いてみた。 ここは、かなり角ばったゴロタ石が集積しており、100m程真っすぐに続く土手道下の小狭い川原なので、リハビリには好都合であるし、堆積している転石礫は緑色岩( 角閃岩 ~ 緑色片岩 )が多いものの、その中に現地性の朝熊石( 風化蛇紋岩 )や紫雲石、赤石、赤玉石、鎧石などいろんな種類の転石も入り混じっていて、探石の楽しみもひとしおである。


横輪川川原の白脈入りの転石礫 ~ 横幅約10cm


 横輪川川原の 「神足石」 類似の転石礫 ~ 縦幅約11cm


 希に、五十鈴川に多産する「神足石」類似の緑色岩の角礫も見られるし、曹長石や方解石のきれいな白脈の貫入した「滝石」さながらの転石礫や、花柄模様など残存曹長石脈の浮出た様々な「紋様石」も数多く転がっている。
 この日は揚石はせずに、ウォッチと写真撮影だけで、手にした転石礫は全て川原に置いて来た。



右岸の土手道より眺めた 「横輪川」川上方向の風景

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9月もラスト、真夏日のような残暑の続いていた日々も、彼岸を過ぎてから少しずつ秋らしくなった。今月も資料物の整理に終始 …。

2024年09月29日 | 随筆・雑感・回想など

筆者の自宅2階の 「書斎兼標本室」 の一角

 9月もラストとなった。彼岸を過ぎてから朝夕はほんのりと涼風らしき気流を感じながらも、日中は猛暑がいっこうに衰えずに、真夏日のような残暑の続いていた日々も、少しずつ秋らしくなった。
 通院とリハビリをしながら、体調を考えて外出はなるべく控え、先月に続き室内の標本と資料物の整理に終始した。


整理中の 「鉱物標本のケース棚」


鳥羽市白木町産の 「霰石」 の標本 ~ 最長結晶は約5cm
伊勢市朝熊山産の球顆状の 「水苦土石」 の標本 ~ 最長約6cm


志摩市阿児町鵜方( 裏城 )産の様々な形状の 「高師小僧」


 今回も先月に続き、長年仕舞い込んでいた資料物や、現職の頃に撮影をした鉱物の標本などの古い写真を引っ張り出し、再吟味をしながら、廃棄前にそれらの幾つかを選定し、掲載をさせて頂く事にした。


伊勢志摩地方の巡検用に作成した手書きの 「鉱産地地図」


鳥羽 ・ 志摩地方の採集会に配った 「手書きプリント」

理科( 地学 )の自由研究用に作製をした 「レジメ冊子」


 特に退職後の数年は、度会郡内の小学校や中学校等からの要請で、理科の総合学習の講師として野外学習の実践を体験させて頂いたり、伊勢市内外の活性化団体や、夏休みに民間グループなどの要請で、何度か現地での理科( 地学 )の「自由研究」の指導をさせて頂いた記憶は、今も鮮明であり、その時に作製をしたレジメ冊子が残っていたので、併せて掲載をさせて頂いた次第だ。


整理中の 「水石専用棚」

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8月もあと数日となったものの、秋らしさが見えずに、先月に続き腰痛と右脚のシビレ痛の治療に専念しつつ、資料物の整理。

2024年08月26日 | 随筆・雑感・回想など

鈴鹿山脈の 「入道ヶ岳」 ( 中央左 )~ 2003年11月14日 撮影

 「処暑」が過ぎ、8月もあと数日となったものの、今夏は猛暑がいっこうに衰えず、家の中にいても少し動くと汗ばんでくる程で、全く異常な暑さだ。 先月に比べやや腰痛が収まってはきたものの、右脚のシビレ痛は以前のままで、少し歩くと右膝に傷みが走り、杖の携行を欠かせない。
 痛み止めの点滴を受けに週2回通院しながら、自宅では投薬とリハビリにて療養をしつつ、先月に続きずっと資料物等の整理に専念している次第だ。 健康診断を受けた結果、腰痛の他は全く異常が無く、杖をつきながらでも、海岸や川原に行きたいと思いつつも、この暑さでは外出する気にはなれない。 それにこの処、大型の台風の接近が連日報じられることもあり、フィールドへ出向くのは、まだまだ先である。

 今回も先月同様に、長年仕舞い込んでいた地学の資料物や写真等の整理をしながら、1枚もののプリントと共に、現職の頃に撮影をした鉱産地などの古い写真の中から幾つかを選び、以下に掲載をさせて頂く事にした。

 1.鉱産地の巡検テキストに挿入の手書き地図( 四日市市の「水晶山の鉱山跡」~ 1枚物のプリント )

四日市市宮妻町 「水晶山の鉱山跡 巡検テキスト」 の挿入地図.


 2.四日市市宮妻町山之坊「水晶山の鉱山跡」の写真( 2枚 )


四日市市宮妻町 「水晶山の鉱山跡 」( 坑口 )

四日市市宮妻町 「水晶山の鉱山跡 」( 坑内 )



 3.名賀郡青山町奥鹿野「奥山谷の含サファイア紅柱石ペグマタイト」の産地の写真( 1枚 )


名賀郡青山町奥鹿野 「奥山谷」 の含サファイア紅柱石の産地



 4.南牟婁郡紀和町板屋「稼行中の紀州鉱山」構内各地の写真( 5枚 )


稼行当時の紀州鉱山の大通洞坑前の 「トッコ」 ( 人車 )の風景

稼行当時の紀州鉱山の 「選鉱場」 の風景

稼行当時の紀州鉱山の 「大通洞坑を出た停留所」 の風景

稼行当時の紀州鉱山の「鉱石を満載した操車場の鉱車」 の風景

稼行当時の紀州鉱山の連結長列を成す 「廃石中の鉱車」 の風景( 小川口のズリ )



 5.鈴鹿損脈の「入道ヶ岳」の遠望写真( 冒頭と末尾の2枚 )


冠雪の見られる初冬の 「入道ヶ岳」 ( 中央左 )~ 2002年12月28日 撮影

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梅雨明けの7月も下旬となったものの、体調不良で現職の頃に作成の資料や写真などを整理。

2024年07月24日 | 随筆・雑感・回想など


北志摩の最北端、志摩市阿児町 「安乗岬の海景」( 海岸地形 )

 東海地方も、7月中旬の後半になって、どうやら梅雨が明けた。 伊勢地方も、この処ずっと夏日の好天が続いている。 例年なら、志摩の海岸や奥伊勢地方の河川に出向くのだが、先月の下旬より持病の「腰椎間板ヘルニア」が悪化したのか、3年前の「コロナ・ワクチン」の接種後に生じた右足指のシビレ麻痺に加え、腰痛と右脚の痛みが突発し、今月の初めに通院をし、「MRI」にて診断をしてもらった。 その結果、既に2箇所飛び出していた腰の椎間板以外にも、さらにその下に1箇所新たに突出していた。 背骨の変形や損傷は皆無であったのに、そのせいか右脚痛がひどくなり、処方をして頂いた2種類の痛み止め薬の投薬でも止まらずに、歩行には杖が欠かせなくなり、連日かなり難儀をしている。

 幸い正座も含め座り仕事は、痛みを伴わずに極く普通に出来るので、この際に収蔵コレクションの鉱物標本と水石の整理に加え、かつて現職の頃に教材として数多く作成をした、地学関係の資料プリント類や撮影写真、蔵書等を引っ張り出し、再見しながら処分ものの仕分けに取りかかった次第である。
 例年なら、夏場に頻発していた腰痛も、1~2週間程度の傷み止め薬の投薬で治まっていたのだか、今夏はなかなか痛みが引かずに、自宅でのリハビリ( 左右にそれぞれ3㎏ずつの「鉄アレイ」を紐で吊るし、ベルトに繋いで午前と午後に1時間ずつ腰を引っ張っている )と共に、歩行には必然的にかなりの痛みが伴うので、コルセットを腰に巻き、杖の携行を余儀なくされている。

 そんな訳で、近距離の五十鈴川ですら見回れずに、やきもきしながらも食料の買い出し以外には外出を避け、もっぱら室内での生活に終始している。 痛みやストレスの解消には、一番楽な姿勢で寝転びながら、読書とパソコンでニュースなどの動画を見ているより仕方がない。

 7月になって、オンボロになった自家用車( マニュアル・シフトの日産ラシーン )の車検が何とかクリアし、買い物など短距離の車の運転は、シートベルトの着用には何ら問題は無く、さしたる腰痛等も感じずに、ほぼ普通に走行が出来るので助かっている。

 さて、今月のブログは、整理中の資料プリントや消滅をした地形・露頭等の写真の中から、注視したものを数点選んで掲載を致しました。


 1.三重県下の主な金属鉱山( 鉱山跡を含む )の分布図( 教材用の1枚物のプリント )

教材用プリント 「三重県の主な金属鉱山の分布図」


 2.松阪市伊勢寺町、堀坂山雲母谷と珪・長石鉱山跡へのルート地図( 採集会用の1枚物のプリント )


巡検用のプリント地図 「堀坂山の雲母谷と珪・長石鉱山跡へのルート」


 3.新聞記事「松阪市周辺の活断層の検証」( 1995年6月5日の「夕刊三重」より )

現職の頃に、取材を受けた 「松阪市内の活断層検証についての新聞記事」


 4.かつて志摩市大王町、米子の浜にあった「巨大な海食洞門」の写真( 現在は、平成初期の台風で
   崩落して消失 )
かつて志摩市大王町の米子浜にあった 「巨大な海食洞門」


 5.鳥羽市「神島の小規模なカルスト地形」( 石灰岩のカレンフェルドで、神島の名所の「不動岩」 )


鳥羽市 神島の小規模なカルスト地形 「カレンフェルド」( 不動岩 )


 6.かつて名張市滝之原にあった「名張鉱山」( 上:潅水法による採掘風景・下:含チタン鉱砂の貯鉱場 )

稼行当時の 「名張鉱山」 の潅水法による 「含チタン鉱砂」 の採掘風景


稼行当時の名張鉱山の 「含チタン鉱砂の貯鉱場」


 7.伊勢市宇治館町、掘削工事中の「五十鈴トンネルの入口」の風景( 蛇紋岩に伴う方解石の美晶洞や、霰石
   の巨大脈が廃石中に多産 )

掘削工事中の 「五十鈴トンネル」 の入口 ~ 昭和40年頃に撮影


 8.丹生鉱山・日ノ谷坑の「坑内の水銀鉱脈を含む岩盤の写真」( 昭和63年11月8日、学生時代に入坑して撮影 )


丹生鉱山・日ノ谷坑の坑内の 「水銀鉱脈」 を含む岩盤



 以下は、英虞湾の朝・夕の風景写真です。

志摩市浜島町より眺めた 「英虞湾のサンライズ」 の海景


志摩市大王町、登茂山より眺めた 「英虞湾のサンセット」 の海景

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