marsytのブログ

死ぬ前に終わらせたいです

「新聞少年だった頃」第7話(最終話):「正月午前2時の新聞配達」「明けない夜はない…と信じて生きていく」「得意なことを伸ばして生きていこう」「人生は不公平。でも、生きていれば何かが変わるかもしれない」

正月の朝刊は午前2時頃から配達です。

 

みそかは、紅白を見て終わったら、ゆく年くる年を少し見て、早速、町の神社に初詣です。ついでに、お寺にも寄って真夜中に勝手に鐘をついて楽しんだこともありました。

そんなことも束の間。

正月最初のお仕事、午前2時、新聞配達の開始です。

正月の新聞は皆さんご存じのとおり、普段の数倍以上ある重量級の分厚さです。当然、襷にかけて配達なんかできません。

そこで活躍するのがスノーボート(プラスチック製のそり)です。たいてい2回に分けて配達です。一度に新聞を全部載せることができない(非常に重いし、運んでいる最中にひっくりかえって大変な目にあう)のです。

ひとまず、販売所から近いところを一通り回ったら、次の2回目に遠いところまで配達に行きます。

明かりの点いた家もあるけど、たいていは寝静まっています。誰の姿も見えない、新鮮な正月の空気を吸って、暗い夜道をスノーボートを引きながら配達です。広い道路を歩くことは少なかったから、背後からやってくる車の心配はなかった。でも、区域によっては1km以上国道の端(雪で歩道は無い)を歩くので、車の気配を感じたら端っこによってやり過ごします。大型車が通ると雪を舞い上げて行くので、風と共に粉雪を被るので、これには参った。

一人歩くのは心細いので、小型のラジオをスノーボートに積んでそれを聞きながら配達してました。深夜ラジオはお友達でした。

一軒一軒、丸太のような新聞をポストにねじ込んで回ります。

ポストに入らないときは、仕方なく玄関前に置いていきます。

最後の家の配達が終わると5時くらいだけど、外はまだ真っ暗闇です。

帰ったら、重装備の外套を脱いで寝ます。初日の出は見ません。

数時間寝たら、朝のお雑煮を食べて本格的に新年を迎えます。

元日は嬉しいことに、翌日の新聞は休み。なので、いつもより夜更かしして正月の特番を見て家族で過ごします。

そうやって、新聞少年の1年がまた始まるのです。

当時の新聞休みは年に2回くらいだから、1月3日からはしばらくは毎朝の配達は続きます。

だからって、サボらず、朝起きて各家庭に新聞を配るのです。

春先は、雪解けで幹線道路じゃないところは深い轍(高く積もった雪の上に雪道ができてしまうので、昼間のうちに同じところを通る車で雪が掘れてしまうのです)ができてしまいます。気温も上がってきているので雪の上に水たまりができていたりします。そんなときに、新聞配達中に通りがかった車がスタックしていて、脱出できないから車を押すのを手伝いました。勢いよくエンジンをふかして脱出を試みます。昔の車はFRが多いので、後ろタイヤが勢いよく回転するので、後ろから車を押す僕めがけて大量の水を噴き上げるのです。脱出できたからって、もう止まるわけにはいかない。そのまま車は去って行ってしまいます。残された僕は、大量の水を浴びてびしょ濡れ。感謝の言葉もない。

春先はほんとに、足元が不安定で転びやすいのでこれにはまいりました。

さて、僕はいつ勉強するのでしょう?だいたい、学校では部活で野球をやってたから、雨の日と冬場以外はちゃんと練習してました。ヘタクソだったけど。3年生の時はレギュラーにはなれました。

英語は、ビートルズが好きだった影響もあって、中3までに英検3級はとれた。

ギターも女の子にもてるために弾けるようになって、学校祭のときは仲間とグループで演奏したりもした。

本当は、ピアノをやりたかったんだけど、当然家にピアノはなかったし、もちろん習わせてもらえる訳ないから、弾けませんでした。学校のピアノを弾きたくてもドレミファソラシドもちゃんと弾けない。「弾けるようになりたいなあ。」って願望はあったけど無理でした。

そんなこんなで、英語で点数を稼げたので偏差値50より上の高校には入学出来ました。

ただ、ちょっとした努力はしました。英単語は覚えられるまで何度もノートに買い移したし、好きな英語の曲は歌詞を書き写したりもしてました。

何が言いたいのかというと、仕事をしていたって(まあ、長時間じゃないけど)勉強ができなくなる訳じゃないんです。

時間を大切に使いましょう。好きなことには熱中しましょう。

自分が得意とすることや一番好きなことをするのが、成功の近道です。点数が取れないからと言って、嫌いな勉強は無理にしなくてもいいんです。時間の無駄になります。

僕は、ひどい人間で、苦手な科目は、先生に怒られても全く勉強しなかった。美術、音楽なんかは”1”や”2”ばっかりだった。最悪だったのは、大学入試前の古典は評定が”1”だった。調査書をこっそり見たら古典のところだけ”1”になってて、但し書きに、「今後“2”乃至”3”への改善が見込まれる。」って書かれてました。

それでも、ちゃんと大学には入学できたんで、ラッキーでした。

今、あなたがやるべきことはなんでしょう?

やりたくないことを、頑張ることよりも得意なことを伸ばしてください。

あなたが将来すべきことは、苦手なことを苦しんでやることではなくて、得意なことをすべきなのです。苦手なことを克服するために、得意なことができなくなっちゃたら不幸です。

好きなことをやりましょう。それで一番になれたら、それでいい。

あと、人には成長曲線があるのだと思います。今は、それができなくてもそのうちにできるようになる。人より、覚えが悪くても時間とともにできるようになる。そういうこともあります。だから、諦めないでください。

今は、うまくいかなくても続けることができればチャンスが回ってくるかもしれません。必ずではないけど、何かきっかけがあるかもしれません。

一生、チャンスは来ないかもしれません。それも人生です。

毎日が苦しくて苦しくて暮らす人がいます。それでも、明日は何か起こるかもしれません。いいことがやってくるなんて、、、でもそんなの約束なんかされてません。

何のために生きているのかわからなくなってしまうこともあります。

毎日が辛くて、いつまでも抜け出せなくてもがいています。

私もその一人です。

苦しいことを楽しめる訳なんかありません。それでも生きている。

生きていれば、世の中が変わることも、もしかすると変えることもできるかもしれません。

真面目に生きている人が正しく評価されるなんてことも、そうじゃないことが多いのです。

でも、投げ出さないで。今、起きていることに向き合って生きていきましょう。

それが、私が小5から新聞配達をした経験で言えることです。

新聞少年の話題はこれで終わりにします。

ありがとうございました。