新入学、進級の季節ですね。
もう24年前のことになるけど、私の仕事の都合で家族ともども日立市から引っ越したので、神奈川県座間市の小学校で1年生と2年生をすごすことになりました。この経緯にも会社による問題があったのですが、それはさておき。
座間の小学校は自由な雰囲気が溢れていて子供は楽しく毎日を過ごしていました。給食は、校内の調理場で作っていたのでいつも出来立てが食べられました。難点があるとすれば、昼近くには校内に調理の匂いが充満してくることでしょうか。
かばんは、自前のランドセルを購入することにはなっていましたが、通学はもちろん校内で使用する上靴に細かい指定はなかったので安価な靴を購入することもできたので経済的な負担は割となかったと思います。当然、ランドセルも島忠(ホームセンター)で一番安価なものを購入できたので無理して高価なものを用意する必要もありませんでした。たまたま、学校から2~3分程度で行ける近い安アパートを借りることもできたので、放課後や休日に校庭で遊ぶなどができるので私としても住みよい環境でした。
まあ、小田急の座間駅まではちょっと遠かったけど、市役所や図書館も歩いて行ける範囲にあったので便利はよいものでした。
ところが、私の仕事の都合で1年ほどで茨城県の他の事業所に移動を命じられました。そのため、子供が2年生になった約3か月後に、私は1人茨城に「逆」単身赴任となりました。元々、すでに持ち家を持っていたので住むところに困ることはなかったのですが、そこから1年近く茨城と神奈川での二重の生活をすることになりました。座間には、妻と幼稚園前の娘と小学生の娘を置いておかざるを得ませんでした。アパートの契約(2年間)と小学校の生活に慣れ始めたばかりに急に学校を変えるということをためらったためです。
ただ、私の仕事はもう神奈川にはない(当初、会社からは神奈川に長期(5~10年またはそれ以上)と聞いていたのですが)ことがはっきりしたので、娘が小学3年生に進級する4月に合わせて座間のアパートを引き上げて、元の日立市の自宅に戻りました。
娘は、幼稚園時代は日立市内のバスで送迎してもらえる私立の幼稚園に通っていたのですが、周囲に同じ幼稚園に通う子供が少なかったのでほぼ初めて会う子供たちと小学3年生から過ごすことになりました。
新しく通うことになった学校は、各学年がほぼ4クラス以上ある全校児童数が700人を超えるようなところでした。私は、妻と子供とともに始業式の学校に行きました。
校長などから、学校生活などの説明を聞いたのち、体育館の後ろの方から始業式の様子を眺めていました。
そこで、私は恐ろくべき光景を目の当たりにしたのです。
なんと、娘は、全校生700人以上前が揃う体育館のステージ上に突然立たされて「新しく転校してきた新入生です。」と挨拶することを促されたのです。
そんなこと、大人だって突然多くの人の前に立たされて、「発言しろ!」ってい言われたって縮こまってできなくて当然でしょ。
せいぜい、個別のクラスの中で挨拶するくらいのものです。
そんなことを平気でする土地柄だったのです。
子供は、神奈川の小学校で2年間過ごした関係で茨城弁でしゃべりません。
今度は、茨城弁を喋れない娘を周囲がイジメの対象にしたのです。子供は、つらくて泣いていました。それでも、何人かの助けてくれる友達に巡り合えて学校生活を続けることができました。
私は、この土地はなんて閉鎖的で保守的なんだろうとかんじました。
確かに、座間では自由な雰囲気にあふれていて良かったのは確かです。
そのほかに、気になるのは体育用着や体育館シューズなどの指定、通学用かばんの配布など、どれだけ必要性があるのか私には判断できません。
例えば、半シャッター(お店がやっているのかやってないのかわからないような店のこと)の店からいつも指定の体育着をいわゆる定価で購入させられていました。つまり、一般消費者に購買してもらわなくても学校関係からの購入があるからお店をやっていけるということです。
日立市が無償提供している通学用かばんもいろいろ改良しているなどと言っているけど、今は子供達に適したかばんは安価に手にいれることができるのです。日立市は、子供たちのためにランドセルの購入をせずに通学できるということを良いことだと謳っているけれど、これは製造する企業の利益にしかなっていません。
もう、そんな非合理的な考え方は止めましょうよ。
それで、子供たちの未来が明るくなる訳ではありませんよ。
本当に必要なものは何なのか、どこにお金をかけるのかきちんと考えてください。