私たちの暮らす社会には、目に見えない力の構図があります。特に「企業城下町」と呼ばれる地域では、その構図はより一層、色濃く表れるように思います。これは、私がかつて経験した、ある出来事に端を発しています。
15年以上前のこと。私は地元・日立市のハローワークを訪れ、当時の所長と直接話す機会がありました。話題にしたのは、自分自身を含む複数の社員が、10年以上にわたって日立市から東京の別会社――ルネサスエレクトロニクスへと派遣され続けていたという実情についてです。日立産業制御ソリューションズの社員でありながら、日立の業務とはほとんど無関係なまま東京で働き続け、しかし出向でも転籍でもない「派遣」のまま、会社は私たちを帰属させていたのです。
私は、その処遇が労働者として適正なのかを尋ねました。
ところが、所長の答えは実にあっさりしたものでした。
「日立(製作所)がやっていることだから正しいんです。」と。
この返答を聞いた瞬間、私は深く落胆しました。そこにあったのは、客観的な評価でも、働く人の権利への配慮でもありません。巨大な企業の影響力に対して、ただ従うという姿勢。それはまるで、封建時代の「殿」の意向に従順な家僕のようでした。
確かに企業の存在が地域経済を支えていることは否定できません。しかし、それがすべての価値判断をも左右し、行政までもがその論理に従うとなれば、それはもはや公正な社会とは言えません。
会社に対して異議を唱える者は、時に「厄介者」とされます。組織の調和を乱す存在として、静かに排除される――そんな無言の圧力が存在していることを、私は身をもって感じてきました。
「おかしい」と思うことに声をあげることは、簡単なことではありません。しかし、それを誰も言わなくなったとき、社会は少しずつ歪んでいきます。どんなに静かでも、どんなに小さくても、声は必要です。
この出来事は、私にとって「企業とは何か」「社会とは何か」を問い続けるきっかけとなりました。そして今も、それを問い続けています。