marsytのブログ

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「日立製作所と日立産業制御ソリューションズ」~矛盾だらけの聴取書と隠蔽された現実:鷹田聡氏の証言を検証する

本記事では、日立産業制御ソリューションズにおいて、私が過酷な労働環境の末に精神疾患を発症し、最終的に休職へと追い込まれた経緯を労基署の聴取書から明らかにしていきます。特に焦点を当てるのは、私の直属の上司であり、指揮命令系統の中心にいた鷹田聡氏の聴取内容です。

この聴取は、北嶋務氏および八戸隆行氏の聴取(いずれも平成29年7月13日)から1ヶ月以上も遅れて、平成29年8月28日にようやく実施されました。この点だけでも労働基準監督署の調査姿勢には大きな疑問符が付きます。

実は、鷹田氏は当時東京勤務で、会社側は「東京にいるから」という理由で労基署による聴取を拒んでいました。ところが、茨城に戻った数日後に聴取を受けていることから、これは明らかに会社と調査官の間で調整が行われたことを示唆しています。しかも、聴取内容は他の2人と不自然なほど一致しており、1ヶ月以上の期間が空いていたにも関わらず「まるで台本を読んだかのような内容となっています。

また、鷹田氏の証言の中で特に問題なのは、私に対して「残業を強制したことはない」「休日出勤を命じたことはほとんどない」と述べている点です。しかし、現実にはメール記録や残業届の提出状況から、鷹田氏が「スーパー定退日(定時退勤日)」でさえも残業を強要し、しかも本人に確認もせず残業者氏名報告書に私の名前を記載していたことが判明しています。

聴取書では「田中さんは主担当を任せられる程度の能力があった」としながらも、「居眠りをしていた」「不眠症で通院していた」などと精神疾患の症状を指摘し、まるで責任転嫁するかのような発言が散見されます。しかし、私が不調を訴えたのは2010年2月以降であり、その前の勤務状況には問題がなかったことは記録にも明らかです。にも関わらず、後から都合のよいように症状を過去に遡らせて印象操作を行っているのです。

さらに、鷹田氏は「Version Beta」プロジェクトについてそこまでタイトではなかった」と述べながら、私にその主担当を任せ、業務の停滞が発生した際には「土曜に出勤して検証してほしい」と要請しています。これは明らかに責任転嫁の構図です。そもそも出荷対応や製品事故でもない開発プロジェクトにおいて、たった1日の休日出勤で状況が改善するというのは幻想であり、プロジェクト管理が完全に破綻していた証拠です。

しかも、鷹田氏は私が保健師との面談で「業務の軽減が必要」と指導を受けた後も、何ら配慮をせず、通常通りの業務を強行していました。つまり、病人であることを知っていながら、それを無視し、業務を続行させたという事実が明白です。

鷹田氏は、私の居眠りをしていた(何時何分寝ていたなど)事実を詳細にメモに残して茨城県労働局に提出までしています。とても常人がすることとは思えません。

このように、鷹田氏の聴取書には数々の矛盾が存在し、その信頼性には大きな疑問があります。そして、このような内容が日立労基によってそのまま受理され、私の申請が却下されたこと自体が、労基署の調査の公正性を大きく損なっていると言えるでしょう。

この文末に、実際の鷹田氏の聴取書を添付します。ぜひ一読いただき、企業と労基署の癒着、または職務怠慢といった構造的問題を多くの方に認識していただければと思います。

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【以下が鷹田聡の労基調査官による聴取の全文】

聴取書

被聴取者氏名:鷹田聡(たかた さとる)

聴取者:日立労基 金丸 友博

聴取場所・日:日立産業制御ソリューションズ茨城本社、平成29年8月28日

  • 私は昭和61年に日立産業制御ソリューションズ茨城本社の前身である日立エンジニアリングに入社しました。

平成24年頃に日立産業制御ソリューションズの東京本社に転籍となり、情報システム第1部で働いています。

これから、日立産業制御ソリューションズのことは単に「会社」と呼ぶこととします。

  • 私が平成21年4月から平成22年3月頃まで会社の組み込みハード開発部においてともに仕事をしていた彼(かれ)さんのことについて私の知っている限りのことをお話します。
  • 私は会社の組み込みハード開発部という部署で、平成21年~平成22年当時、主に車のカーナビゲーションシステムの論理設計に関する仕事をしていました。役職は主任技師で、課長職であることから管理職相当になります。
  • 彼さんは平成21年4月に組み込みハード開発部へ配属されました。

配属前の部署は、渡辺充(わたなべ みつる)さんという方が部長として管理していたP設というコンピュータの基盤を制作していた部署でした。

なぜ、彼さんがP設から組み込みハード開発部に配属されたかについて詳細はわかりませんが、会社内で部署の再編が何度か進んでいたこともあり、業務が被っている部署は一緒にしようという意識があったため、P設と組み込みハード開発部の業務に大きな違いがないことから、平成21年4月に彼さんが組み込みハード開発部に配属される以前からP設のメンバーの何人かが組み込みハード開発部に配属され一緒に仕事をしていました。

平成21年4月に、P設から組み込みハード開発部に配属されたのは彼さんだけだったと記憶していますが、組み込みハード開発部におけるP設出身者は彼さんだけではないので特にネガティブな理由で彼さんが組み込みハード開発部に配属されたわけではなかったと思います。

  • 彼さんの仕事は、部署を移ってきて間もないこともあり、組み込みハード開発部に元々いた人の補助業務でした。

役職は私と同じ主任技師でした。

よって、管理職相当になります。

彼さんはプログラム設計としての知識、能力はある程度備わっていたと思います。なので、彼さんは仕事が出来ないということはなかったと思います。

  • 彼さんが組み込みハード開発部に配属される前にメンタルの問題で会社を休んだ時期があったと聞いています。

詳しい時期は忘れましたが、彼さんが組み込みハード開発部に配属された後、私は当時組み込みハード開発部に所属していた北嶋務(きたじま つとむ)さんから彼さんが業務時間中にいびきをかいて寝ているという相談を受けました。

相談を受けて、私は、部署が変わり仕事内容も変わったこともあったので疲れているだろうと思い、最初のころは肩を軽くたたいて起こすこともありましたが、注意はせず、声を掛ける程度でした。

しかし、あまりにも頻繁に寝ているため、当時の組み込みハード開発部の部長だった山崎浩美(やまざき ひろみ)さんにそうだんしたところ、その時に初めて山崎さんから彼さんが以前、メンタルが原因で仕事を休んでいた時期があることを聞きました。

業務中に寝るのもメンタルの問題が原因だと思ったので、以降は声掛けとともに「病院に行って検査をしてもらった方がいいんじゃないか」とアドバイスをしました。

どうやら不眠症で夜あまり寝ていないことが原因のようでした。

ただ、不眠症の原因についてはわかりませんし、彼さんから聞いたこともありません。

  • 組み込みハード開発部における業務の指揮命令系統についてお話します。

組み込みハード開発部は部長の山崎さんをトップとし、その下にいくつかのグループがあり、そのグループを統率する主任技師がいました。

平成21年から平成22年当時は益子さんという方でした。

グループの下に業務内容に応じたユニットがあり、私はそのユニットを統率する主任技師でした。

1つのユニットにはだいたい20人が所属していました。

彼さんは私と同じユニットに所属しており、私の統率していたユニットの業務が先ほど申し上げた主にカーナビゲーションシステムの論理設計に関するものでした。私と彼さんが所属していたユニットには北嶋さん、八戸隆行(はちのへ たかゆき)さんも所属していました。

  • 私と彼さんの仕事上の関係についてお話します。

私は私の統率するユニットメンバーの業務上の指揮命令を行っていました。

管理職以外のユニットメンバーの残業申請の証人は私が行っていました。

彼さんは役職は主任技師という私と同格の役職でしたが、私が彼さんに業務上の指示を出していました。

具体的には、コンピュータプログラムの論理設計業務で、1人ですることもあれば、誰か別のユニットメンバーが作成したコンピュータプログラムの検証業務や補助業務も行ってもらっていました。

  • 彼さんと北嶋さんの仕事上の関係についてお話します。

彼さんには北嶋さんの業務を手伝うよう私が彼さんに指示を出していたので、主に北嶋さんが作ったコンピュータプログラムの検証業務を行ってもらっていました。

北嶋さんは管理職ではない一般職ですが組み込みハード開発部での経験が長く、当時北嶋さんが作成していたコンピュータプログラムが特殊なものだったので、本来的には彼さんが役職的にまとめる方が良いのかもしれませんが、専門的にやっていた北嶋さんの手伝いを彼さんにお願いしていました。

10.彼さんと八戸さんの仕事上の関係についてお話します。

  彼さんと八戸さんは一緒のフロアで仕事はしていたものの仕事上あまり関りはなかったと思います。

11.彼さんと、原賢治(はら けんじ)さんの仕事上の関係についてお話しします。

  原さんは私、彼さん、北嶋さん、八戸さんが所属していたユニットとは別のユニットの主任技師で同じフロアで働いていました。

  平成21年11月頃から原さんが依頼を受けたVersion Betaというプログラムの設計プロジェクトの応援要請が私にありました。

  原さんは私の先輩で以前一緒に仕事をしたこともあったので、快く承諾し、私のユニットから彼さんと八戸さんを応援に出しました。

  私がVersion Betaの会議に出席して、プログラムの仕様を確認し、仕事の配分を考えて、彼さん、八戸さんに割り振っていたので、彼さん、八戸さんに対する具体的な仕事の指示は原さんではなく、私が出していました。

  なので、社内でのVersion Betaの進捗会議で彼さんと原さんが一緒になることはありましたが、特に会議以外の場で原さんと彼さんが一緒に仕事をすることはなかったことから、そこまで接触はなかったと思います。

  彼さんにはメンタルの問題もあり、別のユニットに所属していた原さんはそのあたりの事情をあまり知らなかったこと、原さんがきっちりした性格だったことから、原さんと彼さんが仕事上接触することがないように私が配慮をしていました。

  なぜ、メンタルの問題があり、補助業務をお願いしていた彼さんをVersion Betaの応援要員にしたかと言いますと、当時彼さんにお願いしていた業務が一段落して、彼さんが抱えている業務がなかったこと、Version Betaの作業工程が比較的少なく難しいプロジェクトでもなくて、仕様も発注者である日立金属株式会社電線工場の職員と会議を行いながら決定していくことから彼さんでも問題なくできるだろうと考えたからです。

12.彼さんにはユニットに所属するメンバーの補助業務をお願いしていたので、ユニットメンバーと業務上の関りが常日頃あったことから、社内で孤立しているという状態ではなかったと思います。

13.平成21年4月から同年6月頃までは彼さんは主に北嶋さんの仕事を手伝っていました。

  北嶋さんには、私からメンタルの問題があるので、あまり強く言わないでほしい、仕事上の負荷をかけないでほしい旨を話してました。

  実際、北嶋さんは彼さんに気遣っていて、彼さんに怒ったり仕事の負荷をかけるようなことはありませんでした。

  北嶋さんは穏やかな性格なので仕事で彼さんに怒ることはありませんし、他のメンバーに怒るのを見たこともありません。

  また、彼さんが他のメンバーから怒られるのを見たこともありません。

14.平成21年6月から同年10月頃までは彼さんは私が統率していたユニットのメンバーの補助業務を主にお願いしていました。

  特にノルマがあるような仕事ではなく、業務上の負荷はあまりなかったと思います。

15.平成21年11月頃から彼さんは先ほど申し上げたVersion Betaというプログラムの設計開発プロジェクトに携わっていました。

  Version Betaは、発注者が日立金属株式会社電線工でVersion Betaが放射線に関するプログラムであり、日立研究所内に放射線測定に関する専門の機器があったことから、日常の仕事場所は会社でしたが、頻繁に日立研究所で会議を行っていました。

16.Version Betaというプロジェクトの作業工程はタイトでもなく、普通の作業スケジュールだったともいます。

17.彼さんはVersion Betaというプロジェクトの中でプログラムの論理設計を担当していました。

  具体的にはデータの補正処理関係を主担当として行っていました。主担当と言っても部下はおらず1人で作業をしてもらっていましたがそこまで大きなプログラムではないため1人でも十分に対応可能な仕事内容でした。

18.このVersion Betaというプロジェクトのとりまとめだった原さんがキチっとした人であまり残業せずに仕事をこなす人だったので、プロジェクトに携わったメンバーが連日遅くまで残業したり、休日出勤したことはなかったと思います。

  少なくとも月80時間とか月100時間まで残業するメンバーはいなかったはずです。

19.平成21年4月から平成22年3月頃の一般労働条件は、始業時間 8時40分、終業時間 17時10分、休憩45分、1日の所定労働時間は、7時間45分です。

  土日が休日の完全週休2日制でそのた、旗日も休日となります。

20.会社の労働時間の管理方法についてお話します。

  会社での労働時間はパソコンに打鍵入力する「勤休システム」で管理していました。

  具体的な管理方法は次のとおりです。

  まず、勤休しすてむには、「開始」欄、「食事休憩」欄、「終了」欄があり、「開始」欄には、特に早出残業がなければ所定始業時間が自動的に登録されます。早出残業があれば早出した時間を入力すればその時間が登録されます。

  「食事休憩」欄は、休憩時間45分が自動で入力されるので特に打鍵入力しません。

  「終了」欄には仕事を終えた時間、つまり終業時間を入力します。

  終業時間を入力後、「申請」ボタンを押下すると「承認者」に入力データが送付されます。

  承認者は内容を確認し、問題なければ承認します。

  承認者は、申請者が管理職の場合は部長でした。

  なので、主任技師である彼さんの残業の承認者は当時の部長だった山崎さんだと思いますが、もしかすると最終承認者が山崎さんで、ユニットを統率していた私が彼さんの残業申請の間に入ってチェックしていたのかもしれません。

  申請した残業時間はすべて承認されていたと思います。

  私から彼さんに対して「残業時間を過少申告するように」と言ったことはありませんし、それは部長の山崎さんも同様でした。

  なぜなら、彼さんも私も仮に残業をしたとしても管理職なので残業代支払対象外だったため、うその申告をする意味がないからです。

  ただ、残業代が出ないからと言って、実際に働いた時間を入力しないことはなく、私も実際に遅くまで残って仕事をしたときは帰った時の時刻を入力していました。

  なお、残業の強制もしたこともありませんし、彼さんについてはメンタルの問題もあったので残業の指示を出したこともありませんでした。

  これは、山崎さんや原さんも同様でした。原さんについては、別のユニットの所属だったので、彼さんに残業を命令する権限がありませんでした。

  また、原さんは所定時間内に仕事を終わらせることを信条とする方だったので、メンバーに残業を指示するような人ではありませんでした。

21.会社は毎週水曜日が定時退庁日で、定時退庁日に残業をする場合には、「残業者氏名報告書」に残業する人の名前を書き、私がまとめて総務部に提出します。

  ただ、定時退庁日は定時退庁が原則でしたので、定時退庁日に残業することはほとんどありませんでした。

  彼さんも定時退庁日に残業することはほとんどなかったと思います。

  また、私が彼さんへ確認を取らずに勝手に彼さんの名前を残業者氏名報告書に記載し、総務部に提出したことはありません。

  これは、他のメンバーに対しても同様です。

22.平成21年4月から平成22年3月頃の間に彼さんが残業をすることはほとんどありませんでした。

  彼さんは、夫婦共働きで子どもが2人いるので、家事もやらないといけないことから残業や休日出勤はできないことを彼さんが組み込みハード開発部に配属されて間もない時に面談で私は彼さんから聞いていました。

  そのため、残業は極力させないようにしましたし、休日出勤の命令も出したことはほとんどありませんでした。

  ただ、彼さんは朝早く来て自主的に仕事とは別に英語の勉強を机でやっていたのを何度か見たことがあります。

23.彼さんがコンピュータプログラムの価格が実際にプログラムを設計することにかかった業務量以下に抑えないと会社の赤字となるために自身の申告する労働時間を過少申告するという主張についてお話します。

  結論から言えば、そういった理由で労働時間を過少申告することはありません。

  理由は、2点あります。

  1点目についてお話しすると、担当するプログラムを設計するプロジェクト毎に会社の勤休システムとは別にプロジェクトに要した作業時間を入力するようになっていました。

  このプロジェクト毎に作業時間を入力することを「作番(さくばん)に作業時間を入力する。」と言います。

  例えば、Aというプロジェクトの作番に対して実際には10時間働いたのに、8時間しか作業時間として入力出来ないかというとそういうわけではありません。

  差の2時間は、無作番という庶務作業等にかかった作業時間を入力することとなります。

  よって、実際に働いた時間を入力することは可能であり、勤休システムに入力する時間が制限されるということはありませんでした。

  2点目についてお話しすると、Version Betaのとりまとめだった原さんは実際にプログラムの設計及び開発にかかった業務量についてはきちんとプログラムの価格に乗せるタイプの人だったからです。

  実際の業務量がプログラムの価格を上回った分は発注者に対して要求するタイプの人でしたから、彼さんの言っていることを理由としてサービス残業をすることはなかったと思います。

  また、Version Beta自体がそこまでタイトなスケジュールではなく、関係者である日立金属株式会社電線工場、日立研究所ともに付き合いのある会社なので、作業工程の圧縮を要請されたり、作業が遅れた場合の価格への転嫁を拒むような会社ではなかったとことから、彼さんが言うように残業を暗に強制されるような状態ではありませんでした。

24.Version Betaの作業工程はタイトではなかったのですが、彼さんが担当していたプログラムがうまく作動せず、作業が止まったことがありました。

  その理由を検証するにあたり、納品時期が迫っていたことから一度私が彼さんに「土曜日に出勤して一度検証してみましょう。」とはなしました。

  確か平成22年3月中旬だったと思います。

  私が土曜日の午前10時頃出勤すると私の机の上に、「もうできません。」という内容の書置きがあり、以降彼さんは出勤しなくなりました。

  この日以前に彼さんに休日出勤を指示した日はゼロとは言いませんがほとんどなかったと思います。

  理由は先ほど申し上げたように休日出勤ができないことを彼さんから聞いていたからです。

  彼さんは平成21年4月から平成22年3月まで休日出勤は多くとも片手で数えても事足りる程度だったと思います。

  なお、私は平成21年から平成22年にかけて忙しかったこともあり、休日出勤することが度々ありましたが、休日出勤時に彼さんを見たことはありません。

25.彼さんの体調面の変化についてはよくわかりませんが、組み込みハード開発部に配属された当時から居眠りがあり、不眠症のために病院に通院していたことはよく覚えています。

  通院のために少なくとも月に1度は年次有給休暇を取得していました。

26.彼さんが平成22年3月以降休職するに至った原因については、彼さんにまかせたプログラムがうまく作動せず、みんなでうまく解決しようと模索したことが、本人からすると逆にプレッシャーを感じてしまったことがげんいんではないかと思います。

  なお、プログラムがうまく作動しないことはよくあることで、それを確認するために検証を行い、みんなで解決することがコンピュータプログラムの設計開発上必要不可欠なので、べつに彼さんができない人だとか悪いだとか言う人もいませんでした。

  ただ、彼さんが主任技師という役職であることから、自身が作成したプログラムがうまく作動しないことについてみんなが解決しようとする様子を見て引け目を感じたのかもしれません。

27.彼さんは出身が北海道で私も北海道出身だったこともあり、きさくに話をしましたし、そこまで正確kに問題があるとは思いませんでした。

  朝早く出社して仕事ではありませんが、英語の勉強をしているところからも向上心が強いのだろうなという印象でした。

  特段、組み込みハード開発部に馴染んでいないとか、爪はじきにされていたといったことはありませんが、彼さんが以前いた部署の人が何人か組み込みハード開発部にいたのですが、その人達と彼さんが話をしているのを見たことはありません。

  彼さんは勉強も熱心にされていたことからプライドが高いという印象でした。

 

以上 鷹田聡