今回公開するのは、日立産業制御ソリューションズ社員・八戸隆行氏が日立労基の調査に応じた際の公式な聴取記録です。
八戸氏の証言は、一見すると私の勤務実態についての曖昧な印象を並べたものにすぎません。しかし、既に公開した北嶋務氏の聴取書と比較すると、両者の証言内容が驚くほど一致していることに気づかされます。
たとえば――
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「居眠りをしていた」
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「休みがちだった」
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「仕事を任せられない雰囲気だった」
というような表現が、まるで**テンプレートのようにコピーされたかのごとく繰り返されているのです。
特に注目すべきは、両者ともに「私が平成22年3月から休職したことを知らなかった」と述べている点です。これは、会社が故意に私の体調不良や休職の事実を他の社員に伏せていたことを示唆しています。病気による休職という重大な出来事を、同じプロジェクトに関わっていた社員が知らないというのは、通常ではありえないことです。
さらに、両者ともに私の「残業時間は月100時間もなかった」との印象を述べていますが、これは**実際の記録や裁判で認定された数字(113時間)**とは食い違っています。つまり、企業側が同じ文言を共有し、聴取に対して“準備された証言”を行っていた可能性が高いということです。
このような“示し合わせ”による対応は、真実を歪め、被災者の立場を一方的に不利にする重大な問題です。特に労働災害の認定においては、こうした偏った証言に基づいて判断が下されてはならないのです。
次回は、聴取の中心人物である鷹田聡氏の証言記録をもとに、さらなる矛盾と不自然な企業対応を追及していきます。
📄【添付資料】
→「八戸隆行 聴取書」(日立労働基準監督署 作成)
聴取書
被聴取者氏名:八戸隆行(はちのへ たかゆき)
聴取者:日立労基 金丸 友博
聴取場所・日:日立産業制御ソリューションズ茨城本社、平成29年7月13日
- 私は平成3年に日立産業制御ソリューションズ茨城本社に入社し、現在の所属は日立産業制御ソリューションズ茨城本社の品質保証部ですが、日立製作所国分工場へ派遣され、そこで働いています。
これから、日立産業制御ソリューションズのことは単に「会社」と呼ぶこととします。
- 私が平成21年4月から会社の組み込みハード開発部においてともに仕事をしていた彼(かれ)さんのことについて私の知っている限りのことをお話します。
- 私は入社当時から平成25年ころまでの間、組織改編などがあり部署名は若干変わりましたが、会社の組み込みハード開発部という部署において、平成21年~平成22年当時、主に車のカーナビゲーションシステムのプログラム論理設計に関する仕事をしていました。
役職は技師で、管理職相当ではありませんでした。
平成21年~平成22年当時、組み込みハード開発部には30名ほど従業員が在籍していました。
組み込みハード開発部は会社の4階にあり、同じフロアには組み込みハード開発部の他に複数の部署が入っていたので計100名くらいが同じフロアで働いていました。
- 彼の仕事内容についてお話します。
これから、彼のことは単に「彼」と呼ぶこととします。
彼は、平成21年4月から組み込みハード開発部に配属となりました。
配属前の部署はわかりません。
仕事は、部署を移ってきて間もないこともあり、組み込みハード開発部に元々いた人の補助的業務を行っていたと記憶しています。役職は主任技師で会社では課長相当職に当たります。
- 彼の仕事時の様子についてお話します。
私は仕事上で彼とやりとりがあったわけではありませんので、彼の仕事内容の詳細についてはよくわかりません。
- 彼が組み込みハード開発部に配属されたときに当時の上司から彼が配属前にメンタルの問題で会社を休んだ時期があったという話をちらっと聞きました。
ただ、私は仕事上、彼とやりとりすることはなかったので、メンタルの問題に関する詳細についてはわかりませんが、当時の上司は」「メンタルの問題があるのであまり仕事を任せることはできないな。」と話していたと記憶しています。
- 北嶋務(きたじま つとむ)さんと彼との仕事上のやりとりの内容はよくわかりません。
北嶋さんは穏やかな性格なので仕事上で彼に怒った場面を見たことはありませんし、そういったことはなかったと思います。
ただ、彼は終業時間中にウトウト居眠りをしていたり、休みがちだったので、北嶋さんが「彼にはあまり仕事を任せることはできないな。」と話していたと記憶しています。
- 今ほど申し上げたように彼はメンタルの問題があり休みがちだったので、あまり仕事を任せられる状況では無かったと記憶しています。
そのため、彼の残業時間がゼロとは言いませんが、連続して何日も遅くまで残業していたことはなかったと思います。
私が帰社する際に彼がまだ席に座っていることを見たことは何度かありましたが、そこまで頻繁ではなかったと思います。
そのため、彼の残業時間について詳しくはわかりませんが、印象としては月80時間だとか月100時間まで残業していたということはなかったと思います。
- 彼から私生活上の相談を受けたことはありません。
業務関しては簡単なプログラムの質問を受けたことはありますが、仕事で悩んでいるだとかそういった相談を受けたことはありません。
10.平成21年4月以降の会社の一般労働条件についてお話しします。
始業時間 8時40分
終業時間 17時10分
休憩 45分
1日の所定労働時間は、7時間45分です。
土日が休日の完全週休2日制でその他、旗日も休日となります。
11.会社の労働時間の管理方法についてお話します。
会社での労働時間はパソコンに打鍵入力する「勤休システム」で管理していました。
具体的な管理方法は次のとおりです。
まず、勤休システムには、「開始」欄、「食事休憩」欄、「終了」欄があり、「開始」欄には、特に早出残業が無ければ所定始業時間が自動的に登録されます。早出残業があれば早出した時間を入力すればその時間が登録されます。
「食事休憩」欄は、休憩時間45分が自動で入力されるので特に打鍵入力しません。
「終了」欄には仕事を終えた時間、つまり終業時間を入力します。
12.終業時間を入力後、「申請」ボタンを押下すると、「承認者」に入力データが送付されます。
承認者は内容を確認し、問題なければ承認します。
承認者は、鷹田聡(たかだ さとる)さんだったと思います。
申請した残業時間はすべて承認されていたと思います。
申請後に、承認者から「残業時間を過少申告するように」といった指示を受けたことはありません。
また、残業の強制もありませんでした。
会社は毎週水曜日が定時退庁日で、定時退庁日に残業する場合には、「残業者氏名報告書」に残業する人の名前を書き、総務部に提出します。
ただ、定時退庁日は定時退庁が原則でしたので、定時退庁日に残業することはほとんどありませんでした。
彼も定時退庁日に残業することはほとんどなかったと思います。
13.平成21年11月頃からVersion Betaというプログラムの設計開発プロジェクトに私と彼が携わっていたことは記憶しています。
このプロジェクトは、日立製作所日立研究所が発案しました。
プロジェクトの中身は私の記憶によるとVersion Betaというコンピュータのハードウェアの設計及び開発のことで、Version Betaというハードウェアの前身となるハードウェアを組み込みハード開発部の原賢治(はら けんじ)さんが開発したため、日立製作所日立研究所からノウハウのある組み込みハード開発部に対して「いっしょにハードウェアの設計及び開発を行ってくれないか。」と要請がありました。
そういった経緯から、日常の仕事場所は、会社でしたが、頻繁に日立製作所日立研究所で会議をおこなっていました。
14.Version Betaというプロジェクトの作業工程は特にタイトというわけではありまえんが、少し頑張らなければならない程度のスケジュールだったと思います。
15.彼がVersion Betaというプロジェクトの中でどういった作業を行っていたのかの具体的な中身はわかりませんが、印象としては主任技師という課長相当職という立場から見ると少し物足りないとは感じていました。
16.今ほど申し上げたようにVersion Betaのスケジュールは特にタイトというわけではありませんが、少し頑張らないといけないくらいのスケジュールだったわけですが、このプロジェクトのとりまとめだった原さんがキチっとしたひとであまり残業せずに仕事をこなす人だったので、プロジェクトに携わったメンバーが連日遅くまで残業をするといったことはなかったとおもいます。
少なくとも月80時間とか月100時間まで残業するメンバーはいなかったはずです。
17.彼がコンピュータプログラムの価格が実際にプログラムを設計することにかかった業務量以下に抑えないと会社の赤字となるために自身の申告する労働時間を過少申告するという主張についてお話します。
結論から言えば、そういった理由で労働時間を過少申告することはありません。
理由は、2点あります。
1点目についてお話しすると、担当するプログラムを設計するプロジェクト毎に会社の勤休システムとは別にプロジェクトに要した作業時間を入力するようになっていました。
このプロジェクト毎に作業時間を入力することを「作番(さくばん)に作業時間を入力する。」と言います。
例えば、Aというプロジェクトの作番に対して実際には10時間働いたのに、8時間しか作業時間として入力できないかというとそういうわけではりません。
差の2時間は、無作番という庶務作業等にかかった作業時間を入力する作番に対して実際にかかった作業時間を入力することとなります。
よって、実際に働いた時間を入力することは可能であり、勤休システムに入力する時間が制限されるということはありませんでした。
2点目についてお話すると、Version Betaの取りまとめだった原さんは実際にプログラムの設計及び開発にかかった業務量についてはきちんとプログラムの価格に乗せるタイプの人だったと思うからです。
実際の業務量がプログラムの価格を上回った分は発注者に対して要求するタイプの人だと思いますので、彼の言っていることを理由としてサービス残業をすることはなかったと思います。
18.ただ、私は残業代が支給される一般従業員なので、課長相当職の主任技師であり、残業代が支給されない彼がどのように判断して残業時間を勤休システムに入力していたかはわかりません。
19.彼が鷹田さんや原さん含め他の組み込みハード開発部の人から叱責されたり大声で怒鳴られたりしたことを聞いたことはありません。
20.鷹田さんは面倒見のいい方で、彼に鷹田さんが直接声掛けをしたところを見たわけではありませんが、私が傍らから見た限りでも彼に業務で負担をかけまいと気にしている様子は見受けられました。
原さんは、面倒見の悪いほうではないが、少し事務的な態度で人に接するところがありました。
しかし、彼に業務上の負担をかけたりはしていませんでした。
21.彼の体調の変化については気づいたことは特にありません。
ただ、休みがちでVersion Betaの工程時にも頻繁に休んでいたと記憶しています。
22.彼が平成22年3月以降休職したことについては今回聴き取りの話を伺って初めて知りました。
休みがちの人だったので、あまり彼のことは気にしていなかったというのが正直なところです。
23.彼の性格面については交流がなかったのでよくわかりません。
私や北嶋さん、鷹田さん、原さんは以前から組み込みハード開発部で一緒に仕事をしていたのですが、彼は平成21年4月から配属されてきて、社交的じゃない性格なのかあまり組み込みハード開発部のメンバーとなじめていないようすでした。
彼も周りに話し掛けることがなかったと思うので、組み込みハード開発部のメンバーとあまり交流を持ちたくないのかなという印象でした。
24.率直に言うと彼が業務上のプレッシャーを受けた様子はありませんでしたので、彼は単に仕事が嫌で平成22年3月以降休職したのだろうと思います。
以上 八戸隆行