トランス女性の権利は? 英最高裁が残した重い問い、現場から考える
時計台「ビッグベン」で知られる英国会議事堂を見つめる形で、1人の偉人の像がたっている。
女性の参政権獲得のために奔走した経済学者、ミリセント・フォーセット。死去1年前の1928年、英国では男女平等の参政権が認められた。
それから1世紀近く。2025年4月16日朝、像の前には「女性の権利」を訴える女性たちの姿があった。《女性は生まれるものだ》。手に持つ紙片には、そう記されている。
像の背後にある最高裁はこの日、2010年成立の平等法に基づく保護を受ける「女性」について「生物学上の女性」とする判断を下した。
7年前、スコットランドで始まった
訴訟の発端は、18年にさかのぼる。
スコットランド議会が、公的機関・団体における女性役員の割合を増やすことを目的とした法律を可決。その後、「女性」には「ジェンダー認定証明書(GRC)」を持つ者も含まれた。
GRCは04年成立の「ジェンダー認定法」に基づき、医師に性別違和と診断され、2年以上自認する性で暮らしていれば取得することができる。
これに対し、生物学上の性差を重視するスコットランドの女性団体「フォー・ウィメン・スコットランド(FWS)」が異議を唱えた。「平等法上の『女性』は生物学上の女性で、スコットランドの法律はそれに反する」
スコットランド政府を相手取った訴訟が提起されたが、22年の一審も23年の二審も、FWS側の主張を退けていた。
英国は、ジェンダーに基づく差別をなくす取り組みを長らく続けてきた。ただ、スコットランド議会が22年に性別変更手続きを簡素化する法案を可決したり、24年にトランスジェンダーへのヘイトクライム(憎悪犯罪)を明示的に禁じる法律が施行されたりした際には、大きな反発を呼んだ。
最高裁の判決は?
5人の最高裁判事はどのような判断を下したのか。主文はこうだ。
「全員一致で、原告(FWS)の主張を認める。平等法上の『男性』『女性』『性別』という用語は、生物学上の性別を意味する」
争点となった平等法は、性別や性的指向による差別を幅広く禁じる。1975年の性差別禁止法や、99年の性差別規制といった過去の法令をもとに練り上げられたものだ。
最高裁は判決で、過去に規定されてきた「男性」「女性」は生物学上の性別だったと強調。また、現状では単一の性別を対象にした宿泊施設や教育機関、スポーツ分野や軍隊において「混乱と実行不可能性」が生じていると指摘した。
そして、GRCの保有を平等法上の性別に結びつけることは「正しくない」、スコットランド政府の解釈は「誤りだ」と断じた。
「『性別』を認定された性別と解釈することは、『男性』と『女性』の定義を横断することであり、従って、保護される性別という特性も無秩序に横断することになる」
「女性専用、まさにそれを意味するように」
スマートフォンで判決を聞いていたフォーセット像前の女性たちは、叫びにも似た歓声をあげた。原告団体のFWSの幹部らはシャンパンを開け、グラスで乾杯した。
スーザン・スミス共同代表は取材に「これまで多くの人が平等法を誤解しており、男女別スペースの運営は本当に、本当に大変だった」と訴えた。「でもいまは、『女性専用』と書かれていたら、まさにそれを意味するとはっきりした」
最高裁は一方、判決がもたらす影響を懸念していることも示唆した。
要旨を読み上げた判事はトランスコミュニティーについて「尊厳を持った生活を模索しながら、攻撃されやすく、しばしばハラスメントを受けるマイノリティーであり、差別や偏見にもがいている」と述べた。平等法のもとではGRCの保有にかかわらず、トランスジェンダーの人びとも差別から保護されると告げた。
無視された「自分らしく」
それでも、判決に対しては不安の声が上がる。
当事者団体は声明で「自分らしく生きる、自分らしく認められるべきだということが完全に無視された」と嘆き、「本当にショックだ」とした。性的マイノリティーの支援団体は「深い懸念を共有している」といい、判決を精査し、性的マイノリティーが法の下の平等を得られるよう、尽力すると表明した。
今後、判決が独り歩きし、「反トランス」的な風潮をあおることになるのか、あるいは最高裁の懸念も含めて正確に理解され、トランスジェンダーの人びとの権利保護の動きにつながるのか。
それは、政治の力にもかかっている。
現政権を担う労働党は昨年の総選挙に向けた公約集で、04年のジェンダー認定法を「時代遅れで、押しつけがましい」とし、性別変更プロセスを簡素化することを誓っていた。だが、世論調査では近年、法的・社会的なジェンダーの変更に対して否定的な声が大きくなっており、公約の実現はむしろ遠のいている。
政府が判決後に出した声明はわずか3文。「単一性別を対象にした空間は法で守られており、これからも政府によって守られる」。トランスジェンダーの人びとの権利には触れず、できる限りこの議論から距離を置きたい意向が透けて見える。
フォーセット像は両手に、彼女が残したとされる格言を掲げている。《勇気は、随所で勇気を呼ぶ》。声を上げることは確かに、どこかの誰かの共鳴につながる。ただ、その「勇気」が曲解されて、結果的にどこかの誰かを傷つけることがあっていいのか――。
判決は、そんな重い問いも突きつけている。
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- 【視点】
トランスジェンダー当事者の友人から、悲観の声と共にこの判決に関するニュースをシェアされて判決文を読んだ。 しかし私は、良い意味でも悪い意味でも、特に驚くことなく冷静にこの判決を受け止めている。 それは主に、以下の二つの理由による。 まず、この判決は、平等法における「sex」が何を指しているかという点において生物学上の性であると判断してはいるものの、そんなことは私の立場からすれば、裁判所に言われるまでもなく、ある意味分かりきったことであるからだ。 もともと「sex」というのはそういう意味であるし、性別移行によって別に生物的な性別が変わるわけでないのも分かっている。いちいち言われなくても。 とりわけ性別適合手術を経ていないトランスジェンダー女性の場合、裸になる場所や刑務所など身体特性が問題となる局面においては、「生物上の女性」と常に全く同じように扱えるわけでなく、合理的な区分けが求められることもまた、法律実務家として現場で対応している私からすれば、ある意味当然のことであったからだ。 むしろ法的性別の変更要件が緩和され、法的性別と生物学上の性別(sex)とが乖離すればするほど、そのような方向に傾かざるを得ないであろうことも私からすれば想定内である。 ただ、問題は、生物学上の性別のみをもってトランスジェンダーの女性を殊更に男扱いしたり、あるいは嫌がらせしたりすることである。 記事の本文中にもあるように、判決文も、別にこの判決によってトランスジェンダーへの差別が正当化されるわけではないことに言及している。 現在、ネット上を中心に、あまりにも酷いトランスヘイトが吹き荒れているが、そのような行為にお墨付きを与えるものではない。 トランスヘイト的な人々がこの判決で喜んでいる様子が散見されるが、その点はよく肝に銘じておくべきだろう。 そして第二に、これは日本とは言語も宗教的価値観も法制度も社会状況も異なるイギリスでの判決であって、日本とは前提状況を異にするという点である。 英語では「性別」を表す言葉として「sex」と「gender」という主に二つの言葉があるが、日本ではそのあたりが言語的に未分化である。 また私は、必ずしも英米のあり方が「進んだ西洋の価値観」で、日本のあり方が「遅れたアジアの価値観」であるとは考えていない。 むしろ昨今はトランプ政権下でのアメリカから日本に逃げてきたいというトランス当事者の声すら聞く。 もちろん、日本は現在、同性婚もできず、ジェンダー平等指数も目も当てられない状況であるように、改めなければならない部分は非常に多い。 しかし、日本は制度的な面では英米に比べて後発的であるぶん、英米の制度を直ちに「真似」しようとするのではなく、良い面も悪い面も踏まえた上で、日本の社会状況や法制度にアジャストした形で「参考」にしながら制度を考えていくべきだろう。
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