弱者の味方にはなるまい。
自分史上最強の自分になるため、一度に大量の人間にメシを奢ろうと思って「俺に奢られたいヤツは渋谷にカモン」と招集をかけた。直前の告知にも関わらず、ハチ公前には三十三人が集まった。大見得を切ったものの、金なんて全然なかったから「はなまるうどんに行こう」と提案した。それとなく「お前ら全員百円のかけうどんを頼めよ」と圧をかけた。現在の値段は知らないが、当時は百円でうどんを食えたのだ。三千円ちょっとで三十人に奢った武勇伝を買えるなら安いと思った。
参加者全員百円のうどんを頼む姿を見ながら「よしよし」と思った。いい子たちだ。しっかり躾られている。と、そこに「遅れてごめんなさい!!まだ間に合いますか??」と一人の女性が来た。私は、武勇伝を安く買えたことに気をよくしていたので「どうぞどうぞ」と快く受け入れた。圧をかけるのを忘れたので、女性は「ぶっかけうどんの大盛りと、ゲソの天ぷら」をオーダーした。それを見て、一同驚愕した。普通のオーダーをしただけなのだが、圧力から自由であった彼女は、自分のやりたいことをやっただけで英雄になった。
後日、こども食堂を運営しているお母さんに会った。素晴らしい活動だと思うが、なんだか真面目でギスギスしていた。顔面が険しい。お母さんに一番余裕がないと思った。誰かを救いたいと思うお母さんが一番救われるべき存在に見えた。旦那とレスなんだろうなと思った。満たされない女の部分を立派な人間になることで埋めようとしているように見えた。エネルギーが全然違った。はなまるうどんでは楽しいを食べていたが、こども食堂では正しいを食べているみたいで窮屈だった。
こども食堂は「困っている人の力になる」という理念があるのだと思う。私は、誰かの力になることよりも「幸せな俺を見て幸せになれ」と思う。誰かが楽しんでくれた姿を見て安心するのではなく、最初に自分が楽しんで、俺から溢れた楽しさが周囲の人間にも伝わっていく。誰よりも俺が一番楽しんで、俺のおこぼれもお前らにもくれてやる的な、とても偉そうなことを考えている。主催者である我は王なり。参加者諸君は平民なり。平民のお前らに、王が直々に幸せを分配してやるから有り難く受け取れと思うくらいには生意気だ。
やり方としては正しくない。だが、楽しい。言うまでもないことだが、参加者諸君には反旗を翻す自由がある。私をギロチンにかける自由がある。ジーザスも「持てる者はますます富み、持たざる者は更に失う」と言っている。綺麗事を好む人は「それじゃ困る!正直者が救われる世界を!」と言うのだろうが、自分を貧者だと思うと貧者になる。自分を王者だと思うと王者になる。私は、弱者の味方にはならない。好きな人の味方になる。一緒にいて楽しい人の味方になる。誰かのためとか言う人ほど、簡単に「誰かのせいで」と言う。恩や情の裏側には罪悪感がある。罪悪感で何かをやる人間を信じない。喜びで動く人間を愛する。
おおまかな予定
5月9日(金)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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