令和人国記

「考える土壌を育みたい」 北海道苫小牧市・山田香織さん たった1人で月刊新聞「ひらく」発刊

「これからもニュースの〝グレー〟な部分を発信していきたい」と話す山田香織さん=北海道苫小牧市(坂本隆浩撮影)
「これからもニュースの〝グレー〟な部分を発信していきたい」と話す山田香織さん=北海道苫小牧市(坂本隆浩撮影)

北海道の海の玄関口、苫小牧市。人口約17万人の工業都市で生まれ育った山田香織さん(40)は5年前、「紙の街の小さな新聞社ひらく」をたった1人で立ち上げた。15年の記者経験から「多くのニュースには白黒つかないグレーの部分があるが、それらは報道される機会が少ない」と山田さん。「発信によって地域全体が考える土壌を育みたい」と語る。

大変だった駆け出し

生まれも育ちも苫小牧。子供時代は内気な性格でした。慢性中耳炎で聴力が弱く、周りの会話などが聞こえず1人でいることが多かった。高校生の頃まではそんな感じでしたが、25歳で地元新聞社の記者になってからさまざまな世界があることに気付きました。あちこち出向いて人に会い、話を聞くことで、この地域で何が起きているかを知るようになったからです。

故郷を意識するようになったのは富山県内の大学を卒業し、苫小牧に戻ってきてから。学生時代はアルバイトをしながらの独り暮らし。どこかで寂しさを感じていたようで、帰ってきて「人は生まれ育った土地に縛られるものなんだ」と気付きました。

富山の画廊で1年ほど働いて24歳の時に帰郷。その翌年、郷土紙「苫小牧民報」の記者になりました。当時は新聞記者の仕事をよく知らなくて「好きな絵画のことに携われるかな」ぐらいに思っていた。だから実際に仕事を始めてからは本当に大変だったですね。人に話を聞くことが慣れていないので、会話をすることに疲れてしまう。最初の数年はそんな具合。取材相手の言葉を文章でうまく伝えられず、自己嫌悪になった日もありました。

「面白い」が変化

新聞記者になって今年で15年目。今は仕事の面白さが上回っていますね。知れば知るほど「知らないこと」が増え、世界は手が届かないほど広いことを実感しています。大切にしているのは「多くの人が知らないことを伝えること」。それが社会に伝わり、世の中が変わるきっかけになれば面白い。そんな手応えから自分で伝えていきたいと思うようになりました。

その半面、伝えることの責任も感じます。取材をすると白黒のつかない〝グレー〟な内容も出てきますが、多くの情報媒体はそこに触れないという現実がある。これらの情報は物事が良い方向に変化する原動力になる可能性があるだけに、私自身は取りこぼさないようにしていきたい。

新聞社を立ち上げてからは決してバラ色ではなく、厳しさを日々、実感しています。全国紙や地方紙、地域紙と比べて圧倒的に発信力が弱いですから。それでも読者から反響をいただくとうれしい。小さなことを丁寧に、コツコツと積み重ねていきたいですね。

地域の懸け橋に

10年以上、この街を取材していますが、ここ5年ほどは若い世代の動きが活発です。ただ楽しいだけではなく、生活しやすい街にするにはどうしたらいいかという視点を持って、イベントや「子ども食堂」などの福祉、単身高齢者の見守りなど幅広い分野で取り組みが進んでいる。地域住民が支えあう活動が広がっている気がします。そんな若い世代を取材したいんですが、候補者が多すぎるのが悩みの種。紙面には3人ぐらい登場してもらいたくても私一人では物理的に限界がある。そこは葛藤ですね。

苫小牧市は渡り鳥が飛来するなど豊かな自然があるほか、かつては交易の中心地だったという歴史もある。多くの可能性を秘めているこの街で、懸け橋のような存在になりたいと思っています。(聞き手 坂本隆浩)

やまだ・かおり 昭和57年、北海道苫小牧市生まれ。平成17年、富山大卒。苫小牧民報社の記者を経て30年3月、「紙の街の小さな新聞ひらく」を創刊。令和2年、「第2回むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞優秀賞」を受賞。

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