わたしが初めてあの人に会った時、懐かしいような不思議な感覚があった。久しぶりにあったかのような、街で見かけたのを思い出したかのような、こそばゆくて不思議な感覚があった。
呼吸が僅かに止まった。
身体が硬直して動けなくなった。
その動揺はどうして起きたのか理解できなかった。
会ったことはないのに、初めて聞いた声に、整った顔立ちに綺麗な藍色の瞳に私は言葉が出なかった。それを見透かしたかのように笑うその人は手を差し伸べた。
『──俺はノーグ。よろしくな、風の申し子』
何処か精霊の気配がしたのは、あの人も感じ取ってたと思う。気になって聞いてみたら、冬の大精霊ヴィルデアと混ざり合った存在らしく私のお母さんの事も少し知っているらしい。
実際に少しだけ話してくれた。
覚えていること、知っていることを聞いたけれど相違はなかった。この人はお母さんに会っている。
孤独感が少しだけ薄れた気がした。
私と同じ境遇の中を生きていると思ったから。同じ境遇で、同じ眼をした絶望から剣を握った人だと思ったから。
お母さんは言っていた。
英雄が迎えにきてくれなかったら剣を取って戦わなきゃいけないって。全部無くしてしまわないように、細腕でも弱くても英雄のように戦わなくちゃいけないって。
──誰も助けてくれなかった。
叫んでも苦しくても泣き続けても私の前に英雄は現れてくれなかった。
──泣き叫ぶ私を助けてくれる人はいない。
心に黒い炎を宿して、泣き腫らしながらも私は剣を取った。
──仇を討て。
憎悪を抱えて強さを求めた。全てを取り戻す為に。
──黒い炎に身を委ねて。
真っ白なドレスも要らない。護られるだけのお姫様はもう死んだ。
ただ『 』を殺せる強さを求めて剣を握った。
だから惑わされない。こんな偽りの家族に私の信念は揺るがない。揺らぐはずがなかった。それがブレてしまえば全部が台無しになる。
この苦しい思いも、抱えた憎悪も薄れてはいけないからそれを否定したかった。その安らぎを他の誰かで埋めるような真似をすれば過去の裏切りになると思ったから。
だから……私は英雄を待たない。
もう英雄に期待なんてしない。
『───────』
でも、一つだけ。
たった一つの想いを。
子供の誰もが抱えるようなありきたりな願いを私はこの人に預けた。
★★★★★
黄昏の館の庭に風が吹く。
暗黒期と呼ばれたこの時代に似合わない快晴の中、木剣の音が鳴り響く。金色の少女は芝生の上で息を切らしながら剣を両手に構えて、目の前の蒼を見つめる。
「右、上、左、正面、左斜め」
「っっ、うぐっ……!」
指示を出しながら剣を振るうノーグの攻撃を剣で受け止めるが、最後の左斜めの攻撃に弾かれたように宙を舞い、地面にバウンドして肺に溜まった息が吐き出される。
芝生に転がっては直ぐに立ち上がって剣を振るうが、木刀が鍔迫り合っても音が鳴らないほど優しく受け止められ、押し返される。
「力で対抗するな。ステイタスの差や体重の差は埋められない。逸らして次の手を口に出す前に予測しろ」
「っ、もう一回!」
「いい子だ。その気概は嫌いじゃない」
指示を聞いた0.5秒後に
レベルに合わせた攻撃ではなく格上想定の力、傷付くのを恐れて無茶をさせてくれない存在に比べて、ギリギリ傷付いても問題ない程度に無茶をさせてくれるノーグと相性が良すぎた。
「あ、ぅっ……!」
「っと、少し休憩にするか?」
「……まだ、やれる」
「分かった。次が終わったら一度水分補給だ」
アレから半年が経った。
アイズは順当に成長していっている。自制こそ難しい部分はあれど、半年前に比べれば周囲を見れるようになってきた。
実際にダンジョンでモンスターを殺すより効率のいい訓練にアイズも不満などなく、対人戦を鍛えられる上にいつも以上にステイタスが上がる。その上スパルタであれど此方の心境を感じ取って最適な強さで打ってくれる。それもマンツーマンで教えてもらえるという贅沢環境に熱心に取り組んでいた。
★★★★★
「ぐっ……!」
「フィン、搦手は得意分野だけど大胆さがあっていい。もっと踏み込めよ。逆にガレスはもう少し搦手やフェイント入れろ。自分以上には通じねえぞ」
「二人がかりで抑え込むことすら出来んか…!」
「それはお前らの鍛錬不足だろうが。ヘラだと毎日真剣で殺し合い。吹っ飛ばされて1秒以上寝転がると剣が飛んできたぞ」
「いやそれは怖すぎるんだが!?」
あの人は強かった。
このファミリアの中で偉い人達が二人がかりでも倒せない。それどころか技の冴えや相手がどう来るかわかっているかのように冷静に対処する。秘訣は眼にあるとか言っていたので観察し続けている。
「せいッ──!!」
「ぬぅおおおおッッ!!!」
「アホか、どっちも隙だらけだ」
ただ、規格外過ぎて何も分からない。
筋肉の動きから先を読んでいる…ように見える。動き出しの時には既に行動を決めて、防ぎ方を工夫して相手の攻撃を誘導している…んだと思う。ステイタスに差があり過ぎて全く見えないが、息を切らしてる二人を前にため息混じりで呆れた顔をしているあの人を見て、そんな隔絶した差があるように見えた。
「分かっていたが、お前ら普通に弱いな」
「
「違う。その程度で満足してるのは物申したいが、根本的なスペック以上に
「!」
「怪物相手なら問題なくても対人の格上と戦うなら駆け引きが足りてねえ。持ち得る手札だけで挑もうとするから然程怖くない」
Lv.5でも間違いなく世界有数の存在、私から見ても攻める二人に無駄な動きは少ないと思う。見ている人を魅せるくらいの技はある。けど、格上と戦うなら弱いとあっさり言ってのけるあの人に私は拳を握り締めて震えた。
英雄に最も近い男。
そう言われているあの人とほんの少しだけお父さんが重なる。今、私は多分恵まれているのだと痛感する。モンスターと戦う時、ものすごく
「一番怖いのは
「……言ってくれる。【魔槍よ、血を捧げし我が額を穿て】!」
「クソ生意気になりおって!骨の一、二本は覚悟せい!!」
「それでいい。来い」
その後、二人は骨を何箇所か折られた。
綺麗に折ったおかげでおば……リヴェリアの回復魔法で事足りた。
★★★★★
それは懐かしい記憶だった。
目の前に広がる光景。剣を握り、マフラーを靡かせながらも私を守るお父さんの光景。震える私の手を取って優しく抱きしめてくれる私のお母さん。
怪物を目の前に恐れる事なく倒していくその背中が私は好きだった。お父さんは誰よりも強くて、私の英雄だった。けれどお父さんが一番好きなのはお母さんで、いつもズルイと思っていた。
『いつか、お前だけの英雄に出会えるといいな』
そんな言葉に頰を膨らませ、涙目になる過去の自分。
あはは、と陽だまりの中で笑うお母さんと、頭を撫でながら優しく笑うお父さん。だからいつか迎えにきてくれる英雄を見つけて自慢すると意気込んでいた私がいた。
好きだった。
大好きだった。
この光景が、この日々が、この家族が私は何よりも好きだった。
手を伸ばす。足を動かす。
その日々に手を伸ばす。帰れるはずだ。あの現実が夢で、この夢が現実なら私の場所はここにある。
だから帰らなきゃ、私の居場所は──ッ!
『───────』
ばちゃり、ばちゃりと音が聞こえる。走っていた場所が突如消えたかのように体勢を崩し、伸ばした手は地面へと身体ごと倒れ伏した。何が起きたのか私は理解できず、起きあがろうとしたその時。
「────ぇ?」
その光景は赤だった。
赤で染まったその大地の先で、『 』は嗤った。
優しい記憶を獰猛な爪で切り裂いて、英雄であった父と優しかった母の亡骸を黒焔に焚べた。伸ばした光を殺しては、大地を血に染め空から羽虫を眺めるように翼を広げて天を舞う。
怪物は嗤う。
怪物は嘲笑う。
怪物は嗤い続ける。
「嫌ッ……お父…さん……お母さ…ん………!!」
堕ちる。
落ちていく。
血で染まった大地に呑まれるかのように堕ちて、溺れていく。
怪物が嘲笑う中、何も出来ない私は剣を取る事すらも出来ずに落ちていく。
「いや……やだよ……!!」
呼吸が苦しい。
両手で踠いても沈んでいく。
赤の地獄に呑まれて堕ちていく。
「お父さん…お母さん……!!」
二人から遠ざかる。
微かな光は赤に潰える。
望んだ日々はもうお終い。
夢は夢、無情にも現実には二人はいない。戻りたくなくても戻らなくてはいけない悲しい現実と夢の狭間で少女は涙を流しながら叫んだ。
「いかないでッ……!!」
私の夢はここで覚めた。
その慟哭は無情にも、あの人達に届かなかった。
★★★★★
ノーグは睡眠の時でさえ隙がない。
かつて【ヘラ・ファミリア】では絶対に鍵をかけていたが、鍵一つで抑えられる程の耐久性は扉には無く、主に
「────」
暗殺やそう言った事を避ける為の最適解。
身体はリラックスしたまま気配と音に対し違和感を感じ取れるように
スキルのせいでその技術は失われてもいいはずなのに記憶に定着している為、無意識の内に使用してしまうのが癖になっている。とは言え今は暗黒期である為、その行動自体は間違っていないと言い聞かせながら眠る彼の元に、足音が響いた。
「!」
ビクッ、と怯えるような気配だった。
体を起こし、いつでも戦闘できるように側に置いているナイフを手に掴み足音の方向を見るとそこに居たのは。
「アイズ?」
「……!」
金髪の少女が立っていた。
酷く焦燥し、抱えた枕に顔を埋めたままノーグに名前を呼ばれると、僅かな安堵感を溢しては震えた身体をノーグに押し付けるように胸へと飛び込んできた。
一体何があったんだと考えるが、胸の中で顔をグリグリと押し付けるその様子は猫のように見え、原因が察せてしまい苦笑を溢した。
「怖い夢でも見たのか?」
「…………」
「……そっか」
ゆっくりと頭を撫でて「待ってな」と告げては一度部屋を出る。
アイズの夢見が悪い事は多々ある。魘されて、父や母を求めるその様子は見ていて痛ましいと思えてしまうくらいに悲痛な寝言を呟く。だが、夢が怖くなってノーグの部屋まできたのは初めてだった。
心はまだ幼く、その喪失感に耐えられないのは仕方のない話だ。本当なら剣を取らずに陽だまりの中で生きていく事の方が性に合っているというのに、アイズの復讐心はノーグ以上に膨れ上がっている。
数分して部屋に戻ると、ノーグの両手には湯気の立ったマグカップがあった。片方を差し出すと恐る恐るアイズは受け取る。
「ほら、俺特製のホットミルクだ。身体あったまるぞ」
「ん…」
温めたミルクに生姜、蜂蜜、ほんの僅かにウイスキーを垂らした特製のものだ。勿論、アイズが酔っ払わないようにほんの僅かしか入れていない。極微量なら流石に問題ない筈だ。
加熱して直ぐ入れた為、ミルクが熱くて息を吹きかけてチビチビと飲んでいくその様子が少しだけ可愛いと感じた。
「……!」
「旨いか?」
「あったかい……」
「そりゃよかった」
そう言って自分のマグカップを傾ける。
昔、寝付けない時にヘラの副団長に教えてもらった思い出が僅かに蘇る。訓練のトラウマに怯えて寝付きの悪い日には目が覚めてしまう時には彼女は眼鏡をかけて夜遅くまで書類整理をしていた。
『──どうしたっすか少年?寝れないっすか?』
『ほら、私特製のホットミルクっす。めっちゃ温まりますよー』
あの頃飲んだホットミルクには負けるな、と笑う。
肩身が少し狭い中で心身になってくれた人だった。ヘラに向いていないほど優しい性格をしていたが、誰かを奮い立たせるカリスマがあった。母とは違うが頼りになる姉のようで、心の支えになってくれた人であった。
副団長はもういない。
今はもう、支えられる側ではなく支える側になってしまった事を実感すれば何処か感慨深さを感じずにはいられなかった。
「どんな夢を見たんだ?」
「……お父さんとお母さんが、居なくなる夢」
「そりゃ、辛かったな」
「ん……」
決壊したように流れ落ちた涙はもう止まっていた。
孤独感というのはこの世界で最も恐ろしい恐怖だと感じている。進むにせよ、失ったにせよ一人であろうとすればするほど孤独に苛まれる。一人の方が強くなれるかもしれないという矛盾を抱えながらも、やはり誰かを求めずにはいられない。
それはよく分かってしまう。
「……ノーグはどうして強くなったの?」
孤独に支配された少女が問う。
その目には絶望を宿していた。だというのにどうしてこんなにも違うのか。力を求めている。大切なものを奪われた復讐心を宿している。誰よりも強くあろうとしている。
──そして、自分さえも許さないで死にたいと思っている。
自身の父に似ているようで似ていない。
在り方は父よりも自分に似ているように思えて仕方がなかった。
「……早い話は生きる為かな。法の概念ガバガバだし、守られる側にいても死ぬ時は死ぬし」
「それだとかじょー、じゃないの?」
「過剰かもな。けど、今は違う」
窓の外を遠くを見つめ、何かを見据えた眼差しで宣告する。
「『黒竜』を討つ」
「!」
「その為に俺は強くならなきゃいけないんだ」
同じだった。
同じ境遇でありながら
激情に駆られ、黒い炎に身を委ねて怪物を鏖殺する少女と彼では在り方が違い過ぎる。後悔も絶望もありながら、それでも前を向いて失わないように戦っている。
「……ノーグも、なにか奪われたの?」
「家族だよ。血の繋がりはなくても、俺と一緒に戦ってきた
家族、その言葉は重くて憎しみは膨れ上がる。
殺さなきゃいけない。殺さなきゃ永遠に自分が宿す
「お前が『黒竜』を忌避するのは分かる。モンスターへの憎しみも理解は出来る。だけど忘れるな。お前一人で奪い返せるほど優しい存在じゃない」
分かっている。
それは分かりきっていた答えだ。
アレがどれだけ強いのかなんて無力を嘆いた少女には分かりきっていた。幸せを奪った存在の底すら見えない圧倒的な怪物。少女を撫でる彼でさえ太刀打ちすら出来ない。
それでも彼は勝つ気でいる。
勝とうとする為に全力で努力している。
「戦うなら俺もいる。みんなも居る」
「……!」
「忘れんな。いくら強くても一人じゃ何でもは出来ねえんだ。俺でさえな」
奪われた自分だけの戦いではないと。
彼は、狡い言葉を告げた。全てを削ぎ落としてでも復讐を果たそうとするその想いに捨てられない想いを植え付けられた。
誰かの方針に従って足を止めるなんて煩わしいとさえ思うから孤独でも構わないと決意したアイズの心を揺さぶる。一人だけで強くなってもきっと取り返せないことは知っているから。だからと言って足並み揃えて強くなれなくなる事にはなりたくない。
そんな思いを感じ取ったのか、背中を優しく叩いた。
「大丈夫だ。お前の才能は俺が保証するし、早く強くなれる方法も教える。焦るなとは言わないが、少しずつ周りを見て出来る事を増やしていけ」
「……たとえば、どんな事?」
「なんだって構わない。単純な事でも構わない。誰かを想える優しさも、誰かに吐露できる弱さも、誰かと一緒にいたい甘さも、誰かと競い高め合う強さもなんだっていい」
出来る事を増やすのは簡単なようで難しい。
それを見つけるのはアイズ次第で、そのために動けるかはアイズの今後に期待するしかない。子供であるが故に責任を抱え過ぎれば潰れてしまうのは目に見えている。少しずつ馴染んでから他人を思いやる優しさは学んでいけばいい。
「今はまだ弱くていい。弱い事は悪いことじゃない。その時までは俺が護ってやる」
弱さを弱さのままにする事の方が大罪だ。
そんな愚行を見たらアルフィアに殺されると想像の中の灰色の女王を幻視する。植え付けられた限界突破の訓練のトラウマに身体がブルッと震えた。
俯いたまま、アイズはノーグの寝巻きの裾をキュッと握る。視線を移せばその握った手は震えていて、憎しみを宿したように呟く。
「だったら……」
どうして現れてくれなかったのか。
どうして助けてくれなかったのか。
どうしてお母さん達を救う英雄として来てくれなかったのか。
全部不可能な仮定だ。
全部出来るはずのない空想だ。
全部何も出来なかった自分の怒りだ。
責めることも、遠ざけることも少女は出来なかった。
弱さを肯定したら、自分の復讐心がきっと弱くなってしまうから。苦しくても強さから遠ざかる事だけは自分自身が許さない。
だが、それでも望んでいいというのなら──
「お願い……」
それでも、たった一つの願いを。
この弱さだけは否定しても耐えられないことを分かっていたから。子供の誰もが抱えるようなありきたりな願いを告げた。
「……ひとりにしないで」
それがアイズの許した弱さだった。
失った辛さを復讐心として怪物に当たり散らし、本物の思い出を薄れさせないために惑わせようとしてくる偽物の関係を嫌った少女が、彼に願ったたった一つの想いだった。
英雄でなくてもいい。
家族のようにならなくてもいい。
それでも側にいてほしい、抱えた孤独に耐えきれないから。
頰に流れた涙をノーグは掬う。
同じ孤独感ではないし、同情なんて出来ない。
失った気持ちに同じ
一言で分かるなんて、失った痛みを理解した気になるつもりはない。苦しみの在り方はノーグとアイズでは違う。
それでも──
「しないよ」
ただ、辛い時に側に居る。
辛い時に手を握って涙の理由を聞いて、一緒に悩んでは答えを出す。それしかできない優しさでこの子に寄り添って今を歩く。
「俺はお前を置いていかないさ」
それがいつか、この子の救いになる事を信じて。
彼は優しく抱きしめると、胸の中で堪えていた涙と共に嗚咽が溢れた。黒い炎に焦がされて涙を流していた白い少女と重なるように。
夜の星が二人を照らす。
無窮に広がる星々が彼等の在り方を優しく見守っているようだった。