俺はメーテリアが好きだ。
これは今更な話かもしれない。今だから言おうと思う。
俺が冒険者を始めたきっかけは生きたいが為だった。生きる為にはお金が必要だし、強さが必要だった。両親がモンスターに食い殺されて、憎しみに走るよりも恐怖があった。いつか自分もこうなってしまうのではないかって。誰かを見捨てて自分だけが逃げてしまう時が来るんじゃないかって。
俺は自分の逃げ足が少しだけ嫌いだった。
逃げられるって事は生きる上で必要な事だ。けど、逃げるという行為は
俺は俺自身が天才でもなければ凡夫以下なのは身に染みて理解している。脚の速さだけが取り柄でも殺す才能が致命的に欠けている。モンスターを殺す事、人を殺す事、傷付けるという行動に一歩を踏み出す勇気が足りない。
同じファミリアの傑物やよくパーティーを組むノーグとかオッタルとかを見ても、自分がああなれるなんて思っていない。それはきっと変わらない。
きっとこの先もその足りない勇気を補えるような事はないだろうって思ってた。
いつかは幸せになりたいって思った事がある。
ゼウスの爺さんの愉快で痛快な生き様を見て真似た事はある。どれだけヘラにボコされても、どれだけ変態と罵られようが、それでも何処かついていきたくなる背中と生き様だから俺や団長達も馬鹿な爺さんのファミリアを抜け出さないと思ってるんだろうな。
まあそんな愉快な生き様を真似しても意味なんてないって分かってるのに。
俺には何もない。
俺という虚像が道化を演じている。
だって俺には誰かを救う勇気もない。誰かを守れる覚悟がない。英雄になりたいとか思う高尚な目標もなければ生きられたのならそれで良いって思える日々が満足していたから。
だからきっとこの空っぽの自分を誰にも悟られず、日々の幸せを噛み締めていくのが俺にはお似合いなんだろうって、ずっと思ってた。
俺がメーテリアに出会うまではそんな空虚な自分があったんだ。
実を言うと、きっかけなんて些細なものだった。ゼウスの爺さんと一緒に覗きに行ったらバレて追い回されて殺されそうになった時、咄嗟に隠れた部屋に彼女はいた。
薬の匂い、百合の華の匂い、部屋は何処か殺風景でカーテンが風に揺れる。ベッドの上で身体を起こし、木漏れ日から空を眺める白いお姫様がいた。
「──誰ですか?」
呼吸を忘れた。顔が熱かった。
生まれて初めての激情。心が揺れるような感覚に何処か幸せを感じている。美の女神様を見たような感覚とは違う。ただ、その光景が美しくて何も言えなくなった。さながらそれは白百合のようで可憐という言葉が似合う異国の姫にも思えた。
「?」
質問の答えが返されない事にきょとんとしてる女の子を見て我に返った。やっべ、そういや逃げてたんだった。今の俺、不法侵入もいい所じゃないか?
「あっ、いやお客さんとかじゃなくてちょっと逃げてて」
「何かあったんですか?」
「いや大した事じゃ……」
覗きから逃げてきたなんて言えない。
言葉に詰まっていると足音が聞こえてきた。背筋が凍り付いて震える事しかできない。アルフィアに見つかったら間違いなく殺される。何ならよく逃げられたと自分でも思っているが、奇跡は長く続かないようだ。
せめてこの子の前で無惨な死体にならない事を祈りながら死神の足音に耳を傾け──
「えっ、ちょっ」
「此処に居てください」
手を掴まれた。
女の子は俺をクローゼットに押し込んだ。いきなりの侵入者である俺を匿う行為に呆気に取られながらもクローゼットの中に隠れると同時に勢いよくドアが開いた。
「メーテリア!」
「姉さん、少し煩いです」
「あっ、す、すまん。此処に黒髪で赤目のアホ面は来なかったか?」
ア、アホ面……。
俺の事を嫌ってるアルフィアの心情がよく分かるね。とは言えバレたら死ぬ為心臓の音が聞こえないように呼吸を止めて心拍を限界まで抑える事に必死になりながら、外の声に耳を傾ける。
「
「そうか。ありがとう」
冷静さを欠いているのか気配から探知は出来ずに外に走り出す音が聞こえた。どうやら部屋から出ていったようだ。それを聞くとゆっくりクローゼットから外を覗き始めた。
「もう大丈夫ですよ」
「あ、ありがとう。その…どうして俺を」
「その、困ってそうだったから?」
「何で疑問形……? ま、まあ助かったよ。ありがとう」
ただ、キッカケはそこからだった。
俺が彼女と交流を始めたのはその日からだった。
この出会いがきっと俺の運命を変えたんだ。
空虚で全く取り柄のない俺が誰かの為に生きたいって思えたのは。
劇的に変わった訳じゃない。人間の本質がそう簡単に変わる訳がない。怖いものは怖いし、逃げ癖は相変わらずだけどそれでも今があるのはきっとメーテリアがいるからだった。
頑張った。それはもう死に物狂いで努力した。
才能がなくても今はLv.4になった訳だし、そこはまあ誇っていいかな。
才能もあって地獄を突き進むような努力をしてるノーグみたいにはなれないって分かってたけどそれでも頑張って今がある。みっともなくてもメーテリアの前ではカッコいい男になる為に。
だから──
想いを受け入れてくれたときは本当に嬉しかったんだ。
★★★★★
黒竜戦まで残り一週間を切った。
とりあえず言い分を聞く為、本人に直接聞く事にした。アルゴがメーテリアを連れ出して、お気に入りの教会にいるのだが空気は重い。
「で、どうすんだよ?」
「孕ませた責任は取る。けど……俺も少し軽率過ぎた」
「い、いやそんな事ないです! 誘ったのは私ですし、その……」
「言っておくが二人とも悪いからな。誘ったのも乗ったのも、お互いを考えるならまだそういう事をするべきじゃなかった。過程をすっ飛ばし過ぎだ」
ヘラの怒りから血の惨状が目に見える近い未来に合掌した。
あの日の二大祭。メーテリアに告白し受け入れてもらえた。秘密に交際していたのだが、最近体調のいい日にアルゴが一発かました事によりメーテリアが妊娠したらしい。今はまだお腹は大きくないが、次第に大きくなってくる。そうなれば隠しようが無い。
ホントどうしよう……と頭を悩ませてお通夜状態になっていた。
「(まあ、他派閥との恋愛自体が悪いとは言い難い部分はあるけどな。節度さえあればそれくらいはあってもいい気もするが)」
他派閥との恋愛が禁止になる理由には少し疑問を抱いている。信仰の問題か、他派閥との諍いが起こり得る可能性があったとしても、強い血を絶やさないという意味では不向きなシステムだろう。客観的に見れば別の会社に勤める人間同士では結婚出来ないと言われてるみたいで、ノーグはこの手の問題にはいつも疑問を抱いていた。
「(まあ、それは割とどうでもいいな。孕んでしまった以上は孕ませた男が悪いのは何処でも同じだし)」
色々と順番を間違えたというか、親友がデキ婚してるとか夢にも思わなかった。少なからずアルゴは殺され、メーテリアの子がどちらかに所属するかの
「今までありがとなアルゴ」
「諦めないでっ!?諦められたら俺絶対死んじゃうから!?」
「とりあえずそこは置いといて」
「置かないで!?」
アルゴは放っておいて問題はメーテリアだ。
「メーテリア、お前はどうしたいんだ?」
一番苦労するのは孕ませた男より孕んでしまった女の方だ。それにメーテリアはアルゴに背負われたり介抱してもらわなければまともに歩く事が出来ない程に病弱だ。産むにしても、相当のリスクを抱える事になる。
「お前は身体が弱い。その上で子供を産む事は母胎であるお前に相当な負荷が掛かる。下手したら命がけかもしれねえ」
「……それでも、産みたいです」
「正直な話、俺は反対だ。客観的に見れば派閥の壁もそうだが、こればっかりは薬でどうこうなる問題じゃない。それでもか?」
「はい」
深くため息をついて肩を竦めた。
意見を出したところで覚悟が決まってるのなら説得など最初から意味はない。決めるのは二人であって、反対の意見を出しても産みたいという意思があるなら尊重するしかない。そこは当人達の問題だ。
「この件を知ってるのは?」
「まだノーグさんしか、後は診断してくれたディアンケヒト様も知ってます」
「ヘラやアルフィアには?」
「まだ……その、姉さんにバレたらアルゴさんが」
「ああ、うん言わなくていい」
絶対殺される。
アルフィアなら間違いなく爆散させてる。余りにも簡単にアルゴの死のイメージが百通りほど浮かんだ。秘密裏にするにしてもちゃんと避妊しとけと心の中で悪態を吐いた。
「とりあえず覚悟があるなら俺から言える事はねえよ。産みたいなら好きにすればいい。決めるのは二人だしな」
「……ありがとうございます」
「こうなった以上はバレるまで秘密にするしかない。他派閥同士での妊娠は大問題だから公に出来ないし」
娼婦とかなら良かったかもしれない。
避妊対策が万全とは言い難く、アマゾネスなどで一線を越えてしまって出来た子とかなら問題は問題だが、まあ……ギリ許される範疇だ。娼婦を職業としているならあり得なくはない。そう言ったリスクはあれど大金で遊女を買う身請けの概念がある。問題は金で解決できなくはない。
だが、メーテリアはヘラの眷属。
そもそも最大派閥の主神のお気に入りを孕ませたとなると……考えるだけでも悲惨である。下手をすれば二大派閥の関係性に亀裂が入って黒竜どころではなくなる。ゼウスの眷属はヘラ達には頭が上がらないので余計軋轢を生みかねない。
「……ウェディングドレス着せてやりたかったなぁ」
「言ってる場合かこの野郎。バレたらお前の死は確実だからな」
「あはは、だってさ……憧れるだろ?」
「確かに……結婚式はちょっと憧れますね」
「人が頭悩ませてんのに呑気な……」
だが、気持ちは理解出来ない訳ではない。
愛している女の晴れ舞台、人生で一度は憧れるウェディングドレス姿を見たいと思う。同じ立場なら確かに見たいと思うだろう。流石に順序をすっ飛ばしたアルゴと同じ立場にはならないと思うが。
「……擬似的でいいならやるか?結婚式」
「えっ?」
「あくまで擬似的にだ。来賓は居ないけどな」
頭を掻きながら呆気に取られた二人にノーグは僅かに笑う。一先ず悲惨な未来から目を背け、素直に祝福する事にした。
★★★★★
教会の扉が開く。
来賓代わりに参列するのは形を成していない微精霊達。拍手をするかのように身体を動かして笑っている。教会のスタンドグラスから差し込む光は扉を開けた二人を祝福するかのようで、即興にしては大した演出である事を見て少しだけ自画自賛したい気分だ。
「新郎新婦、入場」
白いスーツを身に纏い、ガチガチに緊張しているアルゴの肘を掴んで歩く純白のウェディングドレスに身を包んだメーテリアが微笑みながら教会をゆっくりと歩いている。
「どうですか?アルゴさん」
「綺麗……ホント、ノーグのセンスに今はただ感謝してる……!」
「泣くなよ」
ノーグの第二魔法【リア・スノーライズ】。
それは極寒や氷結範囲に幻影を生み出せる。教会の床を軽く凍らせてわざわざ幻影を生み出し、結婚式をそれっぽく演出しているに過ぎない。メーテリアのウェディングドレスもノーグの想像を当て嵌めているだけだが、アルゴは感無量と言わんばかりに号泣していた。
「新郎アルゴ・クラネル。新婦メーテリアを妻とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も、健やかなる時も共に歩み、死が二人を分かつまで、愛を誓い妻を想い、妻のみに添うことを誓いますか?」
「誓います。俺はメーテリアを幸せにします」
「新婦メーテリア。新郎アルゴ・クラネルを夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も、健やかなる時も共に歩み、死が二人を分かつまで、愛を誓い夫を想い、夫のみに添うことを誓いますか?」
「はい。誓います」
手を握りながら、二人は愛を誓う。
この先、本当にどうなるか分からない。いずれケジメは付けなければいけないのは事実で、二人が愛し合っていてもファミリアの壁や立場がある。きっと後悔する事もあれば苦労する事もあるのだろう。
「新郎アルゴ・クラネル、新婦メーテリア」
親友としてノーグは二人に誓いを尋ねた。
「君達はこれから様々な苦難の道を歩むだろう。他派閥の諍い、子供の問題、様々な困難が待っている」
こればかりはノーグにどうこう出来る話ではない。
手助けは出来たとしても全て解決するなんて無理だ。この件はノーグの手に余り過ぎる。
だが、それでも二人ならきっと──
「それでもなお、手を取り合って困難に立ち向かい、助け合っては進んで、支え合っては笑い合って、幸せな未来を歩く事を誓いますか?」
「!」
「ノーグさん……」
お互いを助け合って生きていけるような気がするから。
お互いに足りないものを埋めあって生きている。アルゴだって、メーテリアだけじゃない。ノーグやアルフィアも同じだ。一人で生きていくなんて出来ない。
それでも二人の手が固く握られていた。
離れないように、離さないように誓いを立てて笑っていた。
「覚悟は決まっています」
「誓うよ。そんな未来に進めるように」
その二人の誓いにノーグも笑いを溢してしまった。
二人ともまだ子供であると思っていた。子供のように一途な想いが曲がらないのも曲げられないのも分かっている。アルゴは馬鹿ではあるが、メーテリアに一途な想いを向けていたし、メーテリアも意外と頑固な部分はある。歳が近いから、まだ大人の手を借りなければ生きられないような子供だと、ずっと思い続けていた。
今は少しだけ大人になった。
そう思えるだけであるがそれでも二人は確かに幸せな未来に進もうとしている。それが何処か感慨深かった。
「では、指輪の交換を」
「えっ、指輪なんて」
「ちゃんとアルゴを見てみろ」
アルゴは左手をポケットからずっと出さなかった。
スリが起きる事を避けて握り続けていた。大事な物をしっかりと持つのはサポーターをやっている時からだ。その癖だけは見逃していない。
「その、順番が色々とおかしいかもしれないけど。君に似合う指輪を前から作ってたんだ。その……受け取って欲しい」
そこには翡翠の宝石が淡い輝きを放つ指輪だった。
翡翠の宝石言葉は『長寿』の意味が込められている。そして、メーテリアの眼の色でもある。アルフィアも右眼は翡翠の色をしているが、メーテリアは両眼が翡翠色。そんなメーテリアにアルゴが考えて相応しい指輪を用意していた。
「メ、メーテリア?」
「本当に、いいんですか……?」
メーテリアは少し震えていた。
顔を俯かせながら、涙を堪えているように見えた。
「私、助けてもらってばかりでアルゴさんやノーグさん達に頼りっきりなのに……こんなに幸せでいいのかな…って」
泣きながら肩を震わせている。
二人とてその気持ちは分からなくはない。誰かに助けてもらわなければ生きていけない人生は、きっと苦労をかけ続けて頼らなくてはいけない。一人で動けたなら、病弱ではなかったらまだこんなに辛くはなかったのかもしれない。顔を両手で押さえてメーテリアの手をアルゴは優しく包むように握る。
「俺は君が幸せなのが幸せだから。生きたいという思いがあったから君に出会えた。恥じることでもなんでもないさ。俺は君の生きたいという想いの強さに惚れたんだ」
「っ……」
「だから、俺は君と一緒の人生を歩みたい。受け取ってくれますか?」
流れ落ちる涙を拭い、胸に手を当てて彼女は笑った。
「──はいっ!」
二つの影が重なった。
祝福の鐘は鳴らずとも、この光景が幻であったとしても、二人は涙を流して笑っていた。二人はまだ若いし、メーテリアだってこれからが一番大変なのだ。それでも死が二人を分つまで、幸せな未来を歩める事はノーグはただ祈っていた。
★★★★★
結婚式が終わり、日も落ち始める。
氷結張りにしてしまった教会を掃除した後、三人は帰り道の街道を歩いていた。メーテリアは長時間の散歩は出来ないし、居なくなればアルフィアが心配する為、寄り道をする事なく三人は帰っていく。
「そういや忘れてたが、ほれ」
「おっと、これは?」
「結婚祝い」
投げ渡した小さな包みをアルゴが開く。
中に入っていたのは
「ピアス?」
「お互いの耳にでも付けておけ。メレンで回収した珊瑚を加工して作ったんだよ。『幸福』と『長寿』の意味合いを持つ石だし、験担ぎにはなるだろ」
リヴァイアサン討伐の後、破壊された海辺付近から珊瑚の一部を回収していた。捨てるには少し勿体無い気もしていたし、第一級冒険者となってからは都市外へ出る事が厳しくなっている。冒険者を外の国に引き込まれないようにする為のギルドの措置ではあるが、メレンなんて頻繁に行ける場所ではない為、ちょっとした記念物を作りたかったのもあるのだ。
メーテリアには桜色。アルゴには深紅色。
まあ、意味合いとしては偶々ではあるが祝いの品としても丁度いい気もしたのでそれを選んだ。
「これ凄い高いんじゃ……」
「元々お土産代わりに渡そうと思ってたし、加工もそんなに高くなかったから素直に受け取っとけ。それにお前らは指輪を人前で付けられないからな。
「うぐっ、そうだった」
「気を付けますね……」
指輪は人前で見せたら絶対にバレてしまう為、精々同じ装飾品であれば問題はないだろう。二人の仲は両派閥とも知っている。神でなければピアスの事も誤魔化せる筈だ。
メーテリアは嘘が下手なので勘付かれたらプレゼントを貰ったと言えば言い訳にはなるだろう。その場合は低確率で妹に手を出したなと鬼の形相でアルフィアの制裁をノーグが喰らう羽目になるかもしれないが。
「そういや聞いてなかったけど、子供の名前どうするんだ?」
「ああ、それなら決まってる」
「ほー、名前は?」
「女の子だったらリズで、男の子だったら──
はっ?と思わず呆気に取られた声を漏らした。
それはこの世界の最後の英雄を望む少年の名前、この物語の主人公の名前であるからこそ、ノーグは目を見開いて僅かに動揺した。
「(そうか……ベル・
物語をあまり知らないノーグ、よく見れば顔立ちから察する事が出来てしまった。
そして漸く謎が解け、その事実に目元を押さえて天を仰いだ。
「……そういう因果か」
「ん?どうしたノーグ」
「いや、いい名前だな」
「だろ?」
その少年が二人の子供だという事に今更気付いた。
ベル・クラネル。ノーグが知る限りでは成長の早熟というレアスキルを手に入れて惚れた女の子に追いつく為に英雄の道を駆け上がるこの世界の主人公。それがこの二人から生まれるという事実にそれを気付かれないように押し殺して少し笑った。
「俺はこっちから帰るわ」
「じゃあ、またなノーグ」
「今日はありがとうございました」
「気にすんな。お幸せに」
手を振って二人は離れていく。
時間が経ち過ぎて忘れていた主人公の名前。そういえば苗字はクラネルだという事実を忘れていた。確信があった訳ではないが、『天啓』による二人の重要性について考えていたが漸く理由が分かった。
「……お前らだったのかよ」
こんな事なら物語を読んでおけばよかったと空を見上げた。
足りないからこそ補い合って今の二人があるならば、きっとベル・クラネルは誰かを想う優しさと誰にでも駆けつけられるような速さを持って産まれる。
ちっぽけで頼りなくて誰かに助けてもらわなきゃ生きられない二人から主人公になれる存在が生まれると思うと、他人事だというのにそれが何処か嬉しく思えていた。
「さて、と」
感傷に浸るのを止めて足を急に止めた。
視られていた視線は邪なものではないと知っていたから放置していたが、二人がいなくなった今はもう放っておく必要はない。
「二人はもう行ったぞ」
あの二人は気付かなかったが、ノーグは気付いていた。足を止めればザリッと地面が擦れる音が耳に聞こえた。第一級冒険者の癖に下手くそな尾行に若干呆れながらも立ち止まって木箱に視線を向けて語りかけた。
「いい加減姿を現したらどうだ?──
ビクッと長い耳が動いた。
呆れと僅かながら苦笑を漏らしながら告げると怒られるのを覚悟している様子でタジタジになりながら木箱の裏に蹲って隠れていた一人のエルフが顔を出した。
「ハァ……盗み見とはいい趣味だな」
「その、覗く気はなかったんですけど」
「その言い訳は最初から覗いてた奴の言葉じゃねえから」
うっ、と言葉を詰まらせてそっぽを向いた。
まさか結婚式の実演をした所を覗かれるとは思わなかったが、二人にバレないように幻影でメッセージを送って放置していた。リリナは真面目で口が固い。今不利益になるような事を伝えないのはノーグも知っていた。
「内緒にしとけよ。今はデリケートな時期だ」
「分かってますけど……あとが怖いですね」
「それな」
本当に後が怖い。
特にアルゴの未来は少なからず真っ暗である。主にアルフィアの制裁を考えれば生きていられるかどうかすら悲惨である。いやアルフィアもそうだがヘラも中々に怖い。強く生きろと空を見上げて遠い目をしていた。
「俺は飯屋行くけど、リリナも来るか?」
「えっ、いいんですか?」
「ああ、いつも世話になってたし奢るけど」
「い、行きます!」
黙ってくれた事に対する口止め料だが、リリナは鼻歌を歌いながら陽気な様子でノーグの隣に。日が落ち始め、赤く照らされた街道を二人はゆっくりと歩いていた。
「嬉しそうだな」
「そりゃそうですよ!というか私の想いに応える気がないのに誘うとかちょっと酷くないですか?普通の女の子だったら傷ついちゃいますよ?」
「あー、うんまあ……好きなの奢るよ」
「食べ物で釣られるような安い女の子じゃないんですよ!この、この!」
「痛い痛い。悪かったから背中を叩くな」
魔導士とは言えLv.5の拳は地味に痛い。
頬を膨らませて潤んだ瞳で叩いてくるあたり罪悪感も湧く。
好きな女の子、好きで居てくれる女の子。
選び切れずにいるがいずれは伝えなければいけない。告白を保留している辺り申し訳ない部分はあるが、今はこの形が一番いいのかもしれない。黒竜戦の前に浮かれられても落ち込まれても困るだろうし。
かくなる上は少しだけ高い店を選───
「…………?」
「どうしました?」
「……気のせいか」
足を止めて振り返るが誰もいない。
僅かに感じた視線と気配はそこにはなかった。気を張り過ぎていたのか頭を掻きながら自分の臆病さに内心呆れながら足を進めていた。
★★★★★
私は最近ノーグと会っていない。
偶にパーティに誘われる事はあれど、ノーグが【ヘラ・ファミリア】に所属していた時に比べれば大した回数は会っていない。
それは単純に居心地の悪さを感じたからだ。自分の感情に振り回されている。リリナが告白したという事実を聞いて病気でもないのに胸が痛み、その感情の意味を理解したくないと必死で否定している。
認めたくない。
認めてしまえばきっとそれは傷付けるだけにしかならないから。
もしも……本当にもしもの話をしよう。
ノーグの隣に立てたとしてもそれは長く続かない。人の一生より短い時間しか生きられない私はきっとアイツを置いていく。妹より酷くはないが、この身体を蝕む病はきっとその時間を奪っていく。
死ぬ前に我儘になってもいいはずだ。
短い命ならその短い時間だけでも自分のものにしてもいいと。傲慢な女王たる考えならそうあってもいい筈だ。他人に気を使うなんて私らしくないのに───
『──アルフィア、行こうぜ』
あの笑顔が曇る所を見たくなかった。
目をギラつかせて、不敵に笑いながら背中を預けて戦うノーグの傷になんてなりたくない。大切だから関わりたくない。気を許し合える仲だからこそ、苦しんでほしくない。
ああ、認めよう。
恋という程大層なものを認めるつもりはないが、私はノーグには惹かれている所がある。だからリリナが告白していると分かった時は少しだけ苦い感情のようなものが湧いた。
でも、複雑ではあったがそれはいいのかもしれない。
リリナはエルフである為、長命というその意味を私と同じくらい理解している。誰かを置いていったとしてもきっと最後まで寄り添えるだろう。ああ見えて強い奴だから。
それがいい……それでいいんだ。
「!」
メーテリアがまた部屋からいなかった。
あの男が原因だな。青筋を浮かべとりあえず奴はシメる事を決めた。あの男、偶にメーテリアを誘拐するくせに帰ってくる時間が妙に律儀なのが腹が立つ。そろそろメーテリアも戻るだろうし、本の買い出しにでも出掛ける事にした。
すっかり夕暮れで街は夜の騒がしさの前の静寂。歩くヒールの足跡が耳に響き、それがどこか心地いい。一人でいる事は何も気にする必要がなくて気楽だ。
だからなのか、孤高を突き詰めるのは。
孤高になれば恐れられ、畏怖される。そうあるならきっと関わりを持たなくなるから。雑音が嫌いだ。脆弱さが嫌いだ。私より長く生きられるくせに堕落している存在全てが嫌いだ。
その在り方から【静寂】なんて二つ名を付けられるとは皮肉もいい所だが、私はそれでいい。きっとその在り方が正しい。
「食べ物で釣られるような安い女の子じゃないんですよ!この、この!」
「痛い痛い。悪かったから背中を叩くな」
足を止めた。止めてしまった。
声が聞こえた向かいの角から咄嗟に身を隠した。聞きたくない声、感情が複雑に絡み合って会いたくない男の僅かな談笑とその隣を歩く同じファミリアのエルフの声が耳に届いた。
「…………?」
「どうしました?」
「……気のせいか」
向けた視線を感知してノーグが振り返る。
同じレベルであったなら見抜かれていたが、気配を最大限に隠した私には気付かなかったようだ。
「………っ」
ああこれだ。これだから嫌なのだ。
自分の事は一番自分が理解しているからこそ胸を抉るような痛み。傲慢で気高くあろうとした自分に対する代償のようだ。
この感情の名前はもう知ってる。
認めたくないだけで、もう分からないなんてほど愚鈍ではない。
でも、それでも……
「ノーグ……」
それを認めてしまえば抑えられないから。
心に蓋をして痛みを誤魔化す。それがきっと……私にとって正しい答えなのだろう。