大きな本棚に無数の本が並ぶリビング。
ジャンルは多種多様に存在し、歴史や英雄譚、薬学に医学の本と様々な物が本棚に並び、アルフィアと俺は客用のソファーに座ると、ナナさんはゆっくりとティーセットを持ってきた。
「紅茶でよかったかい?」
「ああお構いなく、すみません家に上がらせてもらって」
「昔は遠慮なかったし、構いやしないさ」
ラースの記憶にいた恩人のナナさん。
記憶にいた頃より随分と老けている。当然といえば当然、あの日から六年は経っているのだ。髪は白くなり、皺は増えた。この歳で走れるのが不思議なくらいだが、元気でいられるのはどれほど保つのだろうか少し心配だった。
「あの、レヴィスって子は?」
「孤児さ。アタシが引き取った」
あの赤髪の子供、レヴィスは孤児らしくナナさんが育てている。なんでもラースであった自分とフララ、そして殺されたガジの事件の後に裏路地にボロボロの服で捨てられていた子供を見つけ、今は薬学などを学んで内職の手伝いをしているらしい。
「……その、ガジの事はどうなりましたか?あの後、一回死にかけて記憶喪失になったんですけど」
「ガジさんの遺体なら共同墓地、店はもうあの有り様さね」
ガジ、俺のもう一人の父親。
孤児となったラースを拾ってくれた性格の悪いパン屋の店主。フララの誘拐を企てた闇派閥に殺されて遺言も聞けずにこの世を去った人であり、育ててくれた一番の恩人は共同墓地に埋められている。
居場所が分かった以上、花を添えてやれる事に少し嬉しかった。いつもパン屋に花を添える事しか出来なかったから、ちゃんと弔って感謝を伝えたかった。
「フララちゃんはどうしたんだい?その髪、フララちゃんの色そっくりじゃないかい」
「フララ……?」
「アイツなら……故郷に帰りました」
フララ、大精霊ヴィルデアはもういない。
俺自身が大精霊の力を持ち、フララはそれに溶け合っている為、ヴィルデアとして下界に顕現する事はこの先きっと来ないだろう。
「そうかい……ラース君がまさか、巷で噂の【修羅】とは思わなかったさね」
「あ、はは」
別に修羅になりたかった訳ではないが、苛烈さ故にそう思われても仕方ない。うん、だって俺女帝達に何回殺されたんだ?最後の晩餐と思えてしまう日がずっと続いて、吐いて、死にかけて、深層行って、女に喰われないように気にかけて……振り返るとかなりヤバい。普通の人間なら壊れてる。いやもう俺も大分毒されて壊れてるけど。
「その娘は……ラース君の恋人さんかい?」
「えっ、あ、いやコイツは同じファミリアの親友で」
「デートとはやるねぇ、フララちゃんといい女の子侍らせて、罪な男だねぇ」
「違いますぅ!?侍らせてません!」
アルフィアが脇腹を抓りながら、「フララ?誰だその女は」と聞いてきたがその話はまた今度だ。今は言うべき事ではない。それにあの子は恋人ではなく家族だからノーカンだ。恋愛感情があったとしてもラースの頃だ。
嫉妬しているのは嬉しいが、脇腹の肉に爪が入って痛い。ギリギリと摘むアルフィアを愉快そうな目でナナさんは見ていた。視線が居た堪れなくなってアルフィアは脇腹から手を離した。
「その、怒ってますか?俺が冒険者になった事」
「まさか」
首を振ってナナさんは優しく笑う。
「無事でよかった、それだけ知れただけで充分さね」
ナナさんは何も言わなかった。
聡い人で、それ以上深く踏み込まなかった。俺がもうラースではない事も、消えてしまったフララの事も、あの日の事も何も問わなかった。
ただ、優しく頭を撫でてくれる。
何も変わらない、優しいラースの恩人だった。
★★★★★
帰り道、もうすっかり暗くなった街道。
祭りの終わりは近いというのに騒がしい街にやや苦笑を溢すノーグの隣を、アルフィアは歩いていた。
「よかったのか?」
「ん?」
「あの人の提案」
ナナが告げた言葉を思い出す。
『──冒険者辞めて一緒に暮らさないかい?』
ナナが言った言葉は純粋な善意で裏は無かった。その言葉に一瞬だけ揺れた。けれどノーグは断った。冒険者を辞める事は約束出来なかった。アルフィアはノーグが冒険者をやっている理由を知っている。生きるために強くなると言う理由で、もうかなりの強さを得た以上、その提案を呑むのではないかと危惧していた。
「なに?アルフィアは俺に冒険者やめてほしいの?」
「いや……そうではないが」
あの人も歳で人生が長いわけではない。
自分が死ぬより早く死んでほしくない。きっと危険な目にあって欲しくはない。そんな思いがあったのだろう。けど、それはもう遅い話だった。今更過ぎた。
ただその代わり、ナナが死んでレヴィスが一人になってしまうのならその時は【ロキ・ファミリア】か【ヘラ・ファミリア】で引き取る事になる事は約束した。子供を心配するあの人の優しさはあの頃から変わらない。優しくて、穏やかで、恩人だった。
もしも、ラースであったのなら頷いていたかもしれない。
「今更な話だよ。俺はラースじゃない、ノーグだ。だからラースとしての居場所はもう無いんだ」
「記憶喪失だからって居場所が無いのは違」
「違わないよ」
ノーグは異世界から来た。
言葉通り、ノーグはラースの身体に転生した外世界の存在。死んで一から転生ではなく憑依に近い形なのだろうが。神々さえ創り出した創造神の世界に生まれて、死んだらこの世界にいた。
日本にはモンスターも魔法も居なくて、法に厳しくて剣を持つだけで処罰されて、文明の利器が発展し、脅威の無い平和な世界だった。
──だからこの世界が怖い。今でも変わらない。
「法が欠けてて、圧倒的な力に理不尽に奪われる。弱ければ淘汰されて当然の世界で、力を捨てちゃあ生きにくいしな」
だからノーグは強くなる道を選んだ。
生きたかったから、奪われたくなかったから。それを捨ててしまえばきっと怯え続ける。剣を置くのも悪くはなかった。けど、そうして手にした幸せはどれくらい長続きするのか。この世界はいつか滅びるかもしれない。平和な世界とは違って、明確な終末装置が待ってる。
人の手ではどうしようもない天災ではない以上、いつか人の手で終わらせなければいけない天災はいずれ世界を滅ぼす。オラリオだっていつかそうなるかもしれない。
「きっと、無駄なんだよ。束の間の幸せはきっと」
それこそ、ずっと生きていけない。
決着を付けなければ、この世界はいずれ滅びる。神々がわざわざ示唆してまで提示した三大クエストは人理崩壊の可能性が秘められているからだ。
「だから、とりあえずリヴァイアサンは斃す。黒竜はロキが許すか知らんが、オラリオが平和になるまで強くなってやるさ」
「ふっ、それこそ英雄みたいだな」
「待って、なんか恥ずかしいからやめて」
英雄を目指しているわけではないが、言動が英雄の言いそうな台詞だったことを自覚して徐々に顔が熱くなる。ガラではない自覚はあるが、結局生き方はそれしかないのだ。狙われてる自覚があるからこそ、強くならなきゃいけない。
ため息を吐くと、突如轟音が広場から鳴り響く。
パァン!!という音と共に火薬の匂いと、夜空を照らす花火が目に映った。女帝がこの時間帯にパレードがあると言っていたが、気付けば時間は過ぎていた。
「……パレード、見逃したな俺ら」
「また来年に見ればいいだろう」
「えっ、来年も一緒に回ってくれんの?」
少しだけ揶揄い気味に尋ねるノーグにアルフィアは瞼を閉じながら動揺もせずに答えた。
「さあな。その時の私次第だな」
「それ、行けたら行く並に信用ならないんだけど……」
「なら次はお前が誘え。私とデートに行きたいとな。熱烈な誘いを期待してるぞ?」
「はっ!?」
「冗談だ」
柔らかな笑みを溢し、アルフィアは先を歩く。照れてる様子もなく、揶揄い返された事に気付いたノーグは肩を落としながら花火が散る夜空を見上げた。
「騒がしいのは嫌いだが、綺麗だな」
「そうだな」
月と花火が夜空を彩る。
人々の笑い声と、歓声が飛び交う。
未来を祈る
「──────」
呟いた言葉は花火の音に掻き消される。
ノーグが告げた小さな言葉が聞こえずにアルフィアは首を傾げた。
「何か言ったか?」
「いや、ただの独り言だ」
夜が終わればまた朝が始まる。
そんなありきたりな事を明日を願い、来年も同じようにこんな日が来ることを祈る。豊穣と挽歌の宴はどれだけ騒がしくても嫌いにはなれない。二人は誰もいない街道で空を見上げて軽く笑みを溢した。