あここは、迷宮都市オラリオ。数多の英雄を生み出す英雄の都。そしてその中で、都市北部、北の目抜き通りから外れた街路沿い。周囲一帯の建物と比べ郡を抜いて高い、長大な館。都市最大派閥のひとつである【ロキ・ファミリア】のホーム【黄昏の館】。
あその門前で、挙動不審な人影がひとつ。背丈はそこまで高くなく、白い髪を揺らし、深紅の目を携えるその風貌は、どこか兎を彷彿とさせる。ただ、おそらく不審者の類で無いらしいことは窓から見ている幹部たちが笑顔を向けている様子が示している。
あそしてその人物は、大きく深呼吸をして息を整えた後
「アイズさぁああん!僕とデートしてくださぁああい!」
と、周りの目も気にせず大きな声で
「それで、どういう訳か説明して貰えますか?万年発情兎さん?」
「痛い痛い痛い?!首を締めないでください!死んじゃう、死んじゃいますレフィーヤさん!?」
「何言ってるんですか?殺す気でやってるに決まってるじゃないですか。」
「コワイ?!」
あそう、僕ことベル・クラネルは現在、命の危機に陥っている。綺麗で恐ろしいエルフに満面の笑みで首をがっしりと掴まれ、空中に羽化されているのだ!
グギ
「何か言いましたか?」
「何も!言ってません!なので締める力を強めないでください!絶対、なっちゃいけない音がぁああ?!」
「それで、何のつもりですか?聞いてますか?というか生きてますか?」
「生きてますよ?!勝手に殺さないでください!」
「おいレフィーヤ、話が進まないだろう?もうすこし大人してくれ。」
「す、すみませんリヴェリア様。」
あ数分後、落ち着いてくれたレフィーヤさんに連れられた僕は、ホームの客室にいた。現在部屋にいるのは、今回の騒動の中心である僕と、アイズさん、そして保護者としてフィンさん、リヴェリアさん、ガレスさん、なんか楽しそうと着いてきたティオナさん、団長が行くならと着いてきたティオネさんだ。(ちなみに本来はベートさんもいたけど、何故か荒れてたから話し合いにならないと判断されてこの場にはいない。)
「すまないな、ベル・クラネル。普段はもう少し冷静なのだが⋯」
「なんかレフィーヤ、アルゴノゥト君といるとテンション高いよね!」
「いえ、大丈夫です。いつもの事ですし⋯(小声)」
「まぁいいじゃないかリヴェリア、仲がいいのはいい事だよ。」
「私もそう思います団長!」
「まあなんじゃ、お主が迷惑と感じでいないなら、これからも仲良くしてやってくれんかのう?」
「いえ、迷惑だなんて⋯」
「だから、仲良くなんてないです!」
「話がまた脱線しているぞ」
「あぁ、そうだったね。」
あコホン、とフィンさんが咳払いをして雰囲気を整えたあと、フィンさん達三首領とアイズさんだけが残った。
「まず最初に言っておきたいのは、これから行うのはあくまで確認だ。僕らは都市最大派閥のひとつ。体裁は保っておきたいからね。よってリヴェリアとガレスもこの事態について口出ししない。」
「はい、分かりました。」
「一応確認しておくが、異なるファミリア間での交際に問題があるのは知っているよね?」
あフィンさんが改めて、といった感じで現状を整理していく。
「もちろんです。」
ふぅ、と少し息を吐いた後、
「では、なぜ?」
と、至極真っ当な質問をしてきた。
「あの人と
あこういう時物怖じしてはダメだと
「ンー、ダメという訳じゃないけどね、あまりに唐突だと思ってさ。君は今まで、何度も機会があったはずだ。なのになぜ今?という気持ちが強いかな。」
フィンさんが正直な感想を僕に伝えてくる。それはそうだろう。
「理由はいくつかあります。覚悟がなかったからとか、あの人の隣に立つ資格が欲しかったからとか。ただ一際大きい訳があります。」
「それは?」
「英雄になりたかったんです。世界を、みんなを、あの人を救える、そんな英雄に。」
あフィンさん達が今日初めて、僕に動揺を見せる。その証拠に、『英雄』という単語を聞いた瞬間ほんの少し眉が動いていた。アイズさんの方に顔を向け、少し思案する素振りを見せたと思ったら
「…なるほどね。それは本人から聞いたのかい?」
と、一瞬で僕らの現状を把握した。さすがに理解が早い。
「もちろんです。」
「やけに一緒に行動することが増えたなと思ったよ…。それなら合点がいく。つまり君は、彼女の望む存在になれたわけだ。」
「はい。」
「…それなら僕らが認めない理由はないな。
「ありがとうございます、フィンさん。」
認めてくれたフィンさんに感謝を示して、アイズさんの方に体を向ける。
「改めて、アイズさん。僕と
「え…っと、」
こんな風に誘われたことがないのか、それとも相手が僕だからか。アイズさんは今までにないぐらい表情を変化させている。
「アイズ」
「リヴェリア…?」
「自分の素直な気持ちを伝えてやれ。その少年も、勇気を振り絞って来てくれたはずだ。」
アイズさんにそんなことを言うリヴェリアさんはまるで、子を慈しむ親のように優しい顔をしていた。
「…ベル。」
「はい」
きた。今までに感じたことの無い緊張を何とか抑えながら、アイズさんの発する言葉に全力で耳を傾ける。
「じゃが丸くん、一緒に食べにいこ?」
「…え?」
帰ってきた言葉が予想がすぎた僕は、数瞬固まってしまった。
「ダメ?」
そんな悲しそうな表情をされてしまい、困惑しながらもなんとか言葉を捻り出して
「分かりました。一緒に食べに行きましょう。」
と、じゃが丸くん食べ歩きが決定した。一方頭の中では
(これは、
と、未だ消えない困惑が頭の中を埋めつくしていたんだけど。
「ベル、待った?」
「僕も今来たところです。さあ、行きましょう?」
ああの後、具体的な日時を決めた僕らは、
「ベルは、凄いね。」
「えっ?!あ、ありがとうごさいます?」
横並びで歩いていると、唐突にアイズさんからそんなことを言われた。
「どうしたんですか?急に。」
「うーん…なんか、言いたくなっちゃって。ベルがずっと頑張ってたのを見てきたから…なんだろう」
うーん、と頭を傾けて唸るアイズさんはただそれだけなのに、僕にとってはとても美しくて、見惚れてしまう。
「あ、」
「?」
はっと何か気づいたようなアイズさんは突然僕に近寄ってきて?!
「ベル、また無茶してる。」
鼻と鼻がくっつきそうなほどグイッと顔を近づけて来たアイズさんに僕はしどろもどろになるのを必死に抑えて返答する。
「えっ?!い、いやいやそんな事ないですって!」
「嘘」
一瞬で嘘がバレた。なんで?!
「何を根拠に?!」
「何となく」
さすが第一級冒険者、勘が鋭い。僕が嘘下手なだけかもしれないけど。
「じ、実はですね…ちょっと体調が悪くて…疲れが溜まってるだけだと思うので、多分大丈夫だと思うんですけど…って?!」
アイズさんが額と額をくっつけようとしてきたけど、ビックリしすぎて顔を引いてしまう。
「むっ」
不満を顔に出すアイズさんはそれはもう可愛くて…ってそうじゃなくて
「何ですか急に?!」
「体調悪そうな人が居たらこうしろって、ロキに言われて…」
(ロキ様ぁああ?!何教えてるんですか!?でもありがとうございます!)
心の奥底でアイズさんに変なことを教えたロキ様に感謝しながら、アイズさんに説明する。
「そんな事しなくてもわかりますよ!それに、大丈夫ですって!」
「ダメ、今日は休んで」
僕が必死に否定するも、アイズさんの意思は変わらない。
「どうしてそんなに…」
僕が疑問を口にした瞬間がアイズさんが不安そうな表情を見せる。
「ベルは、私の英雄だから…いなくなっちゃう可能性は、ちょっとでも減らしたくて…」
「アイズさん…」
そんなことを言うアイズさんはいつもより幼く見えて、まるで1人での留守番を怖がる子供のようだった。
(そんな顔されたら、断れないじゃないですか…)
「分かりました。今日は休みます。」
自分の想い人を不安にさせてしまう自分自身を責めながら、提案を受け入れた。
「って、そこまで分かるんだが…なんで君までいるんだよ!ヴァレン何某くん!」
「?」
「あ、あはは…」
そう。実はあの後、ホームに帰って休むことにしたんだけど
『私もいく。』
あといって、何故かホームに来た。僕としてはそこまでしてもらうのは遠慮が勝ったけれど、アイズさんの鉄壁の意思を曲げるのは不可能だった。結果、【ヘスティア・ファミリア】のホームにアイズさんが入ってきてしまった、という訳である。
「か、神様。せっかく来てくれたんですから…」
「君は黙ってるんだベルくん!」
何とか諌めようとするも失敗してしまう。
「だいたい、君は家事ができるのかい?」
「……。」
そっぽ向いて黙りこくるアイズさん。
「絶対出来ない奴じゃないかそれ…。」
「…で、でも、見てるぐらいならでき、ます。」
「…そんなにベルくんを看病してあげたいのかい?どうして?」
意思を曲げそうにないアイズさんを見て、神様がため息をつきながら質問を繰り出す。
「…ベルは、いつも私を助けてくれたから…今度は私が、ベルに何かをしてあげたい、です。」
「…あ〜。くっそぅ!分かったよ、そこまで言うならしてやってくれ。ただ、料理を作る時は誰かに声をかけて、手伝ってもらうんだ。いいね?」
「!はい、分かり、ました。」
「よし!それじゃあベルくんは早く寝室に行って休んでくるんだ!あとで何某くんとそっちへ行くから。」
「はい、分かりました。」
良かった。これなら何とか丸く収まりそうだ。もしかしたらこれを機に仲良くなってくれるかもしれない。もしそうなってくれたら、後々助かるなぁ。
「ベル?起きてる?」
万が一寝てた時のために、起こさないようそっと慎重にドアを開けながら声をかけた。
「起きてますよ、アイズさん。」
そう言いながらベルは、横たわっていた体を起こして、私の手元を見た。
「なんですか?それ」
私の手に握られているのは、中に薄緑色の液体が入っている小瓶。
「ポーション、みたいなものかな?疲労回復の効果があるらしくて、持ってきたの。」
「あ、そうなんですね。わざわざありがとうございます。」
受け取ったあと、じっとそれを見つめて飲み干した。
「あれ?そういえば神様はどこにいるんですか?」
「えーっと実は、さっきヘルメス様が来て、『ちょっと用があるんだ』って連れていっちゃったんだ。」
「そ、そうなんですね。」
アハハ、と困惑を隠すように笑うベル。
「それで、ベル。なにかして欲しいことない?」
「して欲しいこと、ですか?」
疑問符を浮かべるベルに、分かりやすいように説明する。
「うん、看病、今まであんまりしたことなくて。どんなことをしてあげたらいいのかなって…。」
「それなら、こうやって座って一緒に話してくれたり、飲み物を持ってくてくれたりするだけでとてもありがたいですよ」
ぱーっと屈託の無いベルに惑わされそうになる心の中の幼女をなんとか押さえ込んで、
「違う、そうじゃなくて。わたしに、やって欲しいこと。」
「そんなこと言われても…うーん…」
「あ」
何か考えついたのかと思ったら、1人で『さすがにこれはなぁ…』と、ブツブツ呟いているのが聞こえてくる。
「どうしたの?なんでもいって?」
急かすようにベルにそう伝えると、少し頬を赤く染めながら、願いの内容を教えてくれた。
「…少し、手を握って貰えませんか?」
「手を、握る?そんなことでいいの?」
「はい。」
私がきょとんとしていると、ベルは顔に笑みを浮かべておねがいの理由を語り出してくれた。まるで、昔を思い出すみたいに。
「…僕、昔は村の農民だったっていう話はしましたよね。その時、世話をしてくれた女の人がいたんです。とても優しくて、いつも笑顔を振りまいて、村のみんなを元気にしてました。」
「僕が風邪をひいた時とか、看病に来てくれて。いつも手を握って『大丈夫』って、そう言ってくれたんです。その頃の僕はそれですっかり安心して、辛いのを忘れてぐっすり眠れるようになりました。」
話を聞いてるだけで、人柄の良さが伝わってくると同時に、胸にチクリと痛みが走る。
「いい人、だったんだね。」
「はい。ただ、その人は突然いなくなっちゃったんです。」
「…え?」
「どうやらいつか村を出て、都市へ出稼ぎに行く予定だったみたいで。ただ、その時の僕はまだ幼かったから耐えられないだろうって事で、何も話してくれずに、そのままお別れになっちゃって。」
「…そっか。」
だんだん話が見えてきた、気がする。
「…まあ、なんていうか。たまに寂しくなる時があるんですよね。」
「だから、わたしに手を握ってもらって、安心させて欲しい、ってこと?」
「はい…すみません。女の人の前で他の女性の話はするもんじゃないってことは分かってるんですけど…どうしても、してもらいたくて。」
「…ダメ、かな。うん、ダメだよ。」
「無理ですか…。困ったなぁ、それじゃあほんとに何をしてもらおう…。」
「その人と同じなんて、ダメ、だよ。」
つまりベルは今、人肌を感じたい、ということだろう。なら、
「だから、一緒に寝よ?」
「……えっ」
呆けたままのベルを放っておいて、よいしょ、とベルの布団に乗っかる。
「よし」
ベルにはなるべく動かないでいて欲しいので、ベルの脚の上を跨って壁側に移動し、毛布を捲ってなかに入る。
「ほら、ベル。寝よ?」
ぽんぽんとベットを叩いて、ベルに横になることを促す。
「…え?」
ただ、ベルから返ってくるのは、そんな素っ頓狂な返事だけだった。
「ほら、ベル。寝よ?」
あ僕は今、混乱の最中にいた。手を握って欲しいと伝えただけだったのに、何故か僕の上を跨って移動していくアイズさん。何故か毛布を捲って中に入るアイズさん。時々触れる白い脚、隣から感じる僅かな体温、視界に入ってくる絹のような金色の髪。ようやく現状を理解して、自分でも分かるくらい頬に熱が集まる。
「?どうしたの、ベル」
アイズさんが天然なのは分かってたけど、これはその範疇に収まるのか?!
と思いつつも、憧れの人との添い寝という甘美な誘惑に耐えきれず、そっと体を横たわらせる
「し、失礼します。」
や、やばい、緊張する。そりゃあ
「ねぇ、ベル」
「は、はい!なんですか?」
「そっち、行ってもいい?」
「え?!は、はい、どうぞ…」
「ん、ありがと」
あ…ね、寝れない。安心するために手を握ってもらうはずだったのに、激しく脈打つ心臓が抑えられない。どうか聞こえてないことを願って、ギュッと目を瞑り入眠を試みる。が、もちろん寝れない。寝れるわけが無い。チラッとアイズさんの方へ目を向けると、金の双眸と視線が交錯する。え?
「あ、あの…アイズさん。どうかしましたか…?」
「ん、なにも。」
「じゃあ、なんでずっとこっちを、見てるんですか?」
「ベルをみてると、落ち着くから。…ダメ、だった?」
「い、いえ!そんな事ないです!」
「ん、そっか。なら、そろそろ寝よ?」
そう言ってアイズさんは、壁の方を向いてすやすやと寝てしまった。
「…やっぱり、意識してるの、僕だけなのかなぁ…」
アイズさんは英雄だって言ってくれたけど、やっぱり恋慕の類じゃないのかなぁ、となんだか悲しくなってしまった。
「好き、なんだけどなぁ…」
そんなことを考えて呟いて、いつの間にか落ち着いた僕は思いの外早く眠りについた。
…アイズさんの耳が朱色に染まっていくのに気づかずに。
「…ベルの、馬鹿。」