怒り狂った咆哮を全身に浴びる。傷だらけな竜が生命の危機に立たされているからこそ出る叫び、剥き出しになった強靭な生命力に直に触れるこの感覚。
「――嗚呼、いい音だ」
正面に立つ私の脳髄を痺れさせ、こちらの闘争心を駆り立てる轟音だけではない。力弱く垂れていた翼がどうにか広げようと躍起し、痙攣している両脚が倒れず踏みとどまっている。明らかな満身創痍であるというのに倒れず、こちらを鋭い眼光で睨みつけて威嚇してくる。
痛ましくも猛々しい姿に、歓喜が止まらない。
出来るものならば竜の死体を剥製にしたい。モンスターは基本的に生命活動が止まれば核である魔石を残し、他は灰となって散ってしまう。できるのは精々ドロップアイテムで装備を作るだけ。ドロップアイテムとして一部が残るのも運次第とあればやはり、モンスターに定められた運命が悔やまれる。
『―――ッ!!―――――ッ!!!』
また咆哮。こちらの憐憫を掻き消す、死に物狂いの気迫そのもので殴るような絶叫。叫ぶ勢いそのままに火球が吐かれる。数千度にも昇る火炎の塊が竜の口から飛び出す、それも一つに止まらず、二発、三発と間髪入れずに灼熱の息吹きを吐き出す。余熱だけでも常人を丸焦げにできる竜の焔に対し、何もせずそのまま直撃させる。
爆炎の中心地で、けど私はただその姿に釘付けにされていた。
「いい、実にいい。そうです、そうこなくては、そうでなくては困る。危機に瀕し生命の根幹すら絞り出し、根本が枯れたからこそ!混じり毛の無い、どこまでも純粋な命の奪い合いでしか覗けない!!燦然と輝く生命の躍動!!あの日のように、その片棒を担えるとは――」
狂瀾する。理性を欠片だけ握り拳に隠し、高揚の波へと飛び込んで身を沈める。
荒れ狂う激情の前では半端な理性は不誠実の証にしかならない。
災禍の象徴たる竜が跳び上がる。
傷だらけの竜体から血が止め処なく滴り落ち、既に敗北が免れず死は確実なもの、さりとて敵から逃げるため飛び去ろうとしていない。
黒煙が立ち込める地上を空から見下ろす。理性なき怪物の瞳にはこいつだけはと、明確な敵意が真っ直ぐにこちらを射抜き、口元には火球の素である火の粉が漏れ出ている。
だからこそ、この身を蝕む緊迫感という醍醐味が味わえる。
それも独り占めできるというのだから。
「生き延びた甲斐があったというもの!!」
私のふるさとは一頭の竜によって蹂躙された。
里を見守り続けた聖樹が折られ、それを囲うように同胞たちの焼死体で山が築かれた。阿鼻叫喚が静まり返った酷く重い沈黙が支配する跡地で、戦いの最前線でもあった壮健な聖樹があった場所には巨大な竜の骨が消えず聖樹の上から乗りかかる形で押し潰した。
見る影もなく荒れ果てた光景を前に私は怒るべきだったのだろう。平穏を理不尽に奪われて。少なくとも悲しみに暮れ、自然な流れとして元凶を憎み、モンスターへの敵意を募らせてその矛先を向けるべきなのだろう。
けれど、あの時私の心中に飛来したのは真逆な感情だった。
――なんて、雄々しいのだろうか。
死後であろうと見せつける生物としての格の差。肉体が内包している暴力的なまでの生命力を肌で感じ、委縮しているのに、心の奥底からの鼓動で身体が震えていた。
「……あれが欲しい」
昂りが喉を通り抜けて言葉になった。無意識に自分自身が放った言葉に驚きこそすれ、それがどこまでも腑に落ちた。生きてきて培ったあらゆる規律を砕きどんな合理でも異常だと結論しても、気がつけばもう心の中心に本心として居座っていた。
あの同胞の戦士を切り裂いた爪も、あの聖樹を焼いた息吹きも。一歩間違えれば私が焼死体の山に仲間入りしていた、竜殺しを成し生き残れたのは単なる偶然であると理解しているのにアレが欲しいと叫びがやまなくなった。
そこから色々とあった。
同胞たちの亡骸を弔い、灰が積もった森を出て旅を始めた。竜を追う狂った旅を、噂を聞き付ければどこであろうと足を運ぶ命知らずな生き甲斐に乗り出した。
私の時と同じようにエルフの森を襲った双頭の竜がいた。身動きする度に毒を撒き散らす大蛇が如く竜がいた。水を貯え噴出する竜や強靭な肉体で押し潰す竜、他にももっと多種多様な数え切れないほどの竜を目にした。全てと戦ってはいない。間近まで迫り「これは無理だ」と諦めるしかなかったケースは多々ある。引き際を見誤り死にかけたことが何度もあるが、その価値はあったと断言できる。
「竜も痛みで泣くんですね」
そうしている内にいつからか、竜の上に立つことにたまらない快感を覚えるようになっていた。傷だらけで身動きができず、灰となる瀬戸際でしか行えない竜の死体蹴り。強大な竜が弱々しく鳴らす虫の息を聞きながら、立ち上がれない状態で足蹴にした瞬間に迸る、頭を焼くあの興奮を味わった瞬間からタガが外れた。
痛めつけることが得意になった。
準備する武器が変わり、倒すでなく無力化に繋がる罠を入念に吟味し。使った先に待ち受ける未来を思い浮かべるだけで心を躍らせている。前の自分だったら唾棄すべき存在に、意気揚々と外道へと堕ちているのに止まる気にならない。
ただ常識を忘れてはいけないと自戒する。今となっては抵抗なく捨てられる考え方だが、こうなる前の価値観を見下してはいけない。いやむしろ昔以上に気をつけなければ。誰かに漏れた時、不器用な自分に弁明できるなんて想像できない。
そうした生傷が絶えず死に向かっているような日常の中、仄暗い奇妙な充足感で確かに満たされていた。
「随分と窮屈な魂もあったもんだ」
そんな明日の命も知らない生活をしている時に
旅の道中に立ち寄った街で一歩的に、変なことを喋りながら絡んできた初めまして。掛けられた言葉に気を取られて私は足を止めてしまった。声がする方へと振り返りそこで立っていたのは、歳月で洗礼された真っ白な長髪に同じ年月を感じさせる老婆。ただ、こちらの底の裏までを見透かしているかのような蒼眼には燦々と生命力に満ちていた。一目見ただけで察する人離れした容姿の持ち主、その正体――超越存在、女神がそこにいた。
「魂だけじゃなく身体まで硬い堅い固いの三拍子、何だいその余さず凝り固まった有様。そんな状態でよくも今まで無事だったねアンタ」
「……すいませんが、初めまして、ですよね?」
「そうじゃなかったらアンタの状態はもう少しマシになっていたよ」
なんだこの老婆。出る言葉、言葉が癪に障るしかない。
何もかも分かっている物言いでこっちの苛立ちが伝わっていないのか、それとも分かった上で無視しているのか。こちらが相手を測りかねているのを無視してもう次に移っている。
「次の奴に挑むのはやめときな」
「なんの、話でしょうか」
「言わなくても分かるだろ、いやアンタのようなタイプはわざわざ言わないと伝わらないか」
やれやれしょうがないなと、一貫して態度を崩さない女神に。このまま無視して去ろう、そんな考えを実行に移そうとした足が言葉で絡め捕られた。
「自ら火中にいく価値が、そんなにあるのかい?」
「――……さっきから、おっしゃっている意味が」
「そうまで傷だらけになる生き方に固執せず、やり方を変えるのも選択肢の内じゃないか」
これはもしや、老婆心というやつなのか。若者のやっていることが見てられず、わざわざ口を挟み別の良い方法があるのと伝えてくる。それで、はいそうですかと私が馬鹿正直に飲み込むと思っているのか。
「もう一度はっきり申しましょう、いったい何の話をしているんですか」
「はぁ、そうかい。そうならもうアタシはこれ以上つっかからないよ。すまないね、邪魔してしまったね」
深いため息をついて女神の背が遠ざかっていく。
そう、それでいい。さっさと去れ、これに踏み込んでくるな。
神の眷属になることは勿論考えた。
それに私の中にある領域。
触れて欲しくない、寄り添うことすら認めない。怪物趣味――それも酷く歪んだこの欲望を知られている可能性があることさえ考えたくもない。
「本当、めんどくさないなぁ……」
自分の譲れない不器用さについ声に出てしまった。
でももう、仕方がない。
こうなるまで自分が向き合い続けた己の内心。こうだったらという違う可能性を夢見ることさえない。そうまで考え抜いた末に出したんだ、間違っていようと後悔しない。
思い返してみれば、酔っていたんだ。
充足感に、満足感に、達成感に。
薄暗いやりがいで眼が曇り、それしかないと勝手に決めつけて。最初に確立しただけで盲信して、基にせず、欲求と別の形で共存する模索を放棄して一本道を邁進した。
だからああなったのは、ある意味必然だったんだ。
『グゥ……グォ……』
「そうだ、もっと。こんなもんじゃない筈ですよ」
あれはいつもの
もう立ち上がれない竜を前に、これからのお楽しみその準備に取り掛かった。毒を塗った短剣に、水で薄めたポーション。それも効力の強弱を調整して揃えた虐待一式を取り出し、どれから使おうかと吟味していた。竜の衰弱具合を観見してこれが丁度良いいと、短剣を刺そうとした時だ。
鋭く空気を裂く羽音。高速に何かが近づいてくる。
背後、死角から。反射的にしゃがみ頭上を素早い影が通り過ぎていった。
――ブブゥン、ブブゥン。
「デッドリー・ホーネット……」
それは蜂だ。普通の蜂がそのまんま人の半身を優に越すサイズ感になった、顎、針、翅、全てが巨大な蜂型モンスター。
待ちに待ったお楽しみに乱入してきた邪魔者は、存在自体が懇切丁寧に高めた熱に冷水をぶっ掛けられる行為に等しく。計画にない乱入者の登場に撃退を即決する。大事な熱を損なわないように極めて事務的に、思考を働かせずに排除しようと務める。
突如、膝が崩れた。
足から一切の力が抜けた。立ってられない。地面に手をつけてどうにか倒れるのだけは防ぐ。身体の芯から熱い、視界が揺れて脂汗が全身から噴き出す。ありとあらゆる感覚が危険信号を発している。
――毒かッ!!
襲撃者の正体と照らし合わせて急に襲い掛かった不調の正体が自然と浮かび上がる。準備した虐待一式の中に解毒剤も含まれている。希望はある。まだ、終わってない。散らばった瓶に、解毒剤に手が届けば。
早く。敵は待ってくれない。どこにいる。
分からない。すぐ傍までもう迫っているのか。
動いていないのに視界が落ち着かない。気配が分からない。熱い。どこだ。早く解毒剤を。どの瓶だ。汗が邪魔。こうしてられない。羽音が五月蠅い。まさか違う個体。早く。早く。早く。
「言わんこっちゃない」
声、声?
誰の?私の?
声、声を――
「ォえ」
「あぁ、喋らない。喋ろうとも考えない、無駄なことに体力を使わない方が身のためだ」
声が酷く頭に響く。内容が入ってこない。
意識が霞む。目に写る全ての輪郭が溶けて歪みだした。
駄目だ。もう、もたない。
「―――、――。―、―――――――」
限界だった意識から完全に力が抜ける。一度緩んだ意識はそのまま全身の力みまで奪っていき、堪えきれず倒れ、地面の冷たさに沈んだ。
瞼が保てず薄れていく意識が最後に見えたのは、揺らめく火の輝きだった。
「あんな状態で戦ったんだ。あと少し手遅れだったらアンタ死んでたよ」
その後に目覚めてからようやく助けられたのだと悟った。夜も静まり返った真夜中、焚火の暖かみで照らされてこちらを見ている彼女の顔は忘れられない。
呆れや見下すといった感情ではない。それ見たことかと、邪険にした老婆の女神は一切の負の感情を私に向けていなかった。ただただ澄んだ貌で真っ直ぐに視線が注がれて、それが酷く私を混乱させる。
「ぁあ、どっい」
「喋らない、まだ満足に喋れる体力が戻ってないだろ」
言葉にならない声しかでない。どうにか喋ろうとしても喉からは擦れた声擬きが出るだけ。
「もどかしいだろうが、こっちから一方的に喋らせてもらうよ」
「とりあえず、あの場にあったポーションやら何やらを片っ端からアンタにかけたよ。その様子だともう大丈夫そうだね」
「あの蜂も、アンタがお楽しみ中だった竜も倒したよ。悪いが戦闘でアンタの荷物をいくらか使わせてもらったよ」
「あん、なんだい?その反応、もしかして使っちゃ駄目なもんでもあったかい」
いや、違う。
そうじゃない。
今、なんでもないことかのように。
「なんだい、その信じられないみたいな驚いた顔。もしかして女神が、神があの程度の光景に気圧される、それとも神罰を下すとでも思ったのかい?ならアンタも神々というのを誤解してる」
「神なんてものはそう単純じゃあないよ」
「善神は勿論、それと同じように悪神もいる。長年の趣味に殉じる神がいれば、一時の享楽に耽る神もいる。そして、アンタのような迷い子をほっとけない神もいるもんさ」
こちらを置いてけぼりに彼女は語る。
私にとって他者がこの趣味を認知していることですら血の気が引くのに。そのことを前提にどんどん話を進めていく。
落ち着かない気持ち悪い。誰かに自分の最奥の秘密を勝手に暴かれて、その上でまるでどうってことないかのように扱っている。
なのにどうしてこうも彼女ともっと。
「それにだ。怪物と奇縁がある子供、そういった子こそ私は眷属として欲しい」
――それはズルいってもんだ。
「な、まえ」
「あぁ、そういえば、そうだった。
その言葉を聞いた時に私の心は決まってしまった。元から
女神が黙っている。こっちから紹介するのを待つ気らしい。
倦怠感に掴まれている全身に渇を入れてどうにか身体を起こす。痺れる舌に力が入らない顎。声帯の奥までジリジリと痛むのを無視し、親から授かったものの中で未だ無事な大切な名を口にする。
「ヘ、、ルラ。フォ、ス、ター」
「ヘカテー、行路の女神ヘカテーだよ。これからよろしく」
これが私たちの始まり。
竜に狂った妖精が女神を道連れにした、或いは、行路の女神が妖精に違う末路を示す。
神と眷属の物語。