物心がついた最も古い記憶。少年にとっての始まりの記憶。
それは赤で彩られた。
炎の赤。血の赤。
父だった
楽しそうに笑っている。
命を奪いながら。
楽しそうに嗤っている。
人が傷つく様を。
楽しそうに、嘲笑っている。
人類の命を奪う、その生き物の名は…………。
神が君臨した神時代における希望。3つの厄災の内、2つを見事打ち倒した偉大なる英雄達は黒竜に敗れ、彼等に怯えて影に潜んでいた邪神とその眷属は世界各地で暴れ出した。
今なら正義を滅ぼし、秩序を蹂躙し、規律を凌辱出来ると思ったのだ。早い話、今の秩序の番人は舐められているのだ。
確かに強者はいる。
しかしゼウスとヘラの様に圧倒的な強者ではない。
戦えば死者が出る。
しかしゼウスとヘラの様に千を殲滅する単騎は居ない。
正義は受け継がれず、最強は代替わりせず、残りは弱者。
皆弱いものいじめが好きなのだ。ここにいる少年も、その一人。
「あぎあああああ!!」
「……………」
片腕を押さえて蹲る女性を見ながらニッコリと微笑む少年。その手には力で引っこ抜かれた女の腕が、今も血を滴らせていた。
「ごっ!?」
その顔面を蹴り飛ばす。鼻の骨がペキリと砕け、顎の骨がボキボキ砕ける。折れた歯が赤い線を引きながら路面を滑る。
「お、お母さん!」
駆け寄ろうとした幼女を蹴り飛ばす少年。ゲホゲホと咳き込む声を聞きながら、とても穏やかに微笑む。
「あ、ああ! 駄目、貴方まで………あぎ!?」
我が子に駆け寄ろうとする母親の背中を踏み付ける。人外の膂力でミシミシと力を込めていく。口から溢れる声はか細くなりやがて消える。
胸椎が砕け、肋が折れ、肺に突き刺さる。そういう玩具のように、背中を押され凹むほどに口からゴポゴポ吹き出る母親に幼女がまともに呼吸できぬまま立ち上がり駆け寄ろうとして、グシャリと母親の胸が潰れる。弾けるように吹き出した血液が幼女を汚す。
「ひぃ…………いやああああああ!!」
「ふふ。あははは」
幼女の悲鳴に朗らかに笑う少年は、再び幼女を蹴りつける。
「あ、う………はぁ、お、がぁ………あぎゃ!」
痛みに震えながらも母の亡骸に駆け寄ろうとする幼女を少年は踏み付けるように蹴る。
「げぅ!?」
何度も。
「ぎゃひ!」
何度も。
「ぎ……」
何度も。
「……………」
とうとう悲鳴すらあげなくなった。コヒュコヒュと聞こえる息遣いからして、生きてはいるようだが。
「ありがとう。楽しめた」
少年はそう感謝を告げ幼女の頭を踏み潰そうと足を上げ…………。
「貴様!!」
「……………ん?」
金髪のエルフが襲いかかってきた。死んだ母親と、意識を失っている幼女を見て怒りに震え………
「………え」
「がっ!?」
「…………弱いのになんで視線を外した。弱い上にバカなのか」
男を睨みつけようとした瞬間蹴り飛ばされた。
「割り込んできたから強いのかと思ったじゃないか。弱いと知ってたら、もっと手加減したのに………」
はぁ、とため息を吐きながら壁に頭をぶつけ血を流すエルフの少女を見つめる。
「………!」
「…………………」
血で赤く染まる目を向けてくる少女に、少年はブルッと身を震わせる。ムラリと来た。
「
「仕方ないな。ああ、仕方ない。冒険者で、弱い奴であろうと噛み付いてくるなら、虐めたくなっても仕方ない」
と、腰にさしていた刀を抜こうとする少年。その時だった……
「ストーップ!!」
2人の間に割り込む赤い髪の女。少年はピタリと止まる。
「喧嘩はそこまでよ!!」
「アリーゼ!? 何故邪魔をするのです! その
「違うのリオン! この人は、ギルド職員よ!」
「…………はあ!?」
アリーゼと呼ばれた少女の言葉にエルフの少女は叫ぶ。悪逆非道のこの男が、そんなわけと目が言っている。
「この男は、罪のない民を………!」
「よく見ろ間抜け。その親子は
全く、と疲れたように少年が母親の死体に指さす。全身に刻まれた傷から流れる血が赤く染め、服も原形を留めぬほどにボロボロだが確かによく見れば
「だ、だとしてもここまで傷付けるなど!」
「? 何故だ。アリーゼといるのなら、お前【アストレア・ファミリア】の新入りだろ? 此奴等を殺しに来たんじゃないのか」
少なくとも、これまで【アストレア・ファミリア】という正義の派閥は悪に対して、そうしてきた。生け捕りをすることも多いが、【ロキ・ファミリア】も【ガネーシャ・ファミリア】だってそうしている。
「それは、しかし………!」
「巻き込まれる人がいるならそうするわ。でも、今は少しでも多く捕らえて情報を………」
「そ、そうです!」
「新入りの前だからと言い訳してはいけないよ、正義の味方。嘘つきは悪党の始まりだ……お前は清く正しく生きたいのだろう」
仕方のないやつだ、と子供を叱る大人のような態度に敵意も悪意も感じない。その態度が先程までの所業とあまりにかけ離れ、気持ち悪い。
「此奴等は情報なんて吐かない。吐く前に死ぬ」
「でも、こんな………いたぶるなんて」
「我々の力は無力な民を守るため振るうべきだ!」
「せっかく俺を殺しに来てくれたんだ。普段は此奴等にいじめられる弱い奴を守る為に楽しめないんだから、こういう時に楽しまなきゃ駄目だろ。神々も言っている、すとれすふりーと言う奴だ」
と、まだ虫の息の少女の首を掴み持ち上げる。そのまま心臓を剣で貫く。
右腕から炎が灯り少女を焼き尽くした。
「っ!!」
「お互い秩序の味方として、仲良くしようじゃないか。お前等が弱い一般人を守って、俺が弱い敵を殺し、ロキとフレイヤが強い敵を道連れにする。それだけでオラリオは平和になる」
「まて! まだ話は!」
「リオン!」
まだ食って掛かるエルフの少女を無視して少年は歩き出した。
「アリーゼ! 例え
「解ってる。解ってるけど………あの人は、罪を犯してないの」
「あれだけのことをしておいて!?」
「
だから、罪に問われることはない。どれだけ残酷で残虐だろうと、彼が傷付ける者の中に一般人は居ないのだから。
「冒険者にも一切の攻撃をしてはならない。そういう制約もある…………でも、冒険者から襲いかかるなら最低限の反撃の許可も下りている」
「……………何者なのですか、彼は」
「………【
「お、おい! おいクロウ!」
「はい? 何でしょう、ロイマンギルド長」
報告書を提示し、定時にもなったので帰ろうとしたクロノを呼び止める声。振り返るとブクブク太ったエルフ、ロイマンがかけてくる。ここ最近、原因不明の心労で少しやせ肌がダルんでより醜くなった上司の姿に少し心配。
「ほ、報告書は読んだ! おも、お、お前! また冒険者といざこざを!」
「安心してください。ちゃんと弱かったですよ」
「問題を起こすなど何度言えば!」
「私は冒険者と争う気なんてないんですけどね」
しかし、向こうから何時もつっかかってくるのだ。自分は清く正しく生きているというのに。
「冒険者生命を脅かさない程度にいじめたいんですが、これまた何時も邪魔が入る。しかも俺が悪い、みたいな顔で睨んでくるんですよ」
罪のない一般市民を襲う悪を今日も殺したというのに。結局殺すのなら、趣味を入れても問題はないだろう。
「と、とにかく! 冒険者といざこざを起こすようなことはするな!」
「はい。ですから冒険者をどれだけ虐めたくなっても、仕方ないので我慢してます。どんなに弱くても一撃……は少しもったいないので二撃で気絶させるよう」
「馬鹿か貴様!」
「馬鹿、私が?」
中立故に武力を持たないギルドが保有する唯一の戦力とされるクロノ・クロウ。彼は最初、【ガネーシャ・ファミリア】の門を叩き『弱い奴をいじめたいです』と神に告げ面接落ちした。
その後ギルド職員となりウラノスに交渉し、ダンジョン内での採取物を全て無償で【ヘファイストス・ファミリア】と【ゴブニュ・ファミリア】に降ろす、冒険者同士の争いに関わらない、自分から冒険者を攻撃しない、月に一度オラリオの神々に中立を破るような行動をしてないか報告する、ステータスの開示、
時代が時代だと、ギルドも戦力を保持しておきたかったのもあり認めてしまった過去の自分を殴りたいロイマン。
「……………?」
そんなロイマンの後悔など露知らず、たとえ弱くても目上の相手に敬語を使う自分の何処が馬鹿なのだろうかと首を傾げるクロノ。
「まあ、わかりました。次からは弱い冒険者は一撃で気絶させます」
「冒険者と争うなと言っているんだ!!」
「自分も出来ればそうしたいんですが………ほら、【ロキ・ファミリア】とか徒党を組まれると強いですし。仕事に趣味を混ぜただけなんですがね。最終的な結果は変わらないでしょうに」
「そんなに人を殺したいのならいっそ
そうすれば処理する理由が出来るのに、と思わず出てしまった言葉にハッと口を押さえるロイマンに、クロノは何を言っているのかと困ったように笑う。
「ロイマンギルド長。