「心の糧」は、以前ラジオで放送した内容を、朗読を聞きながら文章でお読み頂けるコーナーです。
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坪井木の実さんの朗読で今日のお話が(約5分間)お聞きになれます。
両親共働きの私にとって、祖母の家は全世界だった。
うなぎの寝床のような古い家はとにかく居心地が良くて、そこでは何をやっても楽しかった。ふわりと漂う線香、樟脳と年季の入った畳の匂いの中に、「おばあちゃんがいる」ことは揺るぎのない安心感を与えてくれた。生まれた時からそばにいて、これからもずっといるだろうと錯覚していたほど、当たり前の存在だった。
しかし、来たるべき日が突然やってきた。
30代のある日、台湾から1本の電話がかかってきた。
祖母の訃報だった。私は茫然自失して、世の中のものすべてが崩れ落ちたかのように感じた。気がつくと、どこからこれほどの水が出てくるのかと自分でも驚くほど涙が止まらなかった。
悲しみに打ちひしがれながら帰国し、祖母の葬儀に出た。
祖母が臨終洗礼を受けたので式は全て教会で行われた。無信仰だった私は、初めて参列したカトリックの葬儀ミサに衝撃を受けた。なぜなら、そこにあるのは虚しい悲しみでもやり場のない嘆きでもなかった。葬儀は最初から最後まで明るく、穏やかな希望に満ち溢れていた。私は何か言葉で表せない温かくて優しいものを感じて胸がいっぱいになった。
そのぬくもりは、まるで懐かしいおばあちゃんの家にいるようだった。
祖母の葬儀がきっかけで、やがて妹と私は洗礼を受けてカトリック教会の一員となる。おばあちゃんは自分の死によって、孫娘を永遠の命へと導いてくれたのだ。
今でも、時々祖母に会いたくて淋しくなることはあるが、天国で再会する楽しみの方がはるかに強い。おばあちゃんの家はもうなくなったけれども、私の拠り所は消えることがない。