久し振りにセブンティーンアイスを食べて「おいしい」について考えさせられた話
高校生の頃、私はいつも駅のホームであなたと会っていた。あなたは、電車が到着するまでの退屈でな時間を特別なものに変えてくれた。大人になってからも、あなたを見かけるたびに、私はあの頃の自分を思い出したわ。今でも駅のホームに立つたびにあなたのことを思い出す。時代は変わった、そして私だってあの頃とは違う。それなのに、あなたはずっと変わらないって勝手に思い込んでいたのかもしれない。
バカだよね、私。そんなわけないのにね。
びっくりしましたよ。今、セブンティーンアイスって二百円するんですね。私が高校の時は百円だったから、値段が倍になったってことですよ。あのセブンティーンアイスが二百円……。
みんな大好きセブンティーンアイス。自動販売機で売られているアイスで、プラスチック製の棒に円錐をさかさまにしたような形状のアイスが特徴的。存在感のある自動販売機に並ぶ魅力的なフレーバーに誘われて、つい購入してしまうという人も多いのではないでしょうか。
いや、今は自販機のジュースだって結構なお値段ですから、アイスが二百円というのは決して高くはないんですよ。でも、セブンティーンアイスと言えば、雑多な駅のホームで百円玉を投入して、冷たいプラスチックの椅子に座って食べるもの、というイメージが強くて、なんていうか、「家やお店などで味わって食べるアイス」というよりは、「電車が来るまでの間にサクッと食べるアイス」という感じだから、それが二百円となると、ちょっと混乱するところがあるわけです。
まあ前置きはそのくらいにして、私は今日、たぶん四~五年振りにセブンティーンアイスを買いました。前回買ったときはさすがに百円ではなかったけれど、百円台だったと記憶しています。百円のものが百五十円とか百七十円に値上げすると、「じわじわ上がっているな」としか感じませんが、二百円となると「ば、倍! 」なんてビビっちゃうのはなんででしょうね。
ちなみに、さっきから何度も「セブンティーンアイスと言えば駅のホーム」と言っておりますが、買ったのは休日の公園です。今考えると、駅のホームでひとりセブンティーンアイスを食べるなんて行為は、若さゆえのものですよね。今(45歳)やっていたらちょっとかわいそうな人ですよ。まあそうは言っても食べたくなったら気にせずホームで食べますけど。
その点、休日の公園ならば何の違和感もない。事実私が購入する前後に私よりも年上のお客さんや、私くらいの年齢の人、若い人たちが次々と買っていました。季節の割には暖かい日だったので、冷たいものを飲むような感覚で買っていたのだと思います。ちなみに私もその一人です。
さてさて、何にしよう。ぬりかべほどの存在感がある例の自動販売機の前で、私はこれ以上ない真剣さでフレーバーを吟味し始めました。
セブンティーンアイスと言えばチョコミント、という方は私だけではないでしょう。私も高校生の頃、散々お世話になりました。あの、それほど清涼感が強くないミントと、それほど主張してこないチョコの平坦なマリアージュが素朴というか、安心感があるというか。チョコミントって商品によっては妙なこだわりを見せてくるので「節子、これチョコミントやない。ミントミントチョコや。」的なことも多々あるのですが、セブンティーンアイスのチョコミントって、ある意味「思った通りのチョコミント」の味ですよね。
でも、その日の私の気分は違っていました。悩んだ挙句私が購入したのは「ソーダフロート」。水色のアイスにバニラのマーブル模様が走る、見た目もポップな一品です。セブンティーンアイスって、とにかく色がきれいですよね。今風に言えば「映える」、大人の目線で見れば「着色料の技術ってすごいな」といったところでしょうか。あれ、悪口っぽくなってしまいましたがそんなことはありません。
ちなみに、昔はあの円錐をさかさまにしたような形状のアイスだけでしたが、今はコーンが付いたものや、シャーベット状のアイスもあるようです。さらになんと私が購入した自動販売機は電子マネーでも決済ができました。時代は変わったものです。
そんなわけで無事paypayで支払って購入完了。ゴロゴロという鈍い音と主にアイスが落ちてきました。ああ、この音も懐かしい。早速巻紙を剥いて実食です。上手く剝かないと巻紙にアイスが付いてしまうんだよな、と心配しながら剥きましたが、きれいに剥けました。包装の技術が向上しているのか、はたまた私の食べ物への執着が念となった結果なのかは定かではありません(たぶん前者です)。
昼下がりの公園のベンチに座ってひとくちガブリ。思わず「あっ」という声が漏れてしまいます。そうそう、これこれ。この奥行きのない風味、深みのない甘さ、そして子供だましのソーダと安っぽいバニラの後味。例えていうならば白い壁にただペンキをベタベタ塗りたくったような味。懐かしい。これですよ、これがセブンティーンアイスです。
悪口を並べているように見えたとしたらとんでもない誤解です。私は嬉しかったのです。私が制服姿でセブンティーンアイスを頬張っていた頃からすいぶん時は過ぎ、アイスの製造技術も大いに発展したことでしょう。ということは、セブンティーンアイスがものすごくおいしくなって、あのころとは全然別物の味になっている可能性もあったのです。しかし、その味は私の記憶のままでした。それでいいんです、いえ、それがいいんです。私がセブンティーンアイスに求めているのは「あの頃と同じ味」なのです。
私は懐かしさをかみしめるようにソーダフロートを食べ進めました。そう言えばセブンティーンアイスって、かじりながら食べるんだっけ? それとも舐めながら食べるんだっけ? などと思いながら食べていたら、あっという間に穴が開いている平たい軸が見えてきました。そう言えば昔は持ち手が白いプラスチックだった気がするけれど、今日のアイスの持ち手は少し透明感があるような気がします。すべてがあの頃のままのような気がしていましたが、包装も材料も、そしてもしかしたら味も、私が気づかないところでマイナーチェンジがなされているのかもしれません。作り手側も、私のような昔のお客が久しぶりに買ったときにがっかりしないように、味の変化を最小限にとどめている可能性もありますね。
セブンティーンアイスを食べたことがない人に「おいしいのか」と問われたら、私は「いや、それほどでもないけど」と答えます。正直なところ、コンビニで二百円出せばもっとおいしいアイスはいくらでも買えるでしょう。けれども、今日の私は懐かしい味が食べたくて、久しぶりに買ったらあの頃の味がして、とても満足しました。だから私にとって今日食べたセブンティーンアイスはおいしいアイスでした。
私は今まで、その食べ物がおいしいかどうかは、ただ純粋に味だけで判断されるべきだと思っていました。「おいしい」を作れるのは、選び抜かれた素材や調理の腕といった、直接的にその食べ物にかかわっているものだけだと考えていたのです。けれども、例えば「懐かしさ」とか「思い出」といった、味それ自体には全く関係がないものも、「おいしい」の構成要素になりうるのではないか。青色に白のマーブル模様のアイスを食べながら、今日はそんなことを考えました。
「おいしい」という概念は、私が思うよりずっと柔軟なものなのかもしれません。
人の数だけ「おいしい」はある。セブンティーンアイスを食べて深いことを考えさせられた一日でした。
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