昭和47年 総武複々線の開通と183系特急の登場 | なつかしの鉄道写真館

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昭和40年代の全国の蒸気機関車・路面電車・トロリーバスから最近の復活蒸機まで、「懐かしさ」をテーマに鉄道写真をUPしています。

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昭和47年7月15日東京駅の丸の内側の地下に東京駅地下ホームができ、東京~錦糸町が新線に、錦糸町~津田沼が複々線化され総武快速線と名付けられました。投入された電車は地下線向け難燃化対応のシールドビーム113系1000番台で、その頃に横須賀線で使われていた113系はデカ目でした。

併せて一般の人に分かりにくかった房総西線の名称を内房線に、房総東線を外房線に変更すると共に、初めて千葉エリアに特急が登場したのもこの時です。

①昭和47年7月15日 東京駅総武快速線地下コンコースでの開業の案内 横須賀線はまだ地上ホームで、地下ホームに移転したのは昭和51年10月からです。
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②昭和47年7月15日 東京駅総武快速線地下コンコースに設置されたC6215の動輪
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③昭和47年7月15日 東京駅総武快速線地下ホーム 開通式の直前の飾付で、報道陣のような脚立ではなく腕をバンザイさせてパチリ 
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④昭和47年7月15日 新日本橋駅
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⑤昭和47年7月15日 総武快速線津田沼駅 左奥には総武線緩行の車両が見えます
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⑥昭和47年7月15日 総武線津田沼駅 旧国もまだ走っていました
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⑦昭和47年7月15日 新宿駅 外房線に「わかしお」、内房線に「さざなみ」登場
スティーヴン・セガールの暴走特急ではなく、単線区間が多く早くない房総特急ですから
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⑧昭和47年7月15日 新宿駅 183系 外房線特急「わかしお」出発式 内房線の電化完成は内房線からC57の旅客列車が消えた翌日の昭和44年7月11日でしたが、外房線の電化完成は3年遅れでした。
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⑨昭和47年7月15日 総武線津田沼駅 183系 内房線特急「さざなみ」 
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⑩昭和47年7月15日 御茶ノ水駅通過の165系 房総内回り循環急行「なぎさ」。
館山止まりの「うち房」を廃止して房総半島グルリ一回りの「なぎさ」に変更。
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⑪昭和47年7月15日 錦糸町駅の165系 房総外回り循環急行「みさき」。
昭和50年に館山止まりの「うち房」と安房鴨川止まりの「そと房」に逆戻りの上で昭和55年11月には急行を廃止して特急に一本化。
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⑫昭和47年7月15日 錦糸町駅 113系 外房線海水浴臨時快速「白い砂」
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⑬昭和47年7月15日 錦糸町駅 113系 内房線海水浴臨時快速「青い海」 HMが不足して代用品のようです
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⑭昭和47年7月14日 御茶ノ水駅 キハ28の「急行」の方向幕を付けた「快速千葉行き」 総武快速線開業・外房線電化前夜で、新宿駅から千葉気動車区に戻る際の幕間運用の最期の姿となります
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千葉エリアから113系が消えてから丸4年、現在の総武線からはここに写っている車両の全てがいなくなってしまいました。

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