161.わりと切実逃避行
私と、私を取り囲む見知らぬ貴族のお兄さん方と。
そしてそんな私達を追ってきた形で、険しい顔の勇者様。
不機嫌そうな目線が、貴族のお兄さん方をじろっとなぞっていきます。
「え、殿下…? そのお姿は………」
お兄さん方の目は、真ん丸お月さま並に丸ぁるく見開かれました。
多分、舞踏会が始まった頃の一部の隙もなく完璧だった勇者様。
彼のお姿の、あまりの変わり果てように。
いつもの生真面目でキリッとピシッとした勇者様とは、物凄く違いますものね。
魔境では情けない姿も目にしましたが、ここではそうはいかないでしょう。
何しろ、王子様(悲)だし。
きっとこんなに乱れた姿、彼らは初めて見る筈です。
驚きと困惑で、彼らの動きは見るからに鈍っていました。
ぎっしぎしです。
そんな彼らにつかつかと近寄り、腰やら腕やら肩やらをべたべた触られていた私に勇者様が厳しい目を向けてきます。
うわ、怒ってる?
ゲソに絡まれたままの勇者様を放置したこと、恨みに思っているんでしょうか。
ごめんね、勇者様…。
私はちゃんと、まぁちゃんを呼んでくる気だったんだよ? 本当だよ?
腕を組んで、じろじろと私やら貴族の青年やらに視線を走らせること、暫し。
深い溜息に、貴族の青年達の肩がびくっと跳ねあがりました。
その瞬間、私に伸ばされていた彼らの手が力を弛めます。
多分ですけど、反射的に。
それを見計らっていた訳でもないのでしょうが、勇者様は隙を見逃すような人じゃありません。
…まあ、青年達が怯まなくっても、簡単に出来たことでしょうけれど。
勇者様は私の右手首に腕を伸ばし、しっかり掴んで引っ張りました。
私の身体を、自分に引き寄せる様にして。
巨大水烏賊のゲソを相手にしてのことか。
それとも、肉食系お嬢様方を振り切る為にか。
どちらかはわかりませんけれど、きっと物凄く消耗したんであろう勇者様。
お疲れで、気怠そうな様子で。
全身が格闘の後を思わせる乱れようだって言うのに。
その全身には威厳すら感じるほど、厳しい何かが見えるようです。
まるで蕪でも引っこ抜くように私の身体を引き寄せた勇者様。
そのまま私の肩を抱いて、自分の懐に囲い込むようにして。
………ん? あれ?
もしかして勇者様、貴族のお兄さん達を威嚇…いえ、威圧してる?
きょとんと見上げるけれど、今の私には勇者様のお顔を真正面から見ることは叶いません。身長差の関係上、見上げる角度じゃ真意なんて測れるはずもなくて。
きょとんとした顔で、首を傾げてしまいます。
私の疑問符一杯の現状なんて、勇者様は気にした様子もなくて。
ただ、貴族のお兄さん達から目を逸らさない。
その、険しく細められた、睨むような目を。
「………リアンカ、彼らは?」
…と思ったら、いきなりこっちに矛先ですか!?
私よりも貴族のお兄さん達に注意はいっていると思ったんですけど…なんだか、そうでもなかったみたい?
私はますますもって勇者様が何をしたいのかわからなくなって。
それでも聞かれた言葉には、素直にお答えしておきました。
「名前も知らない方々ですが」
「つまり、他人だな」
「他人ですね」
ずばっとすぱっと、切り捨て御免!
何にも包むことなく、はっきりと言い切ってみました。
「…その割には、親しげな様子だったけど。何か無理強いされたのか?」
「いえ、あのお兄さん達凄いですよ! こっちに疑問や反感を抱かせる隙もなく、ナチュラルに動いてきますから」
あのさり気無さ、相手の意識の外側からするるっと滑り込む様な手際!
…鍛えれば、一流のスリになれるんじゃないかな。
私の顔を見下ろし、勇者様が再度の溜息。
なけなしの幸せが逃げますよ、勇者様。
ただでさえ、幸薄いんだから。逃げられがちなんだから。
…一瞬、何だか勇者様にじとっとした目で見られた気がしました。
多分気のせいだよね、多分!
今度は私に対して小さな溜息を溢すと、それで意識を切り替えたのでしょう。
勇者様は凛とした面持ちと声で、貴族のお兄さん達に告げました。
「彼女のパートナーが誰か、知っているな? 俺のパートナーに、何か?」
何か、と尋ねつつ。
勇者様の目は吹雪の氷点下。
まさか何か意見があるわけじゃないよな、と。
彼の目が脅すように貴族達を威圧していました。
自国の王子様、それも英雄にそんな目で見られて…
貴族のお兄さん達は当然の如く萎縮してしまい、物言いたげにちらちらと視線を走らせます。
でも、何か言うわけでもなくて。
状況は一種の膠着状態に陥ろうとしていました。
そんなとき。
遠くから微かな声が聞こえました。
――『殿下ー? どちらにいらっしゃいますの~?』
――『おかしいわ。皆さま、次はあちらを探してみましょう』
――『殿下ぁ。わたくしの愛しい方…!』
……………。
…………………。
………私の肩に乗せられた勇者様の指が、びくっと跳ねました。
それはもう、さっきの貴族のお兄さん達以上の反応で。
心なしか、私の肩に乗った勇者様の手がみるみる冷たくなっていくような…
見上げた勇者様のお顔に、だらだらと脂汗が…。
じいっと見上げていたら、勇者様と目が合いました。
――逃げよう、地の果てまでも。
勇者様の目が、そう言っていました。
意外にも優秀な狩人らしい、淑女達の軽い足音が迫ってきます。
切迫した最中でも、決着はつけねばならないと思ったのでしょうか。
今にも逃げ出したそうにうずうずする足を抑えつけて、勇者様は内心の焦燥感など感じさせないキリッとしたお顔で貴族のお兄さん達を強く見据えて…
「彼女は、俺のパートナーだから。リアンカは俺が連れていく」
勇者様が凛とした声音できっぱりと言い切った頃合いに。
ああ、何というタイミングでしょう(笑)
この場に、勇者様を捜索していた令嬢達が、姿を現したのです。
それまでキリッとしていた勇者様の表情が、凍りつきました。
丁度のタイミングで現れた令嬢方が、驚いたように立ちすくんで足を止め。
内心ではきっと物凄く怯えているでしょう、勇者様。
令嬢達の気配がはっきりとこの場に入り込んだ瞬間、彼の体が人知れず硬直するのが密着した部分から感じ取れました。
わお。完璧に地蔵化してる…。
このまま固まっていると、食われちゃうよ?
令嬢達も出会い端に聞こえてきた勇者様の宣言で、固まっているようだけど…
彼女達は図太そうだから、直ぐに回復して勇者様を取り囲みそうな気がします。
………仕方ないですね。
いつもお世話になっていますから。
ここは、私が勇者様を助けるべきなのでしょう。
この膠着した場を、離脱するために。
唐突で、いきなりで、何の脈絡も前振りもなくても。
これは言ったもの勝ち、言い逃げしたもの勝ちということで。
私は固まっているこの場の全員に、にっこりと笑いました。
「それでは皆様、勇者様…ライオット王子のパートナーは、私ですので。
私達はこのあたりで失礼させていただきますね?」
――ごきげんよう。
そう言い残して、私は去ります。
勇者様を引きずってでも。
息の詰まったような、喉が潰れたような。
悲痛な短い悲鳴が、そこかしこから聞こえたような気もしましたが。
今は無視です。
私は、私を懐にかくまっていた勇者様の手を逆にぎゅっと握って。
手を繋いだ状態で、引っ張って歩き出しました。
誰もいない方向へ、有無を言わさないうちに。
ぐいぐいと、ぐいぐいと。
やがて二、三歩引かれて歩くうちに、勇者様の足は自分から動くようになって。
逃げるために移動するという、当たり前のことに協力的になって。
今度は逆に、私の手を引いて先に歩き始めました。
傍目に「積極的」と見えるその光景に、後方からの悲鳴が一際大きくなったような気もしますが…無視です、無視。
私と勇者様の二人を、絶望の眼差しが追っています。
でも勇者様は令嬢達に一瞥もくれることなく。
むしろ目を合わせたらお終いだとばかりに、頑なに顔を向けず。
心持ち早歩きに、すたすたと。
すたすたと、人気のない方へと私を促し逃走しました。
結局勇者様は、一度も後から現れた令嬢達と目をあわせはしませんでしたねー…
勇者様、『目を合わせない』って野生の猿を相手にする時の対処法じゃ…。
そして人目が完全に遮られたのを、皮切りに。
勇者様は私の腕を掴んだまま走り出しました。
怖い怖い、怪物から死に物狂いで逃げるような感じで。
まあ、勇者様にとってはそのまま、その通りなのでしょうが。
「勇者様、あれって完全に誤解が深まるんじゃない?」
「ごめん、リアンカ。今の俺は完全にそういうことに気を回しているだけの余裕がないんだ…! とにかく、逃げなくては」
囲まれてしまう…!と。
それを恐れる勇者様には、先程までのキリッとした表情の面影なんて欠片もありません。うん、でもこれでこそ勇者様だわ。
「ところで勇者様、ゲソはどうしたんですか?」
「酷い目に遭った! 何とか引き離して剣で滅多刺しにしても動きは止まらないし。肌に吸盤で吸い付かれた跡が赤く残るし…!」
「え、それでどうしたんです。引きはがして、放置?」
「食った」
「え゛、勇者様が!?」
「…いや、丁度通りかかったリリフが」
「ああ、真竜のリリフなら食当たりの心配もありませんね」
何しろあのゲソ、生食用じゃありませんから。
でも胃袋最強生物・真竜なら生食してても安心です。
「って、あれ? なんでリリが通りかかるの?」
「………庭園で、セツ姫とかくれんぼ中だそうだ」
「勇者様、何こっちに来てるの? そっちの方が危険だよ?」
「確かに危なっかしいが、リリフが見ているなら実害はないだろう。それより俺は、君を放っておく方が怖い」
「勇者様ってとっても正直ですよねー…」
「それより早く、行こう。こうしている間にもいつ追ってくるかわからない」
「それに勇者様って、女性が絡むと簡単にプライド投げ捨てますよね」
「そんなものよりも、命と貞操の方が大事だ。下手したらこっちが襲われた側だとしても、責任という名目で結婚の悪夢まで待ったなしに一直線なんだぞ!?」
「切実ですねぇ」
「ああ、切実なんだ…」
そう言う勇者様は、蝋人形のように真っ白な顔色でした。
「それで、逃げかえってきた…と」
「うん、そうなんだよ。まぁちゃん」
現在、私達がいるのは勇者様の離宮。
私達のこの国での拠点です。
あの後。
当て所もなく逃げ惑っているのかと思ったら、そんなこともなく。
王宮中の抜け道を逃走経路として網羅していると、勇者様が豪語なさったその通りに。どうやら人気のない方向へ逃亡しているだけに見えた勇者様は、最短距離で目的地へと辿っていたようです。
即ち、ご自身の離宮まで。
そこには主人を迎え入れられるように待機していたサディアスさんがいて。
そんな彼に、勇者様は言いました。
「池に落ちて衣装が乱れてしまったんだ。着付け直しを頼む」
「承知いたしました。その後はいかがなさいますか?」
「舞踏会に討って出…じゃない、舞踏会に戻るよ。流石に王家主催の催しを王子が抜ける訳にはいかないだろう」
「……他の方々も戻っていらっしゃいますが、どうなさいますか」
「…………………他の皆には、十分な休養を勧めてくれ。彼らは俺の家臣じゃない。どうするかは彼らの良い様にするだろう。
…が、リアンカは絶対に引きとめろ。もう今夜は離宮から出さないように 」
勇者様は本当に、随分とお疲れのようでした。
私もまぁちゃんにさっさと寝ろと急かされて、今夜は大人しく就寝予定。
今夜はもう終わろうとしているけれど、勇者様の舞踏会はまだ続くようです。
式典の本番、明日らしいんですけどね!
………こんな調子で勇者様、保つのかな?