AgneiyaIV
第一章 さすらいの皇女 
7.交錯(4)


 夜の街を疾駆する馬影がふたつ。墨を練り上げたような青鹿毛の馬と、黄金に輝く栗毛の馬。並んだ二頭は先を競うように。鼻面を合わせて灯りの絶えた街道をひた走っている。
 青鹿毛に乗るのは、同じ黒髪の少女。長い衣裳の裾をなびかせて、横座りの姿勢のまま巧みに馬を操っている。これで、併走する栗毛と速度はあまり変わらない――寧ろ、栗毛よりも勝る速さで駆けているのであるから。その技量はたいしたものであろう。栗毛を駆る青年は、横目に彼女の姿を見て、内心舌を巻いていた。見かけは楚々とした令嬢、しかしその実かなりのお転婆ときている。姿だけは男子だが、内面はか弱い少女そのものである双子の妹とは、対照的だ。
「あとどれくらいだ、皇女さん?」
 尋ねる声に応えるのは、
「もうすぐ。この山を越えれば、見えてくるわ」
 息一つ乱さぬ言葉。
 星明りだけが頼りの夜道では、正確な距離も時間も量ることはできない。けれども、グランスティアの離宮からオルネラへの道筋を思い返せば。それほど遠くは無いということに思い至ったのだ。ことに、今は。二人とも馬を飛ばしている。馬車で訪れた往路とは速度が違う。このままいけば、半刻も経たぬうちに離宮に着くことが出来るだろう。
「問題は、その後なのよね」
 クラウディアは今日幾度めかしれぬ溜息をつく。
 そう。問題は、どうやって離宮に入るかだ。先日、バディールが入らぬ潜入をしてくれたおかげで、警備がさらに厳しくなった。ことに、王太子妃の部屋ともなればルーラを初めとする精鋭たちが警護をしている。その眼を掻い潜って部屋に到達したとしても。うまく『妹』と入れ替わることが出来るかどうか。
 アグネイヤは、頑固だ。お人よしで、人の前に出ることを嫌う控えめな性格ではあるけれども。一度自分が決めたことは、頑として翻そうとはしない。ことに、片翼の――『クラウディア』の命がかかっていることであれば尚更。どうあっても、ジェリオの刃を受けて死ぬつもりだろう。
 そうすることで、故国と片翼を守ろうとする。
 健気と言えば健気だが。クラウディアにとっては、迷惑な話である。
(残されるほうの身にもなってよね)
 自分の命か、他人の命か。二つにひとつを選ばなければならなかったとしても。そこであっさりと自身の命を差し出すような愚を、自分は犯さない。両方とも助けるのだ。助かるのだ。痛みわけだろうが、なんだろうが。可能性が僅かでもある限りそこに賭けなければならない。それが、人生というものだ。
 そう言い放つ気性こそ、アルメニアの皇帝に相応しいと。バディールなどは絶賛する。それならばいっそ。ここで、このまま二人が入れ替わって。アグネイヤを予定通りフィラティノアの后に、自分がアルメニアの皇帝に――なればよいだけのことなのだが。
 それが一番よい方法なのだが。
「どうした、皇女さん?」
 ジェリオが意味深長な笑みを向ける。
「あっちの皇女さんと、入れ替わるつもりか?」
「……」
 見抜かれた。ジェリオに。彼も、伊達に片翼と日々を過ごしていたわけではないらしい。
「どっちでもいいぜ、俺は。高貴な生娘を抱けるんだったらな」
「あら? わたしは人妻よ?」
 言い返すが。
「見りゃわかる。あんたは、処女妻だ」
 あっさりと彼は言い放つ。遊び人は一瞥で処女と非処女の区別が出来るというが。彼はどうやらそれらしい。
「……」
 クラウディアは眉をひそめ、そっぽを向いた。
「そういうところは、あっちの皇女さんと同じだな」
 ほかは違うというのだろう。その言葉も癇に障る。クラウディアはさらに表情を険しくし、彼を無視して脚を速めるべく。馬の脇腹を強く蹴った。
 と。
 ふいに目の前を影が過ぎる。馬は驚いて棹立ちになり、クラウディアは危うく振り落とされるところであった。手綱を引き、体勢を整えて。なんとか馬を宥めたあと。
「何者?」
 彼女は闇の中に鋭く誰何の声を上げた。
 街道を囲む、暗き森。その中からこちらを窺う気配がある。殺気とも取れるその冷ややかなる視線に、クラウディアは自然、身構えた。
 春とはいえ、ここはフィラティノア。いまだ森には雪が残り、吐く息は白い。その息の白ささえも覆い隠そうとするのは、木陰の闇――しかし、視線は隠せはしない。殺気を伴う、刃のごとき視線。それは、過たずクラウディアを狙っている。
 アグネイヤを狙う、フィラティノアの刺客か。
 それとも。クラウディアを仕留めんとするアルメニアの手のものか。
 おそらくは、前者であろう。それは、ジェリオの反応で解かった。彼は鬱陶しげに前髪をかきあげると、吐き捨てるように呟く。
「また、あんたかよ」
 また、ということは。ジェリオは以前『彼ら』と遭遇している。となれば、狙われているのはアグネイヤだ。クラウディアは、自然手綱を握る手に力を込める。ここは突破するか。それとも、応戦するか。同行者であるジェリオの動きにそれはかかっているのだが。彼がどう動くか。
 クラウディアが、傍らにちらりと視線を向けると同時に、深き闇の中からほっそりとした影が滑り出す。
「この間は、よくも恥をかかせてくれたわね、坊や」
 艶かしい声がよく似合う、蠱惑的な女性であった。長い黒髪を結いもせずに背にたらしているということは、未婚の娘か。それにしては、年齢が高いように思える。ルーラと同じ、もしくは彼女よりもひとつふたつ年上であろう。
 言葉尻に南方の訛りを持つその女性は、朱唇を歪めるように笑った。その笑みが向けられているのは、ジェリオ。彼とは少なからぬ因縁があるようである。
「恥ずかしい思いして、誰かに助けてもらったか? ついでに誘ってやっちまったんじゃないのか? ドゥランディアの獣が」
 ドゥランディアの獣――その言葉に、女性の眉が僅かに上がる。
(ミアルシァ?)
 クラウディアは乾いた唇を舐めた。
 ドゥランディアの獣――エルディン・ロウとはまた異なる、南方の暗殺者の一族。それを手中に収めているのはミアルシァの王室である。彼らが放った刺客といえば、普通はフィラティノアに嫁いだクラウディアに向けられるはずであるが。どうやら、彼女の狙いはアグネイヤらしい。
(どういうこと?)
 やはり、アルメニアの中ではアグネイヤの廃嫡もしくは暗殺が叫ばれているのだろうか。彼女を失脚させて、フィラティノアからクラウディアを秘密裏に呼び戻す。そんな愚かなことを考える大臣がいたとしてもおかしくはない。
 政治というものは、必ずしも道理に則ったものではなく。寧ろ他者から見れば滑稽なほどお粗末なものなのだ。
「まだ、その娘にくっついているのね。よっぽど良かったのかしら?」
 肉体的な意味を込めた皮肉を、ドゥランディアの女性が吐いた。彼女は値踏みするようにクラウディアを見上げ、それから、おや、といった風に首を傾げる。
「あなた」
 不審そうに彼女が眉を寄せたときだった。
「殺るのか?」
 ぬっ、と。彼女の背後から巨漢が姿を現した。あの細いからだの背後にこんな男が隠れていたのか、と驚いたのもつかの間。彼は太い腕をクラウディアの方に伸ばしてきた。殺気を感じた馬が、再び棹立ちになる。
「……っ」
 それを利用して、クラウディアは馬首を巡らせた。馬は後肢を蹴り上げ、巨漢はそれを避けきれずに後方に吹っ飛ぶ。
「おやおや。乱暴な妃殿下だ」
 ジェリオは茶化すように言い、口笛を吹く。その言葉を、ドゥランディアの女性は聞き逃さなかった。
「妃殿下?」
 彼女は馬上のクラウディアを再び見上げる。黒い瞳が星灯りの下煌いて、何かを探るように細められる。
「あなた、もしかして……?」
 彼女が全てを口にする前に、巨漢が身を起こした。彼がかぶりを振りつつ立ち上がろうとするところを、クラウディアは一気に馬で飛び越す。――つもりだった。しかし。
「うっ!」
 伸ばされた手が、彼女の足を掴んだ。均衡を失った身体は、宙に投げ出される。
「あっ」
 空が、歪んだ。
 クラウディアは受身をとることも出来ず、路上に放り出される。背中に激しい衝撃が走り。身体を庇った右腕が嫌な音を立てた。
「……くっ」
 痛みに、全身の感覚が麻痺を起こす。
「皇女さん」
 焦ったようなジェリオの声が、遠くの世界のもののように聞こえた。
「カイラ。おまえ、こいつはアグネイヤじゃねーぞ」
 彼は女性に向かって怒鳴りつけている。カイラと呼ばれた女性も、そのことには気付いていたらしい。慌てて巨漢を止めに入るが、間に合わなかった。
「もーらい」
 歌うように呟いて。巨漢はクラウディアの身体を踏みつける。ぐぎっと肩の関節が音を立てた。脱臼してしまったのか。左腕が、だらりと肩から垂れ下がる。それでも飽きたらぬのか、巨漢はクラウディアの首を締め上げて。玩具のように宙に投げ上げる。
「馬鹿! カイル、やめなさい!」
 悲鳴に似た声が、はるか下方に響いていた。クラウディアは白濁しかけた意識の中で、彼らの入り乱れる声を聞いている。
「聞こえたでしょう、その子は、あたしらのエモノじゃないわ」
「エモノじゃない?」
 カイルはきょとんとカイラを振り返る。その鼻先を掠めて、クラウディアは再び地面に叩きつけられる――ところであった。
「……?」
 衝撃を予想して身を固くしていたクラウディアは、思いのほか軽い衝撃に眼を見開く。
「意外に重いな」
 目の前に、皮肉げな笑みがあった。
 ジェリオである。彼が寸でのところで受け止めてくれたのだ。
「あ、ありが……」
 礼を言いたかったが、痛みで口が思うように動かない。おそらく、口の中も切ったのだろう。血の味が口内にじんわりと広がっている。クラウディアは激しく咳き込み、血の混じった唾を吐き出した。
「大丈夫か?」
 切迫した声が聞こえる。クラウディアは頷こうとするがこれも叶わない。
「馬鹿野郎が。玄人が狙う獲物間違えるんじゃねぇ」
 そういう自分も、先程まで間違えていたくせに。
 心の中で悪態をつきながら、クラウディアは必死に意識を呼び覚ましていた。ここで時間を無為に過ごすわけにはいかない。早く、離宮に戻らなければ。それだけが、彼女の気力の支えとなっていた。クラウディアはジェリオの肩につかまり、自身の足で立とうとするが。
 動けない。
 力はことごとく身体からすり抜けていってしまう。
「早く」
 離宮に、と。唇の動きでジェリオに訴える。彼はこくりと頷き、クラウディアを馬上に乗せた。その後から自身も馬に飛び乗り、彼女の身体を支えるように手綱を持つ。
「エルディン・ロウ!」
 カイラが叫んだ。
「説明しなさい。これは、一体」
「商売敵に何も言う必要は、ねーな」
 不敵な笑みを残し、彼は馬の脇腹を蹴る。走れ、の指示を受けた馬は、再び闇に延びる街道を走り始めた。
 振動が、傷に響く。クラウディアは顔を歪め、ジェリオにもたれかかった。
「しっかりしろよ。皇女さん」
 耳元にささやきが聞こえる。クラウディアは小さく頷いた。
 死ねない。このようなところでは、死ねない。『妹』にアグネイヤに逢うまでは。彼女に翻意をさせるまでは。絶対に。
(クラウディア)
 遠のく意識の中で、彼女は片翼の名を呼んだ。なぜかそれは、現在の名ではなく。一年前まで彼女を呼んでいたときの、旧い名であった。


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