AgneiyaIV
第一章 さすらいの皇女 
6.姉妹(2)


 難なくオルネラに入ったバディールだったが。
 ルナリアについての情報は皆無と言っていいほど得られなかった。神殿都市として名を馳せているこの街は、かつてアンディルエと並び称された信仰の街である。何を崇めているのかと思えば、例に漏れず。太陽神であった。南の太陽神は、男性である。女性のほうがよかったなどと不謹慎なことを考えるバディールには、加護はないのかもしれない。元々は、神聖帝国に嫁いだ南方の姫君が、自国の信仰をこちらに齎したのだ。故に、厳格を重んじる北方にあって、この街には享楽と退廃――南方の香りが漂っている。
 例のごとく情報収集を、と足を踏み入れた酒場では、屈強な北方の男性にからかわれ。そういった男性を好む女性には、あまり相手にされず。彼の美貌も形無しであった。これでは、ここにいる意味がないと席を立ちかけたときである。
「あら。楽士さん? アルメニアの方かしらね? それとも、ミアルシァ?」
 懐かしいわ、と言いながら。黒髪を高々と結い上げた女性が現れた。旅の一座の舞姫だろうか。洗練された動きが、目を引いた。顔立ちも素晴らしく整っており、なにより前髪の奥で妖しく煌く二粒の宝石――赤紫の瞳が彼の心を捉えた。一瞬、古代紫の瞳かと思ったが、違った。脳裏をかすめた面影を片隅に追いやり、彼は女性に笑顔を向ける。
「私も、南方から来たの。こちら、宜しくて?」
 ちら、と彼の隣に視線を向ける。その仕草がまた、艶かしい。バディールは「喜んで」と少し席を詰めた。女性は羽織っていた鮮やかなショールを外し、艶やかな陶器を思わせる肌をあらわにして、
「ありがとう」
 優雅に彼の傍らに腰を降ろす。
「君、名前は?」
 笑顔に引き込まれるように、彼が名を尋ねれば。女性は軽く笑い声を立てて。
「いきなり、名問い? まあ、いいわ。エルナ、といいます」
「エルナ」
 口の中で繰り返して。
「ステキな名前だ」
「ありがとう。エリィ、と呼んでいただけると嬉しいわねえ」
「エリィ」
「そう」
 エルナは酌婦に酒を注文する。自身の分と、彼の分。銘柄を聞いて、彼は驚いた。北の地酒、それもかなりの高級酒である。
「あたしの奢りだから。気にしない気にしない」
 くすくすと笑いながら、彼女はバディールの飲みかけの酒に口をつける。
「お兄さん、この街は、初めて?」
「ええ。フィラティノアも、初めてです。ですから、勝手がわからなくて」
 バディールはちらりとエルナを見やる。
「あなたは、こちらへは何度も?」
 問いかけに、エルナはこくりと頷く。興行で何回も、と付け加えられた言葉から推察すれば彼女はやはり旅の舞姫なのだろう。何処かの一座に属しているのか、それとも個人で気ままに旅を続けているのか。一人旅であれば、それは例に漏れることなく、舞うだけではなく春をひさぐことも生業としているはずである。
 彼女の、歳に似合わぬ世慣れた態度を見れば、それは間違いないだろう。この、熟れた身体つき。おそらく生娘ではあるまい、と。バディールは確信した。
「楽士さんだよね、あなた」
 エルナは身を乗り出し、バディールの身体越しにアルードに触れる。バディールは照れた振りをしながら、彼女の様子を窺った。誘っているのかと思えば、どうやらそうでもないらしい。それに、触れてみてわかったが。エルナには女性特有のまろみというか、柔らかさがなかった。舞で鍛えられているのか。剣士もかくや、と思われるほど、骨太でがっしりとしている。
(まさか、男)
 バディールの脇を汗が伝う。男であれば、男娼。
 そちらの趣味はない、と、慌てて断りを入れようとしたが、如何せんエルナに押さえ込まれている形になっているので、動くことができない。バディールは息を呑み、エルナの端麗な横顔を見つめた。滑らかな肌、彫りの深い顔立ち――性別を特定させるものは何一つないが。
「エリィ」
「あたしも、楽士なのよ」
 二人の声が重なった。
 エルナは金属弦を指で弾く。すると、バディールが奏でるのとは違う、豊かで澄んだ音色が辺りに響き渡った。
「なんだ?」
「楽士か?」
 酒を片手に語り合っていた客たちが、一斉にこちらに注目する。
「うわ、安物使っているね、サイテー」
 文句をつけつつ、エルナがアルードを抱えて身を起こす。彼女は撥を使わずに軽く指先で弦を弾くが。それがまた、えもいわれぬ柔らかさを醸し出し、アルード本来の優雅な音色となって、ざわつく酒場に浸透する。
「ねーちゃん、いいぞ」
「もっと弾け」
「なんでもいい、陽気なヤツをやってくれ」
 客たちに声をかけられ、いい気になったのか。エルナはすっくと立ち上がり、なれた仕草で頭を下げた。
「では、『ルキアの婚礼』を」
 ミアルシァに伝わる、喜劇である。
 小国の姫であるルキアは、戦に負けた母国のために、戦勝国の王と縁を結ぶこととなった。意に染まぬ婚礼を破談にしたい彼女、相手に嫌われようと結婚式に道化師の姿で乗り込んだ。混乱したのは、両国の重臣たち。姫を取り押さえんと散々追い掛け回すが、もともとお転婆姫として名高い彼女を捕まえられるわけがない。和平の席も、婚礼の宴も台無しとなりかけたそのとき、ひとりの騎士が現れる。その人こそ、国王。姫の花婿たる人物だったが。
「なんと彼は、太っちょの禿オヤジ。これを見た姫君は、更に暴れて逃げ回る」
 結局事態は収拾し、大団円を迎えるのだが。そこまでの混乱ぶりを面白おかしく語るのが、楽士の腕の見せ所であった。盛り上がりの部分は、当然高らかに弦をかき鳴らさなければならない。同時に、それに負けぬ声と歌唱力も必要とされる。それらすべてを、エルナは見事やってのけたのだ。
 撥なしで弦をかき鳴らせるのは、彼女の指を飾る、付け爪のせいだと曲が終わったあとにバディールは理解した。
「あーあ、爪がボロボロ」
 嘆きながらしょんぼりと爪を見下ろすエルナに、バディールは掛ける言葉が見つからなかった。
「エリィ、君……」
 話しかけようとするも、
「いいぞ」
「うまいな、ねーちゃん」
「ちゃんとヒモ食わせてやれよ」
 次々にやってきては金をおいていく客に邪魔され。ろくに言葉も交わせなかった。どうやら、他の客たちは、バディールとエルナが二人組みで、エルナがヒモであるバディールを養うために楽士をしているのだと思っているらしい。
「貢がせてばかりいないで、てめぇも稼いだらどうだ?」
「俺が一晩買ってやろうか? 代金はずむぞ、そのねーちゃんのためなら」
 からかいとも本気ともつかぬ言葉を掛けられて、バディールはへこむしかなかった。漸く客の波が途絶え、追加で注文した林檎酒が目の前に置かれたとき。バディールは半ば放心状態で、宙を見上げていた。
「ごめんなさいねえ、勝手に商売道具使っちまったね
 これはそのお詫び、とエルナは彼の前に金を差し出した。今しがたの演奏で手に入れた金額全てである。バディールにとってははした金にしかならぬ額だが、一介の舞姫もしくは楽士に過ぎぬエルナからすれば、かなりの大金になるだろうに。
「いや、こんなに貰うわけには」
 焦る彼に、「じゃあ」と彼女は艶かしい笑みを向けて。
「今晩、付き合っていただこうかしらねえ?」
「え」

 一晩付き合ってほしい。

 その言葉の意味することを想像して、バディールは顔をしかめた。
「いや、僕はそういう趣味は」
 男娼と寝る趣味はない。暗に隠した言葉を察したのか、それとも単に断りの言葉と受け取ったのか。エルナは「違う違う」と手を振った。
「そういう意味じゃなくてね」
 一緒に来てほしいところがある、と。彼女は言う。
「どこに?」
 問うても
「ナイショ」
 小悪魔めいた笑みを浮かべて、彼女は話そうとしない。それならば断る、と言いかけた彼の耳元に、エルナが密やかに囁いた。
「ここよりも、もっと話のネタに溢れているところに連れていってあげるからさ」
 話のネタ? ――バディールは更に怪訝そうな顔をする。なんのことだか、といった風情を装いながら、彼は注意深くエルナを観察した。一見、この国の人間ではないように振舞う彼女だが、実はフィラティノアが放っている密偵の一人ではないか。明らかに南方の、ミアルシァの容姿を持っている自分を疑い、人気のないところに連れ出そうとしている。
 バディールの心に、疑惑が芽吹いた。
 しかしそれならそれで、相手に懐に飛び込むのも悪くはない。幼い頃から陰謀渦巻くミアルシァの宮廷で育った身である。腹の探り合いは得意であった。いかに、こちらの正体を気付かせずに、相手に尻尾を出させるか。考えると、妙に血が騒ぐ。
「面白そうですね」
 無邪気に笑えば、
「でしょー?」
 エルナも微笑み返す。
 この行動が、彼にとって、アルメニアにとって益なのか害なのか。それがわかるのは、もう暫く先のこととなる。



「私がカルノリアに参ります」
 ルーラの申し出に、
「じゃあ、私も」
 クラウディアはそう言って譲らない。忠臣の鑑のごとき気性のルーラは、主人であるディグルの許可がなければ、同行を認めるわけには行かないと主張するが。クラウディアもまた、
「ディグルは見て見ぬ振りをするわよ。どうせ私には興味がないんだし。何をしようと勝手、と思ってるから」
 頑として引くことはない。
 これにはルーラもほとほと参ったようであった。
 クラウディアに気付かれぬよう、彼女が就寝中、もしくは入浴中に離宮を抜け出したとする。クラウディアはルーラの姿が消えたと見るや、即座に馬を飛ばすだろう。使用人には、

 ――ルーラと野駆けにいってくるわ。

 しれっとした顔で言い放つに違いない。
 そう。彼女にとっては越境も『ちょっとそこまで』の感覚なのである。
 これが一番厄介であった。カルノリアは、ほぼ単一民族が占めるフィラティノアと違い、雑多な民族が集まっている国である。黒髪のクラウディアがまぎれたとしても、それほど目立つことはない。けれども、この無鉄砲な王太子妃を野放しにするのは危険極まりない。どこでどう行動してしまうか。
 下手をすると、皇宮に乗り込んで、自らアレクシアと対面しかねない。
「……」
 頭痛を覚えたルーラは、額を押さえた。
 それならば、仕方がない。
「信用の置けるものを、カルノリアに差し向けます」
 自らのカルノリア行きを断念したのである。
「そのかわり、そのものには直接会って来なければなりませんので。明日にでも私が行って参ります」
「そう?」
 クラウディアは、疑わしい、といった目で側室を見た。そんなことを言って、実は自分自身がカルノリアに行くのではないか。その目はそう言っている。
「でしたら、妃殿下も同行されてはいかがですか?」
「いいの?」
「カルノリアに行くのではありませんよ。――オルネラへ。そちらに私の馴染みがおりますので」
「オルネラ」
 神殿都市と称される、いわゆる門前街である。太陽神を祀る神殿を中心に、神具を扱う店が広がり、巡礼者に宿を提供する宿坊が立ち並び、さらには歓楽街もその中に加わっている。太陽神は北では享楽の神とされているため、戒律は厳しくはない。
「歓楽街の遊女。あそこはちょっと変わっているといわれているわよね?」
 眉をひそめるクラウディア。ルーラはふと表情を曇らせる。
「神殿の巫女。もともと、巫女たるものは純潔ではなく、マレビトたる客人をもてなすための女性たちを表すのでしょう? 南方では、そうよね」
 ルーラはこれに対して、是でも否でもなかった。ただ、相槌を打つように。軽く睫毛を揺らしたのみである。
 これは、なにも秘められたことではない。
 アンディルエの巫女が、誇り高き聖職者であれば。オルネラの巫女は遊び女であった。それが、それぞれの勤めといえば勤めであるが。決してアンディルエの巫女はオルネラの巫女を蔑まない。オルネラの巫女も、自身の生業を卑しいものとも思わないだろう。しかし。オルネラの巫女、といえば。
「あのひとたちは」
 クラウディアは、かつて耳にした知識を思い返していた。
「たしか」
 彼女が口を開きかけたときである。
「妃殿下、ルナリア様」
 軽く扉が叩かれた。女中頭の声である。ルーラが応えを返すと、素早く扉が開き、豊かな銀髪を高く結い上げた年配の女性が入室して来た。手に、小さな壺を持っている。それを恭しく掲げて。
「王太子殿下よりの、差し入れの品でございます」
 女中頭は一礼する。クラウディアはルーラと顔を見合せ。ルーラがそれを卓上に置くよう、指示を出した。両手に収めるには幾分あまるが、かといって花瓶ほどの大きさでもない。一見、品のよい香料の壺、といったところか。
 蓋を開ければ、親指の爪ほどに小さく砕かれた琥珀の塊が、半ばまで詰められている。
「アディルカの蜜菓子です」
 ルーラが説明を加えた。
 女中頭は重々しく頷き、
「今年一番の出来とのことです。妃殿下に、とアディルカ辺境侯より届けられたそうです」
「アディルカ」
 フィラティノア最南端の街である。アルメニアと国境を接している部分に存在する、小さな所領と聞いた。養蜂業が盛んで、アルメニアにも蜜菓子を輸出している。そういえば故郷にいた時分に、よく街まで買いに出かけた記憶があった。
「懐かしい」
 ひとつ摘み上げる。光りに透かせば、琥珀の中で金が踊った。北国の菓子なのに、なぜ太陽の色をしているのだろう、子供のころはそれが不思議だった。今ならば、北へ嫁いだ今ならば、わかる。太陽にめぐり会える期間が短いからこそ。太陽に憧れるからこそ。このような色が生まれるのだ。愛でられるのだ。
 カルノリア第四皇女の瞳も、北のかそけき陽光を思わせる金だという。
「それから、こちらはルナリア様への書簡となります」
「わたしに」
 ルーラは差し出された封書を手に取った。クラウディアの前で開封するのはさすがにためらわれたのか。暫く席を外します、と言い置いて、彼女は部屋を出て行った。その際、女中頭にクラウディアの茶を新たに入れるよう指示を出すことも忘れない。
「本当に、細やかよね。ルーラは」
 忠臣の鑑と思っていたが。実は、いい細君でもあるらしい。
 これならば、ディグルが手元から離さないはずだ。
 そう思うと、わがままを言ってルーラを連れ出した自身の幼さが恥ずかしくなる。なんといっても、ディグルは大人なのだ。少なくとも、クラウディアよりも八つは年上である。それなりにわきまえているのだろう。
「あとで、ディグルに手紙を書くわ」
 クラウディアの言葉に、女中頭は意義深く頭を下げる。蜜菓子の礼、と彼女は思っているだろう。
 クラウディアはつまんでいた菓子を口に含むと、その甘さに目を細めた。



 控えの間に一人篭ったルーラは、小刀を使って封書をあけた。中から漂うのは、甘い香水の匂い。まだ、このような安物を使っているのかと、彼女は眉をひそめる。ディグルからの届け物――蜜菓子はあくまでも名目である。実際重要なのはこちらの書簡の方であった。当然、ディグルの放った密偵からの報告のひとつだが。
 最近は、それらのやり取りが鈍くなっていた。
 原因は、わかっている。クラウディアだ。
 ルーラの側にクラウディアがいる限り、ディグルも迂闊にルーラに接触することが出来なくなっているのだろう。これが、クラウディアの策略だとしたら、彼女はなかなかのくわせものである。
 しかし。そう考えたとしても、不思議と彼女を――あの、異国の皇女を憎むことは出来なかった。
 書簡に目を落としたルーラは、その内容に顔をしかめる。
 差出人は、ディグルではない。ディグルの名をかたり、蜜菓子を離宮に届けさせた人物である。それは、とりもなおさず密偵の一人であるが。
(まさか、オルネラに)
 オルネラを拠点とするその人物からの情報は、不穏なものであった。数日前この離宮を訪れた楽士。彼がオルネラに現れたという。しかも、何を思ってかルナリアの出自を調べているらしい。

 ――厄介な。

 薄い紙を握りつぶし、ルーラはふと背後の扉を見つめた。
 アルメニア皇女クラウディア。やはり、彼女からは目を放すことは出来ない。
(妃殿下)
 あの古代紫の瞳を持つ皇女は、彼女自身、アルメニアの先鋒なのか。フィラティノアは、自ら進んで身のうちに毒蛇を取り込んでしまったのではないか。
 不安が胸をよぎる。
 けれども、ルーラはその思いを払拭するかのように。緩やかにかぶりを振った。


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