AgneiyaIV
第一章 さすらいの皇女 
3.巫女(6)


 乳房を掴む手に力を込める。若さに張り詰めた肌が、ジェリオの指を拒絶するが如く弾力を以て跳ね返した。その感触を楽しみつつ、幾度か彼女の胸を弄んでいた彼は、その尖端を口に含んだ。未熟な突起に舌を絡め、嬲るように転がしてみる。
「う……」
 刺激に反応したのか、アグネイヤが小さく呻く。
 ジェリオは一方の手で彼女の胸を弄びながら、今一方の手をゆっくりと下肢へと伸ばしていった。熱を帯びた掌が、アグネイヤの滑らかな太腿の愛撫を始めたとき。遠い意識の下で、危険を察知したのか。彼女の身体が、ふいに大きく痙攣したのである。
「――っ?」
 どん、と。左足に衝撃が走った。ジェリオは思わず息を止める。
 彼女の膝が、あろうことかジェリオの左足――自身で抉った患部を直撃したのである。脊髄を貫く激痛に、彼はアグネイヤを突き放す。声をつめ、息を詰めて。彼はしばしの間患部を強く押さえていた。忘れていた痛みがぶり返し、気が、遠くなってくる。
「くそったれが」
 思わず、呪詛の言葉を吐いたが。どうなるものでもない。
 先程まで全身を支配していた強い情欲は、綺麗に吹き飛び。
「カンベンしてくれよ」
 ジェリオは情けない表情でアグネイヤを見下ろすだけだった。



 温かい。
 意識を取り戻したとき。真っ先に感じたのはそれだった。重い瞼を持ち上げ、頭にかかった霧を払うように軽くかぶりを振る。
 あれから、どのくらい時間が過ぎたのだろう。
 イリアを救うために、ルカンド伯の屋敷に忍び込んで。そこで、賊に遭遇した。彼らの凶刃から逃れるため、窓から飛び降りた――までは、覚えている。そのあとの、記憶が不鮮明だった。痛む身体を引きずるようにして、漸く出口まで辿り着いたような気もするが。そのあと。問題は、その後である。
(確か)
 背後から、なにものかに羽交い絞めにされたのだ。咄嗟に短剣を振り上げ、応戦をしたのだが。所詮は、傷ついた体である。思うような抵抗も出来ず、あっさり当身を食らった。
 その名残か。鳩尾の辺りがずきずきと痛む。
 アグネイヤは、低く呻いた。ならば、自分は賊の一味の手に落ちたのか。それならば、とうに殺されてもおかしくないはずだ。その前に、拷問をして、彼女の素性を割り出そうとするのであれば、また別であるが。もしも、そうであったら。身元がわかってしまえば、違う危機が襲ってくる。彼女を利用して、アルメニアに近づかんとするものと害をなさんとするもの、双方が存在する限り。このまま賊の手にあることは許されない。
 けれども、なぜか肌に感じる温もりが不思議だった。なぜ、ここは温かいのだろう。虜囚であれば、地下室か、屋根裏に縛めて放り込むはずであるのに。これは、まるで――
「え?」
 アグネイヤは、目の前の光景が信じられず。幾度も瞬きを繰り返した。
 視界に映るのは、予想にたがわぬ薄汚れた壁。剥げて、いつ崩れてもおかしくないような薄汚い天井。それにもまして、彼女の心臓を締め付けたのは。
 視線の先にある、腕。ひとの、腕だった。

 ――腕……?

 咄嗟に、ルカンド伯を思い出す。賊に四肢を切り離された、哀れな伯の姿を。これは、彼の腕なのか。アグネイヤが声にならぬ悲鳴を上げて跳ね起きようとした刹那。
「まだ、寝てろ」
 その腕が、こともあろうに肩を掴んだのである。
「うっ?」
 これは、夢か。それとも、蛮族の語る魔術にかかってしまっているのか。アグネイヤは息を呑み、そっと背後を――声の主を振り返る。そして。そこに横たわる人物を目にして。更なる衝撃に襲われたのだ。
「ジェリオ?」
 夢ではない。生々しい感触を以て、ジェリオが自分を捕らえているのだ。しかも彼の手は直接素肌に触れている。
「な、に?」
 それしか、言うことが出来なかった。確かめるまでもない。アグネイヤは、生まれたままの姿でジェリオに抱かれているのである。これが、何を意味するのか。わからぬほど子供ではなかった。幼い頃、女官から聞かされた、新婚初夜の花嫁の話。頬を赤らめて聞いていたその話を思い出し。アグネイヤは眩暈を覚えた。
「何を、した? ジェリオ?」
 声が震える。彼の答えを聞くのが怖かった。現実を知ることが、怖かった。彼に弄ばれたのだと。気を失っている間に、この身を自由にされたのだと。知らされるのが怖かった。
 ジェリオは大きくあくびをし。ちらりをアグネイヤを見やると、気だるげに髪をかきあげる。
「さて、な」
 口元を飾るのは、満足げな笑み。それだけで、アグネイヤの怒りは頂点に達した。
「けだもの!」
 自由が利く右手を、大きく振り上げる。ジェリオの頬を打つために、鋭く振り下ろしたが。逆に捕らえられ、ねじ伏せられてしまう。痛みに顔を歪めるアグネイヤに、ジェリオは冷ややかな目を向けた。
「けだものか。上等だ」
「――!」
「あんたはそのけだものに、いいように遊ばれたってわけだ。一国の姫君が。俺みたいな奴に、こんな場所で」
 唇が震えた。アグネイヤは声もなく、無言で彼を睨みつける。この男を許さない――許せない。どれほど切り刻んだとしても。焼いて灰を川に撒いたとしても。許せない。
「間抜けな話だな。皇女さんよ。どうだ? ケダモノに抱かれた感想は?」
 ジェリオの揶揄が、怒りを煽る。アグネイヤは掴まれた手を振り解き、彼に掴みかかった。
「ふざけるな!」
 何をしようと思ったのか。まるで考えていなかった。ただ、彼に怒りをぶつけたい。それだけだった。それだけの思いで。彼の喉に指を絡めた。素手で敵を倒す術は教えられてはいないが。急所を突けば勝算はある、と。剣の師が言っていたのを思い出す。彼女の細い指がジェリオの喉を締め上げようとしたとき。いきなり、彼が笑い出したのだ。身に危険が迫ったのに気付いて、気が触れたのか。それとも、まだ彼女を愚弄しているのか。アグネイヤが更に眼を吊り上げれば。
「いい加減、気付けよ。これだから、おぼこは」
 ジェリオは笑いながら身を起こす。
「やられたか、やられてないか。わからねぇのか? そんなニブチンな身体か、あんたの身体は?」
「ジェリオ?」
「なにもしちゃいねぇよ。そっちのほうはな。反応ないヤツを相手にするほど、俺は飢えちゃいねえ。馬鹿にすんなよ。てめぇのほうこそ」
 やれやれ、と彼は身を起こす。拍子にはらりと掛布が落ちる。同時に、彼の身体が露になった。腰布をつけただけのその姿に、アグネイヤは身を硬くする。
「まあ、ちっとは触ったけどよ」
 ちょっとだけだ、と言訳めいた言葉を口にして。ジェリオは寝台から降りた。椅子の上に無造作にかけられていた自身の衣服を拾い上げると、彼はアグネイヤに背を向けて身繕いを始める。ぼんやりと彼の後姿を見ていたアグネイヤだが、その動きが少しおかしいことに気付いたのは、暫く経ってからのことだった。立ち上がろうと脚に力を入れた際、ジェリオが顔を歪めたのを彼女は見逃さなかった。視線を動かせば、こちらからはちょうど死角となる位置に、ジェリオの左足がある。そこに巻かれているのは、包帯とはいえぬぼろきれであった。しかもそれは、血に染まってどす黒く変色している。
「ジェリオ。それ」
 刺客と渡り合ったときに受けた傷なのだろうか。アグネイヤは思わず身を乗り出した。
「おまえこそ、手当しないと」
「ああ? たいしたことねえよ」
 心なしか、ジェリオが顔をこわばらせる。彼はかぶりを振りながら、アグネイヤから離れた。
「宿のオヤジから、薬と包帯を貰った。そいつで、なんとかするから」
 後半の台詞は、口の中でもごもごと立ち消えていく。
 どこかしら、やましいことがあるのだろうか。
 アグネイヤは不審に思いつつ、彼を見つめていたが。
「あ」
 一糸纏わぬ自身の姿に思い至り、ぱっと顔を赤らめた。掛布を引き寄せ、身体を隠しつつ。周囲に視線を巡らせる。彼女の服は、見たところ近くにはない。ジェリオがよからぬことを企んで、どこかに隠してしまったのか。それとも――
「ジェリオ。僕の、服は?」
 どこにある、と尋ねれば、彼は床の辺りから何かを拾い上げた。ボロ雑巾に等しいそれは、紛れもなくアグネイヤの着ていた服である。
「手当すんのに破ったんだよ。それだけだって」
 言い捨てて、彼は自分の上着をアグネイヤに放り投げた。これを着ていろ、というのだろう。自分の身体よりも一回り以上大きなそれに、渋々袖を通したアグネイヤは、下穿きのほうも眼で探す。それに気付いたジェリオは。
「あとで一式買ってきてやるからよ。それまで、そこで寝ていろ。どうせ表に出ても、追われる身だろうが」
「――」
 アグネイヤはこくりと頷いた。なんら疚しいことはしていない。が、ルカンド伯を殺害した賊に顔を見られている。先方も都合の悪い現場を見られてしまった以上、アグネイヤを無事に逃がすつもりはないだろう。口封じのために殺害する――その目的で、今頃血眼になって彼女の行方を追っているに違いない。
(でも。いったい、何の目的で、伯を)
 野心家で、人の恨みを買うことが多いと言われる人物であるだけに、彼の命を狙うやからは多かったろう。けれども、あの殺害の仕方は。まるで、拷問だった。手足をもぎ取られ、恐怖を与えられた末の失血死だったのだろう。イリアを己の出世のために利用しようとした人物だが、あの姿を見てしまっては、憐みしか湧いてこない。
「夜になったら、ここを出るからな。それまで、ゆっくり休んどけよ。あとは、体力勝負だからな」
 自身の思いに沈むアグネイヤに声をかけて。ジェリオはひとり部屋を後にした。


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