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「お戯れを」
真似事であろうが、さすがは騎士。シェラは悠然と笑い、指先で剣を押しのける。彼女は敵にとってはふてぶてしく思える笑顔を見せつつ優雅な仕草で馬車の扉を開くと、そこへ乗るようイリアを促した。
「何の冗談かは解かりませんが。彼女は我らの客人。あなた方に無用の口出しをされる筋合いはない」
言い捨てて自身も乗り込もうとするシェラに、首領格の男が粘ついた声を投げかける。
「この娘を連れ参ったのは、我ら。ゆえに我らに所有権がございます。勘違いなされますな、姫君」
姫君、という呼称が気に障ったのか。シェラは下町の娘宜しく、下品に舌を打つ。彼女は上衣を翻し、イリアを背にすっくと立ち上がると。
「やはり、我らを謀ったか。ルカンド伯」
取り囲む暴漢たちを一瞥する。
ルカンド伯――ということは。先程のあの紳士、彼は、ルカンド伯ではないのか。イリアは咄嗟にことが飲み込めず、無言でシェラの横顔を見やる。だが闇の中白く浮き上がる彼女の横顔は、何も答えてはくれない。
「謀るとは、人聞きの悪い。ご協力を申し出たまでですよ、我が主人は。あなたもご存知でしょう。さあ、お遊びはそこまでにして。かの娘を、こちらに」
伸ばされる手を振り払い、シェラはイリアを馬車の奥へと押し込んだ。自身はそのまま外へと残り、勢いよく扉を閉めてから。ふわりと風の如く宙を舞う。
「――」
ほう、と思わずイリアは溜息を吐いてしまう。さながら舞の如く華麗な仕草で、シェラは御者台に納まった。彼女は不敵な笑みを残し、馬に鞭をくれる。高く長いいななきが響き、馬はそろって前脚を上げた。そのまま、矢の如く一直線に夜の街を切り裂く。
「シェラ」
衝撃でつんのめったイリアは、御者台に続く窓にいやというほど鼻を打ちつけ、呻くようにシェラを呼んだ。男装のにわか御者は、そんなイリアを振り返ることなく。
「なにか?」
ぶっきらぼうに問い返す。
「いいの? 伯父様。置いてきちゃったけど」
先程からの話を聞けば、どうやらシェラとシェルキスはルカンド伯の客分――もしくは、それに近い扱いとなっているらしい。あの屋敷がルカンド伯の館で。そこに逗留しているとなれば。当然、残ったシェルキスにも、危害が及ぶのではないか。見たところ、シェルキスの側にはシェラとあの老人以外に付き添いの姿はないようである。果たして、あれだけの数を相手に、身を守れるのか。
「それは、大丈夫」
彼らは、屋敷内には入ることは出来ない。――公には。
シェラはこともなげに答える。
「あの屋敷は、『異国』だから。領事館の許可なしには、異国のものは立ち入ることは出来ない。だから、先刻も門の周りでうろうろしていただろう。あの、雑魚どもは」
くくっ、とシェラの喉が震える。
「彼らが伯父に危害を加えることは出来ないから。安心していい」
――というのも、変な話だと。付け加えてから。
「寧ろ、危険なのは私たち――というか、あなたみたいだな」
「え?」
振り向くまでもなかった。銀光が頬を掠め、イリアの黒髪を幾筋か払い除けたのだ。花の香りを伴って散るそれを無言で見つめたイリアは。窓から突き出された凶刃に、思わず悲鳴を上げる。
「ななななななによこれっ」
きゃあ、とか。ひい、とか。少女らしい声を上げられればどれほどよかったか。口を付いて出た声は、よりによってこれである。彼女はべたりと前扉に背を預け、
「どういうこと?」
と。素早くシェラに尋ねた。
「そういうこと。ふたりとも、殺すつもりか」
それとも、と。腰に下げた剣を引き抜き、御者台の上に立ち上がるシェラは。
「わたしだけ殺して、あなたを奪うつもりなのか――」
言うが早いか、屋根の上に飛び乗った。
「ええっ? ええっ、シェラ?」
御するものがいなくなった馬は、馬車は。どうなるのだ?
イリアは今度こそ甲高い悲鳴を上げた。かなりの速度で走る車である。それこそ、路面が傷んでいたら。馬が溝に足を取られたら。何かに驚いて暴走したら。命の保証はないのだ。
「シェラっ。シェラってば」
半泣きに近い状態で反対側の窓から顔を出せば、
「邪魔だ」
叫ぶシェラの長靴が見えた。どうやら彼女、屋根の上で暴漢と剣を交えているらしい。芝居ではよく見る光景であるが、実際自分がその当事者となった今は、浪漫どころではない。
「って、死んじゃうっ」
咄嗟に手を伸ばし、小窓から御者台に置かれたままになっていた手綱を掴む。不自由な位置取りで、懸命に馬を操るが、いかんせんこの体勢では長くはもたぬ。早くも吊り始めた自身の弱い腕を呪いながら、イリアは屋上のシェラに声をかけた。
「シェラ、シェラ! 馬車、止めるよ」
果たしてそれが、適切な判断であったかどうか。
全てを知るのは神のみであったが。のちの成り行きを見ると、あながち誤りでもなかったかもしれないとイリアは思うのだ。だが、このときはとにかく必死で。彼女は
「お願い、止まって」
公用語とミアルシァ語と。アンディルエの古語を遣って、同じことを幾度も叫び続けながら、強く手綱を引いたのだ。
「――っ!」
強い衝撃が全身を襲い、車輪が軋みをあげながら停止する。同時に大きく車体が傾き、
「あ」
屋根から転がるように何かが落ちてきた。
「シェラ」
思わず叫んで扉を開けるが。
「よくもこんな無茶できるな。全く」
当のシェラは、無事であったらしい。馬車の屋根にへばりついた恰好で、呆れたようにイリアを見下ろしている。地面に転がる追跡者は、踏まれた蛙のように伸びてしまったきり、ピクリとも動かない。
これで二人目である。ルカンド伯の配下に傷を負わせたのは。
ほっとする反面、無鉄砲な己の行為に、イリアは顔を覆いたくなった。日頃からお転婆が過ぎるとは言われてきたが。ここまで来ると、それを通り越して破壊魔である。このまま、伝説街道を驀進してしまうのではないかと、空恐ろしくなってもくるのだが。今は、現実を直視せねばなるまい。
「とりあえず、送っていくから」
苦笑を絶やさぬまま、シェラが御者台へと戻ってきた。彼女の後姿に、
「ごめんなさい」
ひとこと小さく詫びを入れる。答えこそ返さなかったが、シェラの後姿は「気にするな」と言っているように見えた。それが、イリアの妄想でなければの話だが。
「帰すのが、惜しくなってきたな」
風にまぎれる、シェラの声。イリアは「え?」と。首を傾げる。
「珍しく肝の据わった娘だよ。剣を、覚える気はないのか?」
「剣?」
元来、占い以外においては不器用なタチである。お転婆は得意だが、武術となるとどのようなものか。以前、面白半分に剣を振り回してユリアーナに怒られ。それ以来自分は武術には向いていないのだと諦めていたのだが。
「わたしの国には、女性だけの騎士団がある。そこに入って、修練を積めばすぐに頭角を現すだろう」
「あたしが?」
「その気になったら、訪ねてくるといい」
シェラはちらりとこちらを振り返る。街灯の灯りに浮き上がった双眸。夜の色に彩られていたそれは、一瞬、蒼く光ったような気がした。
「わたしは、シェルマリヤ。そうだな、先程伯父が差し上げた耳飾。あれをつけてくれば、すぐにわたしの元に通してもらえるように話をしておこう」
イリアは手に握り締めた小箱のひとつに目をやる。中に収められているのは、星宿す宝石。六条の光差す美しきそれを身につけるのは、まだまだ先のことであると、勝手に思い込んでいたが。
「シェラ――シェルマリヤ」
「シェラ、でいい」
「シェラ、はダルシアの人ではないわよね?」
ずっと疑問に思っていたこと。彼女は、彼女の伯父は。どこの人間なのだろう、と。南方の民ではないことは、その容姿や言葉からわかる。彼らの公用語には、僅かながら北方の――東方の訛りが混ざっていたのだ。
それに、シェルキスという名。これは、月の神の名前である。南方では、月は女神であるから男性にこの名をつけることはない。となれば、北方。ダルシアとは縁のない国の民といえよう。
――ルカンド伯は、野心家で。カルノリアの皇后陛下に近づくために、イリアを献上するつもりでいるらしいわ。
歌姫の言葉が耳に蘇る。
ルカンド伯が縁を持とうとしている人物。それが、カルノリア皇后であるとしたら。先程の紳士は、シェルキスは、その、身内となる。
しかも、先程、ルカンド伯の手の者がシェラを「姫君」と呼んだ。冗談にしても、その敬称を以て呼ばれる身分にあるものといえば。
「他言は無用。わたしは、カルノリア女性騎士団のひとり、シェルマリヤ。伯父は、カルノリア皇帝シェルキス二世」
やっぱり。
イリアは唇を噛んだ。
予想が当たったことは嬉しい。が。皇帝自ら乗り出してくるなど。切羽詰った状態にあるのだろうか、カルノリアは。皇帝は自身の息子の運命を知りたがった。息子が長くない、後を継げないとわかった途端、悦びをあらわにした。
あれはどういうことなのだろう。
「知れば、本来は生かしてはおけない。おそらく、おまえの一座の面子も殺されているだろう」
「嘘」
「奴らはそういうことを平気でする連中だ。無論、わたしも。益にならぬと思えば、剣を使う」
「シェラ」
「でも、おまえは気に入ったから。また、逢いたい。――矛盾しているな」
シェルマリヤの肩が震えた。笑っているのか。騎士であるがゆえに、恐ろしいことを平気で口にもし、言いながら笑えるのかもしれない。イリアは箱を強く抱きしめ、シェルマリヤの背を無言で見詰めた。
「おや。自分で帰ってこられたのか」
老婆の言葉は、まるで親にはぐれた幼子に向けるそれのようであった。
一座の小屋のあった広場に戻ったイリアが見たものは、綺麗に片付けられた芝居小屋と、路傍に転がる男性。先程アグネイヤを襲い、イリアをかどわかしたものたちの仲間だろう。顔を隠していた仮面は剥ぎ取られ、上質の上着も脱がされ。惨めな姿で倒れている。眠っているのか、その瞼は硬く閉じられており、一向に起きる気配はなかった。
「ばばさま?」
男の様子と、先程のシェラの言葉に不安を覚えたイリアが、小声で呼びかけながら周囲を探れば、繁みの向こうよりひょっこりと老婆が白髪頭を覗かせた。
「無事だったかの」
の次に出された言葉が、
「自分で帰ってこられたのか」
である。イリアは一瞬返す言葉を失った。
「珍しい。ルカンド伯が、温情をかけるなど」
老婆が存命であることを知って、シェラが呟く。素直な感想なのだろう。彼女の話によれば、ルカンド伯は手に入れようと思ったものは容赦なく奪い取り、邪魔が入ればそれをなぎ払う。典型的な野心家だそうだ。今回も、目的の人物であるイリアを奪えば、他の一座の民は用無しである。後で騒がれても面倒だということで、刺客を送り込んでいるに違いないとシェラが予想していたのだが。
「温情というより、返り討ちだな、これは」
ルカンド伯の部下を足蹴に、シェラがさもおかしそうに喉を鳴らした。
老婆は月明かりに透かすようにして、彼女の顔を見上げていたが。
「おお、カルノリアの方か」
ニヤリと笑って、手を差し伸べる。
「まだ、あの国ではエリシュ・ヴァルドの想いが生きているようだの」
カルノリア。
エリシュ・ヴァルド。
続いて紡がれた二つの言葉に、シェラの顔色がかわる。
「ご老体。それは」
「エルシュアード、といったか。汝は、その団員だろう? なに、そんな男装をしていてもわかるよ。普段は、ひらひらとした裳を翻して闘うのだろう。動きがまるでぎこちない。姿と行動がちぐはぐだ」
そんなものなのだろうか。イリアはシェラを見上げる。女性にしては、細身で長身で。ちょっと見ただけでは、華奢な男性に見えないこともない。けれども、言われて見れば。彼女の動きは、女性のそれであった。しかも、洗練された貴婦人の仕草。同じ男装をしていても、アグネイヤとは違う。
(そうか)
アグネイヤは、不思議なことに男装が板についていたのだ。
それを考えると、彼女がますます不思議に思えてしまう。はじめに出逢ったときは、町娘のなりをしていた。次に逢ったときは、少年の姿――貴族の子弟のような姿をしていた。どちらも彼女ではあるけれど、男装のほうが似合うような気がするのは、なぜだろう。イリアの、アンディルエの巫女の夫として生まれてきた人物だからだろうか。
(不思議な人)
アグネイヤの素性を、いまだイリアは知らない。老婆は気付いているのか、それとも知らぬのか。どちらにせよ、あの祖母のことである。わかっていたとしても、わざわざイリアに告げるようなことはするまい。
「アグネイヤは?」
イリアが尋ねると、シェラは不審そうに眉をひそめ、老婆は「おうおう」と思いだしたように声を上げる。
「婿殿か。しまった、すれ違ってしまったかの。イリアを助けるように唆したら、さっさと行ってしまったわ。血の気の多いことだのう」
「ばばさま」
なんということだ。
あの身体で。傷を負った身で、イリアを救出せんと出かけたというのか。しかも、それを止めるべき老婆が、背中を押すようなことをしたなど。イリアはがくりとその場に膝を付く。これでは、永遠にイタチごっこだ。
彼女はそっとシェラを見上げる。腕に覚えのある彼女であれば、ともにアグネイヤを救いに行く仲間としては心強い。が。果たして、承知してくれるのだろうか。シェラは騎士として、主君でもある伯父の命に従ったまでである。イリアの個人的な願いまでは聞き届けてくれるかどうか。あやしいものである。というよりも、聞いてくれぬ確率のほうが高い。
(だめでもともと)
覚悟を決めたイリアが、シェラに声をかけると彼女は先程より更に表情を曇らせる。アグネイヤ、という名に聞き覚えがあるのか。それとも、どこかしらでアグネイヤに通じているのか。不審に思うイリアを無視して。シェラは硬い面持ちのまま、老婆に尋ねる。
「アグネイヤ、とは。もしや?」
「ご存知にあらせられるか。さすがは、エルシュアードの姫君」
「からかうのは、やめていただきたい。――もし、その方が私の存じている方であれば。これは、由々しき事態だな」
「どういうこと?」
口を挟んだイリアであったが。あっさりと無視される。
「争乱の種を、好んで取り込まれるか。いや、種となるのは、どちらのほうか」
「現代のエリシュ・ヴァルドは、なかなか皮肉好きとみえる」
老婆は楽しげに笑う。
イリア一人、取り残された感があり、彼女は当然面白くない。不貞腐れた様子で二人を見比べると、シェラが思いだしたようにイリアを見下ろした。
「この娘も、本当にアンディルエの巫女だとしたら。私はとんでもない人物に関わったことになるな」
「とんでもないって」
シェラ自身、カルノリアの公女だろうに。
憤慨するイリアに、シェラは。
「神聖帝国の名をほしがるものは、この世に数え切れぬほどいる。それを覚えておくといい、巫女殿。私も野心があれば、お前を利用することを考えるだろうよ」
諭すように言い。子供にするように、ぽんぽんと彼女の頭を叩いた。
「で。イリア。汝はまだ、婿殿の素性がわからんのか?」
本当に? と、半ば訝るような目で老婆がこちらを見る。イリアは不本意ながら頷くしかなかった。占いの結果にも、アグネイヤの素性など表れてはくれなかったし、当然、あの短い邂逅の中では本人の口から聞くこともできなかった。
ただ。やんごとなき生まれの娘だということは、なんとなくわかる。
オルトルートの指輪を、惜しげもなく人に与えたりするのはもちろんのこと。あの物腰。雰囲気。どれをとっても、品位ある男性のそれだった。少女なのに男性を感じるのは、服装のせいもあるだろうが。それ以前に、なにか。別の理由があるのではないかとイリアは考えるのだ。
「呆れた花嫁じゃな。婿殿の素性も読めぬとは」
老婆がやれやれと溜息を吐く。
「あの、婿殿。あの方はな……」
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