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イリアたち旅の一座が舞台を設えているのは、市街地のほぼ中心。市民たちの憩いの場所となっているであろう、庭園の外れにあった。祭で賑わう広場もさすがにこの時間ともなれば人影もなく、辺りには春の香りを漂わせる淡いシェレンティの花弁が幾つも咲き誇る花壇と、噴水からこぼれる冷水が、静寂を際立たせていた。
「へんね」
イリアは怪訝そうに周囲を見回す。
「うちの一座のほかにも、芝居小屋がたくさんあったのに」
彼女が囚われる前は、そうだったのだろう。そこここに、建物を畳んだ痕跡がある。引きちぎられた花飾りや、女優の絵姿がかかれた看板、置き忘れられた洋燈など。まるで、嵐が去った後のようだ。慌てて片付けてこの場を退散したように思える。
路上に落ちた花飾りのひとつを手にとって、アグネイヤはイリアに倣って周囲に目を向けた。
静かだ。
静か過ぎる。
そこに違和感を覚えたアグネイヤが、短剣を握り締めたときであった。
「……!」
付近の繁みから、数個の人影が踊り出た。それは白刃を煌かせながら、声もなく二人に襲い掛かる。
「なに?」
怯えるイリアを背後に庇い、アグネイヤは剣を構えた。迷わずアグネイヤに切りかかる凶刃を短剣で押さえ、彼女はイリアと共に横に飛びのく。と、そこにも新たな刃が下ろされた。それがアグネイヤの帽子を弾き飛ばし、切っ先が髪を止めてあった紐を裂く。同時に、豊かな黒髪が同じ漆黒の闇に舞い、冴え冴えとした月明かりにアグネイヤの面差しが映し出される。
「おんな、か」
仮面で顔を覆った人物――襲撃者の一人が、驚きの声を上げる。彼同様、仮面で素顔を隠したほかの二人も、意外に思ったのか息を呑んだ。彼らはアグネイヤを少年だと思っていたのだろう。だが。少女だとわかった今、かつて彼女を襲った刺客たちがそうであったようにあからさまに態度を変えた。
「……」
声を上げた男性、首領格である彼が顎をしゃくると、ひとりが無言で頷き彼女らの背後に回る。それに一瞬気を取られた――その一瞬が命取りになる。アグネイヤがイリアの手を掴むのと、横合いから第三の男がイリアの肩を捕らえるのは同時であった。
「なにするの!」
叫ぶイリアを庇おうとすれば、当然隙が生まれる。それを狙って、二人の男が同時にアグネイヤに刃を向けてきた。
「くっ」
ひとりの剣は短剣で弾き返したものの、今一人の剣は避けることが出来なかった。
服を裂く音。肉を立つ音が、嫌にはっきりと耳に響く。
僅かに遅れて、激痛が襲った。
「アグネイヤ」
飛び散る鮮血を受けて、イリアの頬が朱に染まる――と思う間もなく、彼女はアグネイヤから引き離されていた。
「静かにしろ」
彼女を捕らえた男が苛立たしげに声を荒げ、無体にもイリアの腹部に当身を食らわせる。イリアは苦悶に顔を歪めながら、糸の切れた人形の如く男の腕の中にくずおれた。
「イリアっ」
彼女を助けようにも、身体が動かなかった。アグネイヤは歯を食いしばって、上体を起こす。左腕が、焼け付くように熱かった。痛みが脳を、感覚を痺れさせ、彼女から思考を奪い取る。イリアを救うことも、身を守ることもできず、彼女はよろめく自身の身体を支えるのが精一杯だった。
「始末しておけ」
首領格の男が、低い声で命ずると、ひとり男がその場に残り、残る二人はイリアを伴って広場を去る。
「待て!」
痛みをおして駆け出そうとする彼女の腕を、背後から男が掴んだ。彼は力尽くでアグネイヤを引き寄せ、強引に顎を持ち上げ仰向かせる。炎揺らめく街灯の下、彼女の容貌を確認した男は、感嘆の息を漏らした。
「美形だな」
殺すには、惜しい。そんな考えが容易に読み取れる呟きであった。アグネイヤは彼を睨みつけ、渾身の力を込めて手を振り払う。勢いで短剣を繰り出し、一気に男の仮面を弾き飛ばした。顔を庇った彼は不覚にもよろめき、そこを狙ったアグネイヤの攻撃を避けることが出来ず。あっさりと急所を晒してしまう。
「詰めが甘いな」
男の首筋に刃を押し当て、アグネイヤは古代紫の双眸を煌かせた。底冷えのする瞳――そう、男の眼には映ったことだろう。彼はじんわりと殺気を滲み出させる少女に畏怖を覚えたのか。それとも、素顔を見られたことに動揺しているのか。片手で隠すように顔を覆ったまま、微動だにしなかった。
「彼女を、どこに連れて行くつもりだ?」
鋭く問えば、彼は唇の端を吊り上げ、嘲笑を浮かべる。
「言うと思うか?」
「言え」
短剣を持つ手に力を込める。研ぎ澄まされた刃が、男の首筋に食い込み、肉が弾ける音がした。
「言わなければ、殺す」
本気だ、と。アグネイヤは徐々に力を加えていく。流れ出る鮮血が手を濡らし、鉄錆に似た異臭が鼻を突いても、アグネイヤは表情一つ変えない。
「――ルカンド伯の、別邸だろうな。間違いなく」
ふいに。どこからともなく声が響いてきた。老女の声である。アグネイヤはぎくりと身を強張らせた。目の前の襲撃者も警戒したところを見ると、どうやら彼の仲間ではないようである。が。
(誰だ?)
男の首筋に短剣を押し付けたまま。アグネイヤは声の主の気配を探った。
すると。
「剣を、降ろされよ。陛下」
いきなり手首に触れるものがあった。温かい掌。人の温もりを感じさせるそれは、アグネイヤの身体から無用の緊張をそぎ落とす。力を込めるでもなく、剣を引かせたその手の主――先程の声の主でもある老婆は、いつの間に現れたのか。アグネイヤの傍らに佇んでいた。
「そなた、まさか」
男は亡霊でも見たように目を見張り、後方に飛びのく。余程肝を冷やしたのか。それ以上動けず、言葉を発することも出来ないようであった。
「先刻は、ようも無体を働いてくれたのぅ。おかげで、身体のあちこちがまだきしきし言っておるわ」
対する老婆は余裕に満ちた表情で、さも大儀そうに肩を鳴らし、首をさする。
「陛下。この者は、妾らを亡き者にせんと刃を向けてきましての。か弱いおなごや年寄りに、まあ、非情なことをするものですわ」
口をもぐもぐと動かしながら、老婆は物騒なことをさらりと言ってのける。どうやら、襲撃者はイリアを捕らえるだけでは気が済まず、一座の者たちの命を狙ったらしい。
「馬鹿な。そなたらは、確かに我らが」
蒼白になる男を見上げ、老婆は洞を吹きぬける風の如く空虚な笑い声を響かせた。
「そうさなあ、抵抗もせん妾らを次々と惨殺してくれたの」
惨殺した。
これにはアグネイヤも言葉を失う。襲撃者は、一座のものを手にかけたというのか。で、あるならば。いま、ここにいるのは。この老婆は一体?
「陛下も驚かれているようだから、種を明かすかの。のう、主らは、アンディルエの伝承を耳にしたことはあるか?」
「アンディルエ?」
アグネイヤと男は、それぞれ口の中でその名を繰り返した。
アンディルエ。アンディ・ルゥエ、か。古き言葉で、光の都。神聖帝国の首都たる街の名前である。帝国崩壊後、アンディルエは廃都とされ炎の中にその身を没した。以来、かの街の名は歴史に登場することはなく。その場所がどこであったのかいまだ不明のままである。
一説には、アルメニア帝国の国土の一部となったとか。フィラティノアに存在しているとか。まことしやかに囁かれているようだが。それすら定かではない。崩壊した帝国は、荒廃するに任せ、公国であったカルノリアの独立を機に、幾つのも小国が生まれ、消えていった。いまでは、東の大国カルノリアとタティアン大公領、セグとフィラティノア、そしてアルメニア北部とその広大なる領土を寸断された状態となっている。二百年という歳月は、国土を変え、かつて存在した国を消し去るのに充分な時間なのではないか。
神聖帝国の名のみを受け継ぐアルメニアの皇女として生まれたアグネイヤは、ぼんやりとそんなことを考えた。
アンディルエ。――思わぬ言葉を思わぬところで耳にして、彼女の思考はやや停止していたに違いない。我に返れば、老婆が件の人を食った口調で淡々と、男にことの経緯を説明しているところであった。
「光の神に仕える一族は、古よりちょっとした手妻を使えるようになっていてな。凡人を騙すことくらい、朝飯前よ。アンディルエの巫女を、甘く見てはいかん。あっという間に、魂まで喰らい尽くされるでな」
くく、と。老婆の喉がなる。彼女は心持ち背伸びをすると、男の顔を覗き込んだ。怯えの色を含む黒い双眸を正面から見据えて。老婆は
「よいな」
一言だけ。命ずるように口にした。それとほぼ同時に、男の体は地面に倒れこむ。何をしたのだと驚くアグネイヤに、老婆は。
「なに、少しばかり、術をかけたまで。朝まで眠って、起きたら妾らのことは全て忘れているだろうて」
楽しげに笑った。
これが、先程彼女の言っていた『手妻』なのだろうか。訝るアグネイヤを前に老婆は改めて礼をしてから、徐に膝をつき、アグネイヤの前にこうべを垂れる。
「……」
アグネイヤがその前に右手を差し出すと、老婆はその手を両手で恭しく戴き、額を触れた。
神聖帝国の、礼である。もしやとは思ったが、先程の言葉は嘘ではなかったのか。老婆は、光の神に仕える一族と言っていた。それは、アンディルエの神官たち。神聖帝国の『まつりごと』を動かす、二柱のうちのひとつ。
「あなたは、本当にアンディルエの?」
あの、神聖帝国の神官団の末裔だというのか。
内乱に乗じた他国の干渉、それによって帝国は滅びた。巫女を厭うミアルシァにより、神殿は破壊され、アンディルエの神官たちは例外なく全て殺害されたという。けれども、一部命永らえた者たちは密かに帝都を脱出し、今でもその高貴なる血を伝えているとは耳にしたことはあった。
「まさか、旅の一座に身を落としているとはお思いになられぬでしょう。さすがの陛下も」
先程の『礼』で、言葉を発することを許された老婆は、人好きのする笑顔で応える。
「巫女、といえば聞こえはよいが、現在はこの婆めが継いでおりまする。さすがに妾では陛下の后となるに申し訳なく。すぐにでも、イリアに跡目を継がせたいと存じておりますよ」
「后?」
何を言うのだろう、この老婆は。
アグネイヤは、事の次第が飲み込めず、ただ目を見張るばかりであった。
「――っ、痛!」
患部に薬を塗られた刹那、アグネイヤは顔をしかめた。暫く忘れていた、ということは、たいした傷ではないだろうと思っていたのだが。それなりに深手であったらしい。
「できれば、縫合したほうが宜しいのですけど」
手当てにあたった女性――ユリアーナ、と名乗った――は、無表情のまま背後に蹲る老婆を振り返る。
「ばばさま。お願いしても宜しいですか?」
「よいが、陛下はどうじゃな。無論、縫合はしてもせずとも傷跡は残るだろうが」
老婆の目がアグネイヤの肌に注がれる。傷の手当てのため半裸となったアグネイヤの上半身を見て、彼女の表情が曇ったのは仕方のないことだろう。アグネイヤの身体には、いくつもの創傷が残されているのだ。刺客と戦った折、つけられた傷である。全て急所を外しているのは、日頃の修練の賜物か。けれども、ろくな手当てを行なっていなかったせいか、乙女の柔肌に醜い傷跡が残る結果となったのである。
「止血と消毒だけで充分だ」
アグネイヤが息を絞った声で応じると、老婆は更に顔をしかめる。
「イリアを、助けに行かないと」
孫が攫われた、というのに、妙に落ち着き払っている老婆に憤慨して。アグネイヤはわざと乱暴に言葉を掛けた。先程も、すぐにイリアの後を追おうとしたアグネイヤを引き止めて、
――まず、傷の手当てを。
そう言って、この小屋に無理矢理同行させたのである。緊張が解けたのか、傷の痛みがぶり返したせいもあり、そのときこそ老婆の言葉に従ったアグネイヤだったが。こうして、応急処置をされれば痛みがどうの、傷跡がどうのと言っている場合ではない。一度ならず二度までもイリアをかどわかした連中は、彼女にどのような危害を加えるのか。想像するだけで、気が急くのだ。
アグネイヤの憮然とした様子に、老婆は乾いた笑い声を立てた。枯れ木が転がるような、不気味な、やけに空虚な声である。
「陛下は、やはり后の心配をなされているようじゃな」
「后?」
また、だ。
また、老婆はわからぬことを言う。そういえば、彼女は先程からアグネイヤのことを『陛下』と呼んでいる。もしも、彼女の素性を知っているのであれば。『殿下』もしくは『姫』となるはずだが。なぜ、『陛下』なのだろう。未来のアルメニア皇帝、ということか。それとも、何かしらの謎かけか。かまをかけられているのか。なるべく聞き流すようにしてはいたのだが、ことここに至っては、聞かぬわけにもいくまい。
「『陛下』とは。『后』とは、どういうことですか?」
単刀直入に切り出すアグネイヤに、老婆は意味深長な視線を向ける。
手当てを終えたユリアーナが、一礼して下がると、老婆は
「されば、のぅ」
ちらりとユリアーナを一瞥する。ミアルシァ風の名を持つ黒い瞳の娘は、老婆に促されるまま。静かに言葉を切り出した。
「我らが一族、アンディルエの末裔は長いこと、主たるべき皇帝陛下を探し求めてまいりました。先日、偶然にもあなた様にお会いして。あなた様こそ、我らの主にして、アンディルエの巫女の婿になられるべきお方とお見受けしたのです」
時は二百年ほど前にさかのぼる。
当時、大陸北部を治めていたのは、神聖帝国と呼ばれる大国だった。古来より祭祀と政治の二柱を基本とし、聖である前者、俗である後者をそれぞれに神官、皇帝――貴族層――としてわけていた。が、政治は祭ごと、の思想により、建国以来長きに渡って宗教色の強い政治体形となっていたのである。ゆえに、この帝国を神聖帝国と周辺諸国は呼んでいた。
この国の正式なる自称は、ルディンナーザ。輝ける乙女、の意を持つ国である。
その名の所以となった輝ける乙女こそ、通称アンディルエの巫女とされる、最高神官長である女性だった。巫女姫とも称される彼女が、皇帝の后となることによって、皇帝は神格化し、国を治めることが出来たのだ。
この、巫女たる言葉も形骸化されており、時折男性でありながら巫女と称され皇帝の后となるものもいた。彼は女性として扱われ、終生にわたり『処女』を貫かねばならない。その逆として、皇帝は常に男性として扱われる。生物学的に女性であった場合も、男子とされ、男性の戸籍が与えられるのである。
「それは、存じております」
アグネイヤの母国、アルメニア。神聖帝国の名を継承せんとする国も、皇帝に対しては同じ考えを持っていた。アグネイヤに男子名が与えられたのもそれゆえである。
ただ。聖なる一族、とされるアンディルエの巫女の血統が絶えてしまっている今。『后』の風習は消えていた。
「わかっていらっしゃるのであれば、話は早い」
老婆はもぐもぐと口を動かし。低く笑い声を立てる。
「そういうことじゃよ、陛下。御身はイリアを后とし、神聖帝国の皇帝となるお方じゃ」
「しかし」
言いかけて、アグネイヤは口をつぐんだ。
確かに、アルメニアは神聖帝国の名を受け継がんとしている国ではある。だが、それはあくまでも自称であって。他国にそれと認められているわけではない。ここでアグネイヤが神聖帝国皇帝を名乗れば、必ず揉め事が起こる。
しかも、此度は自称などではなく、アンディルエの直系を得ての即位だ。そうなれば、アルメニアは二つの冠を戴くことになり――
「ミアルシァの、不興を買うことになるでしょう」
フィラティノアと対峙している現在。古王国ミアルシァの後ろ盾を失えば、アルメニアはどうなるか。ミアルシァは神聖帝国とは相容れぬ仲である。次期皇帝たるアグネイヤが、ミアルシァの意に背いて、神聖帝国皇帝を名乗れば。
戦端が開かれる。
その可能性も無きにしも非ずだった。
「なれば、同盟国であるフィラティノアは、嬉々としてアルメニアに干渉するでしょうな。援助の見返りとして、クラウディア皇女の継承権復帰を要請するでしょう。しかるのちに、陛下を亡き者として、アルメニアの権利と神聖帝国の冠を手に入れることとなる」
「最も利を得るのが、かの国となります」
アグネイヤの憂いはそこにある。そうなれば、今まで彼女らがしてきた苦労は何であったのか。全てが水泡に帰してしまうのだ。
「おやめなされ」
「巫女殿?」
「放棄なされ。継承権を」
あっさりと言われて、アグネイヤは咄嗟に返す言葉を失った。
継承権を放棄する、それは、アルメニア皇太子としての地位を手放せということだ。
確かに、アグネイヤが継承権を放棄して、別の人物が皇太子となれば。クラウディアの権利は完全に消滅する。
「アルメニアの帝冠を放棄されて、神聖帝国の冠を受けられよ。それが、御身の使命なのですから」
「むちゃなことを」
それしか、言うことが出来なかった。
アグネイヤは薄く笑みを湛える老婆の顔を凝視して、小さく息を吐いた。どうあっても、この老婆はアグネイヤとあのイリアを娶わせたいに違いない。いかに、アルメニアが神聖帝国の名を受け継がんとする国とはいえ、なぜ、アグネイヤなのか。帝室の血を継ぐ者であれば、ほかにも多くいるだろうに。
「御身がたとえアルメニアの皇太子でなくとも。妾らは、御身を我らが陛下となすであろうよ。問題は、血ではないのです。陛下」
老婆は言うのだ。アンディルエの占い。それが導き出したのが、アグネイヤ自身なのだと。
古代紫の瞳を持つ、神聖帝国の指導者。
老婆の、そして、イリアの占いに現れた『皇帝』は、アグネイヤに他ならぬのだと言って老婆は譲らない。
「仰ることは解かりますが。しかし、占いの結果、の一点張りでは私としても承服しかねます」
半ば憮然と拒絶するアグネイヤに、けれども老婆はまるで動じなかった。古き一族の聖職者の前では、大国の皇女といえど取るに足らぬ存在なのだろうか。彼女はアグネイヤを軽んじているわけではないのだろうが、こうして対峙すると、どうしても自身のほうが弱い存在に思えてしまう。現世の権力も、古の精神の前には脆い硝子細工なのだろうか。
アグネイヤが心細くなりかけたところを見計らってか。
老婆は、「さて」と話を切り出した。
「夫の役目は、妻を守ることではありますまいかな。陛下」
「――?」
「后となるイリアを、曲者の手から救い出すのは、あなた様しかいらっしゃらぬでしょう」
ここへきて、ぬけぬけとそのようなことを口にするのか。
アグネイヤは老婆を睨みつけた。だが、老婆はそ知らぬ顔でアグネイヤに彼女の短剣を渡し、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて。
「姫を守るのが、騎士の役目。さて。陛下のお手並み拝見と行きましょうか」
神聖帝国の話はその後だ、といわんばかりに、老婆はアグネイヤを促した。
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