AgneiyaIV
第一章 さすらいの皇女 
3.魔手(1)


 さく、と足元で雪が鳴った。
 昨晩から降り続いた雪が、明け方には止み、今は太陽がその弱々しい顔を雲間から覗かせている。
 セグは北方諸国には属さないが、その最北端に位置するこの街は、どうやら北の玄関口と思ってよさそうだった。明るい街、南国の街、貴族や高齢者の保養地としての印象が強いせいか、ここが本当にセグであるのか。疑いたくなってしまう。
 アグネイヤはその感触を確かめるように、足元の雪を掬った。手の上で溶けて行くそれを見て、
「本当だ」
 小さく呟く。
 この街をでれば、北の関所を抜ければ、フィラティノア。双子の姉を奪い取り、自分に刺客を差し向ける国である。まさか、そちらのほうに獲物がのこのこ足を向けるなど。フィラティノア王は考えもしまい。

「根性あるよな、皇女さん。自分から『殺してください』って言ってるようなもんじゃねーのか?」

 どこへ行くつもりだったのか。そう尋ねられたときに、
「フィラティノア」
 と即答したアグネイヤに、褐色の瞳の刺客は、あからさまに呆れ顔を見せた。確かに、街灯の真下には暗がりが潜んではいる。が。これはあまりにも危険な行為だった。フィラティノアに入れば、そこは完全に敵地となるわけで。そこで何が起ころうが闇に葬られるだけである。
 それを承知で。アグネイヤはそこに行きたいと願った。現に、行こうとしていた。
 フィラティノアの首都・オリア。白銀の都へ。

「行って、どうするんだよ?」

 ジェリオの問いには、なんと答えたか。

「わからない」

 おそらくそれだっただろう。
 ここでジェリオに本心を明かすつもりはなかった。無論、双子の『姉』にも。彼女への隠し事、虚言は無駄であることは百も承知である。けれども。気付いたとしても、黙って従ってほしかった。
(クラウディア)
 偽りの名を持つ片翼には。


「で? 俺もつき合わされちゃ、割りにあわねーな」

 国境の街ヴァルディナ。セグのはずれ、北の果て。そう考えるともっと寂れていてもおかしくはないはずだった。しかし人々の意に反して、ここは国内第二の大都市でもあった。古くは北方への軍備の備えから。近年にいたっては、フィラティノアとの交易を図る商都として。その名を四方に馳せている。
 セグはもともと、中継貿易で財をなしてきた国だった。東のカルノリア、西のアルメニア。そして南のミアルシァ。これらの国々をつなぐ要所として、またその温暖な気候から保養地として。貴族たちに愛された国であった。これも南北に細長く、三日月のような国土の形が影響しているのかもしれない。

 その、ヴァルディナのさらに外れ。フィラティノアへの入国手続きを行う施設の近くに、アグネイヤはいた。相変わらず、男装をやめてはいない。長い黒髪はまとめて結い上げ、帽子の中に押し込めている。身にまとうのは、フィラティノア風の厚手の生地でできた短衣。その上にこれまた厚手の上着を羽織り、短剣は帯に挟んでいた。
 下級貴族の子弟の小旅行、そんな風を装っているようではあったのだが。
「あんた、顔目立ちすぎるんだよ。なんかこう、キレイってーか。そういう男がいたらむかつくってぇツラしてるんだよな」
 だから喧嘩を売られるんだ、と傍らを歩くジェリオが笑う。
「いっそのこと、男娼ですとでも言ってたほうが、あっさり通してくれるんじゃねーか?」
 彼の台詞は、最後まで言わせなかった。どん、と彼のわき腹を肘でつつくと、ジェリオは息を呑んで押し黙る。まだ、傷が痛むのだろう。相手の弱点をつくのは気が引けたが。息をついたジェリオが、仕返しだといわんばかりに尻を撫でたので罪悪感は霧散した。
「ジェリオっ!」
 咎めるように声を上げると、彼は「利息」と小さく答え、皮肉げに笑った。
「貸しが大きいから。って、これでも利息は少ないほうだぜ?」
「――お前が勝手に決めたことだろう? 僕は、知らない」
 半月前、安宿の二階で結ばれた契約。その内容を思い出し、アグネイヤは顔をしかめる。
 ジェリオの申し出は、確かに奇抜ではあったが。彼女にとって悪い話ではなかった。どちらかといえば、ありがたい――とは言いがたいが。よいほうの話である。

 ――あんたを殺さないでいてやるよ、皇女さん。

 そのかわり、と。そのあとに彼が付け加えた言葉。それこそが重大なものであった。

 ――必ず皇帝になれよ。即位しろ。アルメニアの帝冠を手に入れろ。それまでは、死ぬんじゃねーぜ?。

 アルメニア帝国は神聖帝国同様、基本として女帝の継承を認めていない。過去二百年の歴史を紐解いても、女帝は一人として立っていない。だが、それはあくまでも建前であった。実際に女帝は存在したのだ。ガルダイア三世の二代前、時の皇帝は女性であった。ガルダイア一世。彼女は女帝としてではなく、皇帝としてその頭上に帝冠を戴いたのである。そして、アグネイヤも『彼』と同じ道を辿るのだ。現に彼女の名前アグネイヤ――これは、初代皇帝の名前にして、男子名なのだから。
 そんなことは、この大陸に暮らすものは先刻承知のことである。ゆえに、アルメニア皇帝は男子。アグネイヤも即位と同時に男性とみなされる。――記録の上では。
 ジェリオはそこにこだわっているのだろう。アグネイヤはそれを薄々感じていた。

 ――即位したら、俺がお前を殺す。

 大アルメニアの皇帝を暗殺できるのだ。刺客を生業としているものにとっては、これほど魅力的なことはないだろう。かの神聖帝国最後の皇帝を暗殺した青年は、いまだに裏の世界では伝説的な英雄として祭り上げられているのである。
(好きで契約したわけじゃない)
 アグネイヤは憮然として、大股に歩き出す。じゃくじゃくと雪が水っぽい音を立てて彼女の行く手を阻んだ。
(断れないような状況を作って。あいつが勝手に……)
 あの状況で首を縦に振らなかったら。どうなっていたことだろう。
 それなら、ということでジェリオはアグネイヤを犯し、その命を奪い取り。首級をフィラティノアへと届けたことだろう。その時点で継承権は双子の姉・クラウディアへと移り、アルメニアはフィラティノアの影響下に置かれることになる。それだけは避けなければならない。そのために、自分は生きているのだから。


「通れない?」
 フィラティノアとの境。出入国手続きをする広間で、アグネイヤの提出する書類を前に審査官はかぶりを振った。セグからの出国は認められるが、フィラティノアへの入国は認められない。その一点張りなのである。なぜかとその理由を問えば。単純なことだった。
「雪で道が封鎖されているんですよ。今年はやたらと雪が多くて。除雪する前に雪が積もるんです」
 フィラティノア国境の街アーディンアーディンは、ヴァルディナほどの規模はなく、ほんの小さな田舎町であった。収容できる旅人の数も決められており、そのためセグを出てもフィラティノアには入れず。結局ヴァルディナにとどまる人々が増えるだけだという。
「ここで出国しても同じだと思うんですけどね。春までお待ちになられたほうが宜しいかと思うのですよ。皆さんにそう申し上げているのですが」
 係員は大仰にため息をついた。
「春まで」
 アグネイヤは眉を寄せる。南国ではそろそろ雪解け水に草原も潤う時分だが。北国となればまた話は別である。少なく見積もっても、あと二月。いや、三ヶ月は必要であろう。
「別の街道を使ってください。南のほうの、こちらの街道などは安全ですよ」
 地図まで取り出す係員に、アグネイヤは疲れた笑みを向けた。ジェリオは退屈そうに欠伸をし、彼女の肩を軽く叩く。
「だ、そうだ。諦めな」
 仕方なく、アグネイヤは官舎をあとにした。
 これで、当面の目標は変わった。あの審査官の言うとおり、南下して海路オリアに向かう方法をとるしかない。内陸の国セグに港はなく、港に出るとしたら、セグを縦断しその更に南に存在するミアルシァか。もしくは商業自治都市連合のどこかか。そこで出向する北方諸国行きの船に乗船することが一番の得策だった。セグ自体、保養地として扱われているためか、治安がよく移動するにはよい土地なのだが。
「何か問題でもあんのかよ?」
「いや、別に」
「時間はかかるけどな。海路のほうが確実にオリアに入れるぜ。まあ、直接地続きで入ったほうが楽は楽だけどな」
 ジェリオの声に、アグネイヤはふと顔を上げ、この奇妙な刺客の横顔を見た。
 褐色の瞳と同じ色の髪。日焼けしたと思われる、浅黒い肌。顔立ちは彫りが深いでもなく浅いわけでもない。微妙な調和の元に成り立っている、どちらかといえば整っている部類に入る容貌を備えていた。この姿からすれば、彼はおそらく南国の生まれ。そうでなくとも、その血を引いていることになる。無論、セグにもこういった容姿のものは多いが。
(彼は一体)
 何者なのだ? フィラティノアの刺客を名乗ってはいるが、本当のところ正体はわからない。過日、初めて剣を合わせたときも、酒場での再会のときも。ずっと不思議に思っていた。第一、彼と結んだ契約も、どういう意図から申し出たのかわからない。油断させておいて殺すつもりなのか。それとも、別の――考えたくはないが、いかがわしい目的のための提案か。ジェリオが彼女に向けた殺気も欲望も、全て本心からのものだった。それがいきなりかき消えるわけがない。
 彼と行動を共にすることは、考えるまでもなく間違いではないか。アグネイヤは胡散臭げに傍らに立つ細身の男を見つめる。それでも、即位するまでは殺す気がない、といったのは半ば本心らしい。略式ではあるが、古式に則った『契約』の『式』を行ったのである。

 真夜中、己の指を傷つけ、その血で誓約を書き記す。その布、もしくは紙を炎に燃やし、灰を酒とともに飲み干す。酒と、契約の相手の血と。両方を。

 ジェリオの指にはそのときにつけた傷がまだ残っている。少なくともこれが消える頃までは、彼は約束を守るのではないか。そんな甘い考えを持っていることも確かであった。こんな小さな傷は、あと数日もしないうちに跡形もなく消えるであろう。それを念頭においてあるはずなのに。


 ヴェルディナの表通りにあるそこそこ小奇麗な宿に部屋を取った二人は、夕食後はそれぞれの部屋に引きこもり、特に顔をあわせることはなかった。アグネイヤは念のため部屋の鍵を閉め。その前に脇机と椅子を押し付けた。これは、ジェリオと旅するようになってからの習慣である。あの好色な男が、いつ狼に変化するか。考えただけでもぞっとする。
 彼女は、いまだ異性を受け入れたことのない身体を抱きしめた。
 それから。思い出して荷物の中から小さな瓶を出す。中に入っているのは、赤い液体。人の血に似た、粘りのある液体であった。彼女はそれを一滴。食堂で手に入れた香草茶に垂らす。水滴は波紋を投げかけ、ゆっくりと茶器の中に広まっていった。

 ――アグネイヤは、今日も無事に過ごせました。

 帝室に古くから伝わる言葉を用いて、彼女は呟く。細い指で茶をかき回し、そこに文字を書く。今述べた言葉と同じ言葉を、帝室文字で。更にそこにろうそくの火をたらすと、液体はそれがまるで油でもあるかのように鮮やかに燃えた。炎は一瞬で消え、液体もまた。茶器から綺麗に消えうせていた。白磁の底に残るのは、不可思議な紋様。それを見て、アグネイヤはふぅっと息をついた。
「なんだ、それ? なんかのまじないか?」
「アルメニアに伝わる、旅の無事を家族に伝えるまじないだ」
「へぇ? で、これはなんなんだ? この、みょうてけれんな痕は?」
「これは、ちゃんと相手に伝わったって言うことで……」
 言いかけて。アグネイヤは、はっとした。自分は今、誰と喋っている?
「うわ、こういうことしてんのか。アルメニアは進んだ国だって言ってる割には、迷信深いんだな」
 いつの間に現れたのか。彼女の脇にジェリオが佇んでいた。彼はアグネイヤの手にある茶器をしげしげと見つめ。なにやらぶつぶつぼやいている。アグネイヤは、即座に彼から身を離した。
「ジェリオ! どうやって?」
 尋ねるまでもなかった。窓が開いている。そこから彼は侵入したに違いない。
 油断もすきもない男だ。アグネイヤはまだ腰に差したままの短剣を握り締める。
「部屋には入るなといっただろう? このケダモノがっ!」
「おいおい、まだなんにもしちゃいねーのにケダモノ扱いかよ。せめてこれ位したあとに言ってほしいね」
 彼は強引に彼女の顎を捉えた。そのまま力ずくで仰向かせる。アグネイヤがもがいても、力は緩まない。彼はゆっくりと顔を近づけてきた。
 褐色の瞳が、古代紫(むらさき)の瞳を覗き込む。彼の瞳に、揺らめくアグネイヤの姿が映し出される。彼女は何かにつかれたようにその自分の姿を見つめた。
「目ぐらい閉じろよ。雰囲気ぶち壊しだぜ?」
 彼の台詞に、アグネイヤはかぁっと頬を染める。羞恥心の勢いで、彼の胸を押しのけた。彼は意外にもあっさりとその手を離し、彼女を解放する。
「古代紫の瞳、か」
 低い笑い声が彼の口からこぼれた。
「混沌を呼ぶ瞳。乱世の兆し。そう言われているんだったよな、ミアルシァでは」
 アルメニアでは、暁の光。明けの一番星。フィラティノアでは、守護者。カルノリアでは、賢者。巫女。国が違えば、扱いも違う。まれに見る、皇帝の紫。暁の瞳。
「あんた、なんで国を出た? そんな、まじないやるくらいだから家族も心配しているんだろう? あんたのことを。それなのに、なんでわざわざより危険なところにばかり近づく?」
「……」
「あんた本当は……」
 言いかけて、彼は薄く笑った。皮肉めいた笑みを口元に刻み。「まあいいか」と。小さく呟く。
「今はそんな悠長なことを言っている暇はねーんだ。見ろよ、窓の外。『お客さん』がお出ましみたいだぜ?」
 彼が親指で示す方向を見ると。路地裏に人影が見えた。あれは、おそらく刺客。ジェリオはそのことを伝えに来たのか。アグネイヤは息を呑み。そっと(カーテン)を閉めた。


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