AgneiyaIV
第一章 さすらいの皇女 
2.白銀の貴公子(2)


 早春、とは名ばかりで、まだかなり肌寒い気がする。
 窓を開けるとひんやりとした風が流れ込み、思わず身をすくめた。クラウディアは、白一色からさまざまな色に染まり始めた王宮の庭を見て、小さく溜息をつく。オリアで、異国で過ごした二度目の冬。この寒さ、さびしさには少しは慣れたのではないかと思っていたが。そうでもなかった。自分はこれから、幾度この冬を乗り越えていくのだろう。幾度、短い春を、夏を惜しんで。長い冬を越えるのだろう。
 健康で、活動的な皇女にとって、離宮内に押し込められての生活は辛いものである。自由に外を出歩けるのは、春になってから。春と夏。そして、短い秋。それも、行動範囲は離宮の庭園の中だけである。遠乗りに行きたい、との彼女の希望はいつもかなえられなかった。離宮の庭も、それなりに広いのではあるが。平原の、あの広々とした開放感を味わうことはできない。庭の中を並足で歩き回るだけでは、自分も馬も気がおかしくなってしまう。――そんな訴えは、誰にも伝えられることはなく。クラウディアは相変わらず、飼い殺しのままであった。
「逃げるとでも思っているのかしらね」
 これでは、花嫁ではなく人質だ。幽閉同然の生活だと。アルメニアから付き従った侍女に漏らしてみるものの。それでどうなるものでもなかった。侍女としても、自分もとらわれているものの一人だと、そう思っているに違いない。
「走りたいなあ」
 朝、目が覚めて。窓を開けて。思うことはそれだった。広い原野を、駿馬で思い切り疾駆したい。どちらが勝つか。午後の授業の出席を賭けてアグネイヤと駆け巡った草原。それを思い出し、溜息をつく。それが日課である。春になればその気持ちも自然と高ぶり、欲求不満だけが募っていくのだ。尤も傍目からは、一人異国に嫁いだ姫が、望郷の念にかられて悲しみに沈んでいるとしか思えぬだろうが。
 クラウディアが持参を許された荷物は、花嫁道具一式と、二人の侍女。それだけであった。愛馬も故郷においてきた。幼いころから愛用していた長剣も、片翼と揃いの短剣も、自害をさせぬためにか取り上げられた。侍女もクラウディアの逃亡を助けられぬよう、常にフィラティノア側の侍女とともに行動させられている。
 フィラティノア国王は、王太子は、重臣たちは。知らないのだ。クラウディアの性格を。一国の姫となれば、たおやかで繊細で。気品と気位だけは高くて。それでいて、故郷だけに心を許していると。同盟のための政略結婚で、無理やりに嫁がされた国には愛情など持たぬと。故郷に帰ることばかり考えていると。そんな、物語の中の『姫』のような印象を彼女に抱いているのだ。
 確かに。クラウディアは一見儚げに見える少女だった。それは、まれに見る優れた容姿からの印象かもしれない。しかし、本来の彼女は。――彼女は。
 その姿を知るものは、おそらくはこの世でただ一人。
 アグネイヤを名乗る、同じ魂を持つ皇女のみ。



「そもそも、アルメニア帝国は――」

 歴史講師の口から、この言葉がでてくると双子は「またか」と顔を見合わせたものだった。
 初老のこの講師、愛国主義者というわけではない。他のアルメニア人と同じく、特に国に対して特別な思い入れがあるわけではない。ただ、好きなのだ。好きなだけなのだ。歴史が。純粋に好きだからこそ、語りに熱が入ると止められない。同じことを幾度となく繰り返す。現にこのアルメニア帝国史。初代皇帝アグネイヤ一世がいかにして小王国を帝国にのし上げたのか。帝国としての名を頂けるようにしたのか。そのくだりは、耳にたこができるほど聞いた。

「神聖帝国領の外れ、ツェングレン出身の――」

 言いかける講師の後に続いて、双子が声を揃えて語ってしまうことも少なくはなかった。そのからかいを向学心旺盛と受け取った講師は狂喜し、ますます熱を帯びた語り口で講義を続ける。はじめは面白がっていた双子だが、それが続くとさすがにうんざりして、講義中は一言も口をきかなくなってしまった。

「神聖帝国最後の皇帝の妃クラウディア王女は、皇帝暗殺後一人国を守られました。彼女を神聖帝国最初にして最後の女帝とする学者もおりますし、彼女こそ神聖帝国の最後の皇帝と書き記すものもおります。ともあれ、クラウディア女帝の崩御で事実上神聖帝国は滅ぶのです」

 その、神聖帝国の名を正式にではないが継いだのがアルメニアである。神聖帝国から、帝国の名だけを奪ったのである。その民を受け入れることもせず。ただ、名のみを。現在フィラティノアと呼ばれるかつての神聖帝国の中心地域は、そのまま放置されていた。アンディルエは完全に廃都となり、今ではその位置すらわからなくなっている。殊にクラウディアの崩御以降は、いくつもの公国が主権を争って戦闘を繰り返し、その中で長い時間をかけて台頭してきたものが、現在のフィラティノア王室なのである。この国が、いつしか神聖帝国の後継を名乗り、帝国の名を冠することとなれば。アルメニアとて黙ってはいられないであろう。講師は「私見ながら」と前おいて、必ずそう付け加えたものである。

「クラウディア殿下は、アルメニアからフィラティノアに輿入れされますが。それを好機とみなされますように。殿下には、アルメニアの継承権はございません。アルメニアの帝冠を頂く権利はございません。ですが。ですが――ここが重要です。フィラティノアの王冠は手に入れることができるのです」

 アルメニア王国最後の王女のように夫亡き後、国を治める。その可能性を持っているというわけである。このくだりになると、双子は目を輝かせたものであった。
 アルメニア皇帝アグネイヤ四世。フィラティノア女王クラウディア一世。
 その誕生を。心の中で夢見たのである。それぞれが、統治する国を。

「王妃なんて、役不足よね」

 刷り込みをされたのか。そう言い始めたのは、どちらであったのだろう。
 正妃であったとしても、陛下と呼ばれようとも。后の立場に甘んじることはない。国王となるのだ。フィラティノアの。この手で王冠をつかみ取るのだ。そうして、自分自身が国家の首長となる。
 無論、フィラティノア国王の地位は不安定なものであった。現在はその圧倒的な軍事力を背景として、事後承諾的に国家の承認を得てはいるが。実際、かの国を一国として認める国は少ない。古王国ミアルシァは、現フィラティノア国王を群雄の中の最有力貴族としてしか認めていないはずである。アルメニアもつまらぬ内乱などが起こらねば、決してフィラティノアを頼ろうとはしなかったはず。頼らねば、国として認めることも、皇女を差し出すこともしなかったはずである。
 フィラティノアは、アルメニアの皇女を王太子妃として迎えることで、国家としての正式承認を得ることができ、また、アルメニアの継承権をも得ることができると考えたのである。つまり、フィラティノアの野望は。

「神聖帝国の復活。継承」

 幼い双子にもそれはわかった。そのために、自分たちが利用されることも。二人のうちどちらか。『クラウディア』を橋渡しとして。おりよくば、『アグネイヤ』を殺害して。アルメニアを併合し、フィラティノアを帝国とする。それをよしとせぬ国からは、クラウディアが狙われる。クラウディアは正式にフィラティノア王太子妃となった瞬間。ミアルシァを筆頭とする国々から命を狙われる可能性があるのだ。
 そう。考えたくないことではあるが。母国であるアルメニアからも。

「どちらに転んでも、行く道は茨」

 それを知るゆえに、母后は双子に甘かった。いずれ来る修羅の日々を案じて、己の身を己で守るすべを教えるために娘たちに武器を取ることを教えた。本来であれば、皇太子のみに許される帝王学を二人に教えた。それらの時間以外は、極力自由にできるように。双子の行動を束縛しないように。時間を与えてくれたのだ。考えるための時間を。選び取るための時間を。

 ――僕が、アルメニア皇帝になる。

 アグネイヤの宣言を聞いたのは。
 十四歳となったあの日の、あの瞬間であった。



「本日は、妃殿下のお誕生日でございますが」
 着替えを済ませ、食事の前に軽い運動をと侍女を相手に剣の稽古を始めようとしたときであった。別の侍女が、珍客の来訪を告げた。クラウディアは不思議に思ってその客を招き入れるように指示を出す。客――スタシア、という王太子付きの女官は、神妙な面持ちで入室すると、丁寧に口上を述べてからクラウディアの勧めに従い席に着いた。
 銀髪碧眼。フィラティノア特有の容姿を持つこの女性。美男美女が多いとされるこの街では、十人並みに入ってしまうほうであろうか。髪と瞳の色から来る冷ややかさは欠片も感じさせることはなく。寧ろ、温かみを覚えさせる存在である。
(確かこの方)
 王太子の、乳母でもある女官だった。離縁させられたという先の王妃にかわり、王太子を育てた女性である。その言葉が頭の隅に残っていたからであろうか。スタシアから母性を感じるのは。
「アルメニアでの慣習は存じませんが、フィラティノアでは盛大なる宴は催さぬこととなっておりますゆえ、その旨はご承知おき頂きたく存じ上げます」
 それだけが話の趣旨であったようだ。
 言われてはじめて、クラウディアは今日で十六回目の誕生日を迎えたことに気づいた。アルメニアでも特に公に誕生日を祝うことはなく。母后と片翼とでささやかに祝ったものであった。その日は国民にも祝日を与え、皇女の誕生を祝う名目で街単位での宴が催されたのである。去年の誕生日は、婚約式と重なり、かなり盛大に祝ってもらった覚えはあるが。もともと、宴や舞踏会には関心の薄いたちである。そんなものを開くくらいであれば、狐狩りでもやらせてくれと心の中で毒づいたものだった。
「それから、ささやかではありますが。殿下からお祝いの品をお預かりしております」
 スタシアの目配せで、侍女が幾つかの箱を捧げ持って現れる。この大きさから判断すると、衣裳であろう。それにあわせての装飾品、それも数点つけられているはずである。クラウディアは、つまらなそうにそれを一瞥し、形式的な例を述べた。
 このようなものをもらったとしても、身につけることはほとんどないであろう。つけるとしたら、婚礼の日であろうか。そんなことをぼんやりと考えていると。スタシアが不審そうに目を細めた。
「お気に召しませぬか?」
 気遣うような言葉に、クラウディアは「別に」と短く答える。この女性も同じだ。自分に同情している。哀れな姫だと、そう思って。慰めるために言葉をかけるのだ。自分がほしいのは、そんなものではないのに。そのようなものを与えられるのなら。別のものをよこしてほしいのに。
「殿下は、妃殿下のお好みがわからないと仰っていましたので。ちょうどよい折です、おねだりされてはいかがでしょうか?」
 やや砕けた口調で、スタシアが懐柔を図る。ほしいもの、とクラウディアは口の中で復唱し、本当にもらえるのなら、と付け加えてから。
「馬。と、剣」
 簡潔に答えた。スタシアをはじめ、フィラティノア側の侍女たちは一斉に目を剥いた。それがはしたないことだと気づき、あわてて咳払いをしてから。もう一度、スタシアが確認する。
「馬。馬の、絵、でしょうか? それから、剣をあしらった装飾品など」
「そのままです。乗るための馬。使うための剣。名馬でなくともよいです。殿下がお持ちの馬があれば。それを一頭拝領してもよいですし。殿下の使われていた剣でもよいです。贅沢は申しません。それから、できれば」
「できれば、――なんでございましょうか」
 恐る恐る尋ねるスタシアに、罪悪感を覚えながらも。クラウディアは望みのものを口にした。
「騎士。手合わせできる騎士をひとり。頂きたく思います」
 一瞬、辺りが静まり返る。スタシアは激しく瞬きを繰り返しながら、若い妃を凝視した。
「それは」
 スタシアは口ごもる。なんと言ったらよいのか。言葉を探しているようでもあった。
 また、なんと言うものを頼む姫だと思われたことであろう。
 誕生日の祝いの品が不服だといい。代わりのものをねだればよいのでは、との女官の進言には、よりによって、馬と剣。手合わせようの騎士まで求めたのだ。とうてい、夫にねだるものではないだろう。――フィラティノアの常識に照らし合わせて考えれば。
 それでも。この機会を逃せば、手に入れられないと思った。だめでもともと、そんな気持ちで口にしたまでである。これらすべてをかなえてもらおうとは思わない。ただ、言ってみたかった。それだけである。もちろん、本当に用意してくれればこれ以上の喜びはない。クラウディアにとっては、甘い菓子と恋の話、衣裳の話にしか興味がないような、女女した侍女などほしくはないのだ。時々剣の相手もしてくれる。遠乗りにも出かけてくれる。こっそりと冒険もともにしてくれる。そんな友達がほしいだけである。
 そう、アグネイヤのような。魂の片翼のような存在が。
 そんなものは存在しないことはわかっている。片翼と同じものを求めはしない。退屈を紛らわしてくれればそれでよい。
「王太子殿下ご自身が、お相手してくださってもよいのですけど」
 冗談めかして言う言葉に、スタシアは震え上がった。この瞬間、あきらかに。スタシア――王太子の乳母の中に、クラウディアに対する恐怖が根付いたのかもしれない。彼女は得体の知れぬ怪物でも見るような目で、異国の皇女を見つめていた。彼女に付き従っていた、侍女たちも。息を潜めてクラウディアを見つめる。
 そうか、と。クラウディアはあることに気づいた。侍女たちは、恐れているのだ。冷徹なる王太子を。白銀の貴公子、そう呼ばれる(あるじ)を。畏怖の目で見つめているのだ。その相手に対して、このような暴言を吐いてしまう娘を、奇異の目で見るのは当然であろう。
「あなたは、殿下の恐ろしさをご存じないのです」
 侍女たちの目は、一様にそういっている。それが、なんとなく伝わってきた。
(あなたたちは、怖がっていればいいけど。私はその人の妃なのよ。妻なのよ。怖がっていたら何もできないでしょうが)
 内心の苛立ちを抑えて。クラウディアは扇で口元を隠した。くすくす、と少女らしい笑いを漏らして。
「冗談です」
 軽く流してみると、侍女たちはほっと胸をなでおろしたようだった。が、スタシアは。青ざめた顔色を隠そうともせず、かすれた声でクラウディアを呼んだ。
「妃殿下」
「王太子殿下の件は冗談ですけど。そのほかのものはお伝えいただきたく思いますわ。だいたい、ここは退屈すぎます。外出の許可も与えられない王太子妃が、どこの世界におりましょうか。遠乗りがだめであれば、せめてそのほかのことで穴埋めをしていただきたいですわ。そうでしょう? そう思いませんこと? スタシア夫人」
「妃殿下は。本気で馬と剣をご所望なのですか?」
「本気です。衣裳など何着頂いても私は喜びません。欲しいものを戴けぬ限り。殿下へのお礼は、形式的なものになるでしょうね」
 困惑したように視線を揺らすスタシア。その仕草に、クラウディアの心がちくりと痛んだ。いじめている。そんな気がしてしまう。八つ当たりをしていると、罪悪感が頭をもたげてくる。言いたいことがあれば、直接ディグルに言えばよいのだ。女官を通してなど、言うものではない。しかし、クラウディアにはディグルと言葉を交わす機会はなかった。オリアに到着したその日、婚約式の宴の中でほんの数刻、ともに過ごしただけである。触れることはおろか、言葉すら交わしてはいない。ディグルの声がどのようなものであるか。どんな口調で話すのか。考えてみればクラウディアは知らないのだ。
「承知いたしました。殿下に、お伝えいたします」
 スタシアは低い声で呟くように言った。クラウディアは「お願いいたします」、とこれまた形式的な挨拶を添えてから。
「祝いの品、ありがたく拝領いたしました。そうお伝えくださいませ」
 席を立ったのである。


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