第1559回 不具の神ヒルコと、日本文化の深層。

岩樟神社(兵庫県淡路市岩屋)。 オノゴロ島の候補地、絵島の近くに鎮座する。イザナミイザナギが産んだ不具の子とされる蛭子命を祀る。蛭子は、生まれた後に葦舟にのせて流されてしまう神であるが、伝承によると、この岩屋から蛭児命は流され、西宮神社に辿りつきエビス神になったとされる。境内の洞窟は、山の裏側の絵島とつながっていた。

 イザナギイザナミの国産みで、最初に生まれたのがヒルコです。
 そのため、このヒルコが何を意味しているのかわからなければ、日本神話を読み解くことは難しくなります。さらに、このヒルコは、エビス神として日本人の生活文化の中に広く深く浸透している存在ですから、日本文化の根底を理解するうえでも、ヒルコが何なのかを洞察する必要性があります。
 ヒルコは、『古事記』において、不具の子に生まれたため、葦船に入れられオノゴロ島から流されてしまいます。流された理由は、「わが生める子良くあらず」とだけ記載されて、具体的に何が良くないのかは説明されていません。
 「流す」という行為は、古代、祓いや禊の意味とつながります。
 宮中をはじめ全国の神社で行われる大祓は、日常生活の中で知らず知らずに犯した罪や過ち心身の穢れを身代わりとなる人形(ひとがた)に託し、海や川に流して祓い清める神事です。
 ヒルコは、いったいどんな過ちの身代わりとして、流されたのでしょうか。それを解く暗号のような言葉が、女神であるイザナミから先に男神のイザナキに声をかけたということ。
 これは男尊女卑を示しているのではありません。イザナギイザナミは、物事が生じるための陰陽の働きを象徴していると思われます。イザナギ(陽)が積極的で動的な働きを象徴し、イザナミ(陰)は、他からの働きかけを受け入れる静的な性質を象徴しているため、イザナミイザナギに働きかけるのは、万物生成の理と異なる過ちだということなのでしょう。
 このヒルコが流れ着いた伝説のある場所は、幾つかありますが、その中で代表的な場所が、『源平盛衰記』に記されている摂津の西宮です。 
 西宮神社の伝承では、海上に浮かび上がったヒルコを、百太夫海浜に祀り、人形芝居で慰めたのが、西宮神社の起源とされます。
 百太夫は、平安時代末期以降、遊女や人形まわしが崇拝した神なので、この漂泊の芸能集団が、ヒルコを特別な存在とみなしました。
 そして、西宮神社に所属していた傀儡子(人形操り集団)が、日本各地を渡り歩きながら、ヒルコの神徳を広めていった。この傀儡子が、後に浄瑠璃となり文楽となります。
 すなわち、中世に発展する日本の芸能は、ヒルコの魂を背負っているのです。
 さらにこのヒルコは、室町時代からエビス神と同一視されるようになります。
 エビス神は、七福神の中で唯一日本オリジナルの神であり、漁業の神様、商売繁盛の神様として知られています。左手に鯛を抱え、右手に釣竿を持ち、その微笑ましい顔は「えびす顔」と言われ、めでたさの象徴でもあります。
 ヒルコは、不具であり、社会の枠組みから外れた漂泊の人々によって大切な神と崇められたのですが、それが、日本を代表する”めでたい神”に変容するのです。
 このあたりが、ヒルコとは何かを考えるうえでの肝となります。
 たとえば、幸福を招くとされる縁起人形の福助も、頭が大きすぎる人の象徴でもありますが、江戸時代に実際のモデルがいました。
 近所の笑いものになることを憂いて、旅に出て、その途中で香具師の誘いで見せ物に出たところ評判が良く、江戸でも大評判となった。この見物人のなかにいた旗本の子が、遊び相手にしたいとせがみ、旗本が召し抱えたところ、旗本の家は幸運続きとなった。
 その後、この福助の容姿を模った人形が縁起物として流行し、願いを叶えるものとして茶屋や遊女屋などで祀られた。
 不具に寛容なお店(=心優しい)が繁盛する。ヒルコが転じたエビス神が、商売繁盛の神になっている背景に、このことがあります。
 これは中世だけでなく、現代にもつながる日本人の心性を表しています。
 この心性を伝えてきたのが日本の芸能であり、これは、社会において無用とされがちなものを用に転換する力でもあったのです。
 しかし、そのことを、ただ深刻に伝えるだけではうまくいかない。そのため、「えびす顔」のように笑いに転換しながら、それとなく人の心の機微に働きかける。
 神話の中で、芸能の神であるアメノウズメが、アマテラス大神を岩戸から導き出す時に、力強くエロティックな動作で踊って、八百万の神々を大笑いさせるという描写にしても同じです。この騒ぎで、アマテラス神が気になって少し岩戸を開いた瞬間に、タジカラオが、アマテラス大神の手をとって外に出したのです。
 ヒルコという名は、ヒルメという名との対比でしょう。
 ヒルメには、ワカヒルメ(丹生都比売の別名で、スサノオが馬の皮を剥いで機織り小屋に放り込んだ時に死んでしまった女神)や、オオヒルメ(イザナミイザナギが産んだ太陽神であり、その巫女神。アマテラス神は、イザナミが死んだ後に生まれた太陽神)などが存在します。すなわち、ヒルメは、古代の女巫であり、ヒルコは、男巫だと考えられます。
 男でも女でも、巫としての素養は備わっているのですが、日本の古代において、女性には特別の役割がありました。
 新しい知識や技術をもたらすマレビトは男性であり、もともとこの島国にいたものを代表して、その男性と交わるのは、必然的に女巫だったからです。
 そのことが、天孫降臨のニニギと交わるコノハナサクヤヒメの物語に象徴されています。
 さらに、コノハナサクヤヒメが産んだ山幸彦は、豊玉姫と交わりますが、その出産の時、決して見るなと言われていたのに山幸彦は覗き見をしてしまい、ワニの姿を見られた豊玉姫は恥じて実家に帰ってしまうのですが、自分の代わりに、妹の玉依姫を、山幸彦とのあいだに生まれたウガヤフキアエズの子育てのために送ります。このウガヤフキアエズ玉依姫のあいだに生まれたのが、神武天皇ということになっています。
 この奇妙な物語は、生まれた子の養育が、巫女の実家の役割であったことを暗に示しています。
 このように、男も女も性別に関係なく巫としての素養は持っているにもかかわらず、女巫(ヒルメ)の方には役割がありましたが、イザナミからイザナギに働きかけるという万物生成の道理にそぐわない方法で生まれた男巫(ヒルコ)は、マレヒトとのあいだに子をもうける役割も、その子の養育の役割も持ちませんでした。だからといって、歴史的存在意義が無いわけではありません。
 このヒルコと同じ男巫を象徴する神が、事代主神です。
 事代主神は、託宣の神であり、豊漁の神です。そして、七福神の中で唯一、日本オリジナルの神であり漁業の神様、商売繁盛の神様のエビス神は、ヒルコからの転換とされていますが、事代主神と同一であるともされているのです。
 出雲の国譲りの神話において、最後まで国譲りに抵抗したのはタケミナカタですが、事代主神は、国譲りに対して一切抵抗せず、「承知した」と答え、船を踏み傾け、天ノ逆手を打ち、青柴垣を作り、その中に隠れてしまったと描写されています。
 この「天ノ逆手」が何なのか、中世の頃より、いろいろ議論がされていますが、明確な答えには至っていないようですので、洞察するほかありません。
 この分野の研究者は、「天ノ逆手」のことを手を逆さに打つ呪詛と説明していますが、呪いは、今日的な価値観では、霊的な手段で他の人や社会全般に対し災厄や不幸をもたらすものと限定的に理解されてしまっています。
 しかし、もともと「呪」というのは、「のろいをかける」という意味だけではありません。
 白川静さんによれは、「呪」も「祝」も膝まづいて祈りを捧げているところを描いた漢字であり、「呪」は口に出して祈ること、「祝」は心の中で祈ること。
 また、白川静さんは「呪能」という言葉を使っておられますが、文字が生まれる以前の悠遠なことばの時代の記憶を「呪能」としました。すなわち呪能とは、人間が文字にこめた原初のはたらきのこと。そのため、呪うとはかぎらず、言葉によって祝うこと、念じること、必然的に出来事が起きることを預言する(洞察する)ことなども含まれます。
 すなわち託宣の神である事代主神は、国譲りという時代の価値観の転換後、青柴垣という神籬(ひもろき)の中にこもるわけですが、文字が生まれる以前からの悠遠な記憶を、呪の力を通じて後の時代につないでいく役割を担うことになる。それが、「天ノ逆手」が意味することでしょう。
 神武天皇が生まれるまでの、コノハナサクヤヒメ、豊玉姫玉依姫といった女巫の果たした役割を上に述べましたが、神武天皇の皇后の媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)は、事代主神の娘で、第2代綏靖(すいぜい)天皇を産みました。この綏靖天皇の皇后、五十鈴依媛命(イスズヨリヒメ)もまた事代主神の娘で、第3代安寧天皇を産みますが、この安寧天皇の皇后、渟名底仲媛(ヌナソコナカツヒメ)の父の鴨王も、事代主神の子なのです。
 この時代の天皇は、欠史八代と言われ、実在した可能性は低いとされますが、第26代継体天皇以前の全ての天皇おいて、実在したと言える証拠はないのです。
 そもそも、国譲りに登場する事代主神が、神武天皇の皇后のヒメタタライスズヒメの父親だというのは、時系列から判断すると、あり得ない話です。
 国譲りの後、ニニギの天孫降臨があり、その後に、山幸彦、ウガヤフキアエズ神武天皇と続くわけですから、事代主神と、神武天皇は、あまりにも世代がかけ離れているのです。
 なので、重要なことは、天皇の実在性を議論することではなく、神話に残された描写が、いったい何を示しているかを洞察することです。
 初代から3代の天皇の皇后は、事代主神の娘および孫。そして、上に述べた豊玉姫玉依姫の実例からわかることは、産まれた子の養育は、母方の実家が担うことです。
 子の養育は、過去から伝えられてきたことを、後世に渡すことを意味します。
 そして事代主神は、全国に700〜1300は存在する三島系の神社において、三島明神として祀られていますが、三島明神は、コノハナサクヤヒメの父である大山祇神ともされます。
 神話のなかで、大山祇神の娘のコノハナサクヤヒメがニニギと結ばれていますから、娘を通じて、生まれた子の養育を担う家として、事代主神大山祇神は同じであり、それが三島明神なのです。
 また、大山祇神は、別名が「和多志」の神で、「渡し」の神だと理解されています。
 研究者のあいだでは「渡し」は、海運のことだと解釈されていますが、物事を媒介する意味と解釈すれば、過去から現在への橋渡しということも含まれ、ここでも大山祇神は、事代主神と重なってきます。
 ヒルコという男巫を意味する名の不具の神はエビス神となりましたが、エビス神は、事代主神でもありました。そして事代主神は、託宣の神という男巫であり、「天ノ逆手」という呪の力を通じて、文字が生まれる以前からの悠遠な記憶を、後の時代に”渡していく役割”を担うことになり、具体的な方法として、自分の娘が世継ぎを産み、その世継ぎを養育するという形をとっています。
 これらの神話の描写は、史実としてそうだったかどうかが問題なのではなく、事代主神(エビス=ヒルコ)という男巫の歴史的役割を伝えているのです。
 中世において、歴史を渡していく役割を担っていたのが、その時々の社会の価値観に染まらない芸能の民でした。芸能の民によってヒルコが崇められていた理由は、そこにあります。
 芸能者は、河原者や漂泊の民として、体制にまつろわぬ者でした。
 そしてヒルコは、現実世界では無用の存在です。
 ここで大事なことは、有用と無用の基準は、時代の変遷によって変わってしまうものであり、体制に従属し、時代の価値観に流される者だと、時代が変化するたびに自らのスタンスや物事の捉え方が変わり、歴史の真相を歪めてしまう可能性があるということです。
 なので、歴史の橋渡し役は、体制に従属せず、社会の価値観とは切り離された無用の存在(ヒルコ)を、自分たちの神として大切に祀っていたと思われるのです。
 そのヒルコがエビス神となった。
 恵比須に関連する祝福として、恵比須回し、恵比須舞、恵比須講などがありますが、上にも述べたように、祝いは呪いでもあった。
 「呪」は口に出して祈ることで、「祝」は心の中で祈ることなのですから、祝福というのは、言うに言われぬ何かを、必死の思いで伝えること。
 その言うに言われぬものは、歴史を通じて、橋渡しをされてきたものなのです。
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現代の傀儡子、 奥山恵介氏。撮影:内山英明。(風の旅人 第43号より)。

 ここに添付している傀儡子の写真は、2011年の東北大震災の直前に作っていた風の旅人の第43号に掲載したもので、撮影者は内山英明さん。傀儡子は、奥山恵介さん。
 以下、内山英明さんの言葉。
 「彼(奥山氏)の人形作りは独特で、人形に魂を吹きこむため顔を作る卵の殻に経文を張り、その上に粘土を指で塗り重ねて表情を作っていった。
 顔の裏の目に見えない場所にも朱色の塗料を刷毛で丹念に塗ってゆく。
 これは魔除けのためであった。
 それらの所作は、印や呪文を唱えて仏の加護を祈る、あの密教の加持祈祷 に少し通じるものがあった。
 人形の体の骨格造りにも独自な工夫が凝らしてあった。」
____
「彼はずっと糸繰りを基本にして人形を作ってきた。 
 チベット密教の世界では糸は風の象徴であり、肉体は糸でつながっているという。
 それを知ったとき、それにふさわしい人形を作り、そして〝風の舞い〟を見せればいいんだと思ったという。
 彼の繰る人形の舞いを見ていると、正に今ここに在る世界にも息吹を与えてくれる創造的で根元的なエネルギーを膚で感じる。
 自然と神々と人間を結ぶ糸という架け橋を通して、見る者の心と体を一陣の風のように癒してくれる。
 私にはこの目にうつるすべての世界が、新しくそして懐かしかった。」
____
「人々の多様な心の深層と記憶に深く入りこみながら、さまざまにくねる人形たちの自在な肢体(カラダ)に限りない愛おしさを私は覚える。
 それは彼の人形のもつ大きな特質でもあった。
 この乱調をひめた人形たちがいったん宙を舞うと、そのもう一つの精霊としての真の姿が顕わになる。」
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そして、 最後に奥山恵介さんの言葉。
 「魂の世界に遊べば現実(ウツツ)はこの世のものならぬばかりに際立って見える。
 現実の陰画と申してよい人形(ヒトガタ)を作っている私は人形に魂を抜きとられてきた。
 そのつど私のなかに業が重なり積もった。
 そんな自分の救済を願う心がいつしか人形と同行して、一寺一寺に業をほどき魂を結びながら八十八ヶ所を廻る遍路 へと出立したらしい……それは新しく私の誕生をねがう一輪の花を育む魂遊びでもある。」

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京都と、東京でワークショップを行います。
<京都>2025年5月31日(土)、6月1日(日)
<東京>2025年4月19日(土)、4月20日(日)
*いずれの日も、1日で終了。
 詳細、お申し込みは、ホームページから。
https://www.kazetabi.jp/%E9%A2%A8%E5%A4%A9%E5%A1%BE-%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97-%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC/
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新刊の「かんながらの道」は、ホームページで発売しております
https://www.kazetabi.jp/

絵島(兵庫県淡路市岩屋)。イザナギイザナミの国生みで最初に生み出したオノゴロ島の候補地。本居宣長は『古事記伝』により、オノゴロ島は、この絵島と見立てている。約2000万年前の褐鉄鉱沈殿砂岩層が露出し、岩肌の縞模様が美しい。赤い部分が褐鉄鉱。
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