自己中回想録『生ダラカートグランプリ誕生裏話』
【とんねるずの生でダラダラいかせて!】
それまで「カートってなぁに?遊園地のゴーカートとどう違うの?」と、この程度しか認知度がなかったカート界。しかしこの番組のお陰で子供から大人、さらには飲み屋のおねーちゃんまで、幅広くレーシングカートを知ってもらる機会となった。今現役で走ってるドライバーの中にも、生ダラを見てカートを始めた方も多かったのではないだろうか。
さて、このカートレース企画はどうやって誕生したのか?
実はこの話、テレビ局から持ち込まれた企画ではなかったのだ。それにはこんなエピソードが…。
今でもお付き合いのあるレコーディング・エンジニアのFさんがいる。もう20年以上も昔の話になるが、Fさんがカートを乗りにサーキットに遊びきていた時、今一緒に仕事をしている作曲家Gさんを連れてきてくれた事があった。そのGさんは当時、工藤静香やとんねるずの曲を提供していた大物作曲家。そのような大きな仕事をしていたにも関わらず、腰の低い大変いい方で、ポルシェのレースに出る為、カートで熱心に練習していた。
ドライバーとして何度か生ダラにも出演していた事もあった人だ。そんなGさんが突然
「こんど貴明連れてくるわ」
えっ、貴明って、あの石橋貴明?とんねるずの?
そんな、まさかね、、、
当時、レギュラー番組を何本も持っていた人気絶頂のあの【とんねるずの貴さん】がカートに乗って走りまくってる。
1コーナーで転倒して泥まみれ!
スピンを繰り返しまくり!
関係者はヒヤヒヤだったろう。そんな周囲の気持ちとは裏腹に、本人は楽しそうに走っていた。そして貴さんの口から、今でも忘れられないあの言葉が出た。
「こんな楽しいもの、もっとメジャーにしないきゃだめだよ」
すべてはこの一言から始まった。そして誕生した生ダラの人気コーナー、
【生ダラカートグランプリ】
話が出てからとんとん拍子に企画は進み、打ち合わせ、撮影、放映まであっという間。最初は2~3回で終わる予定が、あまりの大反響にその後何十回も続いた名物のカート対決。関東地区だけでも毎回200万人近くの人が見ていた。視聴率も20%越えが度々あり、1時間まるまる放映したことも何度かあった。我々カート界にとって、大変ありがたい“現象”であった。
振り返れば、キッカケを作ってくれたFさん、アイルトン・タカを連れてきたGさん、そしてテレビに取り上げた貴さんに制作スタッフさんたち、
感謝です!