【スターのミカタ】吉田羊、20年前に語った原点 久留米の教会で賛美歌にもらう拍手が…
福岡スタア倶楽部ー2001(平成13)年11月3日 西日本新聞ー
劇団「東京スウィカ」を2001年春に設立、10月末に東京・阿佐谷で旗揚げ公演をした。「予想をはるかに上回るお客さんの反応で、私たちが目指す方向は間違っていませんでした。安心しました」
東京スウィカは、別の劇団で出会った比佐(ひさ)廉(れん)さん(26)=東京都出身=と、2人で主宰。それまではあちこちの舞台を転々としていたが、「あそこに行けば必ず吉田がいる、とはっきり示したくて」と設立を決めた。とはいっても、固定メンバーは二人だけ。他の役者は公演ごとに客演として招くスタイルだ。
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中学や高校までは全く演劇の経験はなかった。「大学で考古学をやりたかったんですが、第1希望が不合格で。入学後は中国語を専攻したので、中国で日本語教師をやろうと思っていました」
転機は大学3年のころ。何気なく眺めていた情報誌で、ページの欄外にある小さな“役者募集”の記事が目に止まった。注意して探した記事ではないが、何かが気になった。
福岡県久留米市の実家は教会。子どものころから賛美歌が好きだった。人前で歌ってハーモニーを聞かせ、拍手をもらうのが気持ちよかった。「それに、8歳上の姉が演劇をやっていて、きらきらと輝く姉の姿にあこがれを持っていました」。
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古里で培われた素地が、吉田さんを動かしたのか。「無意識のうちに役者のようなものを探していたのかもしれません」
“あがり症”のため、決断に1週間かかった。応募してみると「演技のテストなどはなく、審査は面接だけ。『あなたにはこの役が合ってますよ』と言われて決まりました」
役者としての経験は皆無なのに、割り当てられたのは準主役。「内向的な性格の役回りで、ほとんど演技の必要もなく〝地〟のままでいけました」と笑う。そして、カーテンコールの拍手とスポットライトが吉田さんの道を決めた。
「あの瞬間の気持ちよさ、すがすがしさ。芝居をやっていこうと決めました」
それからは、舞台ごとにあちこちの演劇集団を転々とするフリーの役者に。「特定の劇団に所属すると、そこだけで完結してしまう。そうではなくて、いろんな役者と出会い、舞台の現場で経験を積みたい。それが一番の勉強になると思う」
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だからスウィカも固定メンバーを置かない。〝相棒〟の比佐さんと出会ったのも、共演がきっかけだった。「彼女は演技はもちろん、歌もダンスもうまい。それに脚本も書けてマルチな存在。彼女とタイミングよく出会ったから、今の私が存在する」と言い切る。
劇団名スウィカは「粋歌」や「粋花」「粋香」といった存在の劇団になりたい、との願いを込めた。そんな「粋(いき)」を感じさせる役者が理想という。「舞台の脇を固める、個性派と呼ばれる役者になるのが目標です」と目を輝かせる。
「地元での公演は?」と尋ねた。「やりたいですよ。でも、今は東京で地盤を固める時期。まだまだ先の夢ですね」。こちらはやや遠慮気味だ。しかし「舞台に上がると、『活(い)きている』という感じがします」と力を込める。自分の「居場所」を見つけ、夢に向かって進む力強さを感じた。夢は決して遠いものではなさそうだ。
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▼よしだ・ようこ 久留米市西町出身。久留米信愛女学院高、桜美林大学卒。芸能プロダクションにも所属し、JR九州のほか現在はみずほフィナンシャルグループのCMに出演。東京都杉並区在住。27歳。
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