自尊心
「リヴァプールのキャプテンになることは夢だった」
「僕の運命のクラブで、変えることなんて考えたこともない」
100試合出場を目前にした2019年10月26日。当時21歳のトレント・アレクサンダー=アーノルドはこう語っている。
これが6年前の発言の正体だ。
生え抜き
6歳の時に入団し、20年間クラブにすべてを捧げてきた。かつてのスティーブン・ジェラードを思わせる象徴的な存在で、シティのフォーデンやバルセロナのヤマルのように他クラブの介入を許さない、アンタッチャブルな選手のはずだった。
マドリーは、その型破りな新生の出現を目の当たりにし注視、密かにチャンスを待っていた。
そして、今回のディールはフロレンティーノ・ペレスの十八番そのものだった。
ヨーロッパで最も才能のある選手の一人を、少年時代から過ごしたイングランドのビッグクラブから引き抜くことで、マドリーの世界的な力と魅力を改めて強調し、そのブランド力をアピールすることができるのだ。
FIFAの規定により、契約が残り6か月を切らないとマドリーはアーノルドに接触することはできない。しかし、マドリーは政治、メディアなどのあらゆるグレーゾーン(非公式)を駆使してアーノルドを新しい場所へ誘惑しリヴァプールとの契約延長を阻害してきた。1月1日をただ待っていたわけではない、相思相愛の熟年夫婦の離婚を工作し、略奪した。
これが、ピッチ外のレアル・マドリーの顔である。
約束
今回の事件で、リヴァプールのチームとファンにとって戦力やコストよりも感情的なダメージを負ったはずだ。タイトルを失うこと以上に重たい心のダメージである。
しかし、過去の言動を引き合いに出しアーノルドを否定することは不適切だ。
「キャプテンになりたい」
と言ったとしても、その発言は将来を約束するものではない。それは「現在の」クラブやファンを愛し満足していることを示す「愛情表現」なのだ。フットボールだけでなく、日常生活でも私たちは「今は幸せだ」という感情の表現と「永遠に変わらない」という約束の違いを認識しているはずだ。
— みう🐴 (@miufootball) January 1, 2025
アーノルドを取り巻く環境は、6年で大きく変化した。
チームメイトが変わり、監督が変わり、自身の役割が変わり、得られたものと得られなかったものがある。
そして次第に「リヴァプールのキャプテン」よりも「タイトルが欲しい」という目標に変化した。これはいちアスリートとして不自然な心変わりではない。世界一タイトルにシビアなレアル・マドリーへの挑戦は、筋の通った選択と言える。
アーノルドの愛情表現を「約束」とこじつけ、それを口実に裏切り者に仕立て上げる。これは、一時の負の感情から目を背けるため、自尊心を守るための幼稚な反応だ。
忠誠心
こうした問題では、ファンの一貫性のない価値観が垣間見えるものだ。
24年の夏にスビメンディにオファーを出したときは、彼のレアル・ソシエダとの関係を問題視したのだろうか?
リヴァプールがフリーで選手を獲得した際、相手クラブに無礼だと感じるのか?今季で退団をするデ・ブライネは裏切り者なのだろうか?
この違いは、主導権がクラブにあるのか選手にあるのか、そして誰が損をして誰が得をしたかという点に尽きる。
忠誠心とは「都合のいい時だけ期待する」ものではないはずだ。
損得勘定で忠誠を語るべきではない。
それではただの呪縛に過ぎない。
そのような歪んだ価値観を、クラブや選手の決断に押し付けるべきではない。利己的な人間が、他者に利他的であることを強要することは無理がある。
サッカーゲームの世界とリアルは違うのだ。
Special Moments pic.twitter.com/bBOTEmDHiH
— Trent Alexander-Arnold (@TrentAA) April 20, 2025
フラれた時こそ、本当の愛のカタチが見えるものだ。
リヴァプールは彼の心のクラブであり続ける。
退団を決意した後も、最後までチームにコミットしタイトルを置き土産に旅立った。これが彼の誠意であり新たな「愛情表現」である。
彼は、すべてを勝ち取り十分過ぎるものをクラブにもたらした。彼が示した貢献に対して、これ以上何を求めることができるだろうか。
それでも「裏切り者」と呼ぶべきだろうか。



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