兵庫知事選、「沈黙の50日」 神戸新聞社・前編集局長の後悔と覚悟
斎藤元彦知事が再選された昨年の兵庫県知事選挙で、地元の神戸新聞社は「偏向報道」などと激しい非難を浴びた。いったい何が起きていたのか。当時、編集局長として選挙報道を率いた小山優取締役(57)がインタビューに答えた。
特集「明日も喋ろう」
38年前の憲法記念日、朝日新聞阪神支局の記者2人が散弾銃で撃たれて死傷しました。あの銃口は言論の自由を求める市民社会に向けられたもの。そう受け止め、事件について書き続けてきました。 しかし近年、その市民から新聞やテレビが「オールドメディア」と揶揄(やゆ)され、敵視されることがあります。報道機関は国民の知る権利に応えているか。メディアの世界を知る人たちと共に考えます。
――発端は、昨年3月の内部告発に対して斎藤知事が「うそ八百」と批判し、告発者を処分したことでした。7月に告発者が死亡し、副知事が辞職したことで、県政の混乱に注目が集まりました。
内部告発問題の本質は公益通報の通報者(告発者)を捜し、懲戒処分にしたことの是非です。告発にあった知事への贈答品は他の自治体でも見聞きするものですし、パワハラも一つ一つは新聞1面をにぎわす内容とは違うかなと思っていました。
通報者が死亡して報道が過熱し、贈答品問題が「おねだり」としてワイドショーなどで何度も取り上げられるようになると、違和感も覚えました。神戸新聞では「おねだり」という見出しや表現を原則として使いませんでした。
――告発者捜しの非を認めない斎藤知事への批判の高まりを受け、県議会は昨年9月に全会一致で不信任を決議し、知事選になだれ込みました。
当時は不信任の先に衆院解散がちらついている状況でした。政党間のつばぜり合いが始まり、どの会派が先に不信任決議案を出すかということに気を取られすぎていたように思います。担当デスクには、辞職させる方向へ筆を走らせないように言った覚えがあります。告発の真偽をただす百条委員会や第三者委員会の調査結果が出ていないのに、辞めるべきだと言うのはどうかと。
――出直し知事選が決まったとき、斎藤氏が再選されると予想しましたか。
100%あり得ないと思っていました。
情勢調査でも前兵庫県尼崎市長の稲村和美さんに大きく差を開けられていました。ただ、告示段階では斎藤さん批判一色ではなくなり、何かうごめいていると感じていました。
そして、投票直前の斎藤さんの街頭演説を聴きに行ったとき、私はその場に立っていられないほどのショックを受けたのです。
聴衆の方々が口々に通報者に関する真偽不明のプライバシー情報を話していたのです。「知ってますか? オールドメディアには絶対に書いてないけど、ネットを見ればすぐにわかります」「あそこにオールドメディアの人たちがいます。ウソばっかり流しているんですよ」。そんな声があちこちから聞こえてきました。私は何てことをしてしまったんだろうと思いました。
――どういう意味ですか。
私は選挙報道で有権者の投票行動をゆがめてはならないと教え込まれてきました。そのため、告示後は告発問題をあまり深く報じませんでした。斎藤さんの失職直後に衆院選が始まったこともあり、投開票日までの約50日間、大量に放出していた情報の蛇口を急に閉じてしまったのです。おそらく他のマスメディアもそうです。真偽不明の通報者のプライバシー情報が流布されても否定せず、沈黙を貫いてしまいました。
その空間を埋め尽くしたのがSNSや動画投稿サイトの情報です。その結果、真偽不明の情報が「真実」となり、神戸新聞は「偏向報道」と言われることになりました。
街頭で取材していた記者が「どうせろくでもない報道をするんだろう」と怒鳴られたり、SNSで記者の個人名がさらされて「偏向報道」と批判されたりしました。本社前の街頭演説では数百人が集まり、不買運動の呼びかけもありました。
――真偽不明の情報に反論しなかった理由は何ですか。
候補者の有利不利につながると思ったのです。公職選挙法148条を勝手に拡大解釈していました。
148条に「選挙の公正を害してはならない」とありますが、前提として「虚偽の事項を記載し、または事実を歪曲(わいきょく)して記載する等表現の自由を乱用して」とあります。そもそも「報道及び評論を掲載する自由を妨げるものではない」と書いてあるのです。「公正」を口実に候補者との摩擦を恐れ、有権者に対して十分な情報を提供していなかったのではないか、と思うようになりました。
通報者のプライバシー情報は告発内容と関係がないので、今でも報じるべきではないと思っています。しかし、「書かない理由」を書くことはできました。選挙マニュアルを見直し、これからは「書かない理由を書く」ことを決めました。
――記者や本社への人的・物的な被害や脅迫はありましたか。
それはありませんでした。でも、怖いのはそこなんです。
SNSに書き込む行為はそこまで罪悪感が芽生えない。悪意ある書き込みもゲーム感覚で拡散していく。罪の意識のない人たちが、知らない間に記者を攻撃していたのです。
なぜそういうことができてしまうのか。皮肉なことに「表現の自由」があるからなんです。本来、表現の自由は国や権力に対して行使すべきものです。その矛先が記者や一般市民に向けられている。表現の自由を盾に表現の自由を攻撃しているのです。
そうした誹謗(ひぼう)中傷を規制するという議論が出ています。でも、表現の自由に規制をかけてはいけないと思いますし、その判断を国に委ねることはあまりにも歴史の教訓が生かされていない。表現の自由にいま、見えない銃口を突きつけられているような気がします。
――こうした社会情勢にどう向き合いますか。
いまは踏ん張りどころです。表現の自由が規制される前に、ジャーナリズムが踏ん張らないといけません。真偽不明の情報があふれかえる中で、我々にできることは「ファクト」を示すこと。虚偽情報、悪意ある情報と闘うことです。
知事選を経て、ジャーナリズムを強く意識するようになりました。我々のジャーナリズムとは何か。何のための報道なのか。改めて考えています。
◆こやま・まさる 1967年、京都府出身。立命館大産業社会学部卒。91年、神戸新聞社入社。兵庫県庁、県警などを担当。2023年、編集局長に就任。25年から編集、論説、デジタル事業担当の取締役。同社は1898年創刊。朝刊34万部、夕刊9万部を発行。
朝日新聞襲撃事件
1987年5月3日、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に男が侵入し、散弾銃を発砲。小尻知博記者(当時29)が撃たれて死亡、犬飼兵衛記者(当時42)が重傷を負った。東京本社銃撃、名古屋本社寮襲撃、静岡支局爆破未遂など「赤報隊」を名乗る計8件の事件が起きたが、いずれも未解決のまま時効となった。
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- 【視点】
「投票直前の斎藤さんの街頭演説を聴きに行ったとき、私はその場に立っていられないほどのショックを受けたのです」――この部分をインタビューで深めてほしかったです。 「投票直前」まで、街頭の異様な雰囲気を編集局長として察知できなかったのはなぜなのか。選挙を取材していた記者たちはどうだったのか。 記者たちは異様な雰囲気を肌で感じていたが、それを報じる必要性は感じていなかった、もしくは報じてはいけないと思っていたのか、それとも報じる必要性を彼らは感じていたがデスクが止めたのか。それとも現場の記者たちも街頭の異様な雰囲気を察知できなかったのか。ここは大事なポイントだと思います。
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- #SNSと犬笛
- 【視点】
上西先生がコメントプラスで呈されていた疑問について、僭越ながら、かつてはインタビュイーの前編集局長と同僚だった「元神戸新聞記者」からお答えさせていただきます。 まず、知事選を取材していた県庁担当記者をはじめ、神戸新聞の現場の記者たちは「街頭の異様な雰囲気」をそれこそ肌で感じていました。また、それを「報じる必要性」も強く感じ、カイシャにそう求めていたと聞いています。というのも、記事にもある通り、知事選をめぐる署名記事で、SNSや取材現場において、実際に攻撃を受けていたのは、他ならぬ彼ら、彼女ら自身でしたから。 では、なぜ、そうならなかったのか。先生が疑問に思われている通り「報じる必要性を彼らは感じていたがデスクが止めたのか」? 確かに、現場の記者たちが、その窮状を訴えるのはまず、直属のデスクです。が、デスクらは「現場の訴え」を「止めた」のではなく「事実上、放置していた」というのが、私自身の印象です。 しかし、今回の問題の最大の責任は、当時の神戸新聞編集局トップだった前編集局長にあります。彼が、これら現場の声に耳を傾けず、自省の弁にもあるとおり、「公職選挙法148条を勝手に拡大解釈し」、旧態依然とした「選挙報道」に拘泥した結果が「沈黙の50日」でした。 この記事を読んだ、神戸新聞OBの1人はこう言いました。 「彼は『私は何てことをしてしまったんだろう……』などと言ってますが、彼が嘆くべきは『私はなぜ、何もしなかったんだろう』でしょう。 さらに、自省の弁を述べるなら『事なかれ主義で、臆病で、これまでやってきた通りのことをやれば嵐は過ぎ去るんだと、事象を矮小化して、負担をすべて現場に押し付けてしまいました。現場の記者の皆さん、読者の皆様、ごめんなさい』ではないですか」 もっとも、知事選後、神戸新聞では、知事選報道を検証する連載も始まりました。が、これも前編集局長が主体的に始めたものではなく、現場の記者たちの突き上げに耐えきれず、一部のデスクから、前編集局長に対し、一連の知事選報道の検証を求める直訴がなされた結果だと聞いています。 最後に。小山君よ。ほんまに「私は何てことをしてしまったんだろう……」やないよ。現場の記者たちが悲鳴を上げているのに、編集トップの君が彼ら、彼女らの声を聞き、組織として彼ら、彼女らを守り、闘わなかったことが最大の問題ですよ。 おまけに「知事選を経て、ジャーナリズムを強く意識するようになりました」って……。じゃあ、これまでの34年、何を考えて、記者やってきたんや? 「いまは踏ん張りどころです」って……アホか? 現場の子らはとっくの前から踏ん張っとるわ。踏ん張らなあかんのは、君や! もうちょっと、しっかりしてくれよ。元同期!
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- #SNSと犬笛
兵庫県の内部告発文書問題
2024年3月、兵庫県の斎藤元彦知事らがパワハラ疑惑などを内部告発されました。告発への知事の対応をめぐって県議会と対立しましたが、出直し選挙では斎藤知事が再選を果たしました。最新ニュースをお伝えします。[もっと見る]