ちゅうごくの映画人 田中絹代の反戦、原作にはなかったラストシーン

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斉藤勝寿
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 昭和を代表する映画スター、田中絹代(1909~77)の軍部への反抗だった。

 終戦前年の1944(昭和19)年、国民もマスコミもその多くが戦争に協力する中、田中は映画「陸軍」での演技を通じて「反戦」を表現した。

中国地方からは、日本映画を代表する監督、俳優らが多数輩出しています。その映画人たちは戦争とどう向き合ったのか。戦後80年を機に紹介します。

 田中は山口県下関市で生まれた。幼い時に大阪へ移り、少女歌劇を経て24年に松竹キネマに入り、俳優デビュー。清純派として松竹の看板俳優となり、「伊豆の踊子」などで大スターの地位を確立する。38年公開の「愛染かつら」は空前の大ヒットとなった。

 太平洋戦争が始まると、各映画会社は戦意高揚作品に力を入れ始める。松竹が製作した「陸軍」もその一つだ。陸軍省の依頼で製作されたプロパガンダ映画で、開戦から3年にあたる44年12月に公開された。

 原作は朝日新聞に連載された火野葦平の同名小説。幕末から日清・日露の両戦争を経て日中戦争にいたる60年あまりを、模範的な愛国心あふれる一家の3代を通して描いた作品だ。

 映画は戦意高揚に満ちた、ありきたりのものだが、ラストに驚くべき展開を見せる。

 息子が出征することになり…

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この記事を書いた人
斉藤勝寿
水戸総局|取手地区担当
専門・関心分野
映画、鉄道、城