ちゅうごくの映画人 通底に権力への反抗、娯楽映画の才匠・岡本喜八

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斉藤勝寿
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 娯楽映画の才匠、岡本喜八(1924~2005)は多くの戦争映画も手がけている。「独立愚連隊」「血と砂」……、娯楽要素を前面に出しながら、そこに戦争の惨禍をにじみ出させるのが喜八流。決して声高ではないが、バックボーンには確固たる反戦が貫かれている。

中国地方からは、日本映画を代表する監督、俳優らが多数輩出しています。その映画人たちは戦争とどう向き合ったのか。戦後80年を機に紹介します。

 岡本監督は鳥取県米子市で生まれた。現在の県立米子南高校、明治大学を経て、東宝に入社した。在職中の1945年に陸軍工兵学校に入隊。移駐した愛知県豊橋市の陸軍予備士官学校空襲に遭い、間近で250キロ爆弾が爆発したが九死に一生を得た。

 戦後、米子に戻ってがくぜんとする。幼なじみの多くが戦死していたからだ。著書「鈍行列車キハ60」の中で「戦争にこだわった作品が存外多いのは、そんな数多くの友人たちの死が、以後ずっと、底流になって流れ続けているせいに違いない」とつづる。

 戦争映画の代表作の中で、対照的なのが「日本のいちばん長い日」(67年)と翌年公開された「肉弾」だ。同じ終戦をテーマにしているが、登場人物や設定はまったく正反対だ。

 「日本のいちばん長い日」は…

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この記事を書いた人
斉藤勝寿
水戸総局|取手地区担当
専門・関心分野
映画、鉄道、城