ちゅうごくの映画人 敗戦少年の大林宣彦が夢見た、映画が変える未来

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斉藤勝寿
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 スタイリッシュで斬新な映像を駆使し、「映像の魔術師」と称された才匠がいた。広島県尾道市出身の大林宣彦監督(1938~2020)だ。

 開業医の長男として生まれた大林監督は、祖父宅の蔵で見つけた映写機で、手描きのアニメを制作する。わずか7歳のころだ。県立尾道北高を卒業して上京。ハリウッド俳優チャールズ・ブロンソンを起用した「マンダム」などCMの世界で名をあげ、1977年、家が人を食べる異色ホラー映画「HOUSE/ハウス」で商業映画デビューを飾る。

中国地方からは、日本映画を代表する監督、俳優らが多数輩出しています。その映画人たちは戦争とどう向き合ったのか。戦後80年を機に紹介します。

 記者は今回の執筆にあたり「HOUSE/ハウス」を見直して、物語に戦争が影響していたことに気付いた。登場人物を食べる「化け物」は戦争で最愛の人を失っていたのだ。監督自身も「実はテーマは、ぼくの内部に潜む戦争でした」と、著書「戦争などいらない―未来を紡ぐ映画を」の中で語る。

 監督は終戦時、7歳。戦争を…

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この記事を書いた人
斉藤勝寿
水戸総局|取手地区担当
専門・関心分野
映画、鉄道、城