地下鉄サリン事件「まるで地獄絵図だった」警視庁捜査幹部が初証言 20代の巡査時代に目にしたものと、今も抱く後悔とは─
■「人間は殺生するのに、ゴキブリは殺さないのか」
後日、病院で治療を終えた“巡査”は、機動隊へ集合した。そこで初めて、山梨県上九一色村(当時)にあったオウム真理教の教団施設に強制捜査に入ることを知らされる。3月22日当日、中央自動車道・談合坂サービスエリア近くで“巡査”を含む捜査員と機動隊員が集結。教団施設に向かう途中、中央自動車道のカーブで窓の外を見ると、赤色灯を点灯させた100台以上の警察車両が約2キロにわたって列を作っていた。
「すごいことをやりにいくんだな…」
まさに戦場に行くような思いだった。
国家の弾圧と闘うとして武装化を進めていたオウム。実際、あの日地下鉄でまかれた猛毒のサリンは、この上九の教団施設で製造されていたのだ。その後、強制捜査の過程で、サリンの生成に使われた大量の化学薬品も押収された。
連日の捜索が続くある朝、「サティアン」と呼ばれた教団施設から出てきた信者がインスタントコーヒーの瓶をもち、何かを側溝に捨てているのが目にとまった。確認しにいくと、瓶から大量のゴキブリを側溝に逃がしていた。
「人間は殺生するのに、ゴキブリは殺さないのか・・・」
信者の行動が全く理解できなかった。信者たちから臭った酸っぱい臭いとともに、この行動は鮮明に記憶に残っている。家宅捜索後の約3か月、指名手配犯の捜査、信者の情報確認などを24時間勤務で繰り返すことになった。まずは病院に運ばれた負傷者から順次、被害届を受理していったが、通勤・通学の人は都内のみならず関東近県に及んだため、地方に出向くことも多かったという。
「刑事さん、犯人を絶対に捕まえてください」
こうした言葉をかけられ、「なんとしてでも検挙する」という思いが強くなったが、休みはなく、今まで経験したことのない疲労に襲われ、心身ともに限界だった。支えとなったのは、「サリンをまいたオウムへの怒り」「サリンで被害にあわれた方々への無念を晴らさなければならない」。この2つだった。