埼玉県秩父市の森林鉄道に銭湯やパチンコ店はあったのか?廃線跡から娯楽施設の痕跡を探す旅
ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、全国800か所以上の道を巡ってきた道マニア歴19年の石井あつこさんが、埼玉県にある森林鉄道跡を巡り歴史を紐解きます。 【動画】「空前絶後のいい景色」道マニアも大興奮…!岸壁を開削したレール付きの「片洞門」はこちら【9分26秒~】
廃線跡から人々の営みを紐解く!森林鉄道「入川森林軌道」の歴史
石井さんが訪れたのは、埼玉県秩父市(ちちぶし)。 (道マニア・石井あつこさん) 「レールが現存している森林鉄道の一つ『入川(いりかわ)森林軌道』を訪ねたい。行くのは20年振り」 廃線になる前には、銭湯やパチンコ屋さんなどの娯楽施設があったという噂があり、その痕跡を見つけたいとのこと。国道140号から分岐する道から、かつてあった森林鉄道「入川森林軌道」の廃線跡を目指します。 (道マニア・石井あつこさん) 「森林軌道が現役の頃の地形図を見ると建物を示す記号があるので、軌道の工事にかかわった人がこの辺に集まって居住していたんじゃないかなと」 分岐してすぐのところに民家の跡が。その先は関係車両以外入れませんが、登山道として開放されているとのことで、石井さんは突き進みます。 (道マニア・石井あつこさん) 「明治の初期は、もともと大滝村(現在の秩父市)の村有林だった。それを、当時の東京帝国大学(現在の東京大学)が広大な土地を購入した。林業や森林資源の研究、財産の確保という目的があったと思う。それが東京大学演習林の始まり」 大正5年、森林資源の確保や林業の研究を行うために東京大学が創設した「秩父演習林」。大正12年に伐採した木材を搬出するための鉄道の建設が決まると、その工事は小森川沿いで森林鉄道を管理していた民間会社が請け負いました。 工事開始6年後の昭和4年、2.5kmの軌道が敷設され、徐々に木材の搬出が行われるようになります。その後も延伸工事が進み、昭和11年に全長約6kmの入川森林軌道が完成。40年にわたって稼働を続けてきましたが、昭和44年、伐採可能な樹木の枯渇と国道の建設により廃線となりました。 (道マニア・石井あつこさん) 「森林鉄道は北海道から沖縄まで1000路線、8000kmはあったとされる。斫伐(しゃくばつ)した木材を運ぶのが主たる目的であるのは間違いないが、集落があれば物資を運んだり、林業で集落が栄えて学校ができれば通学路として利用されたりもした。山に住む人達の拠り所になっていたと思う。運び出された資源は様々な用途に使われて、日本の近代化を根底から支えていた」