名大祭の無くなる日
こんにちは。元名大祭実行委員(要出典)です。
1年ぐらい名大祭実行委員を務めていました。
実行ってどういうイメージが持たれているのですかね。
ブラックだとか、身内ノリだとか、官僚的とか、あまりいいイメージを聞くことは少ないですが、実際いい人もたくさん多いですよ。
てか名大生ってみんないい人ですね。いろんな人がいていいですね。
って書くとあらゆるところからの怒られが回避できそうなので、ここからは色々なことをちゃんと書いていきます。
結論から言いましょう。
名大祭はじきになくなります。
少なくとも、なくなりかねない状況です。
これは名大祭公式で言われていることです。
しかし現在、名大祭実行委員会は深刻な財政難に直面しており、再来年の名大祭の財源が十分に確保できていない状況です。
残念でしょうか。僕は残念でたまりません。自分のいる大学に学祭がないなんて。悔しさや恥ずかしさでよそで言えないでしょう。
この資金難、ウェブサイトで大袈裟に書いているだけでしょ、と思われている人も多いでしょうが、団体内でも「68th(再来年の名大祭)はないな」という論が存在しているのもまた事実です。
つまり、名大祭、お金がなくてやばいです。
これは実行がお金使いすぎなのではなく、
一括納入制度の”改悪”に原因があります。
実行の資金難 ──一括納入制度の事実上廃止
名古屋大学は一括納入制度といい、体育会や文化サークル連合?、そして名大祭実行委員会に最初にまとまったお金を渡す制度を導入しています。
体育会系は渡さなければ入会できない(=公式のスポーツを学内でできない)といった制限があり、ほぼ強制の徴収となりますが、実行の場合は払わなくても払っても変わらないという非対称性があります。だから、3つの団体を合わせて納入してもらうことで、体育会に入る人からも実行に対して活動費を徴収しようというのが一括納入制度です。
名大祭は学内全員でつくる学祭です。そのことを認識していない実行委員の人は意外と多く、そのせいで一括納入には異議が唱えられますが、学内全員でつくる学祭です。だから、お金を渡すというのは不思議でも何でもないことです。しかし、一括納入制度が事実上の廃止(納入ブースが分けられるようになった)こと、かつ納入をしづらくなる(素通りしやすくなるブース配置)にしたことで、名大祭は納入金不足により資金難に陥ることになりました。
もう一度言いますが名大祭は学内全員でつくる学祭です。一括納入制度の事実上の廃止によって名大祭実行委員の運営費の徴収が困難となった今、学内の多くの人がこの意識を持って自主的に納入をすることが必要ですが・・・。
名大生の思いあがり ───学祭は「あるもの」か
多くの名大生が学祭は「あるもの」だと思っています。
当たり前のように梅雨の時期には学祭がある。
当たり前のように模擬店が出店されている。
当たり前のように豊講にお笑い芸人が来る。
しかしそれは大きな思いあがりです。何度も言っている通り学祭の主体が学生にある以上、不断の努力によって学祭を維持しなければならないということです。サークル発表の場、みんなで一致団結する場、それらはあるものではなく、つくるものでなければなりません。
その思い上がりを助長させているのが、
何はともあれ、名大祭実行委員会そのものです。
彼らは学内みんなのものである名大祭に対して、「自分たちだけがその仕掛け人である」という1番の思い上がりをもとに、「名大祭を裏から支える」だの「名大祭を動かす」だのいっています。これはよろしくないです。お金を納入している人も、参加している人も、立派に名大祭を支えているし、名大祭を動かしています。その意識の欠如が、多くの名大生にとって名大祭を「あるもの」にさせてしまっています。
と、ここまで最もらしい原因を述べてきましたが、
これらは何とかなることです。
しかし、名大祭の存続にはとてつもない大きな問題があります。
それは
名大生が絶望的につまらない
ということです
おもんねお前ら〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!
・・・名大生がつまらなさすぎて取り乱しました。
ここからは真面目にいきます。
名大祭はなぜ名大生が来ないのか ───感受性の喪失
名大祭の大きな問題の1つとして、名大生が休暇か何かだと勘違いしているのか名大祭に来ないというものがあります。これは先述した問題点と結びつけるのなら、学祭が「あるもの」だと思っている→自分は関係ない というロジックになります。
しかし、それ以上に名大生にユーモアがないことの方が大きな問題な気がします。
おっと、そう言ってしまうと、出し物がつまらないってことか!と言う批判が来そうですが、私が言いたいことは全くその逆です。つまり名大生はつまらなさすぎて、出し物を楽しむ感受性を失ってしまっているのです。
名大生って酷いもんですよ。自分がクッソつまらない。ユーモアがない。感受性がないことを棚に上げて、名大祭に対して無視を決め込んだり冷笑をしたりしています。まあ、名大祭が完璧に面白いものではないとは自分も思います。しかし、名大生は楽しむ力を失ってしまっています。
ここで、昔付き合ってた人の話をします。
彼女は名大祭実行委員で、名大祭のことが大好きでした。
備品1つを運び込むのにも小ボケを挟んだり、子供騙しだなーって思うイベントでも全力で楽しんでいたりして、その楽しむ精神は僕の尊敬し、深く愛した点の1つでもありました。
彼女は西日本の出身でした。東海地方のクッソつまらねえ面した奴らは僕含めてみんな虜になっていました。名大生に欠如しているのは、この楽しむ力だなと、今となっては痛感する次第です。
楽しむ力=感受性=ユーモア、この欠如によって、名大生は学祭を自分のエゴによって無視し続けているのです。
そして冷笑へ ───ユーモアの放棄
最悪なことに名大生はユーモアが足りていないことを自覚していません。これは本当に最悪なことです。そしてその至らなさを知らない愚かな名大生が何をするのか。冷笑です。
これは長文にわたって名大祭テーマもとい名大祭を冷笑した記事になります。文章の論理が破綻していたので読まなくてもいいです。冷笑記事だと思っててください。
名大祭のテーマがダサいなと思った時、ユーモアがある人ならば何をするでしょう。僕はつまらない人間なので何も思い浮かびませんが、例えば「(天気)、広がる〇〇」構文で何かいう大喜利とか、新しい名大祭テーマを考えようとか、本当にダサいのか栄のドンキでジャージ姿の人に調査してみたとか色々調理法があると思うんですよ。
しかし、名大生はユーモアが全くないので、ダサいものに対して「これダサいね」「ダサいね」しか言えなくなっています。本当に終わりです。こんなんじゃ就活ではやっていけませんね。
3000文字近く書いたので統括 ───名大祭の存続に必要なのは
さて、ここまで長々と書きましたが、実際に名大祭の存続には何が必要なのでしょうか。まずはお金、次にユーモア。これがこの文章の内容ですね。
けど名大生って金持ちなだけでつまらないじゃないですか(笑)
だから正直名大祭が潰れてしまうのは時間の問題だと思います。
だって金持ちなだけでつまらん奴が金出さなくなったんだもん(笑)
正直名大祭は名大生にとって早かったです。南無三。
だってユーモアが絶望的になさすぎる。これは堅実な成長を望む風土が原因なので恨みっこなしですね。そしてケチになってしまった。これは岸田さんとか石破さんとか財務省あたりが悪いんでしょうね。
結論
名大祭最終回では杉山総長がサムズアップして溶解炉に沈むらしいです!
おわり。
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