【仰天野球㊙史】#24
この4月18日に亡くなった通算320勝の小山正明は、球史に残る“世紀のトレード”の主役だった。「針の穴を通すコントロール」との異名を取った阪神タイガースの大エース。交換相手は「シュート打ちの名人」こと大毎オリオンズの山内一弘。ともに技術の職人。1963(昭和38)年の暮れも押し迫った12月26日のことである。
のちの取材で探し当てたのが青木一三という人物。阪神スカウトから大映・大毎・毎日・東京のスカウトに転じ、くだんの大型トレードを仕掛けて成功させた男である。その頃、東京は成績低迷を打開するため本堂安次監督が「守り重視」を打ち出し、あのミサイル打線を解体、投手補強を図っていた。そのうえ、オーナーの永田雅一は大映映画の社長(大風呂敷から異名はラッパ)でもあったから「世間をアッと言わせる出来事」を望んだ。
青木は阪神の裏事情に精通していたことから小山の存在を耳にした。「一言居士」に「フロントとの関係」というものだった。62年の2リーグ制後初優勝の時、27勝を挙げながらMVPは25勝の村山実。記者投票に日頃の評価が表れたのである。阪神はこれに悩んだ。
青木は阪神の球団代表に会うと「村山と一塁手は出さない」ことを掴み、小山については「出さない」とは言わなかった。東京の方は「一塁手の榎本喜八以外ならだれでも」ということだった。ここで小山ー山内の交換が決まったという。
この年、小山は29歳で14勝14敗。「陰り」の評価になっていた。山内は31歳で33本塁打、86打点。お堅い電鉄会社ではありえないトレード劇は、芸能界を牛耳った永田だからこその一幕だった。永田が大阪に乗り込み、正式発表したのはいわゆる“儀式”である。
下働きをした青木は大阪の名門・市岡中で内野手、関大の野球部マネジャーから阪神のスカウトに。吉田義男ら多くの主力を獲得した腕利きで、長嶋茂雄や村山を大学中退、プロ入りを仕掛けるなど伝説のスカウトマンとして球界裏面史で異彩を放っている。あだ名は人呼んで「マムシの一三」。地獄耳でもあった。
(菅谷齊/東京プロ野球記者OBクラブ会長)