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8年の下積み乗り越え…「B&B」で一世風靡 漫才師・島田洋七さん(2)

アーカイブ「わたしの失敗」

2006年6月7日付の産経新聞に掲載した連載「わたしの失敗」のアーカイブ記事です。肩書、年齢、名称などは掲載当時のまま。

あのブームは俺にとって「大失敗」

「もみじまんじゅう!」。漫才コンビB&Bを結成、出身地・広島の“ご当地ギャグ”で一世を風靡し、年間8億円を稼ぎ出すに至った洋七だが、売れるまでの道のりは、長く険しかった。

20歳で駆け落ちし、大阪・東住吉の4畳半に2人暮らし。野菜の配送や深夜の配管工のアルバイトをして食いつないだ。漫才の報酬は1ステージこなして300円。終了後には「なんば花月」の客が残した弁当をあさるのが日課だった。

島田洋七さん(2006年5月26日撮影)
島田洋七さん(2006年5月26日撮影)

「腹をこわさないように、すしのネタを取ってシャリだけ食うんや。当時は、サバを丸ごと1匹食べるのが夢でなあ。いつも切り身しか食ったことないから、いつか売れて、絶対に食べてやるって息巻いてた」

そんな生活が約8年続いた。惨めだとは思わなかった。漫才は好きだったし、小さいながらも夢はあった。だが、そんな洋七も貧乏がもとで、1度だけ涙を流したことがある。

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