あのブームは俺にとって「大失敗」
「もみじまんじゅう!」。漫才コンビB&Bを結成、出身地・広島の“ご当地ギャグ”で一世を風靡し、年間8億円を稼ぎ出すに至った洋七だが、売れるまでの道のりは、長く険しかった。
20歳で駆け落ちし、大阪・東住吉の4畳半に2人暮らし。野菜の配送や深夜の配管工のアルバイトをして食いつないだ。漫才の報酬は1ステージこなして300円。終了後には「なんば花月」の客が残した弁当をあさるのが日課だった。
「腹をこわさないように、すしのネタを取ってシャリだけ食うんや。当時は、サバを丸ごと1匹食べるのが夢でなあ。いつも切り身しか食ったことないから、いつか売れて、絶対に食べてやるって息巻いてた」
そんな生活が約8年続いた。惨めだとは思わなかった。漫才は好きだったし、小さいながらも夢はあった。だが、そんな洋七も貧乏がもとで、1度だけ涙を流したことがある。