『おねえさまと逢いびきそうどう』
渚砂と会うのは八日ぶりだった。
エトワール選の乱入劇で全校を騒がせた罰として、渚砂は五日間、主犯の静馬は一週間
の謹慎処分を受けてしまったのである。
じつを言えば、何度か部屋を抜けだして渚砂に会いにいこうかとも思った。
だが、それを見つかったら、また処分を受けてしまうだろう。
自分一人だけなら、それでもかまわないのだが、渚砂にこれ以上の罰があたえられるの
は見たくなかった。
だから、静馬は最大限の忍耐を発揮して、一週間のあいだ部屋で我慢していた。
それはもう、深雪をして『奇跡』と言わしめたほどのものだった。
そして、待ちに待った謹慎開けの今日、静馬は渚砂とはじめて出会ったあの大きな木の
下に立っていた。
謹慎がとけたらここで会おうと、渚砂と約束していたのである。
「渚砂…。まだかしら…」
静馬はつぶやいた。
もう一時間以上待っているが、渚砂の姿はまだ見えない。
いや、本当は、静馬が約束より二時間も早く来ているだけだった。
普段は沈着冷静な静馬だが、こと愛しい人のこととなると、たちまち思考と感情が直結
してしまい、後先を考えられなくなってしまうのだ。
それは自分でもよく分かっている欠点だったが、どうにも抑えがきかないのだ。
だが、それが『恋心』というものだろう。
頭の中はいつも好きな人のことでいっぱいで、その息吹を感じていないと安心すること
ができないのである。
それでなくても、静馬は一度、大切な人を失っている。
失うことの痛みや悲しみを知っている。
だから、なおさら今は、一刻も早く渚砂に会いたい。会って渚砂の顔を見たい。渚砂の
声を聴きたい。渚砂の体を抱きしめたい。
ただただ、それしか考えられず、二時間も早く来てしまったのである。
それに、もしかしたら渚砂も早く来てくれるのではないか。と、ちょっぴり期待をして
いたのも事実だ。
明らかに過剰な期待だが、今の静馬の頭の中はそんな状態なのだ。
しかし、当然のことながら、渚砂はそんなに早くは来ていなかった。
それはまったく普通なのだが、勝手に期待して勝手にコケた分だけ、静馬は無駄に落胆
してしまい、そして、これまた無駄に不安にかられはじめていた。
──もし、渚砂が来てくれなかったらどうしよう…。
早く来すぎた自分が悪いのは百も承知だ。
実際には、まだ三〇分以上も時間はある。だが、渚砂への愛しさがつのるあまり、逆に
心も大きく揺れてしまうのだ。
もし、渚砂が来てくれなかったら、いったいどうしたらいいのだろう。
そうなったら、きっと自分は生きてはいけない。
その時は、このままここで朝まで過ごして凍死してしまおうか。それとも、冷たい池の
底にでも沈んでしまおうか。
「ああっ。渚砂……」
静馬は涙目になりかけていた。
祈るような気持ちで両手を組んで、天をあおぐ。
曇りのない抜けるような青空がちょっぴりうらめしく思えて、目を閉じて、小さな声で
つぶやいた。
「渚砂…。早く会いたいわ…。お願い…早く…」
「静馬様~!」
静馬はハッと目を開けた。
待ちわびていた、この声。
「静馬様ぁ~~!」
声のほうに目をやると、渚砂が手を振りながら駆けてくるのが見えた。
「渚砂っ!!」
静馬は満面の笑みを浮かべて、渚砂に向かって一気に駆けだし、愛しい想いのすべてを
ぶつけるかように、渚砂の胸に思いっきり飛びこんだ。
ちょうど、あの時とは逆の状態である。
が、しかし。
いくらなんでも渚砂の体格で、全力疾走してくる静馬の体を受けとめるのは、さすがに
無理というものだった。
「うひゃあああ~~っ!」
「きゃあああーっ!」
抱きあったまま、目がまわりそうないきおいでゴロゴロと転がっていった二人は、地面
のくぼみに落ちてようやく停止した。
「ふぇええぇ~☆」
「いたた…」
「し…しずまさまぁ~~…?」
「ああっ! だ、だいじょうぶ? 渚砂!」
渚砂を下敷きにしていることに気づいて、静馬はあわてて身を起こした。
「ケガは…ケガはない!?」
「はい。だいじょうぶですけど…。もぅ、静馬様ったら、あんなの無理ですよぉ~」
「ご…ごめんなさい…」
静馬はシュンとなった。
いくら今まで不安だったからといって、こんなことで渚砂にケガでもさせたらシャレに
ならない。
「本当に、ごめんなさい。渚砂…」
「い、いえっ。そんなに謝るほどのことでも。あはは…」
静馬があまりにしおらしく謝るので、渚砂もちょっと困惑しているようだった。
「えっと…。と、ところで、静馬様はいつから来てたんですか?」
話題を変えるように渚砂が訊いた。
「え? ああ、いえ。私は渚砂より少し前よ。ふふふっ♪」
さすがに二時間も前に来ていたとは言えず、笑ってごまかす静馬であった。
「そうなんですか」
渚砂も笑った。
「わたしも静馬様に早く会いたくて、三〇分前だからまだ来てないかな~って思いながら
来てみたんですけど、静馬様のほうがもっと早かったんですね」
「ええ。私も渚砂に早く会いたかったから」
渚砂も自分と同じ気持ちだったと知って、静馬は顔をほころばせた。
さっきまでの揺れる心は、きれいサッパリ消しとんでいた。
「えへへっ。なんだか、競争してたみたいですね」
「そうね。でも嬉しい競争だわ」
静馬はゆっくりと──優雅な仕草で──立ちあがった。
「それじゃあ渚砂、行きましょうか」
「ふえ? どこへですか?」
「ここでは風が吹くと少し寒いでしょう。いい場所があるのよ」
静馬は、渚砂に手をさしのべて芝居っぽく言った。
「さ。渚砂お嬢様。お手をどうぞ」
「はい。静馬様」
渚砂も満面の笑顔で、静馬の手を取った。
*
図書館の裏手に、小さなレンガ造りの小屋があった。
「昔は林の管理小屋だったらしいんだけど、今は使われていないのよ」
小屋の扉を開けて、静馬は言った。
「へえ~。ここにこんな小屋があるなんて、知りませんでした」
「場所が場所だから、先生たち以外で知っているのは図書委員ぐらいかしらね」
静馬は渚砂の顔を見て、軽く微笑んで言った。
「ここなら風もふせげるし、何より、邪魔が入らないわ」
「…もう…静馬様ったら……」
渚砂の頬が、ほんのりと赤くなった。
「ねえ渚砂。いい……わよね?」
「はい…。静馬様…」
赤い顔で、渚砂は小さくうなずいた。
「好きよ。渚砂。愛してる」
静馬はそう言うと、渚砂の顔をじっと見つめた。
渚砂もうるんだ瞳を静馬に返す。
しばらくのあいだ、優しい沈黙が流れた。
やがて、静馬が口を開いた。
「……不思議なものね…」
「はい?」
「覚えてる? はじめて渚砂と出会ったころは、こうして私が見つめるだけで、あなたは
動けなくなってしまったわね」
「やだ。静馬様ったら。恥ずかしいですよぅ」
「でも今は、あなたに見つめられると、私が動けなくなってしまうわ」
「…静馬様……」
エトワール選の会場から、渚砂をさらったのは静馬だ。
でも、本当にさらわれたのはどちらだろう。
あるいは、二人ともおたがいにさらわれてしまったのかもしれない。
「…………愛してるわ…渚砂……。何度でも言うわ。愛してる」
「わたしも…。愛してます、静馬様」
「…渚砂……」
「……静馬…さま………」
二人の唇が静かに重なった。
CONTINUE