【第41回】行政に異議を唱えるということ──事業者の権利としての行政訴訟
― 裁判を起こす意味、“処分性”の壁、そして制度の矛盾に向き合う
最近、「司法試験でも受けられたのですか?」「司法書士か行政書士の資格をお持ちなのですか?」と聞かれることが増えました。
でも、私は中小企業診断士です。
この歳でいくつも資格を取るのは正直、コスパが悪い(頭も固くなりつつあり、、、そもそもそんなに法律学とか好きではない)ですし、
本質的にやりたいのは、法廷闘争ではなく、補助金を受給した事業者がしっかりと事業を成功させ、
それを自社の事業ともつなげて相乗効果を生み出す支援です。
しかし、その「事業の成長」を制度や行政の不備で妨げられる場面があまりに多く、
声を上げなければ何も変わらない、という現実を突きつけられました。
だからこそ、私は裁判という手段を選びました。
それは決して“闘いたい”からではなく、“前に進める制度”に戻したいからです。
✅ 補助金は「感謝するもの」ではなく、「法に基づく権利」
多くの人が誤解しています(支給する側も受給する側も)。
補助金は“ありがたくいただく支援”ではなく、制度と法律に基づき、正当に申請し、審査され、交付されるべきものです。
だからこそ、その交付が不当に拒まれたり、取消されたり、返還命令が出されるのであれば、それに異議を唱えるのは当然の権利です。
✅ 「裁判を起こすと面倒くさいやつと思われる」?それは行政がそう仕向けた構造
私が裁判を起こしたことを知って、「よくやるね」「面倒な人だと思われるよ」「目を付けられるよ」という声もありました。
でも、よく考えてください。
法に従って行われるべき行政手続において、行政側が不当な判断をしてきたとき、
それに異議を唱えられるのは、この社会が法治国家であるからこそなのです。
行政は完璧ではありません。
だからこそ、私たちには“訴える手段”が保障されている。
それを行使することを、“迷惑”とか“逆らう”という言葉で封じてきたのは、
**日本社会に長く根付いた“官の圧力”**にすぎません。
✅ そもそもなぜ裁判を起こさないといけないのか?──“処分性”という壁
補助金をめぐるトラブルの多くは、行政が「これは処分ではありません」と言い張ることに起因します。
不採択
差戻しの繰り返し
実績報告への不当な差し戻し
曖昧な根拠での交付取消
これらは、事実上の“処分”であるにもかかわらず、行政は「これは指導です」「事務的な判断です」と言い換える。
その結果、異議を唱えるルート(審査請求や訴訟)が閉ざされてしまうという構造があるのです。
✅ 処分性を争うこと自体が「制度の穴」を突く行為
私の訴訟では、まさにこの「処分性」が争点になっています。
行政側(中小機構)は、「返還命令や差戻し通知は処分ではない」と主張しています。
ですが、返還を命じられ、通知を受け取り、金銭的損害を被っている私たちにとって、
それが“処分ではない”というのは、まさに法の名を借りたごまかしです。
この訴訟を通じて、「補助金をめぐる一連の行為は、処分性を有し、行政不服審査や訴訟の対象となるべきだ」
という論点が社会に広がることを願っています。
✅ 行政訴訟は「対立」ではなく、「制度を整える行為」
私は、行政と敵対したいわけではありません。
制度が正しく運用され、誰もが納得できる仕組みに近づくためには、
ときに制度そのものに対して、「これはおかしい」と声を上げることが必要です。
行政訴訟とは、「制度の外にある声」を法廷に届ける行為です。
そしてそれは、私たち一人一人に開かれている正当な手段です。
✅ マスコミも政治家も反応が鈍い理由
裁判になると、政治家もマスコミも“個別案件には口を出しにくい”という空気になります。
でも、そうやって沈黙しているうちに、
多くの中小企業や個人事業主が「理不尽な仕組み」に巻き込まれているのが現実です。
行政に異議を唱えることは、何かを壊す行為ではなく、正す行為です。
✅ 最後に:これは私の戦いではなく、あなたの未来かもしれない
私はたまたま訴訟を起こす機会と勇気を得た一人です。
でも、これは私一人のための戦いではありません。
制度が変わらなければ、同じようなことが、あなたやあなたの支援先、
あなたのクライアントにも起こりうる。
だからこそ、私は訴えます。
このnoteで、Xで、法廷で、そして世の中に向けて。
「私たちは、黙らない」と。


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